胎動③
<another side>
風香の目の前で、フードの男は中身を消し飛ばされて抜け殻になってしまった。視界では、石畳の上にくしゃくしゃになった魔導服が。胡散臭い眼鏡をかけた白衣の男は、魔導服を革靴で踏みにじり、口角を上げてほくそ笑む。
「彼のことは心配しなくていい。もともとただの思念体さ。本物の身体はとおの昔に腐り果てている。所詮は複製魔法ということだ。彼自身も言っていたろ。名乗る価値などない、ただの出来損ないと」
「……あなたは、胡散臭い眼鏡の理科の先生」
「おーい、いい加減名前ださないと、話進まないぞー」
人差し指でくいっと眼鏡の位置を直す。この男は、宿木恭人。私立柊木高校の理科を担当する教師だ。中等部の理科も担当しており、風香も面識はある。なにより魔導学校では、実習の授業を多く受け持っている。
「なんでここに、いるのよ。メガネ」
「ひょとして君は、僕のことが嫌いだな」
風香は眉間にしわを寄せ、しかめっ面。メガネなどという失礼な呼び方をされた当人は、引きつった笑みを浮かべている。
「何を考えているかわからない。ロリコンそう。マッドサイエンティストっぽい。なんか薄ら笑いが鼻につく。絶対バツイチ。腹黒そう。陰気そう。酒癖悪そう。なんか変な性癖持ってそう。生理的に無理。あと……」
「どんだけ嫌いなんだよっ!」
さすがに一瞬冷静さを失ったが、すぐにコホンと咳ばらい。もとの何を考えているかわからない、胡散臭い薄ら笑いに戻った。
「君は、随分と勝気だね。手も足も出ない状況のクセに」
宿木の言う通り、風香は、手足を植物の蔓によってがんじがらめにされ、少女が眠る宝玉の前に磔にされている。風香自身も今のこの状況に危機感を感じていないわけではない。一向に収まる気配のない、けたたましい振動もだ。
「いや、助けてよ」
「いや、何を当然のように要求してんだよ。助けてほしいならもっとマシな態度取れよっ。――それに……」
「君は供物であることを理解した方がいい。スカーレットは腹が減っているんだ。まあ、君の魔力程度では、ゴマのひと粒程度にしか、満たされやしないだろうが」
指をパチリと鳴らす。すると、風香の身体を磔にしていた蔓が一本、日本と増えて、さらに動きを奪う。もがくことすらままならぬほどに。手足は根元までがんじがらめにされている。おまけに蔓の表面はざらざらしていて、細かいとげがあるようで、ちくりちくりと皮膚を刺してくる。
「あなたの目的は……?」
「スカーレット。七百年前に死んだ彼女の完全なる蘇生だよ」
声色が危なっかしく震えている。
さっきまでのフードの男と言い、教壇に立っている姿も何度も目にしている、宿木でさえ、七百年という恐ろしく長い歳月を口にする。いったい、何年のときを生きてきたというのか。
「この振動を僕は胎動と呼んでいる。スカーレットが目覚めに近い証拠だ。あと少し、……あと少しで、私のスカーレットは完成する」
「完成? うん百年も前に死んだ女の子に何をそこまで執着するのよ」
そこで宿木は眼の色を変えて、風香の顎をひっつかんだ。怒りにわなわなと震える腕の振動が風香の頭蓋を揺さぶる。よほど執着という言葉が気に入らなかったのか。
「黙れっ。お前も、彼女を殺した不条理に迎合するのか。何の罪も穢れもない、いたいけな少女がなぜ死ななければいけないっ。私でさえ、できない魔法がある。それがどれだけ苦しいか。どれだけ寿命を延ばしても。どれだけ若い身体を保っても。私は、私は……、もう死んでしまった命を呼び戻すことができないでいる。七百年の歳月を費やしてもだ」
「……、あんた、似ているのね」
「誰にだ?」
「……、お母さんに似ている。お兄ちゃんを生き返らせることしか考えていなかった、あのときのお母さんみたい。死人のために、自身の平常心を捧げて……、すぐにあたしのことなんて……見えなくなっていた」
「そして、蘇生魔法を完成させた結果、木枯唯は生き返った。だろ? 私にできない魔法を彼女はやってのけたんだ。――七百年前の自分の娘のことは忘れてね」
最後にぼそりと呟いたその一言。七百年前の自分の娘。スカーレットが、自分の母親の娘。
「ちょっ、まっ!」
「時間切れだ。それにこれ以上は喋りすぎだ」
気にかかる事実が明かされそうになる手前で、風香の意識は閉じてしまった。魔導植物がいよいよ意識を蝕み始めたのか。風香の意識は、現実から引きはがされて、真っ白な世界の中へと落ちていった。痛みや苦しみはなく、なぜだか眩しくて温かい。
足音が背後から聞こえる。振り返るとそこには、あの巨大な宝玉の中で眠っている少女がそのままの可憐な姿で立っていた。くしゅくしゅと柔らかそうな金色の髪。くらくらしてしまいそうなほど、神々しく美しい天使のような美少女。
「あなたは、スカーレット?」
こくりと頷いて少女は、上目遣いを風香に向けた。
「ごめんね。悪いお花が、お姉ちゃんを食べちゃうんだ。ここはね、お姉ちゃんが苦しまないためにあたしが魔法で作った世界。短いけど、あたしと遊ぼ」
「……教えてほしいことがあるの。あなたは生きているの?」
「死んでるよ。そしてもう、まともには生き返らない。お父さんは、あたしが生き返るには、力が必要だと考えて、あたしに悪いお花をいっぱい植えたの。見たでしょ? 悪いお花に取り込まれたあたしの姿。かっこ悪いよね。あんなことしたから、あたしの身体はもう、お花のものになっちゃった。お姉ちゃんをこれから食べるだろうけど、お姉ちゃんは、あたしのものにはならない。また、お花が育つだけ。その繰り返し。あの人は……、お父さんはそれが分かっていない」
あの巨大な宝玉が、魔導植物にがんじがらめにされた姿は、スカーレットを蘇生させるためのものだったらしい。それを施したのは、父親だと彼女は言った。ということは、全能の魔導士と謳われたゼルディウスのことか。娘を失った父親が、それを生き返らそうとした成れの果てがあの姿。一歩間違えれば、自分の兄も同じことになっていたのだろうか。それよりも、風香はスカーレットの口ぶりから、あることに感づいた。
「……、あなた、本当は生き返る意思がないんでしょ?」
「あはは、バレた? だって、今のお父さん、あたしを生き返らそうなんて、ちっとも考えていない」
綺麗な白い手を口元にあてて、可憐に笑う。けれどどこか、翳りのある笑みだ。笑い声も、少し枯れている。おそらく自嘲の意味もあるのだろう。両手を後ろで組んで、真っ白な床をこつんと蹴った。すらりと長い脚が、弧を描いて空を斬る。
「あたしが何も悪いことしていないのに死んだから、お父さんは神様やしゅーきょーを嫌いになった。最初は本当にあたしを生き返らそうって思ってたし、あたしももう一度お父さんやお母さんと生きたいって思ってた。――でもどこでどう間違ったか。お父さんは、あたしを神様にしようと考え始めた。ふじょーりへのふくしゅー? よく分からないわ。そんなこと考えだしてから、お母さんとの仲も悪くなって、余計にお父さんはおかしくなった。今のお父さんと一緒に生きても、何も嬉しくない」
「だって、あたし。神様になんて、なりたくないもの」
それは彼女の本心だろう。
もう、生き返りたくない。ネガティブにも思えるが、死んでいるとはそういう状態を指すのかも知れない。なのに父親は、自分を生き返らせようとし続ける。娘とはかけ離れた、歪な神として。その苦悩が、あの苦悶の表情となっていたのか。宿木が胎動と呼んでいた、あの凄まじい振動は、苦悩から来る疼きのようなものとも考えられる。
「それで、あんなに苦しんでいたのね」
「――うーうん。それは違うわ」
「えっ」
急に翳りのある声で、否定をされたものだから、間抜けな声が出てしまった。何だろう。その瞬間から、翳りはあるけれど可憐な少女として見えていた彼女の姿が、少しだけ黒い何かを持っているように見え始めた。
「この世界のどこかにいるの。あたしから、分かれたあたし。あたしが切り離した、生きたいって感情。それもね、どこかで幸せに会ったみたい」
「それって、すっごくふじょーりだよね」
目が合ったその瞳は、血走っていた。口元は歪んでいた。
悲しみを抱いた儚げな美しい少女ではない。あの胎動が現わしていたのは、彼女の中でゆっくりと生まれ始めた、黒い感情の産声だった。
<おまけSSその77>
風香「ちょっと、今回の展開。これ、あたし大丈夫なの?! 確実に命の危機が迫ってるよねっ! はやく、お兄ちゃん、助けに来てっ!」
雷雷「いつも通りのブラコンだな……」
風香「なによ、あなたには兄妹という素晴らしさが分かっていないのよっ!」
雷雷「違う、あたしはどちらかと言うと、おねショタが好きなだけだっ」
安奈「いや、何の話してるのよ、あんたたち」
<おまけSSその78>
雷雷「安奈、そういうあんたは、どういう趣向してるのよ」
安奈「あたしは別に、スケベだったりブラコンだったり腐女子だったりしてないわよ。いたって普通の女の子よっ」
雷雷「普通ねぇ。じゃあ具体的に聞いていくわ。ワイルド系? かっこいい系? それとも中性的に綺麗なコが好き? ああ、母性本能くすぐってくるコとか?」
安奈「え、ええと。なんていうかその……。ちょっと知的な人?」
雷雷「じゃあ、メガネは?」
安奈「必須じゃないけど、確かにちょっと好きかも」
雷雷「他の外見のイメージは髪型とかは?」
安奈「ふぇっ!? か、髪は清潔感があったらいいけど、あんまりワックスとかで固めたのはチャラくてダメかなあ……。あと、温厚そうな笑顔が素敵な人がい、いいです」
雷雷「今のところ、あのうさん臭い眼鏡教師がすべて当てはまってるわね」
安奈「いや、それは断じてありえないからっ!」




