死の夜間授業②
<main side>
それは昼休み、職員室脇の壁に張り出されている伝言板を確認したときだった。夜間授業といい、専門校のような側面もあるため、生徒数は異様なほど沢山いる。よって生徒のひとりひとりに連絡を回すならば伝言板に掲示した方が手っ取り早い。大学や会社、将来ゆくゆくは伝言板の確認というものは必要習慣となる。一種の社会勉強のようなものだ。俺はいつも昼休みにここを確認することにしている。
「おい、お前生徒指導部から呼びだし喰らってるぞ」
「ほえっ!」
まさかのことだったので、間抜けな声を上げてしまった。日秀が眼鏡越しに、呆れているのか心配しているのかという瞳を差し向けている。
「前から言おうと思ったけど、お前の成績危ない橋を行ってるぞ……」
大学や専門校で一般的な単位制を取っているこの高校では、ある意味成績に関してはシビアな面もある。講師の裁量によって、単位を取りにくかったり取りやすかったりする側面も似ている。そして、必修科目という、必ず履修しなければいけない科目があるのも。
それを落とせば、留年は免れない。生徒指導部は風紀の面の指導はもちろん、成績不順な生徒が留年しないように工面をしてくれるところでもある。
担当の講師の名は、宿木恭人。必修科目の理科実験を担当している、あだ名はメガネ。もちろん眼鏡をかけている教師は彼の他にもいっぱいいるのだが、何というかその胡散臭い風貌から、メガネ以外のあだ名をつけることが憚れるのだ。
「……、俺苦手なんだよな、あいつ。眼鏡が光っていて奥の表情が見えないじゃん」
「それはそういうデフォルメなんじゃ……」
事実、その風貌からか。あらぬ噂をよく囁かれている。
夜中に誰もいない部屋で、ぶつぶつと独り言を言っているだとか。職員室に置いてある彼の本の表紙に五芒星や六芒星を描いたものがあって、内容は暗号文で埋め尽くされているだとか。――果ては陰陽師だとか、破壊のために平将門の怨霊を呼び出そうとしただとか。言われたい放題である。
「……、不安じゃないのか?」
「ふあん? 何かされるわけでもないし」
「単位が足りなかったら、留年か夜間授業で単位を取得するか。でも夜間授業にはろくな噂がないんだ。聞いたことがあるだろう?」
「――夜間授業を受けた者は生きて帰っては来れないと」
聞いたことはあるが、くだらない噂だ。
日秀は俺とは違って、成績は優秀だ。話し方も軽くて社交的な上に成績優秀で、生徒会役員と来れば、冴えない俺とは違って当然モテる。いや、今はそんなことは関係ない。
そんな頭の良い彼が、誰が聞いても世迷言しか思えないような、その噂を本気で信じているとでもいうのか。
「流石に本気で信じてはいないけどさ。なんか嫌な予感がするんだ」
日秀はそう言って引き留めようとしたが、俺は聞かなかった。講師からの呼び出しを無視する方が生涯に関わると考えたからだ。
どのみち、聞き入れて俺が留年するなどということは誰も望んでいない。
》
木枯唯 放課後、カウンセリング室に来てください。
成績と履修状況のことについて話があります。
生徒指導部 宿木恭人より―
》
俺はその通りに、放課後にカウンセリング室のドアを叩いた。
カウンセリング室の扉をノックする。中から、入り給えという何とも胡散臭い声が。失礼しますと頭を下げながら、職員室横のいかにも無理くり設けられたかのような長細い部屋に、何処かの教室で余った机がふたつ。給食を食べるような格好で向かい合わせにくっつけられている。
「まあ、そう硬くならずに座りなさいよ」
メガネのレンズの奥から読めないような怪しい笑みを浮かべている。普段の理科実験のときからそうだが、ふたりきりという状況もあってか輪をかけて怪しい。
「僕は胡散臭いけど怪しい奴じゃないからさあ」
「いや、胡散臭いと怪しいって大して意味変わりませんよね」
ここまで来た以上、胡散臭いメガネの威圧に押し負かされていても何も変わらない。意を決して宿木の向かいに座る。
「今日、ここに君を呼び出したのは、自覚はあると思うけど、君の成績……、結構ヤバいことになってるんだよね」
――やはりそう来たか。
当たり前だ。掲示板には、成績及び履修の件で呼び出されておりますと書いてあったのだから。となれば次はこう来るだろう。
「もう分かるよね。君には夜間授業を受けてもらいたい」
「……、やっぱりそうなりますか」
「出席点とか授業態度を加味してもぎりぎり足りなくてねえ。あんまり加味をし過ぎると、上からもいろいろ言われるんだ。――夜間授業を一コマでいい。少し帰りが遅くなるだけだ。そうすれば僕も君も、お互い気を楽に過ごせるというわけだ」
それを断れば、これからの半年は留年するという暗い未来が頭に張り付いて離れなくなるだろうし、それを終えても晴れて二回目の高校一年生という屈辱だ。不良でもなんでもない、ただの冴えない留年など、青い武勇伝にさえなりやしない。首を縦に振るしか選択肢はなかった。
「あの……。夜間授業って何か昼間と違うことってありますか?」
「……、そうだね。‘世界’が違うかなあ」
》
太古の大魔導士ゼルディウスは、魔導を急速に発展させた功績を残した。
しかし、それは、非人道的な魔導実験を繰り返し、数え切れぬほどの人間の命を犠牲にした結果だ。いくら魔導に貢献したとて、彼が行った魔導による数多の人間の虐殺は、見逃されるものなどではなかった。――彼はその強大な魔力を奪われ、魔界の地下深くに封印された。
既に永遠の命と不死身の力を手に入れていた彼を殺すことは、誰にも叶わず。彼の魔力を奪い取るだけでも多くの魔導士や魔女たちが息絶えた。彼は今も地下でひっそりとたったひとりで眠り続けている。
だが、彼が開発し、発展させた魔導技術は、その後も魔導界の文明を豊かにすべく使われたという。
》
「まあ、人間界で分りやすい例を挙げるならば、原爆みたいなものですね。このゼルディウスが発展させた魔導の中で、最も親しみが……」
黒板に連ねられる見知らぬ教養。
聞いたことのない内容を、あたかも知ってて当然のように口にする先生。――夜間授業には、俺の知らない世界しかなかった。
思考回路のショート音を脳裏に反響させながら、震える手を上げた。
「どうした? 質問か……? 木枯君」
「あの……何もかも……、わからないんですけど」
思ったことを正直に言った。
ゼルディウスって誰だ? 魔導って何だ?
どのゲームの話だ? どの漫画だ? 小説だ?
とんと訳が分らなかった。
「君は夜間授業は初めてかい?」
「あ……、は、はい……」
「最初は戸惑うと思うが、そう言ったことは後で隣の彼女にでも聞くといい」
「はあ……」
目が左右に泳いでしまっている俺の表情を見て、質問にその場で応対していては時間の無駄だと悟ったのか。
あのメガネは世界が違うとは言っていたが、こういうことか。――いや、こういうことがどういうことなのか、全くわからないが。混乱に知恵熱を出しそうになりながら横を見やると、彼女がいた。
「……み、美月さんっ」
信じられなかった。彼女は普通に昼間授業に出席していたし、俺が言うのもなんだが。一目で勉強ができる優等女子生徒とわかる。いや、彼女のことは知らないが、雰囲気からそうだろうということが伝わってくる。そんな彼女と、成績不順を理由に受講させられた夜間授業で出くわすとは思いもしなかった。
「静かにっ、授業中よ」
小声で呟いて、彼女はつややかな唇に人差し指を当てた。――そうだ。授業に集中しよう。
「最も親しみがある、ゼルディウスの発達させた魔導といえば、プールですね。魔導、魔法というものは自然とのエネルギー交換と解釈できます……。その際、エネルギーの一部を溜め置くのがプール。この仕組みは通貨取引と少し似ています……」
……。……、……。
「自然には神の守護があって、魔導を使って魔力、俗にマナと呼ばれるエネルギーをやり取りします。マナは一種の生命エネルギーのようなもの」
……、駄目だ。分らん……。
聞きながら、用語と解説を頭の中で整理する必要性を強いられる。少しでも意識が飛べば、思考が置いていかれる。そんな速度に俺の頭がついていけるはずもない。――眠い。
あたりを見回すと、数名既にこの支離滅裂な授業に耐えかねて、白旗を上げながら寝息を立てている者もいる。それが目に入るや否や、俺も机に突っ伏し、白旗を上げた。
「……、唯。起きて」
――名前を呼ばれて、肩を揺すられて、目が覚めた。
水を注いだコップ越しに眺めたように、彼女の姿が揺れている。自分の身体が軽くなったように感じる。だが、目がピリピリと痛く。彼女とわかっても、ぼやけて揺らめいている。
身体の周りがひんやりと冷たい。――異様な感覚だ。
「……少し、まずいことになったわ」
まずい。
何がまずいのかはわからない。彼女の無表情と、物事を断片的に切り出すような話し方では、とんと状況がつかめない。
目の前を一匹の魚が泳いだ。鮮やかな青い体色に、ひれの付け根の黒い模様。黄色っぽいひれ。ナンヨウハギだ。
それが目に入った瞬間、息が詰まった。
「ぼが……、ぶがが……」
「落ち着いて。これは海じゃない。偽物よ」
「そう……、だってどうせ本物の海の中なんて、あたしは泳げない」
背後から声がした。まだ息ができない。
まだ視界はぼやけている。
振り返ると赤いツインテールの髪が水中でゆらゆらと揺らめいていた。
美月は、今自分たちがいる海は偽物だと言った。どういうことなのか理解できない。俺に向かって敵意の視線を向けるこの赤毛のツインテールの少女は誰なのか。俺が授業で居眠りをしている間に何があったのか。
「……、ご挨拶失礼するわ。あたしは、渦中安奈。夜に生きる者からの解放のための供物として、木枯唯……。あなたを頂戴いたします……」
赤毛の女は、三又矛――トライデントーーを構えてにんまりと笑った。
――何なんだ?
何なんだ、いったい、この状況は。
俺がさっきまでいたのは、教室だったはずだ。それが今は、目の前に広がる海。視界を開けば、海水が眼孔になだれ込んでくる。痛い。息ができない。
確かに訳の分からない、頭のおかしい授業だった。
だが、今のこの状況は、さらに度を超えて支離滅裂だ。
「唯っ、唯っ、しっかりしなさいっ!」
肩を揺さぶられて、ハッとなる。
「ぼがば、ばがが……」
混乱から戻って来ても、また視界には当惑せざるを得ない馬鹿みたいな状況が広がっている。俺は海の中に閉じ込められているのだ。
「無駄よ。常人が幻覚から抜け出せるわけないじゃない」
高飛車な声を出して赤毛のツインテールの女が笑う。この海の中で、このトライデントを構えたふざけた女と、美月だけが何故か息をしている。互いに言葉を交わしている。俺は息もできず、声も出せないというのに。
まずい……、苦しくなってきた……。
「彼、ヤバそうよ。いい加減本当の姿を見せたらどうなの? 月の魔女、桂木美月さん……」
「言われなくても、そうするつもりよ」
美月が右手を空にかざす。いや、海の中だから水にかざすというのか。分らない。
また、信じられない、訳の分からないことが起こった。
彼女の右手の先から青白い光が。真黒な夜の帳を鋭く切り裂く月明かりのような。目をくらませるほどの閃光を放った。焼き付いた光から解き放たれた視界は、彼女の右手に握られた美しく輝くしなやかな刀身の三日月刀を捉えた。
光が……剣に……、なんだ……? なんだこれ? バーチャルゲームの中にでもいるのかよっ!
美月が三日月刀を振りかざす。赤毛の女が口角を吊り上げ、ニヤリと好戦的な笑みを漏らす。にらみ合うふたりの間には、ばちばちと火花が見えるようだった。その視線を遮るように一匹の魚が、先ほどのナンヨウハギが、赤毛の女のちょうど目と鼻の先をかすめた。
赤毛の女は顔を歪めた。
「いやぁあああ、近寄るなぁあ! 知ってるのよ! そんな可愛い見た目したって!あんたらどうせヌルヌルしてんでしょうがっ!」
「魚が嫌いなら、海を呼び出す魔法なんて使わなきゃいいじゃないの」
「はっ……」
……、そりゃそうだ。
「うっ、うるさいっ! 海はあたしの憧れなの! 海水浴、輝く水面で水着姿で追いかけっこ。このロマンわかるでしょ!」
い……、意外と可愛い奴だな……。
「だいたい魚と海は別問題よ! 海水浴場とか、あまり魚いないじゃんっ!」
「クサフグとクラゲならよくいるわよ」
「ええい、うるさいっ!」
美月のすまし顔での返答に、眉間にしわを寄せてトライデントをぶんぶんと振り、声を荒げる。――完全に美月のペースに乗せられてしまっている。
「もういいわ、これ以上あなたと‘おしゃべり’なんてしてられない」
「別にしゃべったつもりはないけど」
「あ~もう、腹立つ腹立つ腹立つぅ! 滅びろっ! このクサレアマがぁあああっ!」
トライデントを振りかざすと、水流の渦が起きる。水中で物を激しく動かせば、小さな渦ができるのは物理的に当然の減少だが、その渦は数秒で消えるような儚いものではない。見る見るうちに、小さな船なら丸ごと飲み込んで真っ二つに折ってしまうのではないかという禍々しい渦潮に成長した。
「さあ、飲み込まれておしまいっ!」
渦がこちらに向かって飛びかかるようにして、大きな口を開ける。水流に身体が引きずり込まれそうになる。
「唯っ!」
美月が俺の右手を、左手で掴んだ。
「くっふふふ、木枯唯を頂けば、あたしの念願のふたりきりのプライベートビーチも……」
渦に引きずり込まれる。息が……持たない……っ!
色を失って薄れゆく視界の中。渦の中心に引きずり込まれる俺の身体。
もう駄目だ……。もう、駄目だ……。――俺は静かに目を閉じた。
*****
――ここはどこだ。部屋だ。
知らないけど懐かしい部屋だ。何もないまっさらの部屋だ。
視界は見たことないものばかりを移しているが、匂いが懐かしいと感じさせる。
部屋には窓がない。空気が湿っている。ここは地下にあるのか。教室で眠っていたら、海の中で目覚めて、意識が遠くなって見知らぬ部屋。訳が分らない。――俺は死んだのか……?
ごとん。
まっさらの部屋を歩いたのに、つま先に何かが当たった。ぬいぐるみだ。よくあるクマのぬいぐるみ。
そう言えば妹がいくつか持ってたっけ? 買ってあげたこともあったな。
よく見ると左胸の当たりに切り込みがある。
「何だろう?」
そう思って指を入れてみた。
――綿ではない。生温かいぬめぬめしたものが指先に当たる。生理的に不快感を与える感触。蟻走感に苛まれながら、震える右手を返すと人差し指の腹に赤黒い血がべったりと付いていた。
「うわぁああっ!」
俺は思わず、ぬいぐるみから手を放し、床に落っことした。そのときに気づいた。部屋は胸に穴が開いたぬいぐるみで埋め尽くされていたのだ。
「これは駄目だった。これも駄目。あれも駄目」
失意にまみれた女の声が背後から聞こえる。何度も呪文のように聞こえてくる。
何だこれは、何なんだ。何なんだ、これは……。
「唯っ! 唯っ!」
――肩を揺さぶられ、また目覚める。何度も違う世界で起きたせいで、どれが現実か分らない。また、海の中だ。俺は美月の温かい膝の上で、目を覚ました。視界に美月の顔が。何故か一瞬、彼女が泣いているように見えた。
泣いて……る……? あれ……? 膝の上……?
「おわぁあああっ! み、美月さん! ご、ごめんなさいっ!」
「落ち着いて。ほら、息ができるでしょ」
膜が張ってる。触ってるし、膜の上に俺と美月の身体が乗ってるのにびくともしない。そんなやけに頑丈でやけに巨大な泡の中に、俺と美月はいた。
「な、何これ……?」
「彼女が私のこと、‘月の魔女’と言っていたでしょ。これがその力よ。ほら、お茶でも飲んで気を落ちつけて」
そう言って、ポットから温かい緑茶を湯呑に注いで渡してきた。――というか……どっから出したんだよ……、それ……。
「最中とかもあるけど食べる?」
「い、いえ、大丈夫ですっ」
「そう」
「月の魔女とは、重力や空間を歪める力を持つ魔女のことよ。結界を張って相手を包み込むことを得意とするの。彼女が見せている海もその一種だけど、格が違うわ。もちろん、私の方がずっと上よ」
訳の分からない魔法に振り回されて、どれがどれより上だとか言われても、まったくもってピンと来ない。混乱する俺を前に、美月は泡の中で正座しながら、すまし顔で煎茶をすすっている。
「私は彼女を油断させてたのよ。だから、彼女の魔法の中に取り込まれて私たちが何もできないでいるように見せかけながら、彼女ごと覆うような巨大な結界を創生した。ずずず……」
「……というか、なんでそんなくつろいでるの……」
「魔力の消耗は激しいけれど、時の流れる速さだっていじれるわ。敵はよく観察した方がいい。ほら見て」
美月が指さすのは、赤毛の女がつくった偽物の海の外だった。そこはさっきまで俺がいた教室だった。教室の中に偽物の海がある。見れば見るだけ理解に苦しむ光景だ。
その中には、赤毛の女以外にも、ふたりの女子生徒がいた。
ひとりは金髪のポニーテールにチャイナ服で、棒付きキャンディーを舐めている。
もうひとりは、ベレー帽をかぶった眼鏡をかけた女。席に座って本の紙面を食い入るように見つめて、ぶつぶつと何かを呟いている。
「あの金髪は、雷の魔法使いみたい。もうひとりのベレー帽は、やおいとか百合とかCPとかぶつぶつ言いながら鼻血垂らしているけど……。――あれってどんな魔法?」
「俺に聞くなぁ! というか、それ魔法じゃないからっ!」
「そう、中には血や涙を媒体として使う魔法ってのもあるから。関連するのかなと思って興味が沸いたんだけど」
「いや……、是非とも興味は持たないでください。イメージとか崩れるんで……」
「唯も、お茶飲んだら?」
美月はそう言うが、なぜそんなに落ち着いている?
いや、そもそもこんな話をしている場合じゃない。俺は、赤毛の女に襲われて、美月に庇われているんだ。――美月の異様な落ち着きは、それだけここが安全だということか。
待て、何故、美月はその安全な場所に、今朝席が隣だっただけの俺を招き入れたんだ?
そして、何故、俺は狙われたんだ? 状況を理解する必要がある……。
「……、美月さん。俺はどうして狙われたんだ?」
「分らないわ。分かることは彼女たちはレプリカ。魔力によって作られた言わば、人造人間のようなものよ。ホムンクルスの成り損ねね。種族はナイトウォーカー。夜に生きる者よ。日光を浴びると死ぬわ」
夜に生きる者。そう言えば、あの赤毛の女はこう言っていた。
『……、ご挨拶失礼するわ。あたしは、渦中安奈。夜に生きる者からの解放のための供物として、木枯唯……。あなたを頂戴いたします……』
それって、俺が彼女が日光を浴びれる身体になるために必要ということなのか。――でもどうして俺なんだ? 俺は何もない、ただの冴えない男子高生のはずだ。美月さんにも庇われる筋合いなんてないはず。
「み、美月さん」
「なあに? お茶、冷めちゃうわよ」
「あの、なんで俺を助けてくれたりしたんだ」
美月さんが俺をじっと、澄んだ瞳で見つめている。
視界の中で彼女の前髪の銀色が少しだけ広がったように見えた。黒髪の部分が、銀色に染まっていくのを見た気がした。艶やかな髪が揺れて、彼女の綺麗な瞳が俺を見つめている。――なんだ? この異様な光景は。
俺が女の子に見つめられるなんて。鼓動が疼く。自分を落ちつけるために、彼女が勧めた通り湯呑の煎茶をすすった。
「あなたのことが好きだからよ」
「ぶふぅっ!」
「大丈夫? 派手に噴き出したみたいだけど、むせた?」
「えっほえほっ! そ、そりゃむせるよ! い、今なんて、今なんて言った?」
どうにも信じられなくて問いただした。すると、相も変わらず無表情な顔と声色で繰り返した。
「だから、あなたのこと好きだからって言ってるじゃない。なんならこう言ってあげるわよ。――愛してる」
「そんな仏頂面で言う言葉じゃねえわっ!」
「愛してる人を守るのは当然の行動でしょ」
「な、なんでそんなこと簡単に言うんだよっ」
……。そ、そう言えばさっき……。この泡の中で目覚めたときに、美月さんは泣いているように見えた。どういうことだ……。
「さて、敵の数は把握したわ。片づけましょ」
そう言うと美月は、あの三日月刀で泡を引き裂いた。中に偽物の海の水がごうごうと流れ込む。
美月の結界が、赤毛の女の結界とつながり、俺の視界は再び海の中へと引き戻された。
――かと思うと、何故か飛ばして教室の中に俺はいた。
目の前に左の頬に青いあざを作った赤毛の女が意識を失って伸びている。
「アイヤー! 杏奈っ! 杏奈ちゃん! しっかり!」
チャイナ服姿の金髪の女が、赤毛の女の肩を揺すっている。
……、瞬殺かよ……。
<another side>
教室での攻防の一部始終を、ひとりの女子生徒が教室の扉の影から見つめていた。背丈は小柄で150cmほど。眼鏡をかけていて髪はショート。てっぺんにアホ毛がある。
アホ毛の少女は、スマートフォンで誰かと連絡を取っていた。
「どうじゃ、街田涙。加賀見の差し金は?」
電話の向こうの声は色のあるねっとりとした声だ。年寄りめいた口調も特徴的だ。
「はい、話にならないザコのようです。」
「それはよかった……。加賀見のやつに先を越されると癪じゃからのう」
「恐らく動機は、あたしと同じかと。――同じ夜に生きる者として同情はできます。――問題は、件の少年を守る得体の知れない女がこれがやけに強そうで」
「怖気づいておるのか。父親を救いたいんじゃろう?」
街田という少女は、声を曇らせて話を続ける。――電話の向こう側に心配をするような表情でだ。
「あの……。お父さんは……、生きていますか?」
電話の向こう側は、病院の一室だった。――その一室でひとりの女が、床に就いている男を見下ろしている。男は、無数のチューブにつながれ、まさに植物状態のだ。――その彼が、街田の父親らしい。いかにも、かろうじて生かされているという形容が似合う、風前の灯火のような状態だ。
儚げな息で、呼吸器が曇ったり、曇りが取れたりしている。そして、彼の目からは、川のように無尽蔵に涙が流れ、枕を濡らして染みを作っていた。
「心配せずとも元気じゃ。それはお前が一番分かっておるじゃろう?」
うっすらと笑う女。その声色に、街田の父親を心配する感情は読み取れない。
「え、……ええ……」
「分かっておるじゃろうな。加賀見に先を越されるな。木枯唯を手に入れるのじゃ」
そこで電話を切る。女は見舞いというよりも、まるで人質を監視するかのような冷たい態度。半ば呆れがちに、床に伏す男に視線を投げかける。
「……、泣き虫な男じゃ」
<おまけSSその3>
李雷雷
「杏奈ちゃんだけで何とかなりそうね、ふぁ~あ、ひまだわ~。っていうか、あんた何読んでるの?」
三井名林檎
「この本は駄目、腐ってるから!双子の兄弟が出てくるんだけど新体操部のヒロインと兄弟の弟が恋仲で、でも弟は途中で病気で死んじゃって、兄が代わりにヒロインを甲子園に連れて行くって」
李雷雷
「……、大丈夫だ。腐ってるのはお前だ。あと、あ〇ち充にあやまれ」
<おまけSSその4>
桂木美月
「どうせ結界の中は安全だし、もっとゆっくりしてもいいのよ」
木枯唯
「は、はあ……」
桂木美月
「ほら、最中に羊かん、八つ橋に干し芋とかもあるわよ」
木枯唯
「なんで、菓子のチョイスがそんなに渋いんだよ」
桂木美月
「洋菓子がいいなら、ココナッツサブレがあるわ」
木枯唯
「お母さんのチョイスかよっ!」