歪み④
<another side>
例の鳥取砂丘に現れた雑居ビルは、学校でも話題になった。――なにせ、日ごろから学生のたまり場として利用されていたカラオケボックスやネットカフェが入っている雑居ビルだ。日秀の他にも、一目で馴染みのあるビルだということが分かるものは大勢いた。
昼休みになると、日秀は図書室に急いだ。
図書室には、その日の朝刊が取り揃えてある。――お目当てはもちろん、鳥取砂丘に現れたビルに関する記事だ。新聞は受付に許可を取れば、コピーを取ることが出来る。
コピー使用簿に名前を書くように言われたので、日秀は自分の名前を書き記す。書き終えて鉛筆を転がしたところで、昼休みの図書室にもうひとり、来客が現れる。
放課後ならまだしも、昼休みに図書室に出入りする人は少し珍しい。それも見覚えのある生徒だった。目をこすり、眼鏡をかけ直す。短いボブヘアーにカチューシャ。
「あ、風香ちゃん」
「あ、ここ……こんにちは」
風香が図書室に来るのは少し珍しい。――日秀はそう思っていた。
彼はかなりの読書家で図書室に入り浸り、定期的に本を借りているのだが、図書室で風香と会ったことはなかった。
「なんだ、お前も本を読むようになったのかー?」
「……ちょ、ちょっと調べ物でね」
なぜだか、風香はそわそわしていて落ち着きがない様子だった。
「……どうしたんだろ?」
気にはなったが、日秀は昼休みを唯や他の友達と一緒に、例の鳥取砂丘に突如として姿を現したビルに関する調査をしながら昼食をとるつもりだったので、さっさと記事のコピーを済ませ、教室に戻ることにした。
だが教室に戻るや否や、日秀は面食らうことになる。
「えっ? 唯が美月と?」
なんと唯は、日秀が図書室に行っている間に、同クラスに昨日転校してきたばかりの桂木美月とお昼を食べに行ったというのだ。
しかも、美月は顔立ちも良く、背もすらりと高い美少女ときたものだ。嫌が応にでも少しジェラシーというものを感じてしまう。
「いやあ、あいつにも春が来たんだなあ」
「――そっか、ちょっと抜け駆けされた気分だな」
<main side>
美月の半ば強引な提案で、昼食は校舎の屋上で取ることになった。――それもふたりきりで。人気のない屋上へと続く階段を登っていく間に嫌に緊張が高まる。
「み、美月さん。俺……今日は弁当持ってきてないんだけど」
「いらないって言ってるじゃない。私がふたり分用意してるんだから」
美月が右手にぶら下げる弁当箱の大きさは、ひとりどころか、ふたりで食べてもあまりが出そうなほどだった。通学路でそれを目にしてから思っていたが、運動会でもあるのかという量だ。
「あ、そ、そう……」
張り切っているのか。それとも浮足立っているのか。
相も変わらず仏頂面の彼女からは何も読み取れない。何せ昨日知り合ったばかりで、俺なんかのために弁当を作って来る。まるで向こうにとっては、こちらを知っていることが当たり前かのようだ。――とはいっても、この昼休み時に男女が屋上にふたりきりで行くとなれば噂とされることとなる。
「何をきょろきょろしてるの?」
「い、いや、……その……。誰か来たらまずいかなと」
「どうして? 私たちふたりは恋人同士なのよ」
だから、そういうことを無表情で言ってのけるから、こちらとしては困るのである。苦笑いになりながら、空返事。――端正な顔立ちと切れ長の鋭い瞳は、威圧感があるようにも思えてしまうのだ。
「それに万一見られることがあっても、記憶を消してしまえば問題ないわ」
「いや、流石にそんなくだらないことに魔法を使う気にもなれない」
そもそも、そんなに好き勝手に魔法を使ってもいいのか。つい先日まで魔法など非日常の物と決めつけていた自分からすれば、甚だ疑問だ。
「それは逆よ。私たちが魔法を使うから、唯は魔法のない世界を生きて来た。それは、唯が記憶を消す魔法をかけられていることを自覚できなかったのと同じだわ」
確かに言われてみればそうだ。記憶を消されてしまうということは、その魔法を使われた痕跡が自覚としては残らないということ。だから、俺も生前の母親のことが記憶になくても何も不思議に感じなかった。そして父親が自分を手にかけようとしていた未だに現実感の湧かないあの過去のことも。
あれ? でも、待てよ。少しおかしくないか? なんでそんなことを彼女は知っているんだ?
それを尋ねると、何故だか美月は動揺の色を見せた。
屋上へ出る扉の数歩前、気まずい沈黙が訪れる。やがてしばらくして美月は、口を開いた。少しくぐもった声だった。
「あなたの腕に、魔法痕が見えたわ」
言われて両の腕を見やったが、あの雑居ビル跡の大穴の底にあったような模様は見当たらない。魔法痕には何にもしなくても見えるものと、封印されていて見えないものもあるそうだ。
だがそんな返答では、はぐらかされたようにも感じる。俺はもっと確証が欲しかった。――彼女が何かを知っているなら、何でもいい。とにかく、こんな最悪が事実である理由が欲しいんだ。
「何か知っているのかっ、何でもいいっ、教えてくれっ」
落ち着いていられなかった。昨夜見た、あの光景が頭の中で蘇る。――存在を知らなかった地下室、フローリングの床に横たわっていた小学生の頃の自分。血の滴るナイフの刃先を俺に差し向ける父親。ごめんごめんと頻りに謝りながら刃を近づけていく。そして、呪文のように唱えていた「これが世界のためなんだ」という言葉。
知りたくないと尻込みする気持ち。知らなければいけないという気持ち。――心が両側から引き裂かれそうになる。
こんな苦しい想いをしなくて済むのなら、すべて忘れてもいい。全て知ってしまってもいい。美月の肩を掴んで希うように声を出したが、俺の嘆願は彼女を逆に遠ざけてしまったようだ。
「……ごめんなさい」
自分は何も知らない。期待されても何も教えられない。俺は止む無く詮索を中断した。彼女をいたずらに攻めても、何かが変わるわけではない。
「ごめん、こっちも攻めてるみたいで」
「いいの。さ、お昼食べましょ」
緑色にうっすらと光る非常口の標識の下、重たい鉄の扉は外に向かって開かれた。びゅうびゅうと風が吹いていて肌寒い屋上。しかし、影になっていない日向では寒さはさほど気にならない。
建物の影から外れたところで、ふたりして柵にもたれかかる。
屋上には幸い誰もいないようだった。そっと胸を撫で下ろす。
どうして彼女といるのが気まずく感じられるのか。それは俺が彼女のことを何も知らないからだろう。
「あら、私……、こんなにお弁当作ってきたかしら?」
そして彼女は、自分が作ってきた弁当の量に狼狽していた。――巾着袋の紐を解く前から分かっていたことだ。
中に入っていた弁当はふたり分どころか三人分だった。きっちりと三つの弁当箱に分けられて入れてある。
「おかしいわね。わたしが作ったのは、ふたつなはずなんだけど」
三つの弁当箱のうち、ひとつは彼女は作った覚えがないという。確かに見た目も伝統工芸のわっぱを真似たような二段重ねの弁当箱が赤と青のふたつと、一段の角型の弁当箱がひとつと綺麗に分かれている。
だが、彼女が知らないと言ったのは、青色の二段重ねの弁当箱の方だった。
「唯は男の子だから、いっぱい食べなきゃダメでしょ? だからお父さんの弁当箱を拝借させてもらったの」
「それって、お父さんのお弁当は……」
「社員食堂があるから大丈夫よ」
「は、はあ……」
その角型の弁当箱は、いかにも食べ盛りの学生用のボリューム。俺としては、それだけで十分だったのだが、もうひとつ弁当箱が余っている。もったいないから食べてしまってと彼女は言うが、正直苦しい。
でもせっかく用意してくれたのならと俺は二段重ねの方の弁当箱を開けてみた。
まず目に入ったのが、焦げていて全然形になっていないだし巻き卵。無骨な形に切られた野菜が入った炒め物。肉は火が通り過ぎて干からびてしまっている。ポテトサラダは芋がごつごつしていて、色も何故か灰色がかっている。――どれをとってもとても美味しそうだとは言いづらい。
いつも俺の弁当は、妹の風香が作ってくれている。兄の俺が言うのもおかしいが腕は中々のもの。見栄えも味も良く、野菜やソーセージはしっかりと飾り切りが施されている。――だが、美月が作ったものは正直言って、たぶん俺が作る料理よりひどいではないかと思ってしまう。
「誰よ、こんなひどいお弁当作ったのは」
美月の言葉に俺は耳を疑った。――誰も何も、このお弁当を作ったのは美月のはず。
しかし、当の本人はそのお弁当を作ったときの記憶がないからと他人ごとにしている。
「私がそんなに、料理が下手なわけないでしょっ」
そう言って、もうひとつの角型の弁当箱の蓋を開けた。青色の二段重ねの弁当箱の中身、角型の弁当箱の中身。――ふたつはまるで全く違う人が作ったかのように違っていた。
形が整った綺麗なだし巻き卵。しっかりと飾り切りの成された人参が入った煮物。冷めているにもかかわらずふっくらとした食感を思わせる見た目の手ごねハンバーグ。こちらはどれをとっても理想的なものだった。
そしてだからこそ不思議に思う。どうして、そのふたつの弁当箱の中身はこうも違っているのか。彼女が開けた赤いお弁当箱の中身は、出来栄えも内容も角型の弁当箱と同じだった。――明らかに料理に不慣れな者が作った青色のお弁当箱。それだけがいびつな気配を漂わせていた。
「きっと寝ぼけて失敗したのね。記憶がないなんてよっぽど寝ぼけていたんだわ」
そうは言うものの、寝ぼけていたと片付けるにはどうも不自然な気がする。これではまるで彼女さえも、自身のことをよく知らないみたいだ。
彼女の中に、もうひとり違う誰かがいるような、そんな感覚だ。
「今朝の鳥取砂丘に現れたビルだけど……」
こっちは、彼女の中の違和感に頭が捕らわれているというのに、当の本人はさらりと話題を変える。――まるで彼女がその違和感を詮索されるのを嫌がってるみたいだ。
かと言って蒸し返す気にもなれない。それにあの今朝のビルの一件は、俺としても気にはなっていたことだ。
「おそらく、駅前の雑居ビルが移ったものね。強力な空間転送魔法でビルごと移動したのだわ」
「でもビルが消えたことは、みんな気付いてなかったのに、ビルが全然違う場所に現れていたことには気が付いていた」
俺にはそれが不思議だった。
何の目的かは知らないが、魔法をかけた主はビルがそこにないという事実を隠そうとしていた。
なのにどうして、ビルが別の場所にあるということを隠さなかったのか。
「それが歪みの本質ね」
「歪み?」
「スライドパズルってやったことがあるかしら?」
スライドパズル。――俺が苦手な部類だ。‘箱入り娘’というとピンと来る人もいるかもしれない。娘と書いたブロックを枠の外に出すのが目的。しかし、そのためには他のブロックを移動させる必要があり、出口はひとつしかない。ブロックを動かすたびに状況が一変するため、常に複数手先をイメージしながら、手を動かさなければならない。――その思考原理は、ルービックキューブにも似ている。
「あるところで矛盾が生じて、それを隠そうとしてもどこかで必ずボロが出る。歪みは伝播するものなのよ。誰もがそれに気づかないなんて決してあり得ない。……そう、決して……」
最後に繰り返したところはまるで、彼女が自身に言い聞かせているようだった。俺は彼女が言う歪みとやらにはピンと来ない。――いったい何のことを言っているのかサッパリだ。
だがそれが伝播するというのは、嘘をついてそれを隠すためにさらに嘘をつくというのと似ている気がした。
話を合わせるためにそれを彼女に伝えると、彼女の唇が声を漏らさないまま震え始めた。――何かに怯えている。
そう思ったのも束の間、彼女が何に怯えているのかとか、そんなことを全て塗り替えてしまうようなものが現れた。――背後に感じる禍々しい気配。
湿った足音がコンクリートの屋上に降り立った。
べちゃりべちゃり。
それは近づいて来る。肌寒い風の中に、さらに冷たい‘何か’がうごめいている。
俺はゆっくりとその冷たさが流れ出てくる風上の方向を見やった。――そこにいたのは人間であって、人間でないような奇怪な姿をしていた。
身体の形はまるっきり少年のようだった。しかし、頭部、顔の目や耳、鼻といったパーツがことごとく間違っている。
福笑いよりもさらに奇怪に。目や鼻、耳、口が線や形を失って歪んで渦を巻いていた。
見ているだけで寒気がしてしまいそうなほどグロテスクなその姿は、まさに人間を作ろうとしてできなかった、出来損ないのようだった。
「……、な、なんだこれ……?」
その出来損ないの人間は、判別のつかない口から、獣のような雄たけびを上げた。
<おまけSSその31>
たとえば白雪姫
雷雷「ほれ、白雪姫や、この真っ赤でおいしそうなリンゴをお食べ」
三井名「まあ、ありがとうございます。おばあさま」
三井名「あむっ、……うぐっ」
三井名「……うっ、うぇえぇえ、えっほえっほうぇっほ!か、からぁあああっ!」
リンゴが恐ろしく辛い。
杏奈「僕は王子だ、白雪姫はどこに行った?」
三井名「ちょっとお腹の調子が悪くて……」
白雪姫は起きてるが、トイレから出てこれない。
三井名「ごめんなさい。ずっとここから出れなくて」
杏奈「そうか……」
杏奈「それより少し腹が減ったな。あ、リンゴがあるではないか。どれひと口。ああむ……」
杏奈「はむぐっ!!」
王子が巻き添えを喰らう。
<おまけSSその32>
たとえば桃太郎
雷雷「俺の家来になってくれたら、このきび団子をやろう」
三井名「おともいたしますワン!」
杏奈「あたしもおともします、ウキー!」
雷雷「よし、では食べるが良い」
きび団子の色が何故か赤い。
三井名「……」
杏奈「……」
雷雷「どうした、世にも珍しい辛いきび団子だぞ。辛いものは好きだろ?」
世の中皆が辛党だと思っている桃太郎。
雷雷「これ、どうした?なぜ、そんなに距離を置く!?」
それとなく遠ざけられる桃太郎。
雷雷「ようし、分かった!もっと辛い味付けが好きなんだな!」
三井名「違う人にしようワン」
杏奈「そうだね、ウキー」
そして誰もついてこない。




