風と月の決闘
<main side>
いまいちよく分からない。状況がうまくつかめない。こんな調子だから俺はモテないのか。だからといって、この状況を享受するほどの精神力が俺にはない。ごくりとつばを飲み込み、咳払いまでする。それでも舌が二の足を踏む。舌が腹を決めても今度は、唇が怖気づく。
「あ、あのさ、なんで俺たちいっしょに帰っているんだっけ……」
やっと出てきた言葉がそれだ。自分で考えてみても何と不躾なのだろうと思う。ただ一緒に帰っただけでその理由をわっざわざ聞かれたのだから。だが、俺にとっては、今日会ったばかりの転校生、おまけにかなりの美少女と並んで帰るなど異常事態でしかないのだ。
美月はムッとするでもなく、かといって上機嫌でもない。正か負かと聞かれても、ゼロとしか言いようのないような表情。――したがって、俺の不躾な発言に対してどんな気持ちを抱いたか、定かではない。
「好きな人といっしょに帰るのは当然の道理でしょ」
内容からするに怒っているのだろうか。口ぶりや声色も表情と同じくゼロと言うに相応しいもので、まるで顔文字のないメールの文面のようだ。
確かに彼女が言うことも頷ける。しかし、そもそもなぜ彼女は俺に向かって唐突に告白してきたりなんかしたのだろうか。――俺の何がそんなに気に入ったのか。直接聞こうにも、ここまでこっぱずかしい質問があるか。
結局もとの沈黙に落ち着いてしまう。
――それにしても、何処まで一緒なんだ。
辺りはすっかり暗くなってしまった。美月の家はこの近くなのか。同じ駅で降りて、同じ出口から出て、同じ方向に曲がり、同じ角を曲がった。
――そして最早、俺の家の前だ。美月はこの住宅街の中ではわりかし大きい俺の家を見つめている。そして一言。
「懐かしいわね」
衝撃的な一言だった。
彼女は、知っているとでも言うのだろうか。この場所を。この家を。
今朝、俺の学校に転校してきたばかりだというのに。動揺のあまり、ここが懐かしいという理由を聞き出せずにいた。
さらにダメ押しの言葉が
「いつか、ここで一緒に住めたらいいのにね」
こ、この人は……、いったい何を言ってるんだ……。
出会っていきなり、俺のこと好きだなんて告白するし……。お、おお、おまけに俺とど、どどっど、同棲したいだなんて言い出すし。もし、家族や友達の誰かに聞かれでもしたら、ややこしいことに……。
「お兄ちゃん……」
怒りに満ちた声が下方から聞こえた。
すくっと立ち上がると同時に、短いボブヘアーとカチューシャが目に入る。庭のゲートの影にしゃがみ込んでいたらしい。そして、おそらく想像する限りで最も、この会話を聞かれたくなかった人物だ。いつもとは比べものにもならないほどの低く、どすの利いた声が漏れる。
「……その女、……誰……?」
――ダイニングテーブルには、父さんの木枯荒、妹の木枯風香が向かい側に。隣には、さっきまで一緒に帰っていた桂木美月。たしかにいっしょに帰っていただけで、やましい関係ではない。――そう言えば何とかしてくれるだろうか。
目の前にはピザである。さっき風香が宅配で頼んだもので、今日の夕飯ということらしい。
腹は減っているが、空気が重たく張りつめていて、どうにも手は出せそうにない。
「まあまあ、唯もそう言う年頃だ。帰りが遅かったのは、あとでじっくり聞かせてもらうが、それを唯の彼女の前で問いただすことはしない。だから遠慮せずに美月さんも召し上がってくれ」
父さんはにこやかに笑っているが、風香はそんな態度でさえ気に入らないのか。ピザについていたプラスチックフォークで手の甲を突き刺した。
「うぅっ!」
「何をにこやかに、あたしとお兄ちゃんふたりだけの夕飯だったものを、この泥棒猫に振舞おうとしているのっ! 勝手な真似しないでっ!」
……というか、どうやったら、プラスチックフォークで人の皮膚が突き刺せるのだろうか。どんな馬鹿力だよ。
風香はもともと父親が嫌いだ。理由は分からないが、デリケートな年頃だからと父さん自身も笑い飛ばしている。俺も詳しいことは聞いていない。
そして、何よりも俺に対しての執着心がとてつもない。
「さあっ! しっかり説明してもらいましょうか。桂木美月さんとやら、お兄ちゃんとの関係をねっ!」
鼻の先がくっつくかという距離まで詰め寄られても、美月は微動だにしない。相も変わらず無の表情を顔に浮かべている。
美月は風香にどう反論するのだろう。美月は考えが読めないし、風香は歯止めが利かないところがあり、何をしだすか分らない。
「あ、あの……っ、風香ちゃん。とにかく落ち着いて。俺と美月さんは、家が近くだそうだから一緒に帰ってただけで」
「お兄ちゃんは黙っていてっ!」
「男っていっつもそうっ!根はバカでスケベなだけなのよっ! お父さんだって愛人囲って、結婚指輪を取られたしっ! 女はいつだって男の欲情にほだされ続ける性なんだわっ! こんな美人な同級生がいたら手を出さずにはいられないわっ! それに負い目があって弁護しようとなんかしてるのよっ! ――でもいいわっ!それでもお兄ちゃんは、 お兄ちゃんはあたしだけのものだものっ! 守り通して見せるっ! これは女の戦いなのよっ!」
「……、あなたの妹病院に連れて行った方がいいのでは」
「うん、俺もそう思う」
「あたしを差し置いて、お兄ちゃんと話すなぁっ!」
テーブルをばんっと叩いて癇癪を起す風香。
テーブルの上に置いてあったコーラが揺れで溢れてしまう。ここまでくると治まるまで好きなようにさせるしかない。
それを分かってか、父さんもやれやれと苦笑いしながら、なぜか摂食グミを口に含んでいる。俺と父さんはもはやたじたじなのに、美月は冷静な様子だ。
いや、会った時からずっと冷静な表情だったか。また、とんでもないことを口走らなければいいが。
「風香と言いましたか。私は唯が襲われているところを助けただけで、何もやましいことは」
「襲われたぁぁああああっ!?」
飛び上がり、テーブルの上に飛び乗って膝でピザを踏みつぶしながら俺の肩を揺さぶる。俺を問い詰めようとしているのだが、肩を揺らす力が激しすぎて口が開けない。
おまけに、意識してか無意識なのか、父さんを足蹴りにしている。
「襲われたって何っ! 何よっ! 大丈夫なのっ! 主に貞操とか大丈夫なのっ!」
「そういうことはされてないわ……。でも恐らく……」
そこで美月は読めない表情をした。額を抑えて頭を垂れる。頭痛でもするのだろうか。顔を歪めている。
「どうしたの、美月さん」
ふと見やると父さんも顔を歪めていた。父さんと美月は初対面のはずなのに、呼吸を合わせるかのように頭痛を訴えている。先程も経験したが、美月が表情を表すときは、脈絡に合わない、不可解なものを浮かべる。俺が目を覚ました時の泣き顔だってそうだ。
美月。君はいったい……。
「……何でもないわ。気にしないで」
椅子を引いてすくっと立ち上がり、深く頭を下げた。
「お邪魔しました。ピザ頂きたかったですけど。私も家で待っている家族がいますので」
その場を立ち去ろうとする美月の背中に、風香は何かを投げようとするかのように右手を構えた。右手の先に光が集まる。あのときの美月の三日月刀と同じだ。大きなくの字型の何か。――ブーメランか。しゅるりしゅるりと風を切る音がし、ダイニングの中を突風が吹きすさぶ。テーブルの上に置いてあったピザやコーラのコップが舞い上がる。美月に向かって風を切り裂くブーメランが回転して迫る。
光った。再び美月の右手が、月光色に。
ブーメランは三日月刀の斬撃により軌道をずらされた。その後、慣性の法則からは外れたいびつな放物線を描いて風香の右手に戻る。
「風香っ、むやみに魔法を使うなと言っただろっ!」
「お父さんは黙ってて! お兄ちゃんを奪おうとした泥棒猫に鉄槌を下すことを‘むやみ’とは言わせないわっ!」
惜しくも外したブーメランに、舌打ちをし、口惜しそうに下唇を噛みきる。
テーブルの上からピザの残骸やコーラの飛沫が飛び散ったままの床に降り立つ。拳に青筋を走らせ、鷹のような鋭い視線を美月に向ける。
「桂木美月……、あたしと決闘しなさい」
「決闘? あなたは唯の家族でしょ」
「あんた言ってたでしょ!」
「この家にいつか一緒に住めたらいいわねって! それって、それなりの仲になって、それなりのことをしてそれなりの幸せと家族を育みたいと思ってるわけでしょっ! だったら、同じ思いを抱いているあたしを倒してからが筋じゃなくって?」
……、やっぱ妹は病院に連れて行くべきだ……。
――家の中でドンパチをやられては流石に迷惑。
風香もいくら気が立っているとはいえ、家を破壊する気はないようだ。それとも単に思いきり暴れたかっただけなのか。外に出て、近くの空き地にて風香と美月は互いを睨みあっていた。
「いやあ、あのコいいコだよ。風香がぶっちゃかした家の掃除してくれたし……。そこまで怒ることかねえ」
「父さんは、あの二人のケンカを止める気ないのかよ」
「もともとこうなったのは、唯のせいもあるだろ。それに、風香は私とポテンシャルが似ているんでね。力でねじ伏せるのもかなりの労力がいる」
まさか美月だけでなく、風香も父さんも魔法使いだったというのか。
「唯には話していなかったが、木枯家は魔法使いの名門でね。風を扱う魔法を得意とする。お前は一般人の母親の血が濃いから才能が芽吹くこともないだろうし、何より平穏に育ってほしかった。――まあ、それは風香もそうだが、あいつは何故か必死に私に弟子入りを所望してきてね。私が嫌われているのは、この晩飯からも相変わらずらしいが」
そう言って摂食グミをもう一粒口に含む。なんと重要なことを父さんは俺に隠していたんだ。つい昨日まで、魔法なんて小説か漫画、RPGの世界の中のことだと思っていたのに。
うちの家系が魔法使いの名門だと?
でも、俺は魔法使いとしての才能がない……。母親の血が濃いから。母親は一般人……。あれ……? 母親の顔がうろ覚えだ。――家族のことなのに、思い出せない……。
睨み合いを利かせるふたり。口を先に開いたのは風香だ。この喧嘩を吹っかけてきた短気で軽率な彼女。冷静で寡黙な美月とは大違いだ。いや、美月が寡黙だからこそ、相手を苛立たせるのか。
「あんた、この家のルールってものを知ってる? お兄ちゃんと恋仲になりたくば、あたしの問いに答えられなければならない。お兄ちゃんへの愛を確かめるためにね。――じゃあ、まずはお兄ちゃんのトランクスの枚数を答えなさい」
「15枚」
「な、……中々やるわね……。じゃあお兄ちゃんが、ベッド下に隠してるエロ本の数っ!」
「8冊ね。――お兄ちゃん最低とか言いながら、内容を隅々まで確認しているあなたもどうかと思うけど」
「がぁあああああああっ! ど、読心術まで使えるなんて聞いてないわよ! これじゃあ、あたしの考えた‘お兄ちゃん所有資格試験’がクリアされてしまうわっ!」
……、とりあえずその試験問題とやらは捨ててくれ。一生聞きたくない。
トランクスの枚数どころか、隠し持っているエロ本の数までバラされて、メンタルがぼろぼろになってしまった俺の肩に父さんの手が置かれる。
「どんまい。あと今実は一冊ちょっと借りていて、別になくなったわけじゃないから」
「何さらっと、ここで白状してんだよ」
金属と金属をぶつかり合わせる鋭い音が木霊した。風香の周りからは風のオーラが立ち込めており、尋常じゃない激しさで茂みがざわざわと音を立てている。再び金属と金属がぶつかる音が。ブーメランの一部は刃のように鋭利になっており、三日月刀と重ね合わされていた。
「落ち着いてる表情で言ってくれるじゃない! あんたみたいな澄ました顔の女癪なのよ! ――普段は落ち着いてるふりしてるくせに、エロ本やアダルトビデオ見つけたくらいで、浮気と一緒だーとか責め立てるんでしょ! 目に見えているわ! この粘着質女ーっ!」
……、そしてこいつはいったい何の言い争いをしてるんだ……。
「責めないわ。だってそれが男という生き物だもの」
もういいっ! 答えなくていいからっ! 相手しなくていいからっ!
「知った口聞いてんじゃないわよ! 分らせてあげる!あたしとあんたのお兄ちゃんに捧げる愛の差って奴を!」
地面に手を翳す風香。五芒星とそれを取り囲む円。記された古代文字のようなもの。夜間授業でも見たことがある、魔法陣だ。魔法陣は緑色に光るとともに、中心から巨大な竜巻を発生させた。
「オズの魔法使いから名を取らせていただいたわ。ドロシー! あの女を飲み込むのよっ!」
周りの草木を怪物のように巻き上げながら、ドロシーと名付けられた竜巻は、風香に忠誠を誓った犬のように、真っ直ぐに美月のもとへと向かっていく。
「美月さんっ、危なぁあいっ!」
俺の視界の中で美月は三日月刀の怪しく光る刀身を振りかざした。ドロシーがちょうどその刃先に触れるかというところで、彼女は竜巻ではなく本当に何もない空を斬ったのだ。
「勝った」
風香が呟いた途端、ドロシーは忽然とその禍々しい姿を消した。今にも美月を巻き込もうととぐろを巻いていたそれは、最初からなかったかのように何の前触れもなく存在を消したのだ。
「なっ、ド、ドロシーどこに消えたのよっ」
「うしろだよ」
美月の珍妙な回答に間抜けな声を出す風香。
だが、それが誠であったことをすぐに思い知らされることになる。まさに風香の背後に、そのドロシーは差し迫っていたのだから。
「う、うそ……」
脚をすくわれ、空高く舞い上がる風香。彼女が投げ出された空に美月は飛び上がり、風香の学生服のスカートの裾を三日月刀で突きさして、落下と同時に彼女を地面に張り付けにした。
「うっ……く、くそ……」
「動くと読者サービスシーンになっちゃうわよ。いい? 今後、私に喧嘩吹っかけるなら、この程度じゃ済まないから」
動けなくなっている風香を見下ろし、脅しを加える美月。こちらに振り返り、俺と父さんに「ご迷惑おかけしました」とだけ言葉をかけてその場を去ってしまった。そして、風香のスカートの裾に三日月刀は刺さったままだ。
「――って、こらー、魔力を解きやがれっ! あたし動けないままでしょうがぁあーっ!」
<おまけSSその7>
簀巻藁葉
「どうじゃった? 妾の初登場は? 中々のインパクトじゃったろう?」
使い魔の男
「ええ。まあ何というか……、納豆を人の家でかき混ぜて登場というのも斬新で」
簀巻藁葉
「脳裏にねばついて離れないような登場シーンにしたくてのう」
使い魔の男
「……、いや、うまくないです」
<おまけSSその8>
簀巻藁葉
「なあ、荒……、ちょっとしたお願いがあるんじゃが」
木枯荒
「いったい何だ?」
簀巻藁葉
「いや、大したことじゃないんじゃが……。納豆は、‘なっとういち’より、‘金のつぶ’が好きじゃ」
木枯荒
「どうでもいいわっ!というか、また納豆食べに来る気かよっ!」