毒と毒姫⑬
―§怪物§―
地下空間はもはや蠢く臙脂色の蔦で埋め尽くされていた。
スカーレットに植え付けられたユグドラシルは、悪戯に捧げられた生贄を喰らい、その魔力を貯蓄してきた。だが、いくら品種改良の末に生まれた傑作とはいえ、その許容量を遥かに超えていた。もう、限界だったのである。
中核をなしていた、スカーレットの肉体を包み込むガーネットにひびが入った。
「鏡花、唯。ここにすべてのミラージュの魂が揃った」
がらがらと音を立てて崩れ落ちるガーネット。
その欠片たちは、臙脂色の蔦で覆われた石造りの床の上に降り注ぐ。
解き放たれたスカーレットは、禍々しい紅いオーラを放ちながら、ふわりと降り立つ。黒いサテン地のワンピースに身を包んだ、金色の髪を生やす美しい少女。その瞳がいよいよ開かれる。
宿木は跪き、両の眼に涙を浮かべながら、両腕を広げてそれを迎える。
まるでスカーレットが神であるかのように崇める。
いや、宿木にとって彼女は、神に他ならなかった。――たとえ彼女が、それとはかけ離れた存在であっても。
そいつの眼は血よりも濃い深紅だった。白目と黒目の区別はない。瞼に挟まれた空間にどろりと赤黒い液体を満たしたかのような、異様な眼。そしてそれは融けるようにして、瞼からあふれ出して、紅い紅い涙を流した。
それとともにそいつは、金切り声を上げた。
「あぁああああぁあああああぁああああああぁああぁああああっ!」
それが神ではない何かであることは、明らかだった。
しかし宿木は、涙を流して彼女の蘇生を祝福した。彼の眼は既に焼かれてしまっていたのだ。
「待っていたよ。スカーレット。君がこうして私に会いに来てくれるそのときを。もう、待ちくたびれて――」
臙脂色の蔦の上に血が滲む。
蔦が絡み合い、硬く鋭い槍となったものが、彼の上半身を貫いていた。
「な、なぜ……。そ、そうか。君は、私を殺すために――」
捻じれた槍が肉を巻き込みながら抜かれた後、彼は口から血を噴き出してその場に伏した。
どこか安らかな笑みを浮かべたその顔を一瞥し、スカーレットはもう一度けたたましい叫び声を上げる。臙脂色の蔦が再び、地面や壁、柱の上を走るように伸びていき、地下の空間を破壊する。
がらがらと崩れ落ちる天井。魔法が解けたように、偽物の星空を宿していた偽物の夜空が崩れ落ちてゆく。
学園の地下は崩壊した。
*****
ずどんと下から突き上げるような振動。
「なんですかっ! また地震ですかっ!」
白木はやり場のない怒号を上げた。
緊急地震速報(予報)は、地震の際に生じる地震波を観測し、発令される。それに感知されることのない、得体の知れない振動が大地を揺さぶる。
こんなことは今日でいくつあったか分からない。この得体の知れない振動は、夕方から断続的に襲って来る。
そのせいで交番の中には、資料が散らばってしまっている。
「白木、狼狽えるな。本部から避難誘導の要請が出ている」
羽曳野巡査が呼びかける。
揺れが少し治まった。治まってはまた襲い、治まってはまた襲いと、この揺れには隙というものが見えない。しかし本部からの要請となれば、余震の心配があっても出なければならない。なによりも住民の安否が優先だからだ。
「白木は、木枯さんを避難所に。その後、柊木高校に出てくれるか。公民館の方だ」
羽曳野巡査の指令に、白木は一瞬耳を疑った。
というのはこの交番から最も近い避難場所は、その私立柊木高校の体育館だからだ。中等部も付属しているため、体育館も大きい。地震や台風の際の避難場所としては有用だ。
「いや、その柊木高校で、問題があった」
羽曳野巡査は怪訝な表情をする。
「にわかには信じがたいことだが――」
その交番には、木枯唯の父、荒が居合わせていた。
夕刻から断続的に襲うこの揺れが、ただの地震ではないということは、荒が最も先に感づいた。風の魔法を扱う荒には、魔力が感じられた。――そう、それこそ、とてつもないほどの魔力が。
「“怪物”が現れたらしい」
学校に怪物が現れた。現実離れした羽曳野巡査の発言に白木は口をあんぐりと開けた。
「か、怪物って。羽曳野巡査。何を言っているんですか?」
怪物。そんな一言で片づけていいものだろうか。荒は思った。
もし、その怪物とやらが、禁制魔法の報いである毒と関連のあるものだとすれば。――あの揺れから感じた、尋常じゃないほどの魔力。
荒は、それがもたらす災いを想像して青ざめた。
ごくりと生唾を飲み込む。
「木枯さん。はやく逃げてください」
羽曳野巡査に諭されて、正気を取り戻した白木が呼びかける。
荒は、白木に連れられて交番から出た。――街の匂いが違う。微かに青い匂いがする。植物の匂いだ。
「木枯さん。避難場所は公民館の方です」
匂いをたどろうとしたところで、警官の白木に引き留められた。
しかし、荒としてはこの事態の最中、避難して籠っているわけにはいかなかった。なにより、この騒動が毒と関連するならば、その原因の一端を背負ったようなものだ。
「すみません。私にはやるべきことがあるんだ」
「何を言ってんですか――」
荒の返答に、白木が声を荒げようとしたとき、そいつはやって来た。
地面を蛇のように這う音。臙脂色の細長い身体は、植物の蔓が変化したもの。植物だったそれは、今や蛇のようにうねり、意思を持った“怪物”となっている。
“怪物”は臙脂色の蔓の先に、蕾をつけていた。
花弁を三方向に開く。花弁にはのこぎり状の鋭利な歯がずらりと並んでいて、腐った水のような匂いのする黄土色の蜜を滴らせた。
「ぎぃいいいぇええええええええっ!」
その奇怪な蛇たちは、三匹それぞれが荒と白木に睨みを利かせて――とはいっても“怪物”に目はない――は、時折口を開く。
「な、何ですか。こいつらは――」
いよいよ姿を現した怪物に、白木は再び狼狽える。
やんぬるかな。荒は心の中で呟いた。
白木の前に躍り出た荒。
「何をやってるんですかっ」
「下がっていろ。それから踏ん張れ。少々反動があるぞ」
荒は手を構え、空から古書を紡ぎ出した。埃を噴くそれを手に取り、徐に開いたページ。世界にある言語のどれとも似つかないような文字を指でなぞる。
「我が風よ。我のもとに集まりて。疎なる間を作れ。疎なる間を、光を越し足にて走り去れ――」
衝撃波、轟音とともに空中を波が揺るがす。
そして、それに巻き込まれし蛇たちは、切り刻まれてアスファルトの上に崩れ落ちた。べちゃり、べちゃりと落ちる蛇の亡骸。白木はその場に尻餅をついて後ずさり。
「ケガはないか。白木くん」
「……い、今のは――」
「ほんのちょっとした魔法だよ」
魔法。
白木は心の中で、マジかよと呟いた。――確かに平凡に飽き飽きはしていたが、これはいくらなんでも度が過ぎている。
そう思いながらも、目の前で繰り返される衝撃をいよいよ現実と認識せねばならなくなってきた。
「ちなみに、さっきの詠唱みたいなのは本来はなくてもいいんだがな。私のちょっとした趣味だ」
<おまけSS その103>
やんぬるかな。荒は心の中で呟いた。
白木の前に躍り出た荒。
「何をやってるんですかっ」
「下がっていろ。それから踏ん張れ。少々反動があるぞ」
そう言うと荒は、両の手の付け根の部分をつけ合わせ、両の手の平に気を貯めた。
「かぁあ、めぇええ、はぁああ、めぇ――」
そして、それを一思いに前方へと向けて射出。
集められた気は強力なエネルギー弾となって閃光を放った。
「はぁあああああああああああああっ!!」
荒「これは流石に怒られるからやめた」
白木「当たり前でしょうがっ!!」
<おまけSS その104>
安奈「せーの、明けまして、おめでとうございまーす!!」
雷雷「去年はいろいろなことがありましたっ」
安奈「結局、第一部完結は新年まで持ち越しね」
雷雷「まあ、もともとゆったりだし。仕方ないだろ」
安奈「ところで、三井名ちゃんは」
雷雷「あいつなら、コミケから帰って来てないぞ」
安奈「うん、今年も通常運転だな――」
―謹賀新年―
新年も、パッチワークソウルをよろしくお願いいたします。




