たんぽぽ
「道案内を、頼んでもいいかな?」
道端にしゃがんで、たんぽぽの綿毛を飛ばしていた、髪の長い女の人。通りかかったのが私だと認識すると、その女子高生は話しかけてきた。
ちょうど下校していた私は、いつものように頼まれてあげることにした。
お昼過ぎ、といっても2時ぐらい。三者面談週間で授業は短縮日程だった。私は帰宅部なので、そのままダイレクトに帰ってきた。
私はちょっとこの人に会うことを期待していた。いいや、たぶんちょっとじゃない。今日はもっぱらこの人に会うつもりで、家路を急いでいた、と言うのも言えなくない。
「なんかごめんね、また急に頼んじゃって」
たんぽぽの綿毛をふぅと飛ばしながら、にこにこした顔をこちらに向けてきた。
「いえ、私も、そういうつもりで帰ってきたんですし。ちょうど行き合えて良かったです」
「うんうん。ほんとは、わたしもね、ゆきちゃんがもしかしたらここを通るかなーって、待ち伏せしてたんだよ」
「たんぽぽを飛ばしながらですか? トヨさんは子供っぽいですね」
「べつにいいじゃん、そんだけ待ったってことだよ? もうたんぽぽ、あそこら辺の全部なくなっちゃったし」
それは嘘だ。嘘と言うか、全部飛ばした訳じゃない。彼女の左手には、綿毛がたくさんついたたんぽぽの束が、10本以上も握られている。
「それは失礼しました」
「もう、敬語ばっかりで可愛らしくないなぁ、まったくこのぅ」
トヨさんがたんぽぽの汁でベタベタになっている手で頭を撫でようとしたので、手をかざしながら避けた。
「なんだよぉ可愛いげのない」
「手を洗ってください」
「わかった、手を洗えばなでなでしてもいいのね?」
「いやです」
「えぇー......」
トヨさんはそう言ってあからさまに口を膨らませると、束から一本とって種を全部吹き飛ばしてしまった。なにやらぶつぶついいながら茎を道端にそっとおいた。決して、投げ捨てたりはしない。
私がはじめて道案内をしたのは、六年前のことである。あのときも、トヨさんは同じところでたんぽぽの綿毛を飛ばしていた。
「そっかー、もう中学三年生かー。はやいなー」
「トヨさんだって受験生じゃないですか」
「うーん、まあ、そうなんだよねぇー。大学かぁー」
頭をぽりぽり。彼女はこんな風でいて、県下でも有名な進学校に通っていたりする。眼鏡をかけているから、長い黒髪とマッチして、いかにもと言う風なルックスなんだけれど、いつもがいつもだから忘れていた。
トヨさんがまた一本抜き取って、ふぅと飛ばす。横顔がなんだかキスをしているみたいで、私は少し顔を伏せて、横目でちらりと見ることにした。
やっぱり、トヨさんはきれいだ。
目鼻立ちはくっきりとしていて、でも整っていて。背は、すらっと高くて、私と頭ひとつ違う。そこら辺を歩いていたら、女でもちょっと見てしまうような、美人なのだ。
「どしたの? なんかついてる?」
私ははっとなって、また顔を伏せた。トヨさんは不思議そうな顔をしたけど、なんでもないですといっておいた。
お花屋さんに入って、いつもの花束を買うと、トヨさんはたんぽぽを均等に花束に差し込んだ。
「いつもどうりですね」
「うん、いつも通りが、一番いいんだよ」
トヨさんは手招きした。私がぼーっと突っ立っていると、見かねたのかトヨさんが抱き寄せて、頭を撫でてくれた。
「ね、いつもどうり。手、洗ったから」
私はちょっと恥ずかしかった。
「だから、ね......ユキ」
「......」
「......手、繋ご」
「......はい」
夏に近づいているからなのか、トヨさんの手も、ちょっとあつかった。
それから道をくねくねと曲がって、私たちは目的の場所についた。受付を済ませると、私が柄杓と水桶を持つ。トヨさんが雑巾をくれたので、私はそれも持ってあわせて水場に向かった。雑巾を濡らして、桶に水を汲んで。トヨさんのもとへ向かう。向かう途中でいつものように猫を見つけた。ここは猫が多い。猫好きにとってはいいかもしれない。猫は嫌いじゃないけれど、でもやっぱり、なんとなく、好きではなかった。
トヨさんはもうゴム手袋をしていた。私は雑巾をひとつ渡す代わりにゴム手袋をもらうと、二人で掃除を始めた。
「ユキ、大分汚れちゃったね。ほこりばっか。今、拭いてあげるから」
トヨさんが笑いかけながら、墓石を拭き上げる。私も、彼女の体を清めるように、しっかり拭いた。真心を込めて。
水道で雑巾を洗って、ついでにステンレスの花瓶を引き抜いてきてそれもきれいに水洗いして、新しく水を汲んでからトヨさんのところに戻った。幸い草は生えてなかったので、花束を二つに分けて花瓶に差す。花瓶を花立に戻して、柄杓で水鉢に水を汲む。その間にトヨさんはお線香に火をつけた。
「さ、お線香あげよっか」
「はい」
トヨさんと私で三本ずつ。トヨさんは敷き詰められている小石から手頃なものを拾うと、墓石の膝 (なのかな)に当たる部分をこつこつと叩いた。なんでも、トヨさんのおうちはこのやり方なのだそうだ。
「ユキ、おねえちゃんきたよー。ゆきちゃんもいっしょ。たんぽぽ、さしておいたからね」
ちょっと鼻声になっているトヨさんが、甘い口調で話しかける。線香を香炉に寝かせて、拝む。しばらくして、私の番が回ってきた。
寺内ユキ。幼稚園からの幼馴染みだった。名前が同姓同名だったこともあったのか、すぐに仲良くなった。始めにユキが声をかけてきて、一緒にブロック遊びをしたのが最初だった。
それからずっと、毎日一緒に遊んだ。二人で人形で遊んだり、お菓子作ったり。トヨさんも入ってきて、三人で自由研究もしたし、隣の市のデパートに買い物に行ったりもした。毎日一緒だった。
ユキはかわいかった。目鼻立ちはくっきりとしていて、でも整っていて。背丈は私とおんなじくらいで、いつも私の気持ちを考えてくれた。だから、わたしもユキの気持ちを精一杯考えた。
考えられないかもしれないけれど、私はユキが好きだった。そうだったんだと思う。ユキもそれをわかっていた。ユキも私が好きだった。友達以上に友達で、でもそれ以上ではなく、それ以下でもなかった。他にたくさん友達はいたけど、ちいさいなりに、初恋、といったら変かもしれないけれど、そういう女の子がユキだった。
でも、ユキは7年前、交通事故に遭った。休みの日、約束していたように私がユキの家に遊びに行くと、鍵がかかっていて、おうちの人もみんないなかった。しょんぼりして家に戻ってくると、私はお母さんが泣いているのを見つけた。何があったのか聞いた時の衝撃は、今も私の心を深く抉っている。
飛び出してきた猫を、庇って。そんな小説のような死因だった。ユキは猫好きだった。それからだろう、私とトヨさんは、猫が苦手だ。ペットショップも、行かなくなってしまった。猫に対して本当に申し訳ないけれど、でもちょっとおっくうだった。
お葬式のユキの死に顔は、きれいだった。なんだか大人っぽくて、でも冷たくて。お別れの日も、次の日も、その次の日も、部屋にこもってずっと泣いていた。
一年が過ぎて、一周忌の法要のあと、トヨさんは二人だけでお墓に行く日を作ろうといってきた。今日はユキの命日じゃない。ユキはたんぽぽが好きだったから、キーホルダーも、ヘアピンも、なんでもかんでもたんぽぽだった。だから、たんぽぽが綿毛を飛ばしたら、お墓参りに行こうと決めた。
線香を寝かせて、石でこつこつと墓石を叩く。
「ユキ、私だよ」
ゆっくり、ゆっくり、拝んだ。目を開くと、風が吹いて、綿毛がふわふわと飛んでいった。空に高く、飛んでいった。
お参りを済ませて、墓地をあとにした。トヨさんと私は、しばらく話せなかった。
私は、たぶんトヨさんが好きだ。でも、たぶんトヨさんが好きなんじゃなくて、ユキの面影を、お姉さんのトヨさんに見ているだけなのかもしれない。そんな私が嫌で、でも安心している私がいて、すごく気持ちが悪かった。誰かの代わりになんかなれるわけがないんだ。そんなこと、しちゃいけないんだ。そんなことを前に読んだ小説にかいてあった気がした。ユキが好きだという気持ちを、トヨさんに押し付けてはいけない。今まで六年間、ずっとそう思い続けて、敬語でしゃべってきた。
よくないけれど、これでいいんだと思う。私のなかでユキの思いは生き続け、トヨさんのなかでユキの思いは生き続け。お互いにユキの思い出を見つけて、それに魅せられて、それで苦しんで。よくないけれど、それで、いいんだとおもう。
「じゃあ、お墓参りはまた来年ね。遊びたかったら、いつでも電話してね。わたしもするから」
「受験生がそんなこと言っていいんですか」
「なんだ可愛いげのない。このうこのう」
「あ、ちょ、やめてください、やめてってば」
「やめないよ。やめないったらやめないもん」
交差点のすみで、女子中学生が女子高生に抱きつかれて頭を撫でまくられていた。他でもない私たちだった。
「よし、じゃ、またね、ゆきちゃん」
「はい、それでは」
トヨさんにつられて手を振ると、私は家に向かって歩き出した。
ちゃんづけじゃなくて、「ゆき」と読んでほしいいじわるな私が、そこにいた。