ぐろ[方言でしゃべろまい!]③
さあ皆様、今日も方言でしゃべろまい!
三河地区で最初に三河弁教育が施される場所は、市内の保育園です。
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保育園から近くの畑に、イチゴ狩りに行ったのが、保育園に入って最初のお出かけでした。
私は食べ物の記憶に関してはとても良く、自信があります!
初めて食べた美味しい味が、くれた人とセットで、脳の[最重要ホルダー]に入っています。
他の記憶は忘れても聞けば済むのですが、これは代わりが効かないので、最重要です!
イチゴ狩りの前に、イチゴを持ち帰る容器を工作しました。
牛乳パック持参で保育園に行きました。
『大きな容器を作り、沢山のイチゴをとる!』
1リットルの牛乳パックを持ち、いつもより意欲的に保育園に行ったのです。
工作の時に、500ミリリットルの牛乳パックを持ってきたり、浅く切ってしまう他の園児を横目に、ひたすら[大容量]を追求し工作しました。
パック口の接着部分さえ切らない徹底さ!
イチゴを傷付けたり、容量を減らさない為に持ち手は外付けです!
幼い三河みかん渾身の力作でした。
早々に仕上げて得意げに作品を見ていたら、悲劇が!
保母のおばちゃんがやって来て
『あら、イチゴ潰れちゃうわよ!?』
と、真ん中で切ってしまいました!
余りの衝撃に言葉を失いました。
『こうして…、ここくっつけておいてね!』
真ん中で切られた牛乳パックをもう一方に押し込みました。
重なった部分の上下を示して、くっつける指示をして立ち去りました。
沢山入れる予定が半減です!
衝撃が収まったら、必死に引っ張りだして、700ミリリットル位で微調整してくっつけました。
めちゃくちゃ悔しかった事を、ここに明記しておきます。
そんな容器を持ってイチゴ狩りに行きました。
町内で保育園から5分も歩かない畑に向かいました。
『車が来ると危ないからね~!皆、ぐろ!もっと、ぐろ寄って!』
保母のおばちゃん達は、私達園児に指示します。
[ぐろ]は隅、端の事です。
園児にナチュラルな三河弁で『車が来ると危ないからね~!皆、隅に!もっと道の端に寄って!』
と指示してます。
保育園の保母さんは、母と祖母の中間位。40~50歳代の正しくおばちゃんだった事も明記しておきます。
町内に住むの三河のおばちゃん保母さん達により、この園児達も自然に三河弁を学習してから、小学校へと巣立って行きました。
親が三河弁を扱えなくても、ネイティブスピーカーとの自然な会話を幼少期の2~3年で詰め込む。
幼い頃からの英才教育に支えられ、三河弁は語り継がれて来たのです。
最近は三河地区以外の出身者が増え、初等英才教育の場が失われつつあります。
それが少し残念でもあります。
昔話を訛り言葉で話す事は、[古い体験の記憶]と[方言]と2つの文化を伝えて行く豊かな活動だと思います。
皆さんも家族や親類等の年上世代から昔話を聞いたら、若い世代に話してみて下さい。
友人とお互いの親戚昔話をするのもいいですね。
三河地区の友人以外にも、九州や山陰出身の友人がいて、違いと共通項を探りながら話す事がありますが、楽しいです。
夕食をゆっくり食べながら、親睦も深まります。
私は幸運な事に、明治生まれや大正生まれの老人達とよく会話していたので、三河弁が溢れる生活環境でした。
菓子につられて、曾祖母や祖父母、その友人や親類の老人達と時代劇を見て、戦争体験や、地域の昔話、愚痴や噂話を聞いてました。
楽しい話ばかりじゃないですが、本音で自然な会話でした。
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[たも]魚等をすくう網
[ほせ]竹串や細い棒
明治、大正、昭和初期の生まれは使ってましたが、若い世代は余り使わないです。
子供の頃、老人達との会話では使ってましたが、保育園や小学校で通じない事が多くなり、使わなくなりました。
川に小魚を捕まえに行く時は[たも]とバケツを持って行きました。
畑仕事をしてる祖父などが、車庫の[ほせ]持って来い~と子供にお使いの指示が来ます。
焼き鳥食べてる時にも、[ほせ]で口つくなよ~と。
お読み下さり、ありがとうございます!
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今回は方言以外にも大事な話がありました。
①イチゴが減って悔しい
②保母さんは[おばちゃん]
お姉さんの保母さんは、都市伝説なんじゃないかな!?
私の通った保育園には1人もいなかったです。
貴重な目撃情報があれば、感想までどうぞ。
イチゴは余りに悔しく、○○年経ってもリアルに覚えています。
その為に、方言よりイチゴが減った悔しさに、エッセイの方向がかなり向いてしまったけど、皆様にも伝わったのならば、後悔はないです。
この記憶領域が別利用できていたら…