Intermission1
●霊
和禰人は、迷信深い民族とされる。
霊魂を信じる国民性が託宣を発明し、口寄せに代表される降霊型の儀式起点を確立した。
近代では、霊魂を真剣に肯定する和禰人はほとんど居ない。
大昔に亡くなった曾祖父の霊があなたの背後に居る、などと公然と言えば、その者は失笑の的だ。
それでも。
幽霊の類を鼻で笑うような若者でさえも、死者に対しては本能的に畏敬を覚える。
また、不確かな占いやジンクスに頼り、不吉な運気を避けようとする。
それは、和禰国で生まれ育った以上、自動的に継承される文化的遺伝子――感情以前の原初的なセンスと言えた。
その最たるものが、葬儀と供養である。
和禰人は、世界で最も葬儀に金をかける民族だ。
通常、葬儀とは、その人の死を遺族や縁者が認知し、亡骸を荼毘に付す為のシステムに過ぎない。
乱暴に言えば、遺恨なく死者の戸籍と身体を処分する為のプロセスに過ぎない。
故人を悼む宴はあるが、それは生きた者達が心の整理をつける為のものに過ぎない。
死者本人への追悼は、宴にまでは持ち込まれない。
和禰国では、死者に対しても一定の人格を認めようとする。
口寄せの執行者が故人の霊を慰め、遺族が別れを告げる。
人の魂が自然へと還元されるまで五十日かかると定め、四九日間は慰霊が続く。
大陸ではシャトラ教皇ですら一日で送り出される事を考えると、和禰のそれは非常に長いスパンであるとわかる。
無数の欠片となって自然に還り、流転した魂は年に一度、生前の形に戻り、墓を降臨点として故郷に帰るとも言われている。
それが、端望会の翌日、十月十一日である。
この時も口寄せを介して、故人と遺族との会話がなされる。
口寄せの大半は奇跡的価値の無い非降臨儀式であり、話術に過ぎない。
遺族もまた、そのほとんどは、心の中では承知している。
それでも、慰霊の伝統が絶える事は無い。
●黒花の脚
ただでさえ、道行く誰よりも背の高いシェイは目立つ。
矮躯の黒花を乗せた車椅子を押していると、尚更だ。
私服姿であるが、これでは騎士の法衣を着ていても同じだっただろう。
老若男女様々な和禰人が、屋台の設営に右往左往しており、他人に関心を払う様子は無い。
だが、それは表面上だけの事だ。
偶然を装って、(本人たちにとっては)ごく自然に向けられる視線を、シェイは正確に感知している。
和禰国が有する競合種駆逐隊や女王護衛軍の質は、執聖騎士団ほどでは無いにしても質が高い。
だが、この国の一般人は、どうやら荒事を軍に依存し切っているようだ。
全方位からのあからさまな視線に対し、シェイはオリエンタルなビューティや、Kawaiiと言う(つい昨日、この国で覚えた)属性に分類される女にのみ、弾けんばかりの笑顔を返した。
だが、車椅子のパイプ伝いに感じられる、黒花の機微も見落としてはいない。
「オレのスター性が高過ぎるばかりに、彼らは圧倒されているようだ」
よくわからない。と、黒花はかすれ声で呟いた。
里帰りをしたいと言う黒花を孤児院へ迎えに行った所、彼女は車椅子に乗って現れた。
だがシェイは、何も聞かずに彼女の介助を引き受けた。
テレサも何も聞かなかったし、ミネッテも、戸惑いつつもそれに倣ってくれた。
ルカだけは目を剥いて大騒ぎし、直ちに診せるように詰め寄ったが、黒花本人が激しく抵抗した為、叶わなかった。
もっとも、彼女が住む孤児院――無垢なる家シャトラ支部の職員が言うには、黒花には脚にも先天的な障害があり、元より成人するまでに歩けなくなる宿命にあったらしい。
肉体を本来あるべき組成に復元する。それが現代儀式医療である以上、先天性の傷病は治せない。
結局、ルカは諦めざるを得なかった。
黒花の脚の障害に関してはまるで初耳で、取って付けたような説明にすら感じられたが……シェイは何も問わなかった。
「お前は明日、テレサちゃんとミネッテちゃんと、夜店巡りらしいな」
黒花は、微かに頷いた。
「運命の出会いを、お前はそこで創造しなければならない。
年収が高く、なおかつ、従順そうなイケメンを狙い澄まし、獲るべきだ。
ただし、テレサちゃん達に悪い虫をつけないよう、細心の注意を払わなければならないのは忘れるな」
相変わらず遠回しなシェイの物言いについていけず、黒花はただ小首を傾げるのみ。
元来、ノリの悪い奴が苦手なシェイも、この少女に関してはそれでも良いかと思っている。
●准将の指輪
輝路クイーンホテルのふもと。
その西洋的な石造りの巨屋は、顔を真上に向けてようやく空が見えるほどの威容だ。
ちょうどテレサが、阿呆のように顔を真上に向けていた所だった。
このくらいの建物は、大陸でも見てきているだろうに、物珍しいらしい。
テレサ君、とルカが声をかけると、ようやく顔を戻した。
何が嬉しいのかルカには理解しがたったが、テレサはニコニコしている。
だが、宮廷西公園に場所を移し、
(女王の住むと言う宮廷の東西南北には、国立公園が一つずつある。今は執聖騎士団が三人編成の交代で駐留している)
桐江准将から預けられた指輪の事を聞くに至り、一見して緩んでいたテレサの 顔つきに、真剣味が射した。
「わたしがこんなこと言っていいのか、わかりませんが……やさしくて厳しい、いいおじさん、なんですね」
声音にあるのは、明るい響きばかりではない。
「使うべきか、使わざるべきか。
君の見解を聞かせて欲しい」
今日はオフの二人だ。周囲の騎士従士に気兼ねする必要は無い。
だから、並んでベンチに腰かけた。
ルカから伝え聞いた桐江准将の言葉をざっと咀嚼してみた時。
テレサは紫の瞳を大きく見開いた。
何かに気付いたらしい。
――もしかして、ルカさんがもらったと言うその指輪は……。
ルカが彼女の目を見ていたなら、そのわかりやすい表情変化に気付いたのだろうが、今は肩を並べた格好だから、お互いの顔を見ていなかった。
――ううん。
――これはあくまで、わたしの憶測。
――それをうかつに話して、もし違ってたら、取り返しがつかない。
ややあって、テレサは、慎重な口振りで話し始めた。
「……理論的には、桐江准将の言うことはあってる……と思います。
わたしは、ルカさんのあの剣を直接みてますから、降臨規模(=威力)もそれくらいは出ると確信してます。
それに、ルカさんの性格なら、おじさんの指輪にはそれだけの価値を感じてしまうのも……うなずけます」
テレサの目から見ても、ルカが剣を振ることは可能だと言う。
武器を和禰刀に換えるとなれば、西洋剣に慣れきった手の癖を徹底的に矯正する必要もある。
相当の調練は必要だろうが、護衛任務には間に合うはずだ。
「人に訊く事では無いとは思うが、君自身は如何思う。
作戦行動の為、確実な人命救助の為に、叔父夫妻の関係を終わらせる事は」
テレサは、軽く唇を噛んで考え込んでから、
「わたしなら、指輪は安全なところに保管します。銀行の金庫とか」
つまり、剣を諦めろ、と言うことか。
ルカがそれを確かめるより、テレサの言葉の方が早い。
「でも、刀はもっていたほうが、いいと思います」
そして、晴れやかな笑みで、ルカの顔を覗き込んだ。
「いいじゃないですか。
一回きりで壊れる刀。そのリスク相応の威力だけで。
丸腰よりはずっとマシ。
今は、それで満足しておきましょう」
「そう、か」
「根つめて必要以上の力をもっても、あまりいいことはないです」
「……」
「それに、准将も言ってたのでしょう?
ルカさんが剣をもっていること自体が、牽制になるって。
使わない力も力のうちなんだって、わたしも思うんです」
ルカは黙考する。
さらに考える。
テレサは、黙って隣に居続ける。
そして。
「有り難う、テレサ君。
お陰で、気持ちの整理は付いた」
事実、テレサから見た彼の横顔は、どこか晴れたように映った。
「だが、指輪は任務に持って行くとする。
ここで指輪を置いて行く事は、叔父の心遣いから逃げたように思えるのだ」
テレサは、何も言わずに頷いた。
「ミネッテと三人で、守りきりましょう。
その指輪も、女王さまも」
●端望会
端望会とは、和禰国の東海端で執り行われる、儀式である。
ただし、建国以来の伝統行事という側面が強い。
奇跡の降臨を伴わない、(こと、公式の)儀式としては稀有な例である。
時期は毎年十月七日から十日まで。
儀式執行者は、その時点で在位する和禰国女王。
古くは端望海岸で海端の方向に向かって祈るだけだったが、近年では東海端を目前に行う。
これは、今から丁度七〇年前に、東海端海域に海上祭壇が建造された為だ。
和禰国は、海の水が東海端に吸われ、干上がって現れた土地だったとされる。
そこへ、どこからともなく、ひと振りの剣が現れて、ひとりでに大地を削り出したと言う。
そうして山ができ、盆地ができ、湖ができ、平野ができ。
今日の和禰列島の形となった。
もちろん、現実的にはあり得ない事だ。
いわゆる伝説と言う種類の寓話だが、宮廷をはじめとした和禰人は、その伝説を大切にしている。
霊と同じ理由だ。
論理的には信じていないが、土地や祖先への畏敬に形を与えられたのが、こうした伝説・伝承の類と言えた。
よって、海端会の儀式は、三礼と呼ばれる三日間の儀式起点から成る。
一日。祖先の霊への感謝。
二日。建国の剣――揚国刀――への感謝。
三日。海端への感謝。
女王が宙を仰いで先人の霊を迎え、眠りにつく。
前を見据えて揚国刀に頭を垂れ、眠りにつく。
祭壇の縁に立って、海端に霊水を振り撒き、眠りにつく。
こうして、今の和禰を築いた三尊への感謝を示すと共に、国の安定と繁栄を願うのである。