記憶の扉①
<main side>
自室のベッドに仰向けに寝っ転がる。視界に真っ白で無表情な天井が映る。今日一日だけで色んなことがあった。夜間授業に、その放課後の魔女による襲撃。帰り道で妹に待ち伏せさせらて、尋問の後女の戦いを見せられて。さらにはトランクスの枚数とエロ本の冊数をバラされる始末。
そして、その中心には常に美月さんがいた。
仰向けでセリフやコマも追うまでもなく眺めていた本の影から覗く天井に彼女の姿が映る。
――美月さんは不思議な人だ。感情なんてまるでないような仏頂面なのにほとんど初対面の俺に向かって好きだなんて言い出すし。
俺が襲撃を受けたときに、安否を気遣って泣いてまでしてくれた。それが嫌なわけじゃない。
ただ、分らないんだ。そんなことをするだなんて。――まるで、俺のことを昔から知っていたみたいじゃないか。
「唯、入るぞ」
急に部屋に響いた父の声に面くらい、漫画本が俺の顔面に落っこちてきた。
鼻の頭が痛い。ベッドから鼻先を指でつまみながら上体を起こす。鼻が刺激されてしまったせいで、くしゃみが出そうなのを何とか止めることが出来た。
「くつろぎ中急ですまないが、事情を深く聞きたいと思ってねえ」
父は俺の勉強机の下から椅子を引きずり出して、逆向きに座り、背もたれに上半身をもたげさせた。後ろの席の友達に話しかける高校生のように。背もたれの上に肘を乗せ、額を押さえる父。
「……、お前夜間授業を受けたのか」
父は俺の帰りが遅かった訳を悟っていた。
「受けたけど……」
夜間授業の言葉を何故か父はひどく警戒していた。
それはこの柊木高校に入学するときに言われた言葉。「夜間授業は学園の闇だ」と。
父は俺のことを魔法の才能がない一般人だと言った。だからこの世界の魔法の存在は、父にとっては知られたくなかったことなのだろう。
「忠告したはずだ。夜間校生には関わらない方がいいと」
「仕方なかったんだ。せ、成績が悪くて単位が足りないと脅されて」
俺の成績が振るわないことは父も周知の事実だったが、それを改めて面と向かって言うのは流石に億劫になってしまう。父は呆れがちのため息を吐いて、俺の勉強机の一番下の引き出し。ひときわ大きいそれの底の部分をまさぐり始めた。そして発掘されたのは定期試験の凄惨たる問題用紙だ。
「あのなあ。お前が頭悪いのは知ってる。化学は45点。歴史は44点、英語は42点、現代文が52点に古語・漢文が47点。数学は40点っ! 世界史57点、日本史56点、公民55点。ここまでで何かおかしいことに気づかないか!」
「……、……。かろうじて社会科の成績はマシということか?」
「違うわぁああっ!」
父は声を荒げるも、俺には意図していることがとんと分らない。
「いいか、お前の成績は良くない。しかし、‘欠点’がひとつもないんだ」
「いや……、成績が悪いのは立派な欠点だと思うが」
がくんと肩を崩れさせる父。
「っそうじゃなくて、赤点だ。39点以下の点数がひとつもないなら、単位が足りないという理屈はおかしいだろっ」
「あ、そっか」
「あ、そっかじゃない! そこまで頭悪かったらむしろ赤点取れよ! いや取って欲しくないけども!」
ここで俺の頭の片隅に引っかかるものが。赤点がひとつもない。単位が足りなくて留年は免れない。この二つの事実は矛盾する。
ならば、なぜ俺は生徒指導部に成績指導などをされたのか。
「……、おそらく夜間校生と唯を接触させるためだろう」
それも何か気にかかる。あの赤毛の女が言っていた言葉だ。
『夜に生きる者からの解放のための供物として、木枯唯……。あなたを頂戴いたします……』
夜に生きる者というのは別名ナイトウォーカー。美月さんに言わせれば、ホムンクルスの成り損ねだそうだ。
日光を浴びると死ぬという呪いを背負っているらしいが、それを解くために俺が必要とはどういう了見なのだろうか。
父の話では、俺がただの冴えない男子高生であることは間違いなさそうだ。だが、この一日で俺が受けた処遇は、とてもそんな風には思えない。
まるで、この俺が世界から狙われるような特別な存在であるかのようだった。
美月さんだけでなく、自分自身の存在さえ不可解になって来た。
「どうして、俺は狙われるんだ……?」
「そのことだがな。それに迫ろうとすると頭がひどく痛むんだ」
頭痛は今まさに父を襲っているようで、それも鈍いとかそんな生易しいものではないらしい。苦痛に顔を歪めながら、この症状には心当たりがあると話す父。その術を使うのはかなり魔力を要するもので、記憶を封じるためのものだそうだ。
「記憶を取り戻す鍵となるものから遠ざけ、暗示をかけることで忘却に近い状態をつくらせる魔法だ。暗示が解けかける際にそれを避けるよう、肉体に苦痛を与えるようになっている」
自らの額を鷲掴みにし、痛みを紛らわすとともに苦笑いを浮かべる。
「ただ、これは相当その術の中では甘い方だ。本気でやれば、暗示が解けかけた際に私を殺すことだってできるし。第一、こんなちょっとやそっとで暗示がぶれぶれになるような穴だらけ。――おそらく‘経験不足なやつ’が見よう見まねで施したものだろう」
そして、その苦笑を悪童のような含み笑いに変えた。
「唯、付き合ってくれ。――ここで師弟関係というものをハッキリさせようじゃないか」
父は、その魔術をかけた主を知っていた。
<another side>
「ふぇっくしゅい」
風香はようやく美月の魔力による磔から解放された。
秋の肌寒い空の下スカートを三日月刀で刺されて小一時間ほど動けなくなっていた身体は冷えきっていた。肩をぶるぶると震わせてくしゃみをもうひとつ。
結局制服のスカートには大穴が開いてしまっており、新調しなければいけないことになってしまった。
「ああっ、もう!あのアマ、腹立つぅうっ!」
ヒステリックな癇癪を起す風香。はたから見れば自分の兄の恋人に勝手に突っかかって勝手にぶちのめされたので自業自得なのだが、それで納得するような彼女ではない。勢いよく地団駄を踏み、地面に生えている草をなぎ倒す。
「だいたい、お兄ちゃんもお兄ちゃんよ! 勝手にさっさとお父さんと帰っちゃったし! かけがえのない家族なのよ! それを野放しにするだなんてひどいじゃないっ!」
だが彼女の不平不満を聞くものは、このだだっ広い空き地には誰もいない。
自分の父親である荒も、兄の唯も自分を置いてそそくさと家に帰ってしまった。そこで彼女はある事実に気づく。今自分の兄の唯は父親と二人きりだということだ。
「……やばい。一刻も早く家に戻らないと」
風香は足を速めた。
――だが、彼女の目の前に、女は現れた。気配も前兆もなしに。思わずのけ反って後ずさりをする風香の視界の中で、女はゆらゆらと笑っていた。
「随分と焦っているのう。急いで家に帰らないと何がまずいのじゃ?」
「ど、どいてくださいっ」
やけにねっとりとした声に年寄り臭いしゃべり方。どちらも風香より小さい身長の幼い外見には似合わない。
女は、仮面に隠されていない右半分の顔でけらけらと笑い、ねっとりとしたしゃべりに合わせるかのようにして口元から糸を垂らす。
「あ、やべ。さっき食べていた納豆ご飯が口についておったわい。ここに来たのはほんの思い付きじゃからのう」
思わずがっくりと体勢を崩す風香。
「少々エチケットに気を抜いておったわい」
口元をハンカチで拭ってから、ペパーミント味の小さなタブレットを口に含む。この女はどうも掴みどころというものがまるでないようだ。狡猾そうな笑みに似合わず、どこか茶目っ気がある。
「さて、この簀巻藁葉が、少々足止めさせてもらおうかのう」
「なぜ、邪魔立てをするんです?」
「妾の行動のモットーはのう。そのときに第三者から見て、‘最も面白くなりそうなこと’をやってみせるということじゃ。――ここで邪魔が入ったら面白くなりそうじゃろ?」
喧嘩っ早いところがある風香は早くも魔導具のブーメランを出現させ、臨戦態勢だ。女、簀巻はそれを待っていたとでもいうかのように口角を吊り上げ、にんまりとほくそ笑む。
「要するに、妾は限りなくはた迷惑で悪趣味に生きていたいんじゃよ」
そして、簀巻は両の手に使い魔を召喚する際に使う藁人形を携え、それらを地面に向かって一つけるように投げた。――すると奇妙なことに、地面が水面に変わったかのように、藁人形はとぷりと音を立てて、波紋を描き、地面の下に潜ったのだ。
やがてそこに魔法陣が現れ、その中心から長身の男性の姿をした使い魔が現れた。ふたりとも顔の輪郭が不安定で、一目で出来損ないとわかってしまう異形だ。
「こいつは……、随分と出来の悪いレプリカね」
「ただの足止めにクオリティをこだわるなんぞ、日本人の鏡かっ。妾はここは、中国式の安かろう悪かろうの大量生産でいかせてもらおうぞ」
風香は刃を手に襲い掛かるふたりの男を、ブーメランで薙ぎ払った。意図もたやすく使い魔は形を失い、砂を固めて作った人形のように崩れていく。だが、次の使い魔が背後にもう控えていた。いや、背後だけではない。
四方八方。見渡す限り全てだ。
このわずかながらの時間の間に風香は、簀巻の生み出した有象無象の使い魔に包囲されていたのだ。ひとりひとりは手ごたえのないものかもしれない。しかし、この数をさばききれるか。風香は動揺を隠せなかった。
「言ったじゃろう? ‘安かろう悪かろうの大量生産’じゃと。妾がこやつらに求めるのは質ではなく量じゃ。――つまり、お前さんを足止めするただの‘肉の壁’じゃ」
<おまけSSその13>
前回までの粗筋
杏奈たち3人と明日香の四人は三井名の魔法により、美少年の姿に変身。ネットカフェに潜入し、本日の宿を確保しようということになったのだった。
三井名「よし、そうと決まったら男らしくしゃべる特訓をするぜー!」
杏奈「いや、‘ぜ’ってなによ。‘ぜ’って」
三井名「そこ!語尾が‘よ’なのは女々しくて不自然だぜ! 全部語尾は‘ぜ’に返るんだぜ!」
杏奈「そっちの方が不自然だわ!」
雷雷「おいどん、男っぽいしゃべり方なら得意でごわす。まかせるでごわす」
杏奈「おまえはどこの九州男児だよ!明日香ちゃん、このアホふたりの真似はしなくていいから。できるだけ、落ち着いた声と落ち着いたしゃべり方を意識すればバレることはきっとないから」
明日華「ああ。分かった。精一杯努力してみるよ。僕なりに」
三井名、杏奈、雷雷(なんだろう……、今何かのタガが外れてしまった気がする……)
<おまけSSその12>
三井名「よし、次はシチュエーションをつけて男っぽいしゃべり方特訓だぜ」
杏奈「だから、お前は不自然だっつってんだろ!」
雷雷「そうでごわすアルよ。おいどんに任せたほうがいいでごわすアルよ」
杏奈「何でお前は語尾にアルまで付け加わってんだっ! 中国人キャラだけど、アルアル言ってなかったじゃんっ!」
三井名「まずは第一シチュエーション。コンビニだぜ!」
「いらっしゃいませ」
彼はいつもこのコンビニで決まって12時になるかならないかの時間にやってきて、12時には買い物を済ませて出て行ってしまう。彼が私の中のシンデレラだってことは、私の中の誰にも知られたくない秘密だった。
~コンビニのシンデレラボーイ~
「そろそろ12時ね」
おもむろにそう呟いたのは今日で何回目だろうか。思わず口元を押さえる。そこでなんの動揺も見せず取り繕えば茶化されることもないだろうに。口元を押さえて頬まで染めるから、あの男のことかと聞かれるのだ。私だけの至福のひとときはすぐにバレた。もとより隠し事のできない私。彼のレジを打つ時だけ、声が震えていたり、指が紅く色づいているのがはたから見てもバレバレだったのだろう。本当に一目惚れだった。いや、一目惚れ以外で彼に惚れる方法なんてなかったんだ。彼が私にかけてくれる言葉はいつも……。
「この弁当、温めてくれ」
その一言だけだったのだから。だから彼の見てくれ以外を好きになんてなれっこない。私は彼の何も知らないんだ。どんな食べ物が好きなのかもわからない。彼がいつも買うのは、いつも同じ一番安い‘おにぎり弁当’だった。具にから揚げとエビフライ、ハンバーグとナポリタンスパゲティ、ポテトサラダがついているおにぎり弁当だ。付け合わせにはマヨネーズ。それを売っておいてなんだが。なんと偏った取り合わせなのだろう。炭水化物と肉しかないじゃないか。それに量も男の昼飯にしては少々小さい。こんなものを毎日毎日彼は食べていて大丈夫なのかと時々考えてしまう。昼食を買いに来るならもっと好きなものを食べるために悩んでもいいのに。そんな余裕もないほど彼の仕事は忙しいのだろうか。
考え事をしているとまた彼だ。
彼が自動ドアをくぐり抜けてきた。何ひとつ迷うことなく弁当の棚の一番下に置いてあるおにぎり弁当を取る。そして、また私のレジに並ぶ。思えばいつも私のところに並んでいる気がする。バイトの同僚が私を茶化すたびに言っていた。
「それって向こうもあんたのこと気にしてんじゃないの」
まさかとは思う。でも同僚はそのあと決まってこう付け加える。「今の時代、奥手で古風な女ってのも取り残されるわよ。探りを入れるのよ。探りを」私は、そこでそのアドバイスに身を預けてみることにした。
彼のことをシンデレラだとは思う。
でも私はもう、彼を‘見てくれだけ好き’という理由で眺め続けたりなんてしたくなかった。
「この弁当、温めてくれ」
「……、はい」
レンジに弁当を入れて温めるその間約1分弱。ちょっとした会話にはきっと十分だ。私は彼の支払いを済ませながら、こう言った。
「いつもおにぎり弁当ですよね」
「……、ああ……」
彼は何故か明後日の方向を向いて返した。そのときレンジの中で何かがはじけるような音がした。そこで私は、初歩的なミスを犯してしまったことを悟る。付け合わせのマヨネーズだ。それを取るのを忘れていてレンジで温められて弾けたんだ。
「あっちゃ~……、す、すみません。すぐに取り換えますので」
「だ、大丈夫ですよ」
慌てる私を引き留めたのは彼の声だった。大丈夫と言っても弁当の蓋には熱々のマヨネーズがべったりと付いてしまっている。
「おにぎり弁当にそんな拘りなんてありませんから。いつもそれを食べた後、また食べるんです」
「僕に拘りがあるとすれば、それは……、あなただけですから」
杏奈「ってなげえぇわぁああああああっ! 何っ?! このやっすい少女漫画みたいなシチュエーション! こんなんで特訓なんてできるかぁああ!」
三井名「結構いいと思ったんだけどなあ。マー〇レット系?」
杏奈「どの系統かはどうでもいいわっ!」