ビタースウィート・サンバ
以前から書き溜めていたものを、不定期で投稿させて頂きます。
最後までお付き合い頂ければ幸いです。
うっすらと雪化粧した街を行き交うカップル。
懐だけではない寒さに身を震わせつつ、見慣れた扉を押し開けた。
温かい店内で新聞を広げた初老のマスターは、客が僕だと気づくと、新聞を畳む仕草を一応みせた。
「いらっしゃい。おや、バレンタインだっていうのに一人かい?」
「折角のお客さんなんだぞ。全く。」
「コーヒーでいいかい?」
大袈裟に笑うマスターとの挨拶もそこそこに、お気に入りの席へと向かう。
大学からの帰り道、ここに立ち寄るのが僕の日課だった。
ウッド柄を基調とした、静かな店内にしっとりと響く、お洒落なジャズ。
様々なアンティークで飾られたこの店は、僕の『とっておき』だ。
本音を言えば、時折顔を見せるバイトの女の子が目当てでもあるのだけれど。
いつもなら僕が一息つくタイミングに合わせて直ぐに出てくるはずのコーヒーが、今日に限って遅い。
何故かざわつく厨房から察するに、機械の故障といったところだろうか。
すっかり手持無沙汰になってしまった僕は、タバコに手を伸ばした。
携帯でニュースを2、3項目読み、2本目のタバコに手を伸ばそうかと言う頃にようやく、カチャカチャとカップを運ぶ音が近づいてきた。
「お、お待たせしました。」
文句の一つでも言ってやろうと顔を向けると、頬を赤く染めた彼女が立っていた。
「ご注文のコーヒーです。」
たどたどしい手付きでコーヒーをテーブルに置く彼女。薄ら笑いをこちらに向けるマスター。
不穏な空気に気付かず、『なんだ、故障じゃなかったのか』僕は呑気にそんな事を考えていた。
「あ、あの、それと……メ、メリーバレンタイン!」
裏返ったような声で彼女はそれだけ伝えると、厨房へと走り去っていった。
あまりに突然の出来事に、呆気にとられつつテーブルを見ると、いつものコーヒーと小さなチョコレートケーキが置かれていた。
厨房では相も変わらず、マスターが薄ら笑いを浮かべている。
スピーカーからは、僕の言葉を代弁するようにビックバンドのバスドラムが響いていた。
現在連載中の『sweet-sorrow』もよろしくお願いします。