告白
ルミが私を楽しませようと努力してくれているのがわかった。そんな姿を見ていると、自分の方も答えてあげなければと思うようになった。それに正直に言うと、思っていたよりも少しは楽しかったのだ。
「はい、どうぞ」
ルミが渡してくれたミルクティーの缶は温かく、少しだけ、冷えた指先に心地よい。
公園の端にあるベンチに私達は座った。
今日待ち合わせに使った場所だ。その時は人がまばらに居たが、今はもう見渡す限りは私達しか居なかった。
「亮子ちゃん、今日はとっても嬉しかった。ありがとう。これ、飲んだら帰ろ」
「いや、こっちの台詞だから。ありがとう、私なんかのために色々」
こんな風に二人で過ごしているということを、初めて会ったあの日、想像することができただろうか? そう考えるとこの状況がなんだか不思議でおかしくて仕方なかった。
「これ、誕生日プレゼントだよ」
ルミが鞄から取り出したのは、綺麗にラッピングされた何かだった。
「いいの? なんか悪いな。でもありがとう、開けていい?」
ルミは顔をほころばせると、花のような笑顔で頷いた。本当に可愛いなと思う。
「なに? じっと見て……恥ずかしい、見ないで。はやく開けて」
「いやぁ、可愛いなって思って」
ギンガムチェックのリボンをほどくと、袋のなかからは、鮮やかなブルーのニットが出てくる。それは綺麗に四角く折り畳まれていた。
「わぁ、なんだろ?」
広げるとそれは長く、先端はフリンジになっている。
「マフラーだ。 可愛い、ありがとう」
しばらく口を開かないルミの方に顔を向けると、彼女は真っ赤な顔で俯いていた。
「どうしたの?」
ルミは顔を上げたが、その瞳には、彼女のブラウスに付いているビジューのように綺麗な涙がにじんでいた。
「なんで泣いてんの?」
「泣いてないってば! ちょっと嬉しくて」
「何が?」
「内・緒。それよりこのマフラー、私が作ったんだよ」
「えっ、ほんとに? 超上手じゃん」
驚いて、再びマフラーに視線を戻す。
手編みってこと? こういうのって難しいんじゃないの? 時間もかかったり……。でも、本当に綺麗。普通に売ってるのみたい。ルミすごい。女子力高い。
「実は手芸ちょっと得意なんだぁ。お料理はダメなんだけどね」
うーん。勝てるところがない。そう思いながら、もらったマフラーを首に巻いてみる。
「どう?」
「やっぱり亮子ちゃんはブルー系が似合うと思ったの! すごく可愛い、似合ってるよ! って、私が言うのなんか変だよね」
クスクスと笑うルミは小動物のように可愛らしく思えた。
ルミが洋介の彼女じゃなかったら、違う気持ちでいまよりずっといい友達になれてたかもしれないな、とこの時思った。
「あれ?」とルミが突然声を上げる。と同時に、その可憐な顔が一気に距離を詰めた。驚いて距離を取ろうと思った矢先、ルミの細い指が私の首もとに伸びる。
「じっとして、ピアスが落ちてる」
ああ、マフラーを巻いたときにひっかけたんだ。
「あ、ありがと……」
至近距離で見ても、ニキビどころか毛穴ひとつ見えない。本当に、ため息が出るほどに美少女だ。洋介のやつ、よくこんな子と付き合えたよね……。
マフラーにひっかかったピアスをルミが取ってくれている間、その無防備な表情に魅入ってしまっていた。
「とれた!」
伏せられていた長い睫毛が急に上を向くと、大きな目が嬉しそうに私を捕らえた。彼女を見つめていたことが知られると気まずく、咄嗟に視線を反らしてしまう。その先の視界は、確かに一瞬で光を弱める。 「あ」 と思う間にそれは私の唇をかすめていった。
「え?」
一瞬思考が停止したあと、いま何が起きたかを理解できない。地震があったのかと思うほど頭の中がグラグラしている。焦点が定まらない。
「えっと……、ちょっと、待って」
恐る恐るルミの方を見ると、手で口元を覆い固まっている。指の上から見える白いはずの肌は紅潮していた。
洋介にルミを紹介されたあの日、こんな日が来ると誰が想像できただろうか?
ルミが、私にキスをした?
どうして、なんのために。
「ごめんなさい……」
涙が混ざったその声だけを残して彼女は逃げるように去った。私はというと、追いかけることもできずにただ、冷めていくミルクティーの缶を落とさないように握りしめているだけだ。
思えばこの日、ルミは洋介のことを一切口にしなかった。
□
「浅井、井深。金曜日お前たち補習だから」
「先生! 俺、土曜日大会あるんで見逃してもらえませんか?」
先生はにっこり笑うと、だめだ! ときっぱり言ってから教室をあとにした。
「最高の誕プレじゃん?」
洋介は真顔で振り返ると、ミカンを三つ私の机に置く。
昨日のルミのことを考えていたら課題など手に付かなかった。しかも、眠れなかった。なんならさっきの授業も聞いてない。それなのに、洋介が「誕プレ」なんて言うもんだから、またルミのことを思い出してしまう。
「なんだよ、浮かない顔して」
「……なんで今日は三つなの」
「だから、誕生日のプレゼント」
ルミはどういうつもりで私にキスなんてしたんだろう? 冗談だった? それならそれでもいい、なのに、あのあとの態度。
そのあとメールもなにもない。なんか、めちゃくちゃきまずいんだけど。
「あ、ああ、ありがとう」
洋介と誕生日の話をしたことはなかったので、ルミに聞いたんだとすぐにわかった。
ずっとまえから私は洋介の誕生日を知りたかったのだが、聞くことも出来ずにいた。それが、こんな形でチャンスが巡ってくるとは……。今はもう聞かないでもいいのかもしれなかった。だけど私の本能が勝手に口を開いてしまう。
「……そういえば洋介の誕生日っていつなの?」
やっと聞けると思った。誕生日がわかれば、占いが出来る、あわよくば「おめでとう」と言えるかもしれない。と、過去の私なら手放しに喜んだだろう。
洋介は笑って答えた。
「俺実は捨て子だから誕生日わかんねぇんだよ」
食い下がる元気はもうなかった。
「なるほどね」
やっぱり聞くんじゃなかった。
きっと洋介は、ルミ以外には祝って欲しくないんだ。
□
私の誕生日から四日過ぎた。あれ以来ルミからはぱったりと連絡が来なくなった。毎日のようにメールや電話をかけて来ていたのが嘘のように。もしかしたらルミは私からのアクションを待っているのかもしれない。でも、もともと積極的にルミと関わりを持ちたいとも思ってなかったのだし、あのキスの意味が全くわからないのでこちらからは何か行動を起こすつもりは微塵もなかった。冷たいって思われても別にいい。
十代の女の子なんてものは、恐ろしく不安定で、時に突拍子もないことを平気でやってのけるものなのだ。自分だって、気持ちとは全く反対の行動を取ったりする。
確かにキスされた直後は気が動転したし、今でも不思議には思っているけど……。
日を重ねるにつれ、段々とどうでもよくなってくる。むしろこれで彼女との関わりが絶たれるならそれはそれでラッキーだとさえ思う。
もちろん、あのあとルミが何を思ってあんなことをしたのかを自分なりに考えてはみた。
『冗談で驚かせようとうっかりキスしちゃったら、思ったよりも恥ずかしくなってそのまま逃げてしまい、気まずくて連絡もできなくなってしまった。』
こんなところじゃないだろうか?
もしかしたらもうそろそろ、何事もなかったかのように電話でもかかってくるかもしれない、とも思っている。ないならないでいい、もしそうなるとしたら、胸にずっとつっかえていた何かが、すっと消えていくように思えた。なのに今度は、別の場所で形の違う何かが芽吹きそうな予感もした。
□
つくづくこのクラスは優秀な生徒が多いんだな。それとも私たち二人が飛び抜けて落ちこぼれなのか。もし私が皆と同じに優秀な生徒なら、洋介と仲良くなれていなかったかもしれない。
誰もが帰った放課後の教室、黙々と、出された課題をやりながらそう思った。
彼の背中を見つめながら。
「あっ、ヤベ……忘れてた」
洋介が突然声を上げると同時に立ち上がった。
「ちょっと俺、部活に遅れること何も言ってなかったからグランドの準備が……すぐ帰るわ」
上着を脱いで椅子に乱暴に置くと、一目散に走っていってしまった。
私は軽いため息をつくと、走らせていたシャープペンを置く。私も少し休憩だ。
そう思ったのもつかの間、静寂を破ったのは自分の携帯電話のバイブレーションだった。
画面を見なくても予感がする。
「……もしもし」
出るかどうか少しだけ迷って結局出た。
スピーカーの奥で、小さく息を飲む音が聞こえる。
『……亮子ちゃん』
今にも泣き出しそうなルミの声だ。
『この間はごめんなさい』
もしかしたら、泣いているのかもしれない。
声が震えていた。
「気にしないで」とか、「どうしてあんなことを?」とか、言えば良かったのだろうか? そう言うのは簡単だったけど、どれもしっくり来ない気がして、私はまだ言葉を探している。
『あのね亮子ちゃん、もうわかってると思うけど……』
私の言葉を待たずにルミは話し続けた。
こちらからすると、ルミが何を言おうとしているのかまったく予想できてないというのに、ルミは『わかってると思うけど』と言う。
以前からなんとなく思っていたことだ。ルミが感じているほど、私はルミを近しく思っていない。
『……亮子ちゃんが好きなの』
頭が真っ白になるって、たぶん脳が機能しなくなるんだ。買ってもらってまだ三ヶ月のスマートフォンを指から滑らせ床に落とした。急いで拾う気力もわかない。
頭に響く声を何度も繰り返したが、理解できない。ルミの言葉が日本語とは到底思えなかった。
だって意味がわからない。
考えなくても簡単に沸き上がってくる疑問がすでに数個はじけた。冗談なんでしょ? なんで私なの? 私女だよ? ってか、あんたが好きなのは洋介じゃないの?
嬉しいとか、気持ち悪いとか、そういう感情は何も出て来ない。ただ、「なんで」って言葉だけが延々と頭に浮かび続ける。
なんでこんなことになってんのか全然わかんない。
夢か? どこから?
もしそうなら、できれば洋介に彼女ができたところからでお願いしたい。
思い切り目をぎゅっと閉じて、再び開けた。誰もいない教室に、課題の山。足元には、転がったまま拾われていない私のスマートフォン。画面はまだ通話中。どうやら夢じゃないみたい。
「ごめん、落とした」
『驚かせてごめんなさい。でも、最後に気持ちを伝えたくて』
……最後?
『もう、会わないから。ひどいことしてごめんなさい』
「ルミ、」
『亮子ちゃん、私のこと嫌いでしょう?』
心臓が跳ね上がった。ルミの声は徐々に湿り気を帯びてきて、彼女の悲しそうな顔が、見ずとも手に取るようにわかる。
『私ね、大抵の人に好かれるの。特に男の人は、ほとんど私のこと好きになるの』
!?
『でもね、亮子ちゃんは違った。初めて会った日――洋介くんに紹介してもらった日。覚えてる? 亮子ちゃん、私のこと一瞬だけ見て、そのあと不自然に目を反らした。私、こんなこと初めてで、ずっと「何かしたのかな」って気になってたの
私が洋介くんの部活を見に亮子ちゃんの学校へ行ったときも、私のこと嫌いなはずなのに親切に案内してくれて……すごく優しい子だなって思った。
毎日電話してもメールしても、ちゃんとお返事くれて……楽しかったし、どんどん好きになっていったの。私ね、私の見た目だけ見て簡単に好きになってくれる男の人に、ちょっとお腹いっぱいになっちゃったのかもしれない。
誕生日の日、初めて亮子ちゃんが私のこと「可愛い」って言ってくれたの。すっごく嬉しかった。とってもやさしい笑顔で言ってくれたのが本当に嬉しくて……気持ちが押さえられなくなった。私、意外と肉食系でしょ? 亮子ちゃん、お友達になってくれてありがとう。それを、私から壊しちゃったけど……。嬉しかった。本当にありがとう』
私はほとんど返事もできないまま、ただルミの声を聞いて呆然としていた。あまりのことに、頭の中のルミに関する記憶がパズルのようにバラバラになってはまらない。
「洋介はどうすんの……?」
正確な判断ができなくなった私の口から、真っ先に出てきた言葉だった。
『洋介くんのことは好きだよ。だけどたぶん、恋愛感情じゃない……一緒にいてもドキドキしないし、私がいつでも早く会いたいって思ってたのは亮子ちゃんだけ』
誕生日を待つ数日前からの疲労感が、どっと舞い戻ってきたかのように、突然体が重たくなり始めた。胸の中に渦巻いているのは、ひとことで説明するには難しい複雑な感情だ。後悔、悲しみ、……あとはたぶん、苛立ち。
電話を支える指が濡れているのに気がついた。雨漏りでもあったのかと錯覚するほどに、それが涙だと気付くのに時間がかかった。自分が泣いていることに心底驚く。
「あんたのこと、好きになれないけど……ルミの幸せは願ってる」
『ありがとう。亮子ちゃん、そういうところが大好きなの』
『さようなら』
そう言ってルミの方から電話は切られた。
ルミが私のことをそんな風に思っていたなんて。
まったく気が付かなかった。気が付くわけがない。
もしかしたら、私が洋介に対して抱いている感情をも、ルミは気付いているのかもしれない。
頭が痛くなった。
洋介は、このことに気が付いているのだろうか? 自分の彼女が他の人を好きだった、なんて知ったら、どんなに悲しむだろう。
さらに頭が重くなっていった。
視線が下がり床を睨み付けると、何かが落ちていることに気がつく。
洋介の定期と、それを入れていたらしい生徒手帳が開けて転がっていた。脱いだ上着から落ちたのだろう。
迷わずそれを拾った。
生徒手帳なんかに定期を入れてるのが、適当っぽくて洋介らしかった。もし誕生日を知ってたら、定期入れをプレゼントしたかったな、などという考えがこの期に及んで浮かんでくる自分を軽薄に思えて軽蔑した。自分の存在のせいで、彼の幸せがひとつ崩れ去ろうとしているというのに。
拾ってすぐに目に入ったのは、彼の証明写真があるページだった。まだ半年前だというのにずいぶん初々しく見える。
そして気がついたのは、『浅井洋介』という氏名の上に印字された生年月日の欄だ。そこに記されていたのは、見慣れた自分の誕生日と同じものだった。




