-4-
「いらっしゃい」
出迎えた春樹とともに部屋に入ってきた永承に声をかけたのは、瑠璃旺の妻、藍華であった。瑰の祖母である藍華は、矍鑠として品が良く、如何にも高級住宅街に住む老婦人の趣に満ち溢れていたが、眉間に深く刻み込まれた皺には、気苦労の多い人生であったことを物語っている。
「お久し振りです」
「皆さんがお待ちよ」
「すみません。出遅れてしまって」
「早く行って。これ以上待たせたら」
「はい」
軽く一礼してダイニングを抜けてリビングへ行く、永承。
「コーヒーをね」
藍華は、オープンカウンターにリフォームされた広々としたキッチンで、ディナーの準備を手伝っている孫にさり気なく告げた。
「はい、お祖母ちゃん」
この孫こそがインターホンを通して瑰に散々言われた若い女性その者である。彼女の名は、藤木蕾。司法試験に現役合格し、大学卒業後、法律事務所に就職した弁護士で、瑰の異母妹だ。
蕾の母親が、瑠璃旺の住居を訪問してきたのは、蕾が中学生の時であった。娘を進学させたいから、あなたの孫のために援助して欲しいという依頼だった。瑠璃旺は、娘の存在を知らぬ一人息子に代わって、その依頼を承諾した。そして、当時大学生だった瑰は、祖父母からその話を聞かされ、蕾と対面した。降って湧いたような出来事ではあったが、三人兄弟の末っ子の瑰は、妹ができた喜びと、賢く聡明で人懐っこい蕾を、何の躊躇いもなく兄として受け入れた。蕾が異母妹であることを知る者は、瑠璃旺と藍華と瑰の三人だけである。
リビングにやってきた永承に、一成が問い掛けた。
「お前が遅れるなんて、珍しいこともあるもんだな。何かあったのか?」
永承は、押し黙ったままその問い掛けには答えずに、口の片方を上げて苦笑し
「今夜は厄介になります」
と、瑠璃旺に挨拶をした。
「座りなさい」
瑠璃旺に促されて、永承は長ソファの空席に着いた。その横には琢磨と基季が座っている。
蕾が、コーヒーカップを乗せた盆を持ってやってきて、
「いらっしゃいませ」
と、永承の前にカップを置いた。
「新顔だな」
「俺の秘書だ」
「秘書?」
「藤木蕾です。どうぞ宜しくお願いします」
ニコリと微笑んで小首を傾けて挨拶した。
「無職のお前に秘書」
永承の言葉を遮るように、
「頼まれたのさ。虫がつかぬように見張ってくれってな」
と、瑰が透かさず言い放った。
「誰に?」
「祖父さん」
「遠縁の娘でな。宜しく頼むぞ」
「はい」
と首を縦に振って、カップを柄を掴んだ。その手の甲に血が滲んでいた。それに蕾と瑠璃旺が気付いた。蕾は素早くその場を立ち去った。
「手、怪我してるぞ」
「え?」
瑠璃旺に言われて、永承は手の甲を見た。擦り剥いたその傷から出血していた。
「あ、気付きませんでした」
「蕾」
瑠璃旺が呼びかけるや否や、蕾が救急箱を持って駆け戻ってきた。
手の甲に絆創膏を張りながら、
「気をつけろよ。手は大事だからな」
瑠璃旺が言うと、
「はい、気をつけます」
永承が済まなそうに言った。
「ありがとう」
瑠璃旺に言われて、蕾は救急箱を持って再びその場を立ち去っていった。
「口にすれば、気持ちは楽になるぞ」
瑠璃旺にそう言われても、永承は沈黙したまま何も言わなかった。
「何があったんだ?俺達で手助けになるなら」
一成が促すように口にした途端、永承がその重い口を開いた。
「世話になった人から仕事を頼まれた」
「仕事?どんな?」
瑰に言われて、永承は淡々とした口調であらましを話し始めた。一同は、顔を寄せるように近づいて永承の話を聞き入った。
「お前に頼みたいんだ、瑰」
「俺に?」
「俺は他に仕事があるからな」
「その仕事請け負うが、俺一人じゃな」
「助太刀するぜ」
一成が言って、美里が畳み込むように言った。
「私も手伝うわ。野郎二人よりもその方がいいでしょう」
「そうと決ったら」
「お祖父さんも手伝って頂けますか?」
「ああ」
永承に言われて、瑠璃旺が嬉しそうに頷いた。