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彼女

「あ、そうだ。なんか食ってかねぇ? その調子じゃ昼食ってないんだろ?」


 そういわれて初めて、自分のお腹の空っぽさに気が付く。気が付けば、その欲求は耐えがたいものへと変わっていった。だけど、いいんだろうか?

「あんた……彼女は? 悪いと思わないの?」

「何が?」

 何にも気にしていないような素振りが、逆にイライラする。どうしてこっちが心配しなきゃならないんだろう。


「例えばあんたの彼女が他の男と二人で帰ったり食事しててもムカつかないの?」


 洋介は言った。

「だってお前は友達だろ? 浮気じゃねえじゃん」


『グサグサッ!』

 弱りきったハートにトドメを刺されたなら、きっとこんな音。なんて的確な効果音。危うくその効果音を真顔で口走るところだった。


『友達』

 そうすっぱりと洋介の口から出るってことは、私をそんな目でいっさい見てないって宣言されたも同じことだ。

 おまけに自転車の後ろに乗せても平気なの。恐らく洋介は、私の事を男か何かだと思っているのだろう。そうすると色々納得できるし、思い当たるふしさえある。

 そうなると、私の脳は現金なもので、もう恋愛対象として見てもらえていなかった事へのショックに浸るより、友達としてそばに居られる幸せの可能性を計算し始めている。


 □


「俺、チーズinハンバーグ~静岡風~、味噌ラーメンコーン抜きで」

「アボカドシュリンプサラダ」

「それだけ?」

「チョコプリパフェDX、食後に茶碗蒸しで。以上です」


「少々お待ちくださいませ」


 店員さんが去るのを今か今かと待っていた洋介が、こらえていたらしい笑みを解放する。


「お前それどんな組み合わせだよっ! しかも食後に茶碗蒸しって普通パフェと逆じゃん!?」


 これだ。この眩しい笑顔、こぼれんばかりの幸せを惜しげもなく披露している。何度、写真を撮らせてと頼もうかと思ったことか。そんなこと出来るわけないけど。

「あんたに言われたくない。味噌ラーメンにコーン抜くとか邪道すぎるでしょ、それじゃただの味噌汁だわ。お子様は冷やし中華でも食べてなッ」

「すんませんあねさん!!」


 ひとしきり笑い終えた洋介がやけにこっちを見ている気配を感じるせいで、私はうまく視線を合わせることが出来ない。今までどこを見ながら話してたんだっけ?

 恐る恐る視線を上げると、ニコニコとしか例えようのない笑顔で私を見ている。めっちゃ見てる。


「なに? 気持ち悪いんだけど」

「いや、亮子が少しは元気になって良かったなぁって思って」


 本当に悪い男だ。悪気がないのだ。それが本当に悪い。

 私は、全然気にしていない顔を装いながら、禁断の質問へと手を伸ばす準備を始めた。

 後悔をするかもしれない、傷付くかもしれない。でも、こっちだって洋介と二人で過ごしていることに、下心なんてないということをアピールしておかなければならない。私はあなたのお友だちです。そう思っていることを、知らしめておかなければならない。たぶんそんなことはこの男には必要ないかもしれないけど。小さく息を吸い、覚悟と共にその言葉を吐き出す。


「彼女とはいつからなの? どこで知り合ったの?」


 聞きたいようで、聞きたくない。

 あなたのことなんて好きじゃありませんよ、という顔をしながら、洋介の顔に視線を戻した。

 洋介は少し恥ずかしそうに、けれども嬉しさを隠しきれない様子で話し始める。

「一週間くらい前だよ。その前の一週間の内に、彼女を三回も助けたんだ」

「助けた?」

「うん、最初は電車で彼女が……あ、ルミっていうんだけど……痴漢されてたのを助けたんだ。そんで次は動物園から逃げ出したアルパカに襲われているところを助けて、最後は公園の水道管の破裂に巻き込まれてた所を助けたんだ」


 話の合間に洋介は、携帯電話のアルバムから可愛らしいアルパカの写真を見せてくるが、まったく頭に入ってこない。

「でさ、その助ける度にルミがお礼だっつって手作りのクッキーを作ってきてくれてさ、これがまたくっそまずいんだ。それが……下手でも一生懸命作ってくれたんだって思ったら、気がついたら好きになってた。でもまあたぶん一目惚れだけど」


 そう話し終えた洋介は、話の途中で運ばれてきたハンバーグに手を合わせてから箸を取った。


「食わないの?」

 指先を見つめたまま固まってしまった私を見て、彼が箸を止める。

 一週間に三回って……なにそれ。そんなの運命じゃん。しかも一目惚れって。


「確かにあれだけ可愛かったら一目惚れもするよね、頂きます」

「だろ? でもさあいつモテるから大変なのよ。Twitterで目撃情報拡散されるから外であんまりデートできねえし、この前なんか俺、ファンとおぼしきサラリーマン風の男にローストチキン投げつけられたし」

「それご褒美でしょ」

「経済力の格差を見せつけられたと俺は解釈した」

「なにそれこわい」


 私がサラダを食べ始めたのを確認すると、洋介もまた箸を進める。

 大好きなアボカドの味が全然わからなかった。で、これを言わなきゃならない。全然思ってないけど。


「おめでとう、末永く御幸せに」

 特大の文鎮ぶんちんを噛まずに飲み込んだ気分だった。苦しいし、生理的に受け付けない。押し戻される。だけど私は笑顔を作って言ってのけた。相当な体力を消費した気分、たぶんうまく言えたと思う。保健室で一日寝ていた甲斐があったってものだ。


「サンキュ」

 自然に笑えていただろうか? 洋介の幸せそうな笑顔を見る限り、変には思われてなさそうだ。たぶん。

 やや間があって、洋介が口を開く。

「つぅかお前は? 付き合ってるやついんの? 好きなやつは?」


 で、出たー今まで恋愛の話なんかしたことなかったくせに自分に恋人ができたとたんに恋バナしたがる奴。


「私のことはいいじゃん、ってか部活は? 確か、大会あるんだよね来月」

「無理矢理話題変えてきたな……ま、いいけど。部活ね~、いい調子だよ。今日さ、俺記録更新しちゃったし~」

「すごいじゃん、良かったね」

「だろ? 何もかも絶好調ってわけよ」

「勉強以外はね」

「お前もな」

「……」


 洋介が吹き出すのを見て、やっぱりこの笑顔が好きだなあと強く思った。



 □


 次の日、放課後校門で洋介の彼女を見たとき、咄嗟に顔を伏せてしまった。自分でも罪悪感があるらしい。それに、いくばくかの嫉妬。ってか、なんで居るの。

 見慣れない制服とその魅力的な外見のせいで、ぶしつけな視線を複数受けながら、彼女はほとんど縮こまっている。

 洋介を待っているんだろうか? さっき近くを通ったけど、まだ部活を終えそうな雰囲気ではなかった。

 めちゃくちゃ居心地悪そうだ。時折グラウンドの中を覗き込むようにしているが、誰かが校門から出てくる度にびくついて、また校門の影に隠れている。

 私がなるべく視線を合わせないようにして校門を潜ったとき、彼女は叫んだ。


「亮子ちゃん!」

 まさか名前を呼ばれるとは夢にも思っていなかったので、すぐに返事が出で来ない。彼女の顔を見つめると、私は固まってしまった。当の彼女は慌てた様子で顔を赤らめている。

「あっ……、ごめんなさい。突然呼んでビックリしましたよね、いつも洋介くんから亮子ちゃんのお話を聞いていて、一方的に知ってるんです、ごめんなさい」

 これだけ言われてもまだ私は固まって、彼女の瞳を見ることができずにいる。目を見れば確実に視線が交わる。それが怖い。

 視線を落とした先に見えたのは、綺麗なカバンに付けられた、ブラックアイドピーズの缶バッジだった。確実に洋介のマーキングだ。

 いずれは綺麗なカバンの布地を錆び付かせるであろうその安っぽい缶バッジが、今私の目には、どんな宝石よりも価値があるように輝いて見える。缶バッジそのものの価値もそうだけど、そこに洋介の指が触れ、強い想いが込められたのだと思うと、羨ましくてたまらなくなった。


「えっと……ルミちゃん、だったよね」

 仕方なく彼女の顔を見ると、明らかに安堵の色を浮かべた表情で、右側の髪を控えめにかきあげた。

「洋介のこと待ってるの? まだ部活終わらないと思うけど……」


 言ってから、しまったと思った。

 彼女の前で「洋介」なんて馴れ馴れしく呼んでしまったら、気を悪くさせてしまうかもしれない。そう思って反射的に彼女の顔を見たが、そんな様子は見せなかった。それどころか、恥ずかしそうにうつむき、周りを確認し、小さな声で話し出した。

「洋介くんのね、走っているところを見に来たの……部活頑張ってるみたいだから、その姿を見てみたいなぁって思って」

 心の中の私が『やめて』と叫び、現実の私がニセモノの笑顔を浮かべてこう言うのを止めることもできずに、泣いた。

「洋介……くんを、呼んでこようか?」

 ルミはビックリした顔で両手をヒラヒラさせながら否定する。

「い、いいの! 私、ここに来たこと知られたくないの! こっそり遠くから見られればそれでいいの」

「なんで?」


 ルミは上目遣いで私を見つめると、赤い顔のまま小さく呟く。本当に可愛らしくて、腹が立つくらいだ。

「だって、突然勝手に来たなんて知られたら、気持ち悪いって思われるでしょ?」

 むしろ洋介なら喜ぶだろう。それどころか昨日出したと言う新記録を軽く破るくらいの活力を与えるに違いねえ。

「そんなことないと思うけど……」

「とにかくいいの! 恥ずかしいし……」


 率直に言ってイライラした。でもそれ以上に、なぜだか放っておけない。もう帰りたいのに。だけど、ルミの大きな丸い目が、私を捕らえて離さない。

 あーー嫌だってば、やめて。


「ついてきて」

 ルミの手を引いて、今来た道を戻る。胸がムカムカしてきた。

「あ、あのねっ、亮子ちゃん、私、入っていいのかな……?」

 居心地悪そうに、私に手を引かれるがままに着いてくるルミは目立っている。

「これでも着といて。多分汚くないから」

 ルミのブレザーの上から自分のジャージを着せた。これなら制服が隠れて目立たない。

 陸上部の部室の影から、私たちはそっと洋介を見守った。

「見える?」

 私はそうルミに問いかけながら内心大きなため息をついて、部室の壁にもたれて座った。

「うん、双眼鏡持ってきたから」

 若干引いた。薄々感じてはいたが、このルミと言う人は、自分とは全く人種の違う人だ。考えていることがよくわからない。

 ルミの華奢な背中を眺めながら、自分の心の中の大切なものがひとつ無くなっていくのを黙って横で見ている。


「洋介くん、速い……」

 私だけが知っているはずだった洋介の輝く姿は、ピストルの音とともに、記憶からはじけて消えた。今度からははこの子が見るんだからと言い聞かせる。

 しばらく洋介を眺めていたルミがゆっくりと振り返り、私に笑いかけた。

「亮子ちゃん、ありがとう」

 そう言って双眼鏡をカバンにしまった。

「もういいの?」

「うん、ありがとう」

 校門までは、ジャージがあるから一緒に向かうとして、問題はその先だ。たぶん駅まで一緒だろう。非常に気まずい、なんとか別々に帰る方法はないのか。一人で考え込んでいた私が、ルミに話し掛けられているのにやっと気が付いたのは、彼女が私の前に立ち塞がってからだった。

「……き?」

「えっ!? ごめん、聞いてなかった、なに?」

「亮子ちゃん、ケーキ好き?」


 なんの話をしていたんだっけ。全然覚えてない。ごめんなさい、とりあえず質問に答えよう。意図がわからないけど。

「うん。なんで?」

 早く帰りたいのに。この人というフィルターを通して洋介を感じることが苦しい。

「良かった! じゃ行こう!」

 少しだけ嫌そうな態度を出してみたと言うのに気付いていないんだろうか? 何が「行こう!」なの? どこへいくの? なにが良かったの? 全然よくない。


 ルミは戸惑っている私の腕を遠慮なく引っ張った。なんで? 大人しいのか積極的なのかよくわからない。

「ちょっと、行くってどこへ……」

「ケーキ食べに行こうよ。さっきのお礼がしたいの」

 私の答えも待たずに、スキップでも始めそうな勢いで、楽しそうに前進していく。

「お礼なんていらない。私、帰るよ」

 捕まれた腕を振り払った。驚いた顔をして振り返ったルミの目は、たちまち水分を増していく。

 なんなのこの子。ま、まさか泣くつもりなの?


「だめ……?」


 その澄んだ瞳に見つめられると、逆らえなかった。えっ魔法使い?

 理由もなくからだの自由を奪われるなんてことは、これが初めてだった。

 気がつくと私は、喫茶店の椅子に腰かけていた。絶世の美少女ルミと向き合って。

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