涙の魔女①
<another side>
柊木高校の最寄り駅である柊木中央駅前にある雑居ビルに入っているネットカフェ。そこが三井名の行きつけの店でもあり、今日の四人の宿でもある。少々値は張るが、明日華の存在を考えると駅の構内などで野宿するのも気が引ける。とりあえず、今日はここでしのいで、そのあと考えようという決断に至った。
四人には三井名の手により変装魔法が施してある。流石に十八歳以上の女子供がネットカフェに夜入店はできないからということで、何故か無駄に美少年の姿にさせられた四人。――言うまでもなく完全に三井名の趣向である。
三井名は顔を紅く紅潮させて、変な汗をかきながらネットカフェまでの道を急いだ。ここから駅までは徒歩で十分ほど。しかし、その十分がほぼ限界なのだという。
「三井名、十分ってそんなにこの変装魔法、魔力を消費するのか?」
「いや、杏奈ちゃん……、そそういう問題じゃなくて、はぁ、はぁ。この……姿であた……じゃなくて、俺が平常心を保つのがじゅ……いや、五分がげんか……」
「知らねえよ! お前のそんな腐った限界は!」
既に荒い鼻息をしてしまっている三井名に、杏奈と雷雷は呆れ顔。明日華は姿が変わっても相も変わらず無表情なままだ。明日華は歳も幼く、外見を取り繕ってもボロが出やすい上に、一番出てはいけない存在だ。
「明日華はとにかく、大人しくしていて。怪しまれたら、こっちもカバーしきれないから」
こくりと頷く明日華。変装魔法の後も相も変わらず蒼いラピスラズリのような眼が、こちらを覗き込んでくる。――思わず杏奈と雷雷は息を飲んだ。
「ごめん。やっぱりこれ、あた……俺たちも十分が限界だわ」
ボロが出てしまう前にネットカフェに入ろう。
さらに足を速める四人を建物の影から、ひとりの少女が尾行していた。眼鏡をかけたショートヘア。名前は街田涙。
尾行対象の杏奈、三井名、雷雷と同じくナイトウォーカーの種族。つまりは日光を浴びることができない、夜に生きる者だ。杏奈たちはその呪いからの解放という目的で、木枯唯という少年を襲撃した。――結局、彼を生け捕りにすることは叶わなかったわけだが。
しかし、尾行を命じた簀巻という魔女の興味は、むしろ幼い金髪の少女、明日華の方に向いていた。日本人らしからぬ容姿とは裏腹に、自然に日本語を話し、小奇麗な格好に似合わぬ天涯孤独の身の上。明日華にはまるで、‘その状態で急にこの世に現れたかのような違和感’が感じられる。――つい先ほど、杏奈たちに名前をつけられるまで、彼女に名前などなかったのだから。
『そいつを確かめたい。その少女を捕獲するのじゃ』
簀巻はその違和感の正体に何か確信があるようだった。
だが、街田自身にはそんなもの大した興味ではなかった。街田にとっては、これは取引だからやっている仕事に過ぎない。
簀巻との取引に応じた目的は、杏奈たちと同じ。――そして、だからこそ三人に出し抜かれるわけには行かない。
(あんな奴らに負けたりなんかしない。あいつらはどうせ‘自分が生きたい’だけなんだ。そんな浅はかな思いが、あたしに勝つ訳なんてないじゃない。――あたしが……、お父さんが……)
「……、お父さん。待っててね」
そう呟く街田に、後をつけられていることに全く気付かない四人。住宅街から抜けて人通りの多い駅へ。この周辺は駅の線路を境に住宅街の地域と繁華街の地域がくっきりと分かれている。
学校のある住宅街側を抜ければ、街並みはがらりと変わる。そこで繁華街の中の雑居ビルの地下へと四人は降りて行った。
「あそこか……」
街田は四人の潜伏先を把握した。彼女は四人の後を追うのをやめ、雑居ビルの地下には入らず、すぐ横の路地の方へと曲がった。
尾行を中止したわけではない。空間を操作する魔術を用いて中に忍び込むのだ。――そう。まるで雨粒がアスファルトの底を伝い、コンクリートへと染み込むかのように。
彼女は、ビルを湿らせる滴になれる。雨粒。いや、涙だ。
(あたしは涙の一粒……)
彼女は歌うように呪文を唱えた。呪文とは言っても、魔法の言葉などではない。自分の過去を呼び覚ます追憶のための暗示。
その言葉を呟けば、彼女の頬を名前の通り、涙が伝う。
「太陽なんて大嫌いだ。太陽なんて死んでしまえ」
その後はこう続く。
「自分も大嫌いだ。あたしなんて……死んでしまえ」
歌を口ずさめば口ずさむほど、彼女が流す涙の川は太くなる。やがて、彼女の足もとに水たまりを作り始めた。水たまりは彼女の脚を底がない沼のように飲み込み始め、彼女を暗い暗い水の中へと沈めたのだ。
涙の海の中で尚も彼女は続ける。
「殺したい。殺したいくらい自分が嫌いだ。なのに、なのに……、死ぬのが怖いから自分を殺せないんだ」
海の中で息が詰まる。もがく。首元を押さえて足掻き苦しみながら、下へ。下へと沈んでいく。彼女の力の源は名前の通り、涙。それを呼ぶために自らを罵り、痛めつける。
まさに彼女の歌は、自分を‘呪うための文’だった。
「そんな自分に反吐が出る。いなくなれっ。消えてなくなってしまえばいいっ。そうすれ……ば……、解放される人がそこにいるのにっ――」
「あたしは、その人のために死んであげることすらできない」
この苦しみが分かるか。誰にも分らない。分かってもらってたまるものか。それでも、あたしは、役立たずな臆病者としてこの世にのさばり続けるんだ。
意識が間もなく飛びそうになったところで、彼女は海の中から投げ出された。
身体は濡れてなどいない。
涙の海は、アスファルトの固い地面をこじ開けるための媒体。濡れていたのは彼女の頬だけだ。それを手の甲で拭ったあとぼそりと呟く。
「こんな薄い地面を通り抜けるくらいなら、あんなに力を使わなくてもいいのにな。――この魔法は、コントロールが難しいな」
苦笑いを浮かべる顔はすっかり青白くなってしまっている。――彼女は本当に息絶える一歩手前まで、自分の力を振り絞ってしまっていたらしい。
がくがくと笑う膝に手をついて、それからよろよろと壁を手繰り寄せるようにして立ち上がる。
雑居ビルの中のネットカフェの一室。潜入は成功したようだ。
目的は謎の少女、明日華を生け捕りにすること。
関係のないことだ。――‘自分の本来の目的’とは、関係のないことだ。
『……、哀れよのう。お前の父は。妾には分からぬわ。親心などというものは』
それでも契約だ。契約だから仕方ない。
果たさなければならない。
なぜなら彼女は力が欲しいからだ。彼女が自分を嫌いになる原因を作った、その身体にかかった呪いを取り去り、もう一度‘生き直す’ための力が。
『‘誰か’のために、少ない魔力を常に絞り続けておる。……妾を頼って来るとは、もう分かっておるのじゃろう? ――こいつのためなら何でもするか』
「お父さん、必ず助けるよ」
<おまけSSその17>
簀巻「さてと、時間稼ぎもできて、おかげで面白いものが見れた。街田の尾行はどうなっとるかのう。お、街田からメールが来ておるわい。えっとなになに?」
Title:簀巻さんにご報告
ここのネットカフェ、少年漫画どころか少女漫画、しかもマイナーな個人作品とかまで、かなりコアなものまで取り揃えています。しかもナイトパックが12時間1500円っ(税込)!その上に、朝七時から十時まで、モーニングセットがただで食べられるんです!めっちゃお得じゃないですか!?ここ!
簀巻「あいつ……、何の調査をしとるんじゃ……」
<おまけSSその18>
街田「件の幼女が、あの加賀見の差し金である小娘三人と行動してネットカフェに泊まってる。身元は変身魔法でごまかしているが。金銭面はどうしているんだ?あたしのように壁ぬけで侵入した気配はないし」
街田「よし、あいつらがいる隣の部屋を透視してみよう」
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三井名「このクヌギの葉っぱが千円札、カエデの葉っぱが五千円札よ。幻覚魔法は3日聞くようにしてあるから、今日ズラかれば、まずバレないわ」
杏奈「わかった葉っぱの枚数から計算して、所持金は八千円ね」
雷雷「カップラーメンは二百円で割高よ。食事はコンビニに出た方がいい」
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街田「葉っぱがお金て、日本昔話かよ」