涙の魔女②
<another side>
柊木中央駅近く雑居ビルの地下に位置するネットカフェ。女子高生であるという身分を幻覚魔法で詐称し、渦中安奈は三井名林檎、李雷雷とともにひとりの幼い女の子を中に匿っていた。
何処から来たのかもわからない。名前だって、三人が‘明日華’という名前を与えなければ、なかったものなのだ。――身元不明。この現実という世界に、明日華は唐突な存在として現れたかのよう。
謎の少女、明日華は、今や夜道をひとりで歩いていたときの怯えた様子はなく、目を閉じて深い寝息を立てている。
「三井名、明日華の様子はどうだ?」
「――大丈夫。ゆっくり寝ているみたい」
日本人離れした白い肌と黄金色に輝く美しい髪。
彼女が寝ていることをいいことに、三井名は、それに触れて、さらりと手櫛を通した。――しっとりとしていて、柔らかい。絹のような感触。
「どんな夢を見ているのかな」
さらさらとした髪をかき分けて、彼女の額に自分の額を押し当てる。こうすると、彼女の見ている夢の中に入り込める。三井名の得意な読心術の一種だ。
身体を密着させなければいけないため実戦には不向きだが、その分深く入り込める。
『ねえ、教えて。私は何のために生まれて来たの?』
明日華の声が頭の中に響いている。――誰しもが持つような疑問だ。
やがてその答えを何らかの形で見つけて、それに命を捧げていく。
『知りたいかい? じゃあ、教えてあげよう』
もうひとり、男の声がする。――優しいけれども、氷のように冷たい。
そう思えてしまうのは明日華自身が、まだ優しいということを理解しきれていないからだろうか。
『誰かを愛するため、子供を産み、命を育むため。――でもそんなありふれた目的なんて沢山だ……』
そこで男の声のトーンが一変する。先程の表面上の優しい部分が剥がれて、その下の冷たさが剥き出しになったようだ。三井名は思わず生唾をごくりと飲み込む。声の主の歪んだ趣向が露わにされ出した。
『例えば、この世にふたつとない美しい身体に、この世に二つとない醜い顔を付ければどうなるだろうか。――まさに神様の悪戯。美しい皮肉が出来上がるだろう。神様というのは、皮肉が好きでないといけないからなあ。じゃあ、生きる目的にはどんな皮肉が相応しい?」
ぼんやりと声の主の口元が三井名の頭の中に飛び込んでくる。引きつった笑みでにんまりと吊り上げる口角。その輪郭が真っ黒に塗りつぶされた状態で浮かび上がってくる。
『そうだ、死ぬために生きるなんてのはどうだい? どれだけ生きようとしても、死ぬためにしか生きれない。お前は、危険因子だ。自由に生きたくても、お前は世界のために殺される。――世の中から切り捨てられた、いらないゴミだ。これほどの皮肉があるだろうか』
『傑作だ。――決めたぞっ。お前は、死ぬために生まれて来たんだっ!』
自分が生きることを否定されている夢だった。――どうして、彼女はこんな夢を見るのか。
少しだけわかる気がする。レプリカだって、生きることを許されていない種族だ。自分が太陽の光から逃げ惑いながら生きているように、彼女も逃げ惑い、怯えながら生きている。
額を離し、彼女の夢の中から現実に帰る。――彼女はやはりうなされていた。肩を上下させて喘いでいる。苦しんでいる。
でも、もう大丈夫だ。自分たちがせっかく匿っているのだから、そう言ってあげたい。――三井名は彼女の小さな肩にそっと手を添えた。
「うおおっ! このグラドル乳でっかっ!」
「グラドルだから当たり前でしょっ」
「っていうかなんで雷雷、不機嫌なのよ。あんたが見ようって言ったのよ、このエロDVD」
「――はぁ? エロDVD? こんなのただの着エロじゃない! 期待して損したわっ!」
パソコンのモニターでいかがわしいビデオを見ている杏奈と雷雷。――雷雷が借りて来たらしい。子供が寝ているのをいいことに、好き勝手にして。
三井名は拳を握りしめる。
「なに、あんたたちは汚らわしいもの見てるのよっ!」
「BLなんて読んでるあんたに言われたかないわよっ!」
「今それを引き合いに出さなくていいでしょ! それにBLは尊いものよ!低俗なエロなんぞと一緒にしないで!」
「――なんとも不毛な争いだな……」
雷雷が棒付きキャンディの柄を上下させながらぼそりと呟く。――もともと、そのいかがわしいDVDを借りて来たのは雷雷なわけだが。
それを責めると「あーもう、わかったよ」とふて腐れた返事。DVDの内容も雷雷の気に召すものではなかったらしく、ぶつぶつと文句を言いながら個室を出ようとする。
しかし、ドアを開けたところに見知らぬ少女が立っていて、通せんぼされてしまった。
「ちょっと……、どいてよ」
ぎろりと眼鏡のレンズ越しの視線が突き刺さる。
背丈は雷雷に比べれば随分小柄だ。グラマラスな体型をした雷雷とは対照的に、病的なほど細い体型の少女。――だが、その目つきの鋭さは異常だった。殺意と呼べるほど、あからさままでの敵意を感じる。
そしてその鋭い瞳は、部屋の奥で寝息を立てる明日華の姿を捉えた。
「その女の子をこっちに渡しなさい」
「小さい子はあまり好きじゃないから、渡してもいいんだけどね。渡せと言って、渡すようなタマじゃないわよ」
睨みあうふたりを杏奈が止めに入る。
この一般人がひしめくネットカフェでやり合おうというのかと。
ただならぬ気配に明日華も目を開けた。三井名は、彼女に危害が加えられないように、彼女の肩を抑えている。
「お姉ちゃ……ん……、この人は……?」
「分らないけど、あなたのことを狙っている」
大丈夫。心配しないで。そう言葉をかけると彼女は拳を握りしめ、静かにうなずいた。
「あんたら三人、加賀見の差し金だろ?」
眼鏡をかけた短髪の少女はある男の名前を出してきた。加賀見宇津志。杏奈、雷雷、三井名の三人は、その男からの差し金で木枯唯という少年を狙っていると。
ところが少女のその読みは、どうやら外れていたようだ。
「加賀見? え? 誰それ?」
杏奈だけでなく、三人の誰もがその人物を知らなかったのだ。拍子ぬけたような顔をする少女。しかし、すぐにもとの鷹のようなぎらついた瞳に戻る。
御託はいいから、明日華を渡せと。しかし、口論で応じるはずもない。少女はならば強行手段だと。右手を前に差し伸べ、ぐっと力を込めて握りしめる。
「うっ」
「三井名っ!」
三井名が首のあたりに手をあてがって悶え苦しむ。ついに少女は、人質を取ったのだ。雷雷はこの卑怯な手段に腹が立ち、舌打ちを漏らす。
「おい、お前……、あたしと勝負しろ」
杏奈が血迷ったのかのと雷雷を止めようとするも、ぐっと睨み返されてしまう。サシで勝負して決着をつける代わりに、三井名の拘束を解いてくれという交渉だ。道理は通るかもしれないが、今自分たちがいる場所は雑居ビルの中のネットカフェだ。杏奈がそう言うと、このもどかしいやり取りに眼鏡の少女がしびれを切らした。
「そこの赤毛、結界魔法を使えっ」
「えっ」
杏奈はしぶしぶ自身の魔力を解放し、雷雷と少女を結界の中に閉じ込めた。杏奈の結界魔法は海を魔力のイメージとしたもの。狭い個室だったところは一変して大海原へと姿を変えた。海の中とはいえ、幻覚魔法に魔力を裂いていないため、呼吸ができないということはない。
「これでいい? 早く決着つけてよね! あたし、クラゲとか魚とかヌルヌルしたやつ嫌いなんだからっ!」
「――あんた、能力とことごとく相性が合ってないな……」
杏奈の頓珍漢ぶりに気を削がれる雷雷だったが、おちおちしてはいられない。相手の少女はこちらを待ち構えている。深呼吸をし、右手を開く。雲と地の間を瞬く間に駆ける雷を想像する。電線の中を刹那に駆け巡る電気。
雷雷の魔力のイメージはちぎれたところから、バチバチと火花を立てる高圧電線だ。
鞭で叩くように地面を打ち鳴らし、舌なめずりをする。
「さあ、来なさい。あたしに勝ったら明日華を渡してもいいわ」
好戦的にふるまったが、その表情は一瞬にして崩れることになる。なぜなら、雷雷と睨みあう少女は泣いていたからだ。瞳が潤む程度ではない。だらだらと頬に滝が流れるほどに大泣きしていた。
「な、何泣いてるのよ……」
「……涙が、あたしの魔力の依代よ」
<おまけSSその19>
杏奈「えー、遅まきではございますが、明けましておめでとうございます!」
雷雷「いくらなんでも遅すぎない?もうとっくの昔よ」
三井名「まあ、仕方ないでしょ。一応これでも転載元では、一月最初の記事だったんだから」
杏奈「でも正月休みってあっという間だったな……」
雷雷「というか、正月休みもなにも、あたし達には帰る実家なんてないけどね」
三井名「そうそう。レプリカは基本的に家族には恵まれていないのよね」
杏奈「そもそもあたし達って、自分が誰に創られたのかさえ分からない、人間でいえば孤児同士だしねえ」
雷雷「……あの、いい加減この会話暗いからやめない?」
<おまけSSその20>
杏奈「にしても正月休みって何してたっけ? ずっとコタツで漫画読んでた気がする……」
三井名「なによ、それ以上の正月休みがあるっていうの!?」
杏奈「いや、それはそうなんだけどね……。もっと正月休みっぽいことしたかったなあって……」
雷雷「そう思って、お雑煮作ってみた」
杏奈「……。ひとつ聞いていいかな?」
雷雷「なに?」
杏奈「お雑煮って赤かったっけ?」
雷雷「あたしなりのアレンジ」
安奈、三井名「余計なことするなっ!!」




