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「ねえ淳太、昨日こんな事があったのよ」
落ち葉舞い散る公園。ここで俺、特徴が無いただの男、植田淳太と俺の彼女、非常に麗しい女の子、明之座蔵音乃の二人。高校生の二人はブランコの上、何て事ない事を話していた。
「私ね、実は小学生の妹がいるの」
音乃が恥ずかしそうに口に手を当てた。
「そんな事は知ってるし前の言葉と繋がってないだろ!」
俺はツッコんだ。当然だ。恋人の家族構成くらい知っている。そして国語の成績は常に2だ。馬鹿にするな。
音乃は一転して真顔で話を続けた。
「そう……ところで私ね、父親がいないのよ」
「そんな事知って……」
ハッとした。このままツッコんだら男として、人として終わる気がした。
「その……何かすいません」
「良いのよ、でね、本題に入るのだけれど。昨日テレビを見ていたら妹がこんな事を聞いてきたのよ」
以下回想ーーと言うか、聞いた話を俺がまとめた話だ。
明之座蔵家は、ドラマを見ていた。少し大人な、ノスタルジックなドラマだ。勿論、ノスタルジックの意味は知らない。
『全く、最近の若いもんは……』
テレビからは、自分が年老いた事を認めると同時に、若い人に対する嫉妬からなる悲しい言葉が聞こえた。
『わしらの頃はもっと……』
定番の一言を終えたところで、突然画面が切り替わり、学校。猥談大好き中学生の巣窟、中学校。この学校でも、例に違わずエロい話が飛び交う。
『なあなあ、腹減ったなー』
『俺もー、給食早よしろよー』
『ところでさ、S○Xっさ、どう思う?』
『良いよな、憧れるよ。S○X』
『やりてえな〜。S○X』
こいつら言いたいだけだろ。止めとけ、お茶の間が凍るだろ。てかなんで飯の話からそんな話になるんだよ。
『S○X!S○X!S○X!S○X!S○X!』
おい誰だ!止めろ!流石に酷いぞ!
「チャ……チャンネル変えよっか……」
母親がリモコンに手を伸ばして言った。当然の行為だろう。きっとこの番組の視聴率はここでガタ落ちしただろ。この失敗をバネに、次は頑張ってほしい。
だがここで、妹の、無邪気さ故の、そして最も恐れていた言葉が飛び出す。
「お姉ちゃん。S○Xって何?」
ーー回想終了 一部伏字
「って言う事があったのよ」
「それでその後どうしたんだよ!教えてくれよ!」
俺は立ち上がり言った。
教えてくれ!その後の……この話の結末 を!
「煩いわね。静かにしなさい。そうね、その後は……しっかりとレクチャーしてあげたわ」
「な……嘘だろ……」
俺はゆっくりと倒れていった。前に。
「重いわよ淳太。普通は後ろに倒れるものじゃないの?」
柔らかい。俺も心は中学生なんだ。許してくれ。
「邪魔」
音乃に押されてゆっくりと後ろに倒れていく。この先に待っているのは痛み。そして後悔。でも……柔らかかったな……。音乃の身体。
嫌な音がした。
「ぐわっ!」
頭と腹に激痛が走る。地面は無情にも固すぎた。
音乃は手を差し出してあたかも自分が助けに駆けつけた人の様に言った。
「大丈夫?どうしたの?急に倒れて」
「お前が倒したんだろ!」
ぐああああああ!叫ぶと痛みがああ!
「そんなに怒らないでよ、私はか弱い女の子なのよ。失礼だわ。ぷんぷん」
音乃は頬を膨らませ、横を見た。チラチラこちらを見てくるところがまた可愛い。
「頬を膨らませて横を見てチラチラこっちを見るんじゃ無い!俺の大好きなものはお前のその顔だけど、それ見せれば許せるもんじゃーー」
「良いじゃ無い、大好きなら。それにしてもこれじゃあ不公平だわ」
確かに不公平だ。このままでは俺だけがやられたまま。とは言え女の子に、それも俺の彼女に暴力はあり得ないし……言葉?勝てるのか?俺が、この女に……
「確かに不公平だな」
「あら、そう思うなら何か私の喜ぶ事をしてはどうかしら」
俺かよ……やっぱり不公平だ。
「……分かったよ」
音乃は突然唇が触れそうな程顔を寄せて言った。
「勿論キスは駄目よ。私はあなた如きに初めてをあげる気には、今はまだならないもの」
「色々言いたい事はあるが……近い。キスしちゃうぞ」
音乃は鼻で笑った。息が当たってるから。ドキドキしちゃうから。出来れば早く離れてくれ。
「大丈夫よ、あなたにそんな事出来ないもの。それに何かしら、無理やり私の唇を奪って、それであなたは満足なのかしら。もしそれで良いのなら、ほら、どうぞ」
音乃は目を瞑った。止めろよ、そういう事言うの。確かにそんな勇気は無いが、そんな事言われたらーー
「ぐっ……は、離れてくれ。これじゃあ何もして無くても当たっちまうぞ」
音乃はゆっくりと目を開いた。そしてようやく、俺は解放された。
「勿論、信じてたわ。あなたはそんな男じゃ無いと」
どうだかな。まあキスしてたら振られるのは目に見えてるからな。
「所により淳太」
「俺を天気みたいに呼ぶんじゃねえ!」
「あら、私、これでも天気予報士の資格を持っているのよ。何よ、信じてなさそうな目ね。それなら明日の天気を教えてあげるわ」
音乃は空を見て、俺を見て、最後に携帯を見て言った。
「明日の天気は、この予報によると雨みたいよ」
「素直だな!」
ツッコミがし辛いだろ!
てっきり普通に言うと思って「予報見てんじゃねえ!」って言おうとしたのに素直に言うもんだから何か褒めてるみたいになっちゃったじゃ無いか。
「ありがとう。でもそんなに大きな声で褒められると照れちゃうわ。てれてれ」
この言葉を真顔で言うのだから凄い。
「褒めてない!決して!あと一々擬音を口で言おうとするな!」
「あら、でも淳太も一々とか言ってるじゃない」
「一々は擬音じゃねえ!どうやって使うんだよ!」
音乃は突然俺の服の裾を持って引いたり戻したりした。……何やってんだこいつ。まさかとは思うが……止めろよ。
「いちいち」
その瞬間、公園は静寂に包まれた。だが俺の中では確かに、何かが爆発する音がした。そんな中俺は、足を震わせていた。
「な、何だよ……今の」
三十分の静寂の後、ようやく俺が口を開いた。
久しぶりの言葉に臆する事無く音乃は予想通りの言葉を放った。
「勿論、擬音よ」
「擬音じゃねえ!いちいちなんて擬音、俺は聞いた事がねえ!」
俺は当然の事を言った。だが音乃はそれが納得出来ないようで、予想外で俺の言葉を弾き飛ばす言葉を言った。
「じゃあ淳太、逆に聞くけどあなたは今の私の行動に適する擬音は何だと思うの?」
「えーと、んー、えっと……」
あれ?何だ?裾を引く時の擬音。音乃は腕を組んで笑っていた。
ぐっ……マズイ。この流れはマズイ。このままだと流されてしまう。音乃のわけの分からない持論にーー
「分からないでしょう?だからね、私が作ってあげたのよ。裾を引く時の擬音。これからはあなたも使いなさい。著作権で訴えてあげるわ」
負けた。負けてしまった。
俺は両膝をついて負けを認めた。音乃は嬉しそうに笑って俺の頭に足を乗せた。
「敗者はいつまでもそうしてなさい。それぐりぐり、ぐりぐりぐりぐり」
足に体重を乗せて俺の頭をグリグリした。痛い。涙が出てきた。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
情けない……彼女に詰られるなんて、人に見られたらもう立ち直れない。
「ふふ、いい気味だわ。これからは一生私に従うと誓いなさい」
「はい……」
俺は一生、こいつの奴隷となった。
「私に毎日大好きだとメールを送りなさい」
「はい……」
俺は思っていた事を毎日素直に言える権利を得た。やったぜ。
「それと最後にーー」
音乃は、顔を赤らめて言った。
『これからも、一緒にいてね。それが出来た時、あなたは奴隷以上の何かになるのでしょうね。ふふ、楽しみだわ』
随分と長くなりそうだが、俺は必ずその何かになるのだろう。それが何なのか、俺はまだ知らないが、きっとーー
音乃は恥ずかしくなったのか、直ぐに後ろを向いて歩いて行ってしまった。
俺は何も言わなかった。と言うか、何も言えなかった。あまりにも、嬉しくて。
俺は走って家に帰った。そして素早く部屋に入って携帯を持った。
『大好きだよ』
短くも心を込めて送った。こっぱずかしい。返事は直ぐに来た。きっと『私も』とかだろう。ああ楽しみだなあ!
『私は嫌いよ』
ズーンと来た。心の底からズーンと来た。……もうやだ。何この彼女。
そんな事を思っていると、メールにはまだ続きがあった。俺は、でも本当は……みたいなものを期待した。だが当然、違った。
『あの時はあの擬音はいちいちだとか言ったけど、あれ本当はクイッなのよね。それに気付けないあなたはやっぱり馬鹿なのでしょうね。それじゃあ、また明日。お馬さん』
お馬さん……か……違いないな。俺はさながら鼻先に人参をぶら下げられた馬だ。
そんな事を思って、今日も眠りについた。枕を濡らして。
2
「おや、その可憐な眼鏡は、那珂ノ鳥佳菜美さんじゃないか。俺だよ俺。同じクラスの植田。え?知ってる?嬉しいなあ。那珂ノ鳥さんに名前を知っててもらえるなんて。あ、佳菜美ちゃんって呼んでもいい?え?かなちゃんがいい?そっか、分かった。宜しくね、かなちゃん」
「淳太いいぞー。これで那珂ノ鳥さんはイチコロだぞー」
俺は一体何をやってるのだろうか。
話は少し前に遡る。これはいつもの公園での話。いつもの二人で、話していた。
「所により淳太」
「俺は天気じゃ無いし、そのくだりは前やっただろ」
「……実は私天気予報士の資格を持ってる の。明日の天気を教えてあげるわ」
「ゴリ押しは止めろ」
ゴリラとはまるで逆の体格に顔に言葉遣いの癖にゴリ押しとは……中々やりおる。
俺の言葉でようやく話すのを止めた音乃はムッとして話を変えた。
「まあいいわ。心太淳太」
「もう良いから!所ネタはもう飽きたから!」
何でそんなにこだわってんだよ。もう良いよ。そろそろ飽きてきたから。
音乃はようやく諦めた様に見えたが、首を傾げて粘った。だが俺の熱のこもった眼差しに負けたのか、考え込む様にしてようやくあの言葉を言った。
「所……で……所で……で、で?……やっぱり違和感があるわ」
頑張って捻り出したと思ったらこれだよ。ねえよ。有るとしたらお前の頭だ。
「ねえ淳太。あなた達が使う日本語ってやっぱり可笑しいんじゃないの?どうにも違和感が抜けないわ」
俺も違和感が抜けないよ。どうしてお前はそれで国語の成績が良いんだ。俺にも少し分けてくれ。寧ろ見せてくれ。テストの解答。
「日本語は可笑しくねえ!古きから伝わる由緒正しい日本語だあ!」
「あらそうかしら」
俺の失言に直様反論を入れるのを止めてくれ。そんなに事細やかに聞かないでくれ。お願いだ。
「日本語のーー漢字は勿論、平仮名すらが中国から伝わったもの、そこから成った字なのよ。パクリ大国なんて呼んでいるけれど、昔はこちらがパクっていたのよ。全く、日本人は都合が良いわね。嫌いじゃないわ」
得意げに話した音乃は鼻を鳴らしてどうだと言わんばかりの顔をした。しかしこれは酷いな。
「高校生の浅い知識をそんなに得意げにに話してんじゃねえ!」
しかも小学生でも知ってるやつは知ってるやつじゃねえか。
「まあ良いわ。高校生で思い出したのだけど、あなたのクラスに那珂ノ鳥さんっていなかった?」
クラスは同じのはずなんだがなーーおっと、ツッコンだら負けだ。気を付けろ。
「あー……いたな。あの普通の何とも言えない子。あ、でも可愛かった気が……」
悪寒がした。
「あ、そうでも無いか。普通の子だ。普通の子」
まだ駄目か……彼女の睨みが収まらない。
「勿論お前が一番だよーー」
「心が込もってない」
ぐっ……良い気になりやがって。だがここは取り敢えず言っておこう。俺の本音を。
「お前が一番だ」
「あらそう。嬉しいわ。それでね、その子に……」
俺の気持ちをあっさり……いやいや、こんな事で一々落ち込んでたらキリが無い。分かってたはずだろ。こいつはこういう女だって。
「聞いてるの?淳太」
「どわあ!」
顔がいきなり目の前に来た。
「なによ、そんなに後退りして。私の顔はお嫌い?」
自信満々な顔で言われてもなあ……まあ良いや。ここは乗っとくか。
「大好きです」
俺はグッと親指を立てた。
「キモい」
彼女の親指は、下向きだった。
3
「まあ良いや、で?話って何だっけ?聞いてなかった」
話を戻して、那珂ノ鳥の話。
音乃は手を口に当てた。
「あらそう、ならもう一度言ってあげるわ。かくかくしかじかなのよ」
「かくかくしかじかを現実で使うんじゃねえ!」
「ねえ、ふと思ったんだけど、ここは本当に現実なのかしら。もしかしたら超長編アニメかも知れないのよ」
「国民的アニメなのか?これ。だとしたら飛んだ醜態を視聴者の方に……」
音乃はふっ、と余裕の表情を見せた。
「何かマズイ事でも?」
「無い!」
たまにはきっぱり言っても良いだろう。俺は胸を張って言い放った。
「なら良いじゃ無い。それで、もしかしたら深夜アニメだったとするじゃない?」
往年の探偵みたいなポーズ取りやがって……何か一つでも解決してからしやがれ。
「あ、ああ」
なにが違うんだ。俺は深夜アニメを見た事が無いので分からないが、そんなに違うもんなのか?
今度はヨガのポーズを取って言った。
「それでね、私可愛いじゃない?」
「……あ、ああ」
そんな恥ずかしい言葉を真顔で言うのを止めろ。こっちが恥ずかしい。
「だからね、きっと私には多くのファンがいると思うのよ。それでね、あなたって私の彼氏じゃない。だからきっとあなたはその人達に妬まれてるでしょうね。ファンだけに、不安だわ」
ビシッと指を俺に立てて最後の言葉を言った。
……それが言いたかっただけだろ。
駄目な洒落で駄洒落。まさしくこれがその例だろう。良かったな。生徒の模範だぞ。生徒は勿論俺、ただ一人。
「スベったところで、淳太。本題に入るわよ」
長かった……前置きが長すぎんだよ。もっとスマートに行けよ。面倒臭い。
「その……えっと……」
「那珂ノ鳥」
忘れるなよ……仮にも本題だろ。
「そう。その那珂ノ鳥さんに話しかけて欲しいの。あの子随分と私に執着してくるのよ。あれしろこれしろーーと。正直ウザいのよね。ああ言うの。私の事を見てくれてるってのは貴重なのだけど、それでもね。でもあの子も良い子なのよ?でもね、あれはちょっと……友達もいないみたいだし。そこら辺もどうやら上手くいってない様なのよ。それでね……」
長話。表情や仕草をコロコロ変えて話すのを止めようとしない音乃の様子から随分と那珂ノ鳥さんの事をよく分かってるような、本当はどう思ってるのかよく分からないが、本当にウザいと思ってるのか?まあそれもすぐ分かるだろう。
「それでね、ちょっと淳太に話しかけて貰いたいのよ。あの子に。私がどう思ってるか。しっかりと、そしてねっとりと」
ねっとりと言われても……油でも被れば良いのか?
「話しかけるって言われても簡単じゃないんだぜ?ほぼ初対面の女の子に話しかけるのって」
「知らないわよ。私はほっといても人が寄ってくるもの」
音乃はニタリと、そしてお得意の腕組み。
くそ……何でだ……顔か?やっぱり顔なのか?
「そ、そうか……でもなお前はそうでも普通の人からすれば難しいんだよ!お前もその内わかる時が来るよ!」
「それってあなたが友達がいないのとーー何か関係が有るのかしら」
……俺はこの言葉を前に、完全に言葉を失った。