トモダチ
なんで私はこんなところにいるんだろう。大体、ほとんど面識もない他校の子と二人っきりで、共通の話題と言えば洋介のことだけ。いったい何を話せばいいんだろう。この子は私に何を求めているんだろう。
「亮子ちゃん、何にする? ここのミルクレープおいしいよ」
屈託のない笑顔でメニューを手渡してくれるルミに違和感しかない。なにを考えてるの?
「じゃあミルクレープで」
ミルクレープは別に好きじゃない。なんというか、地味だし。手間暇かけられて作られているんだということは、見た目でわかる。何層にも丁寧に重ねられた生地と薄く伸ばされたクリーム。苦労して作られているはずなのに、そんなに感動しない味だからだ。まずくはないけど、普通ってやつ。
そんなことを考えていると、ルミが店員さんを呼び、二人分のケーキを注文してくれた。彼女はニコニコしながら私を見つめている。非常にきまずい。
「突然誘ったりしてごめんね」
ルミが恥ずかしそうに口を開く。
「洋介くんから亮子ちゃんのことを聞くたびに、お話してみたいなってずっと思ってたの」
洋介まじバカじゃないの?
そんなに私の話をこの子にしてたの?
バカじゃないの、普通彼女に他の女の話なんかしないでしょ。
そんなの、良い気しないにきまってる。
もしかして、私の事疑ってるとか……?
まずい、なんとかしないと。
瞬時に頭の中が騒がしく吹き零れた。色んな言い訳やら繕いの言葉が浮かんでは消え、消えては浮かび、熱をもった泡のようにはじける。エネルギーが膨張し、私の口からまだ完成しきってない、正解かどうかも確認できてない言葉がとっさに出てくる。
「ど、どうせ私のことバカにしてたんでしょー? まったく仲良くないしね、あはは」
ボツ。不自然。
頭を抱えたい気持ちをおさえ、顔だけは平静を装っている。
「全然! 亮子ちゃんはとってもいい子なんだって、いつも言ってるよ」
その言葉が耳に入ったとき、外の私はさも迷惑そうな顔でそれを聞き流した。
でも心の中の私は、流れてくるその言葉を網で丁寧に拾い上げ、あとで大切に眺めようととりあえず奥にしまった。
「亮子ちゃん、好きな人いる?」
少しだけ間を置いてから放たれた言葉に、頭は真っ白になる。
固まってしまった私に、ルミは続けてこう話す。
「あっ! ご、ごめんね急にこんな立ち入ったこと聞いちゃって……困るよね。でも気になっちゃって……ごめんね」
このときばかりはすぐにルミの考えに想像がついた。ルミは心配しているのだ。
私が洋介の事を好きなのではないかと。
今このテーブルについている二人を全く知らない人にあらましを説明したとしても、百人中百人が同じ答えを出すだろう。
だとしたら、この状況で私が言わなければならないことはひとつだけだった。
「心配させてごめんね」
はっきりとそう言った。これから少し嘘をつくことになるが、これは悪い嘘ではないので、堂々と自信を持った態度で振る舞おうと心掛ける。
「ルミちゃんが思ってるようなことは全然、まったくあり得ないから、本当に気にしないで。私は彼氏いるし、洋介とは席が近いってだけだから。それに洋介が私の事をなんていってるか知らないけど、私には、彼女が可愛くてたまらないって感じでのろけてくるよ。それに洋介は私の事、男だと思ってるの」
ルミの瞳が一瞬潤んだのが見えた。
「そうなの……?」
「そうなのよ」
「亮子ちゃん、彼氏いたんだ」
居ないけどね。これくらいの嘘ついたって、神様は許してくれるはず。
「そうだよね、こんなに綺麗なんだもん。彼氏くらい、いるよね」
「いや綺麗じゃないでしょ」
だんだん話がずれていってる感じがしたけど、それも相手がこの子だと、自然にも感じてきた。
少しだけ俯いていたルミが顔をあげ、続ける。
「変なこと言わせちゃってごめんなさい。やっぱり、洋介くんの言うとおり亮子ちゃんはいい人だね。私、自分が恥ずかしい。本当はわかってたの。さっき学校で会ったときから。なんの関係もない私を、陸上部のところまで案内してくれたよね。絶対いい子だって思った……私、自分が恥ずかしい」
大粒の涙がルミの目から溢れたとき、これ以上ないほど胸が痛んだ。私の方こそ泣きたい気分だ。自分のこころに嘘ついて。それなのに泣きたいって、私は本当はどうしたいんだろう。全然いい子なんかじゃない、ただの腰抜けな偽善者だ。目の前のミルクレープみたいに、嘘を重ねてる。こうなったらもう一枚くらい重ねてもおんなじこと。
「嫌な子なんかじゃない、当たり前の事だって。普通の感情だよ。私だって同じ立場になったら、そんな風に考えたはずだもん……ってか、普通に好きな人に仲良さげな女が居たら……ムカついてるから」
最後の一言だけが少し小さくなった。当の女を今目の前にしていると彼女は知らないだろうが、その言葉を吐くことにとても罪悪感を覚えた。その反面、少しだけこころが晴れたのを自覚し、自分こそ嫌な女だと思った。
対するルミは、夕日の赤い色に頬を染められて、それはそれは美しく見える。こんなに可愛い子にそこまで想われて、洋介は本当に幸せ者だ。
「ありがとう、やっぱり亮子ちゃんはいい子だよ」
いい子なもんか。ルミのようなこころの素直な人間と同じ空間にいると、じぶんが酷く汚い人間に思える。そして、その差がある限り自分は洋介に選ばれることはないのだ。ルミがもっと嫌な女だったら良かったのにと思ったが、洋介がそんな嫌な女を好きになるわけはないと、考えてみればそうだった。
「亮子ちゃんの彼は……どんな人なの?」
遠慮がちに尋ねてくるルミの表情に、不安の色はあまり見えない。私は少し冷めかけている紅茶に手を伸ばし、一口飲み込む間に、架空の彼氏を頭のなかで一気に形成した。今後もう彼女と会うこともないだろう。とすれば、洋介とまるきり反対のタイプで行こう。
「一つ上の先輩なんだ。部活は入ってるくせに全然練習でないし……性格は悪くて女たらしで、不真面目。浮気なんて日常茶飯事。あ、でも顔はいいよ」
ないわー。笑いそうになった。ルミをみると、とても不思議そうな顔で尋ねた。
「ごめん、なんでそんな人と……?」
ま、そうなりますわな。
「気付いたら好きになってたんだよね」
苦しいなあと思った。一方で、笑顔を取り繕うと、それはとても自然な苦笑いの出来上がりになった。ルミはそんな私の表情を見ると、赤い顔をさらに赤くさせた。
「わかるかも。……でも、こんなに可愛くて素敵な彼女がいるのに浮気なんて、そこは私、わからないな」
まるで自分の事のように、私の吐いた嘘を悲しんでくれるルミを見て、ますます自分の事が嫌いになる。居心地が悪くなってたまらず、手をつけていなかったミルクレープの切っ先をフォークで落とした。ずいぶん久しぶりに食べたその地味であるはずの味わいは驚くほどに美味しく、私は勝手に裏切られた気分になった。
□
壁掛けの時計がボーンと鳴った。今時珍しい大きな振り子がついている古めかしい時計だったが、この店にはよく映っている。
「そろそろ帰る?」
「そう……だね」
何か言いたげな顔をしたのが気になった。
ルミはさりげなく伝票を抜き取ると、私の前を歩いた。
お店を出てから、ルミに自分の支払いを渡そうとすると頑なに拒まれた。
「お礼だから、お願い」
「お礼されるようなことしてない」
私はこういうのがオバサンぽくて嫌いだった。相手が陽子や洋介なら、きっと気持ちよくごちそうになっただろう。けどルミにはなぜか借りを作りたくなかった。もっともルミの言い分では、これはお礼なんだけど。
「じゃあ、代わりに亮子ちゃん。友達になって欲しいの。それでチャラにしようよ」
言ってる意味がわからなかった。
「なんでそうなる?」
「亮子ちゃんと仲良くなりたいなって思って……だめかな?」
私はなりたくない。もう金輪際関わるつもりはなかったのに。
「また今日みたいに遊んで欲しいなって。お願いします」
それはルミの気遣いで、社交辞令だと思った。私は仕方なくそれを受けとることにした。
「わかった、じゃ次は私がおごるね」
次がいつなのかは知らないけどさ。
駅まで並んで歩く道すがら、何度もルミは何かを言いかけては言葉を飲み込んでいるのが気になった。私がほんの少しでもこれを聞くつもりがあれば、いくらでも聞き出すことができるはずだった。ルミは何かのきっかけを待っているように思えたから。それでも私はそのきっかけを与えなかった。単純に、この娘に深入りしたくなかったからだ。
ろくな会話もしないままとうとう駅に着き、ここからは別々の電車に乗る。
「じゃあ、今日はありがとう。私こっちだから」
バイバイと言おうとしたとき、決死の覚悟を決めたような顔をしたルミが、私の名を呼んだ。呼んだと言うより、勢い余って叫んだと表現した方が近いかもしれない。
耳まで赤く染まった顔は、今にも泣きそうだった。何事かと驚いた私は、鞄が肩からずり下がっていることにも気付けないほど、ルミの雰囲気に飲まれていた。
「携帯の番号教えてっ……!」
目が点になった。
「……なにそれ」
ナイフでも出されて刺されるのかと思ったわ。そんな重苦しい雰囲気で番号聞かれたのは初めてだっての。
まさかずっとこれを言い出せなかったと言うの?
私の返事を今にも泣きそうな表情で待っているルミを眺める。
「だめ……かな……?」
「別にいいけど」
私の返事を聞いた途端にルミは泣き出した。
「良かったよぉっ、断られたらどうしようかと思った……」
「いや大袈裟すぎでしょ……」
「だってだって……本当に緊張して……指が震えてる…」
その綺麗に整えられ磨きあげられた艶のある爪のついた細い指を見せられたとき、思わず笑ってしまった。本当に震えている。
「ちょっともう勘弁して……新人類過ぎだからアンタ……」
「えっ……ひどいっ……! 笑いすぎだよ亮子ちゃん!」
洋介がルミを好きになった数ある理由の内のひとつが、少しわかったのが悔しかった。確かにこの子は可愛い。それに、どんなに防御を固めていても、それをなんなく飛び越えて心臓をさらっていく。この時点で私は、もうルミに抗うことを観念した。
□
「これ、やる」
朝一番席に座る前に洋介のポケットから取り出されたのは、つやつやのミカンだった。
「は?」
「だから、やるって」
「なんでミカン? なんで突然くれるの? ポケットからなんでミカン出てくんの」
洋介は珍しく私と目を合わせずに、決まり悪そうに言った。
「別に……なんでもねぇよ。徳島のばあちゃんが毎年ケースで送ってくるんだ。それより、日本史と数学の課題やって来たか」
「やってない」
そこで初めて洋介は少し目を輝かせ、嬉しそうな表情を見せる。
「これ写してもいいぜ、俺やって来たから」
もう少しで卒倒するところだった。あまりに驚いたので無意識に立ち上がり、姿勢を正して座り直した。
「えっ ど、どうしたの? 亡くなったおじいさんの遺言?」
「まだ元気だよ! 俺だってたまには勉強するって。ほら早くしろ」
こんなことがあっていいのだろうか? 洋介が課題を率先してやってくるなんて。しかもそれを私に写させてくれる? 何があったって言うの?
私は問題集を広げながら洋介に言った。
「どういう風のふきまわしなの?」
「俺はやればできる男なんだよ」
「なんか……気持ち悪い今日の洋介。保証人ならなれないよ」
「何のだよっ」
何かいいことでもあったのかな、なんて、のんきな私はこのときの洋介の気持ちを知る由もなかった。
せっせと手を動かす私を見下ろしながら、洋介は不機嫌そうに言った。
「お前さぁ……」
「なに?」
手を止めないまま、彼の顔も確認しないで答える。
「……やっぱなんでもねぇわ」
最後に小さな溜め息が落ちてきた。




