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おわり

 

「え? 俺てっきり亮子りょうこはあの先輩と付き合ってるんだと思ったんだけど……」

「ええっ!? どうして?」

「だってそりゃお前……」


 そう言ったきり口をつぐんでしまった洋介ようすけを訝しく思い、彼の顔を見る。

「なに?」

「ああ……、いや、何でもねぇ。うわ俺、とんだ勘違いしちゃったな」

 しばらくの間沈黙が生まれるが、さきに口を開いたのはこの場へと誘った洋介からだった。


「明日から一週間停学ってことで。恥ずかしい話しても、明日からは顔合わせねえから今なら話せると思ってさ」

 洋介の瞳は夕焼けの色を受けて、セピア色に染まっている。

 深く息を吸い込んでそれを吐き出した後、洋介は一気にその言葉を放った。


「俺、ルミにフラれるかも」


 ひどく小さな、だけど明るい声でそう言った。わざとそう振る舞っているのがすぐにわかるほどに。

『どうして?』なんて聞けるはずもない。自分は多かれ少なかれ、その理由をルミ本人から聞いているのだから。


「最近、メールの返事もくれないしさ、電話かけても出てくれねぇんだ。会っても、なーんか別のこと考えてるって感じでさ。俺のこと特別好きじゃないのは最初からわかってたけど」

 私は洋介の顔を見ることもできずに、膝の上に置かれた自分の拳を見つめているだけだ。


「それでもいいと最初は思ってたんだ。付き合えたことが奇跡だし。いつか好きになってくれたらいいかって。まあでも段々とつらくなってくるわけよ。付き合ってるのに一方通行ってのがさ。……ワガママだよな」


 私は握りしめていたハンカチを黙って洋介に差し出した。


「まだ泣いてねーから! 本当のこと言うと、日曜日俺も誕生日だったんだ。会えないかって誘ったんだけどすっぱり断られて。誕生日のことルミには話してなかったんだけど、なんかさ、そもそも誕生日知ろうとすらしてもらえないって俺にまったく興味ないってことじゃん? ってその時思った。しかもお前の誕生日はなぜか知ってて俺に楽しそうに話すわけよ。プレゼント何がいいかなぁランチはどこそこのカフェで――とかってよ。普通その流れで俺の誕生日聞きますやん? でもそれもないって……ちなみにルミの誕生日は1月11日ね。付き合ってすぐ聞いたさ」


 洋介は私が渡したハンカチをじっと見入っている。


「こんなことお前に話すのめちゃくちゃ恥ずかしいけどこの際だから言うわ。俺、ルミの気持ち確かめたくて、土曜日にキスしようとしたんだよ」

 ぐさりと槍で心臓を刺された気分だった。想像したくもない。また涙が出そうになったけど、ここは堪えた。


「まあ拒否られましたわ。俺思ったんだよね……なんか他に好きな奴がいるんじゃねーのかなって」


 さっき槍で刺された心臓が今度は思い切り跳び跳ねる。

「心当たりでもあるの」

「いやわかんねえよそんなん」


 私はどうするのが正解なのかわからなかった。洋介に、ルミに告白されたことを話すべきなのか。もしルミが洋介と別れるつもりなら、いつか洋介にもこの事が知られるかもしれない。でも、ルミの気持ちを勝手に私が話すなんてことは気が引ける。だけど洋介は当事者だ。……なんでこんなややこしい事になってしまったんだろう。

 それに私は、もうどうにこうにも、洋介を好きでいることが辛くなっていた。そろそろこの気持ちにけじめをつけてやらなければならないと思った。


「洋介。勝負しよう」

「なに、いきなり」


 私は座っていたベンチから立ち上がると、50メートルほど先にある時計を指差した。


「あそこの時計まで走るの。私が勝ったら何でも言うこと聞いて」

「はぁ!? お前、俺が誰だかわかってんの? 帰宅部のお前なんかに負けるわけねえじゃん」

「だったら文句ないでしょ」

「やる意味ねえって」


 これで負けて、すっぱり諦めよう。


「私にはあるの」


 洋介は渋々立ち上がると、着ていた上着を脱いでベンチに置いた。


「俺が勝ったら何かくれんの?」

「あんたが勝つのは当たり前だからなんにもない」

「なんだそれ」


 呆れた笑いをして、洋介は私の横に立った。時計が丁度18時を迎え、鐘が鳴る。それがスタートの合図だった。


 鐘の音と同時に強く地面を蹴る。

 最初はいいスタートのように思えた。だけど、当たり前のようにどんどん洋介の背中は遠ざかっていく。私の胸は破裂しそうにすでに苦しく、前を走る彼を同じ人間とは思えない。素質もあるだろうけど、毎日の努力であそこまで早く走れるんだ。人間の秘めたる可能性の神秘を美しく思い、それを咲かせる洋介をまた魅力的に感じた。


「うわっ」


 その声を皮切りに突然視界から洋介が消え。どうやら何かにつまづき転んだらしい。それでも私は走り続ける。急に止まれないことは最近体験して覚えていたし、元々止まるつもりもなかったのだ。洋介には悪いけど。


 形勢逆転。背中の後ろであのけたたましい足音を聞いたが、最後の力を振り絞り時計に触れた。

 うそ、勝っちゃった?


「……残念、同着」

 息を切らした洋介が赤い顔で、私の手のすぐ上の部分を触れていた。大きな手が、触れそうなほど近くにある。こんなにも近くにあるのに、と思いかけてやめる。もう決めたことだ。


「まさかこんなモンにつまずくとはな。カッコ悪ぃー」

 思わず持ってきてしまったらしい少し大きめの平べったい石を、洋介は大きく振りかぶって思い切り川に投げた。石は三回水面(みなも)を跳ね、そのまま沈んだ。こんな石をわざわざ拾わなければ私よりもっと早くゴールしていただろう。


 あんな風に洋介ようすけから投げ捨てられたい、そのまま何もないところへ沈んでいきたいと思った。自分から洋介を離れるより、洋介から嫌われて拒絶される方がずっと楽だ。


「で? お前が俺にしてもらいたいことって何さ。引き分けだったから特別に聞いてやるよ。本来なら有り得ない結果だからな」


 もし勝ったら自分の気持ちを伝えて楽になろうと思っていた。ほんの数分前までは。ただそれは、勝つことがあり得ないから決める事が出来た、かりそめの願いだ。それでも空気を読まずにこんな事を言えば嫌われるかもしれない。まあ実際、嫌われた方がいいんだろうけど。


「なあ、聞いてんの?」

 顔を伏せたままの私の肩に洋介が触れる。その手の暖かさが瞬時に私の体温に溶けた。

 洋介の顔が私の顔を覗き込む。たまらず肩に置かれた手に触れてしまった。


「キスして」


 さぁっと、胸の中につかえていたものが霧のように消えていくのがわかった。だけど上の方からは、恥に似た目を背けたくなる色の感情が自分の脳を麻痺させる。私は今何て事を言ってしまったんだろう。


 私を見る洋介の目が大きく開かれる。その目に自分の顔が映っていた。とんでもねえ顔をしているのがわかった。

 今ならまだ間に合う。「冗談です」そう言って笑えば、全然面白くないジョークとして明日には忘れ去られる。だけど、声がでなかった。冗談だと笑えるほどの力を、ずるい私は残していなかった。確実に嫌われる。これから席替えをするまで、どんな顔をして学校へいけばいいの。 さっきまでは嫌われた方がいいとか思っていたくせに、いざそうなってみると突然不安になった。


 微弱な風に吹かれて前髪が揺れた。二人の間を、冷たいと言うには暖かすぎる空気の流れがそっと抜けていく。

 洋介の顔が赤いのは、夕焼けに照らされてるからなのか、それとも、まだ走った熱を持っているだけか。


「……マジで言ってんのか?」


 こんな顔するんだ。こんな顔を、私がさせているんだ。

 息が詰まる。呼吸のしかたを忘れ、頭が痺れ始めた。初めて見た洋介の表情に、もう何も先のことを考えることができない。


 私に握られた手をするりと抜け出し、洋介は私の肩を抱いた。

 心臓が破裂するかと思った。それならもうこのまま死んでもいい。そうなったらどんなに幸せだろうと思う私は、なんて自分勝手で浅ましいんだろう。


 私の肩を抱いた洋介の腕が、少し力を強めた。軽く抱き締められたと思ったら、瞬時に体を離した後、洋介は言った。


「……やっぱできねえわ」


 少し困ったような洋介の顔を見て、すぐに我に返った。今すぐ死にたくなった。さっきとは違う死に方になると思うけど。


「お前最近ずっと元気なかったろ。ルミに……あ、あいつは言うのいやがったけど、俺が無理に聞いたんだ。お前彼氏に浮気されてんだってな」

 苦し紛れについたあの嘘が、洋介にまで伝わっていたとは。そうすると殴り合ったあの先輩のことを、洋介が私の彼氏だと思ったというのにも納得がいった。私がいった彼氏の条件に、あの先輩は当てはまっていたからだ。あのとき洋介が驚いた顔をした理由がよくわかった。

 あの先輩を私の彼氏だと思った上で彼を殴ってくれたんだ、そう思うと身体中の血液が沸き立つような感覚が走った。

「それでも好きなんだろ? やけ起こすなって……手近過ぎんだろ」

 洋介は言って、私の肩に置いていた手を完全に離す。

「相手の女ぶん殴ってやるくらいの根性見せろよ。たぶん、お前ならできるよ。それでもだめならまたそんとき考ろ。……俺もルミと話すわ。今みたいな中途半端なの、俺イヤだから」

 哀しさを含んだ笑みを浮かべて、洋介は殴るポーズをしてみせる。もしかしたら、毎日ミカンをくれていたのは私を元気付けてくれるためだったのかもしれないと、今さらやっと気が付く。


「俺がその、……お前にキスしてやるのは簡単だけど、しちまったらその事実は消せねえから。お前と彼氏の未来の可能性があるなら、簡単にできねえ」


 さっきまで目に蓄えていた涙が全て乾いてしまいそうなほど、目の前が明るくなる気がした。その言葉が本心でも嘘でもどっちでもよかったのだ。洋介が私にそう言ってくれたことに意味があった。


「……でも正直やばかったわ、俺ほどの聖人君子でも。しかしよく考えたら俺って……フラレる可能性が高いとは言え、彼女持ちなのになんつうことを……」

「聖人君子」



 もし洋介が私にキスしてくれたなら、逆にすっぱり諦めたのかもしれない。

 だけど洋介が私にくれた言葉は太陽の光のように輝いて、私の宝物になった。レジンに閉じ込めてカバンにぶらさげたいくらいだ。

 それに、―さらに好きになった。前よりもっと大好きになった。


 だけどもう負けだ。この恋を諦めることを、たぶん今ならできる気がする。今ならきっといい方向に向けての、終止符を打てる。

 洋介を好きになったことを後悔はしない。



「俺思うんだよねー。お前、部活かなんかした方がいいって!」

「なんで」

「なんか打ち込めることがあった方がいいって。恋愛以外にもさ。まあ例えば、演劇部? とか」

「なんで演劇部……」

「お前結構名演技すると思うわ、さっきそう思った」


 洋介がくれた優しさを、大切に心の奥のどこかにしまって鍵かけた。これから先悲しいことがあったとしても、この優しさを思い出せればまた私はやっていける。

 一週間後、また洋介と顔を会わせてもきっと彼は今日の事など何もなかったかのように接してくれるだろう。


「洋介」


「ん?」


「ごめんね、そんで……ありがと」


「さあ~ね。そんじゃ帰ろうぜ」



 先に立ち上がった洋介の差し出された指に触れたくてたまらなかったが、今は遠慮しておく。先を歩く彼の背中に、小さく「大好き」と呟いて、二度と出てこないよう川に預けた。


 彼が投げ捨て沈めた石はきっと海へ流れ、いつか今までより広い世界を知る。

 私は洋介の幸せを静かに願った。できればその隣に、同じ気持ちのルミもいるように。




ありがとナス

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