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episode2-3

 和禰国(わねこく)

 独自の文化・風習を持つ、極東の島国。

 元々「万物の霊と交信する」と言う固有の文化を有していた。

 その土着の文化が大陸から渡ってきた奇跡文明と融合。

 今日、唯一無二とされる通信技術たる託宣(たくせん)を体系づけ、情報通信の最先進国たる地位を確立した。

 代々、国内で最も託宣に適合した(とされる)者が女王に選任され、世界の託宣運用を管理する。

 託宣運用に関してのみ言えば、シャトラ教皇であっても女王の決定に異を唱える事は難しい。

 カエサルの息子達が暗殺を宣言した対象とは、そうした存在だ。

 ただ。

 女王暗殺宣言を受け、まず囁かれたのは。

 ――カエサルの息子達は、どうやって女王を見付けるつもりなのか(・・・・・・・・・・)

 和禰国の国家元首・および託宣運用の世界的な最高責任者は女王であるが、実質的な政務の元首は宰相(さいしょう)である。

 託宣が発明される以前から、女王とは公に姿を現さぬものとされてきた。

 また、王位継承は血縁によって行われるのでは無い。

 宮廷に選定された“国内で最も優れた巫覡(ふげき)”が、人知れず後任を継ぐのである。

 女王の選抜は非公開の場で行われ、就任後もその存在は秘匿される。

 当然、世間は誰が女王かを憶測しようとする。

 元から著名人であった場合、極端にメディアへの露出が減った者から疑われる。

 一般人であったとしても、全国で一番の巫覡に選ばれる程の者となれば、誰かの目には留まっている。

 一応、女王と同時に影武者(デコイ)を兼ねた補佐役も立てられはするし、それこそ暗殺でも企てない限り、市井の者が女王の正体を見破ろうとするメリットは無い。

 ただ。

 今代の女王は、選任されて半年と経っていなかった。

 和禰国内ですら、推論は未だ固まっていない。

 また、上獅子派は和禰国では特に少数派だ。

 これは国民性によるものだ。

 異教も含めた「万物を等しく肯定する」と言う思想から成ったその国は、上獅子のような特定の概念に拘泥する土壌が形成されていない。

 大陸と違って、内応策は非常に難しくなるはずだ。

 そんな条件下で、バジルはどうやって女王を特定し、暗殺するつもりなのか。


「恐らくは、来月の端望会(たんもうえ)を狙うつもりだろう」

 穏やかだが、年を重ねた重みのある男声がルカ達に囁いた。

 硝子の天蓋が、青空と陽光を曇り無く通す。

 今、小さなスーパーマーケット程の大きさを持つ真四角の箱(航空器)が、頭上を通過して影を落とした。

 和禰国は首都・輝路都(きじと)

 人で賑わう佐鳩(さばと)空港で、桐江琉佳(ルカ・キリエ)は、女王護衛軍准将であり叔父でもある桐江聖次郎(せいじろう)と、およそ五年ぶりの対面を果たしていた。

 背後には、部下のテレサとミネッテ。

 数分前までは、小野黒花(おのくろか)と、その車椅子を押すシェイも居た。

 だが、桐江准将が前述のように口火を切ると同時に、シェイは黒花を連れてその場を離れた。

 ルカ、テレサ、ミネッテ。

 各々が、人類で三番目に強力とされる、この剣士を見ている。

 几帳面に分けた短い黒髪。飾り気の無い黒縁メガネ。

 真面目を体現したような面差しは、兄の桐江清一郎には似ていない。

 華奢な長身と、それを包むスーツ。

 腰に帯びたサーベルは刀身が短く薄手で、あまりに頼りなく見える。

 平凡なサラリーマンだと言われても、誰も違和感を抱かない風貌だった。

「失礼。

 急に端望会の固有名詞を出されても、海外からいらした方には唐突でしたね」

 桐江准将が、配慮不足に気付いて慇懃に詫びた。

 テレサは、自分達が聖次郎を見すぎていた事に気付き、その不躾を詫びてから、

「えっと、端望会といいますと、和禰国の伝統行事でしたね」

 テレサの言葉に、准将は静かに頷いた。

「毎年十月七日から十日まで、女王さまが東海端(かいたん)の前にある海上祭壇まで行かれて、儀式をされることです。

 ここでいう儀式とは奇跡運用のための儀式起点としてではなく、和禰国に、よい運の流れがありますようにって、海端に向かってお祈りする、非降臨型(奇跡を伴わない)儀式のことです。

 これは和禰国ができてからずっと続いている風習で、天の奇跡が伝道される以前の時代の名残ともいわれ、貴重な無形文化財ともされますね」

 桐江准将は、わずかに感嘆を浮かべて首肯した。

「素晴らしい。異国の文化を、これ程完璧にそらんじるとは。

 仕事熱心な従士ではないか、騎士桐江」

「え、ええ。恐縮であります」

「てことは……あっ! 少なくとも、その日、東海端に女王さまがいるから――」

 自分の言葉に気付き、テレサはようやく桐江准将の意図を察した。

「そう。

 端望会の儀自体は非公開だが、宮廷から東海端へ移動した方の中から女王陛下の目星をつけるくらいは民間のマスコミでも考え付く事なのです。

 それに――こんな事を言わねばならない事自体が前代未聞だが――女王陛下を暗殺するのであれば、警護の厳重な宮廷よりも、端望会の海上祭壇を狙う方が、成算は高い」

 端望祭壇へのアクセスには、一五六キロメートルにも及ぶ海上道路を用いる。

 船で行く事も可能ではあるが、海洋生物や鳥類の競合種に襲われるリスクが高い為、女王の護衛には適さないと言われている。

「あの」

 ミネッテが、ここに来てはじめて口を挟む。

「端望会の中止とか、できないのでしょうか? せめて延期でも」

 ――それは、

 とテレサが言うより早く、桐江准将が頭を振った。

 テレサは、どこか慌てた表情になり、自分の開きかけた口を密かに閉じた。

「それは不可能です、ミス・ヌルミ。

 我々和禰人は伝統を崩さない。

 その伝統が古ければ古いほど、崩せない。

 困った事に、女王陛下のお命が懸かっている、今でさえも」

「女王陛下が危険なのに、ですか?」

 どうせ奇跡的価値が無い儀式だ。

 和禰に良い運気を、などと言う曖昧な願掛けの為に、託宣の最高責任者を暗殺者の目に晒す必要が、果たしてあるのか。

 気弱なミネッテは、そこまでは口にできないが。

「秩序とは、そうしたものでもあります。

 より大きなものを維持する為に、一見して無意味な事を守らねばならない事もある。

 ……それと、端望会に伴い、ここ輝路の全域で大掛かりなお祭りもありまして。

 お恥ずかしながら、その経済効果と権益を無視できないと言う事情もあるのです」

「恐れながら、桐江准将」

 ルカが、やや諌める調子で、

「この様な公の場で話すべき事柄では無いと、私は存じます」

 叔父に釘を刺す。

 対する准将は、苦笑いを浮かべた。

 テレサは意外そうに目をぱちぱちさせた。

 ミネッテは萎縮した。

「すみません、私が余計な事を」

 ルカはミネッテを顧み、一瞬言葉を滞らせるが。

「以後、気を付けるように。

 任務は作戦行動に入る前から始まって居る。

 迂闊な発言は、時にトラブルを招き、執聖騎士団とシャトラ教国に窮地を(もたら)す事さえ有る」

「は、はい……」

 細身をますます萎れさせたミネッテを見て、ルカは軽く唇を結んだ。

「まあ、自分の考えや疑問を抱き、教わろうとする姿勢自体は……良い事だと、私も思う。

 ()くまで、個人的な見解だが」

 それだけ付け足すと、すぐにミネッテから視線をはずした。

 目が向いた先には、穏やかに微笑む叔父の顔があった。

「お前は、少し変わったな」

何時(いつ)(まで)も子供で居る訳には行きません」

「いや、むしろ五年前よりは年相応に近づいている」

「……」

 准将の目は、ルカの肩越し――つまり、二人の部下に移った。

 何かを伴った微笑とともに。

 それに気付いたテレサが、不思議そうに小首を傾げただけだが。

「そうだな。

 ここ最近のお前を取り巻く事情は、色々と聞いている。

 それも含めて、話の続きは家でしよう」

 大陸から渡ったルカとリナが、数年を過ごした場所。

 兄妹が、初めて親らしいものに触れた家。

 懐かしさはあるが、

「我々にその様な余暇(よか)は」

「実は私の――バジル・メルメは端望会を狙うという――見解は、宮廷全体の総意でもある」

 不可解そうに反駁したルカの言葉を、准将は予想していたかのようにかぶせた。

「執聖騎士団にご協力を乞うのは、端望会の当日になる。

 それまでは、お前達に出来る事はほとんど無い」

「しかし、カエサルの息子達が、必ずしも端望会を狙うとは限らない。

 宮廷を襲う可能性も有ります」

「かと言って、宮廷に他国の武力を配置するわけにはいかない事も、和禰人のお前ならわかるだろう」

 執聖騎士が他国に駐留する権限は、あくまでも競合種討伐時に限られる。

 分かりきった事ではあるが、女王が名指しで狙われているのに何もできない事に、ルカは苦渋を滲ませていた。

「端望会の警護には、万全を期して頂く」

 内心の焦りとは裏腹、ルカの敬礼の動作には、一糸の乱れもない。




 極まった剣術は、奇跡と等価である。

 上倉(かみくら)一刀流の開祖、上倉喜介(きすけ)の遺した言葉だ。

 この上なくシンプルだが、奇跡学的にも正しい。

 斬る。切る。叩き斬る。切断。両断。斬撃。斬打。

 雑念を捨て去り、ただ一刀に込められた高純度の思念は、高純度の奇跡的エネルギーとして現世に降臨する。

 結果、剣士の元々の腕力や武器本来の重さ・鋭利さを越えて、“斬撃”という結果が大幅に増幅される事となる。

 無論、上倉以外の流派(近代に安売りされる武術メソッドさえ)も「一撃に対しては決死の想いを込めよ」としている。

 だが、それを差し引いてもなお、上倉という流派は常軌を逸していた。

 他流派であれば、決死の一撃を振るいながらも、それがミスに終わった事を念頭に入れ、二手三手先を演算するものだ。

 決死の一撃と言えど、剣撃である以上は弾かれる事もある。

 競合種の皮膚強度を見誤り、刃が通らない事もある。

 剣を一度振れば、それで殺し合いが終わるわけではない。

 敵を仕留め損ねた場合、自分の泳いだ身体に、敵の太刀や爪牙が走るかもしれないのだ。

 だが、一刀の後――敵対者が生きている場合の事――を考える事さえ許さないのが、上倉一刀流だ。

 両断か死か、とまでは言わない。

 だが、一撃で仕留められなかった場合の仮定ごときは、剣を振る前に全て計算しなければならない。

 一刀入魂。

 無我の境地。

 そうして閃いた剣は“剣”という物質的な枠を越え、切断という概念そのものに昇華される。

 理論上、上倉に斬れないものは無い。

 そして、桐江聖次郎はそれを一〇〇パーセントの精度で使える。


 あらゆる物質を通過する桐江聖次郎のサーベルが、ルカの首筋を襲う。

 人類三位の男に、頭部を狙われる。

 常人であれば恐慌に陥るであろう光景を、ルカは物怖じせずに睨み据える。

 とん、と刃が首に置かれた。

 常温水のように生温い刀身が、首の薄皮一枚も切る事無く、静止したのである。

「これでお前は、六度死んだ事になるな」

 実際、この甥は、首をはねられた程度の事ではそうそう死にはしないのだろうが、論旨がずれるので言及はしない。

 桐江准将のサーベルが音も残影も無く、鞘に納まった。

 その瞬間、集中し過ぎて狭窄(きょうさく)していたルカの視界が一気に拓けた。

 桐江准将の屋敷の離れに位置する、上倉一刀流の道場だ。

 無垢杉フローリングの道床は毎朝磨き抜かれ、木材と思えぬ鏡面的な光沢と反射をはらんでいる。

 リナが遠巻きに正座し、叔父と兄の展開するワンサイドゲームを見守っていた。

 叔父が一方的に勝つ事自体は珍しくは無いが、今日のこれは、想像を超えてひどすぎた。

 ルカは、屈する間も惜しんで距離を取り、和禰刀を構え直した。

 初心者が型を身に着ける際に使う飾りのような刀で、重量は、せいぜい五キロも無い。

 だが今のルカは、玩具のような刀でさえも、言う事を聞かせるのには手間取った。

「ナンセンスです。

 第六位執聖騎士ともあろう人が、億に一つも無いまぐれ勝ちに賭ける積もりですか」

 妹の辛辣な横槍。

 そして、剣を構えなくなった叔父。

 これ以上は無意味だと、二人の肉親が言外に突き付けてくる。

 元より、この叔父から一本を取れた事は無かったにしろ、

「聞いていた以上に深刻だな」

 今は、土俵に立つ事さえ出来ずにいる。

「剣の癖や技量は、間違いなくルカのそれだ。

 だが、体が全くついていけていない。

 私が目隠しと耳栓をした上で手合わせをすれば、別人と間違えるかもしれん」

 一度斬り結んだ相手は、再び剣を交わせば、見ずに識別出来る。

 その桐江准将をして誤認を起こしかねないほど、ルカの剣は変質していた。

「フィジカル面だけで言えば、子供の頃――お前が初めて剣を手にした時期――よりも力量を落としている」

 それが現実だ、と、叔父と妹の黒瞳が告げている。

「心・技は寸分の狂いも無い。なのに“体”だけが、機能していない。

 剣の道において、これは非常にアンバランスな事だ。

 祝福の降臨規模が、後天的に急落したと言う話は、本当のようだな」

 あえて口にはしないが、准将がそう断定したのには、もう一つ根拠がある。

 実戦剣術の師範でもある桐江聖次郎は、相応の数の弟子を育成している。

 女王護衛軍の後進を指導する事もあれば、国外の軍事組織から依頼を受け、臨時の教官を務める事もある。

 そして、この桐江家の道場で近隣の子供を教える事もある。

 中には、誰が教えたわけでもないのに、理想的な剣の冴えを見せる子供もいた。

 だが、祝福の才が無かったばかりに、剣の道と天賦を諦めざるを得ない子供は相当数いた。

 類稀なる剣術も、肝心の剣を振り回すだけの腕力が無いのでは、発揮しようがない。

 今のルカはまさしく、夢を絶たれたその子供達と同じ状態にある。

矢張(やは)り、私は二度と剣を持てないのでしょうか」

 ルカが、ようやく重い口を開いた。

 そうだ、と喉元まで出かかった声を、准将は飲み込んだ。

「……あるいは、形を変えれば、可能性があるかもしれん」

 ルカの目が、明らかに見開かれた。

「上倉一刀流の極意は、一刀入魂にある。

 これは、お前を教えていた初期に何度か言ったな?」

「総計で三度、教わりました」

「ああ。つまり、三回繰り返すほどに大事な要素だ。

 上倉は、世間では“世界三大切断剣”などと言われてはいるが、これは厳密には間違いだ。

 上倉一刀流の極意は、剣のもたらす結果を半無限大に増幅する事。

 剣の性質は、切断だけに限らない。

 これはむしろ、洋式の剣を愛用していたお前の方が実感を持っているはずだ」

「西洋剣の要素は、切断と打撃。

 詰まり“叩き斬る”事にあります」

「そう。

 上倉一刀流は和禰発祥の剣術である。

 中世から近代にかけて、和禰にあった剣は、切断に特化した“刀”が大半だった。

 それが結果として、無限大の切断力を伴う剣――世界三大切断剣――に数えられたに過ぎない。

 上倉は、切断する剣では無い。

 振るう人間の剣に対する意識を、奇跡的に増幅する剣なのだ。

 だから、お前にとっての上倉一刀流は、万物を“斬る”剣では無かった。

 万物を“叩き斬る”剣だった」

「とても、万物に通じる様な域には達して居ませんが」

「今後、達する事も無い。

 それはもう、覚悟すべきだ」

「……」

「話を戻す。

 今までのお前の剣は、“切断”と“打撃”の二要素から成っていた。

 刃の鋭利さで対象物に刃を潜らせ、鈍器の硬さと重さで内部から圧し潰す。

 打撃を伴う太刀筋を上倉的に増幅すれば、殴打した分の反動が自身に帰ってくるのは自明だ。

 それまでは祝福で相殺出来ていたから問題無かった。だが、今は違う。

 まして、ミケルのナメハダタマヤモリや、クロネで兄――お前の父親――に振るった一刀は、ともすれば準儀式戦略級の規模を有していた。

 ――失った力を求める想念が、かえって莫大な降臨規模をもたらした結果なのだろうが――

 カエサルの息子達と、している事は同じ。

 お前でなければ死んでいた反動だ」

「その様です。

 シャトラで演習を行った結果、あの剣術の降臨規模が更に高まって居ました。

 これは、私が反動の存在を理解した上で剣を振るった為でしょう。

 反動の存在が念頭に有るか無いかは覚悟の強弱に関わる。

 覚悟とは、即ち想念強さであり、それが降臨規模に影響した筈です。

 上獅子派系過激派組織の、自らを(にえ)とする儀式戦術と、原理的には極めて似通って居るものと思われます」

 実感=想いの強さが物理的エネルギーを決める現代奇跡社会。

 命を差し出した願いが何より強く、他をねじ伏せるのは当然の事だ。

 問題は、剣を一度振るうごとに自らの死を賭ける事が出来る甥の精神性だが……。

 だからこそ、上倉の一刀入魂の理念からすれば、真理に近いと、桐江准将は捉えてもいた。

「……、……お前にとっての“剣の在り方”を、変えるしか無い。

 剣は叩き斬るもの、

 と言うそれを、

 剣は斬るもの、

 と言うそれに。

 要は、お前の身体が崩壊するだけの反動が返って来なければ、問題はクリアされる。

 言うだけであれば、易いが」

「武器を和禰刀に変える、と?」

「端的に言えば、そうなる」

「しかし、和禰刀は軽量と言えども、最低三〇キロは越えます。

 私の今の祝福では、それすらも実用出来ない」

「ならば、お前に持てる刀を使えば良い。

 今、まさに手にしているではないか」

 准将の視線を追う。

 ルカの左手。

 そこにあるのは、訓練用のレプリカ品。

「まさか、こんな――」

 こんな物を戦場に持ち出すなど、聞いた事も無い。

 ガラス棒で岩山を殴るようなものだ。

「理論上は可能だ。

 私やリナと同じ、“打”を捨て“切”にのみ特化した上倉を身に着ければ、武器の重さや硬さはさほど関係ない。

 少なくとも、私はその刀で競合種を斬れる」

「いえ、私を一緒くたにしないで下さい。

 現代の上倉に於いて、純粋な“切”のみの太刀筋を実現した人物は、叔父さんただ一人でしょう」

 水を差すようにリナが呟く。

「私を初めとした凡百の使い手は、矢張り武器の重さに頼らざるを得ません」

 その通り。

 人類三位の武力を基準にするのは無謀だ――と、甥も抗弁しかけるが、

 黙って聞く事にした。

「八月の一件を鑑みるに、ルカの剣は、その一撃を振るう瞬間のみ私のそれに近付いていると言える。

 単純な降臨規模は、足りているはずなのだ。

 後は、方向性を“打”から“切”に切り替えれば、大抵の物を両断出来る。

 つまり、インパクトの瞬間に生じる抵抗を大幅に殺いだ上で、対象物を“斬った”と言う結果も得られる。

 とはいえ、反動はゼロにはならん。

 腕の末梢神経がやられる可能性が高いし、刀は間違いなく砕けるだろう。

 だが、お前が死を賭してまで剣を振るってほしくないというバーンズさんの希望は、これでクリアできる」

 ルカは、消化不良を起こしたように顔をしかめた。

 そういうもの、なのだろうか。

「犠牲が腕一本と玩具の剣で済むのなら、そうでしょうね。

 腕を庇って目先の敵にやられる事が愚かしいと言う事くらい、テレサさんなら理解出来るでしょう」

 リナが、朗読するように言う。

「しかし叔父さん。貴方の論理は矛盾して居ます。

 兄さんのあの剣は“確実に五分は立てなくなる”“最悪、死ぬかも知れない”と言うレベルの想念強さが、戦略級の降臨規模を実現して居るのです。

 腕なんて()ぐに替えの利く様な物を犠牲にする程度では、“決死の覚悟”と呼ばれる物を思考する事は出来ない。

 刀が保たないから一度しか斬れない、と言う緊張感はそれなりの呼び水となるのでしょうが……競合種や執聖騎士クラスの戦場では高が知れて居ます」

 リナがこう言わなければ、ルカも気付かなかっただろうに。

 これはルカの中にある“リスク”のハードルを下げる、失言にしかならない。

 覚悟が減ると言う事は、降臨規模の低下を招く事だ。

 だがリナは、あえて、意図的にそれを口にした。

 対する叔父は、それを咎める風も無い。

「そう。その一太刀には、ルカにとって耐え難いような犠牲が必要だ。

 そしてそれは、ルカ自身の命であってはならない」

 むしろ、姪の聡明さを喜ぶように微笑んですらいる。

「耐え難い、犠牲?」

 ルカ本人にも、すぐには見当がつかなかった。

 親しい人間ごと斬る。

 リナがまず思い浮かべた手段はそれだ。

 だが、叔父がそんな事をさせるはずは無いし、何より兄が絶対に実行しない。

 それでは机上の空論で終わる。そう思い直した。

 そうして黙考しているうちに、桐江准将は自分の手を目線の高さまで持ち上げて見せた。

 そしておもむろに、薬指にはめた指輪を外す。

 兄妹ともに、その指輪にはなじみがある。

 妻である桐江知枝(ともえ)との結婚指輪だろう。

「ルカ、その刀を貸してくれ」

 ルカは、呆気にとられたまま、虚心に叔父に従った。

 桐江准将は、受け取った刀を抜くと、続いて懐から何やら鋼線のようなものを取り出した。

 それなりの硬度を持つはずの鋼線を親指の爪であっさり切ると、結婚指輪を刀身に括り付けた。

「ルカ、一つ質問しよう。

 もしこの状態で、私が何かを斬ればどうなる?」

「対象物は、変わらず両断されるでしょう。

 剣は矢張り砕け……、……指輪は両断されるか、対象物への太刀筋角度によっては……四散します」

 リナは、得心したようだ。

 ルカは、漠然と不安を覚えたのみ。

 准将は、満足そうに頷いた。

「そうだ。

 そして私は知枝に、

 “この指輪を失くした時、私が君を裏切って捨てると言う意思表示とする”

 と言ってある。

 彼女はそれを承諾している。

 誓約書もあるが、確認するか?」

 ルカも、ようやく得心した。

 絶句した。

「この指輪を付けた刀を、お前に託す。

 お前がこの刀で、あの八月のような降臨規模を伴った剣を振るう。

 すると指輪は壊れる。

 私と知枝は、離婚する」

莫迦(ばか)な!?」

 桐江聖次郎と知枝が、何の障害も諍いも無い、理想的な夫婦であることを、ルカは知っている。

 知りすぎている。

 そして、こうした時に放たれる叔父の言葉が、ただの脅しやはったりで無い事も、また。

「私達夫婦の縁を破壊するに足る状況に陥った時、刀を使え」

「出来ない!」

「ならばリナの言う通り、指輪を庇って目先の敵に殺される愚を犯すしかない」

「従士バーンズも、これでは結局、剣の使用を容認する筈が無い」

「では、その時のお前と彼女は、人命よりも指輪を優先したと言う事だ」

 それ以上、ルカは二の句を継げない。

「どうだ? お前の命を危険に晒さず、八月の剣に少しでも近付ける方法だ」

「貴方は、何を考えて、こんな物、受け取れない、駄目だ」

「それもお前の選択だろう。

 結果としては、危機に際して刀を使わなかった場合と違い無いだろうがな」

「何か、他の方法が」

「あるだろうな。

 お前にとって、私達夫婦の縁を破壊する、と言う事と等価の何かが」

 それでは、何も解決にはならないと、さしものルカも理解していた。

「お前にとって耐え難い犠牲。

 あの剣を再現するのに必要な儀式思考がこれである以上、方法論に意味は無い。

 お前が納得の行く犠牲では、意味を為さないのだから。

 だから仮にお前がその刀を使って指輪が失われた場合、お前は次に犠牲にするものを選ばなければならない」

「……、……」

「だが」

 と、甥にすえた灸が燃え尽きたのを見届けたかのように、語調を変えて、

「刀を使わずに“刀を使わなければならない状況”を打破すれば、犠牲はいらない」

 ルカの肩に手を置いた。

「使わなければ、良い?」

「そうだ。刀を使わなければ従士や市民が死ぬ。その状況で更に自分を窮地に追い込む。

 これもまた、お前にとっては耐え難い事の筈だ」

 荒れに荒らされたルカの思考は、叔父が言わんとしている事の意味を掴めない。

「耐え難い事を全て避ける事など、不可能だよ。

 お前が言うそれは、お金を支払わずに物が欲しいと言っているに等しい」

「……」

「刀が必要な状況で、刀を使えない。これもまた立派な代償だ。

 後払いか先払いかの違いに過ぎない」

「私からすれば、無意味な事ですね」

 またも冷たく言ったのはリナだった。

「叔父さんは、知枝さんを犠牲に兄さんの剣術を保障してくれたのだと思いましたが」

「それを選ぶのは、ルカ自身だな」

「だから、私にとっては無意味なのです」

 ルカは、妹に対して絶句し、咎める目を向けた。

 ――何て事を言うのだ!

 その言葉が迸る前に、桐江准将の言葉が滑り込む。

「リナにとっても無意味ではないだろう。

 武力の価値とは、必ずしも行使する事だけにあるわけでは無いのだからな」

 ――兄の為なら知枝の犠牲をも容認するか。

 叔父は、様々な寂しさの伴う笑みを浮かべた。

「武力は、手元に持っているだけで盾になり得る。

 例えば、手当たり次第に人を殺す通り魔が歩いていたとする。

 その通り魔がダニー・フライ枢機卿猊下(すうきけいげいか)の横をすれ違ったからと言って、彼に対して凶行に及ぶと思うか?」

 ああ、と、リナのまつ毛が数ミリ下がった。

「思いません。思考段階で、返り討ちに遭うビジョンしか見えませんから。

 詰まり、兄さんが建造物全壊クラスの剣を使える、と言う事実だけでも意味が有る、と」

「そういう事だ。

 ルカが八月以降に振るった剣は、様々な場所で記録に残っているだろう。

 そのうち一太刀は、自称“ただのマイケル”が居合わせた中で振るっている。

 少なくとも、今回の任務のように人間を相手取る場合、ルカが剣を持っている(・・・・・・・・・・)状況自体が脅威となる。

 しかも、その使い手が自分の命を省みないという性質も込みで、知られているわけだから……ルカ達を追い込む程に腕が立ち、なおかつルカの事を看破する程に賢い相手ならば、萎縮せざるを得なくなる。

 まして、第六位執聖騎士ルカ・キリエは、キャリアこそ浅いが、それ相応に顔が知れてもいる。

 八月の事件に関心の薄い程度の人間が相手であれば、バーンズさんと一緒である限りまず問題ないだろう」

 リナは、納得がいったように頷いた。

 ルカは、それ以上何も言えなかった。

 ただ、何も言わずに演習用の刀を腰に備えたのみ。

 叔父は、満足したように微笑んだ。

「ご飯にしよう。そろそろ、知枝が声をかけてくるはずだ」

 

 心情に関係なくきびきびとした足取りのルカ。

 それに叔父と妹がマイペースな歩調で続くので、距離が離れていく。

 リナが、聖次郎の腕を軽く叩く。

(叔父さん? 知枝さんと交わした約束の話は)

 発声せず、唇の動きだけを見せる。

(本当だ。私達も、結婚当初に色々あってね)

 普通の娘であれば、その“色々あった”事について根掘り葉掘り問いただしたくなるようだが、

(それは、今も生きて居る契約ですか)

 聖次郎は、また苦笑じみた面差しを、姪に見せた。

(生きている契約だ。結婚指輪を失えば、私と知枝の縁は終わる)

 桐江夫妻は。

 子宝にこそ恵まれなかったが、誰から見ても幸福で、非の打ちどころがない夫婦だった。

 リナから見てでさえ。

 恋人同士の時間が永遠に続いているような。

 付き合い始めたころのときめきが、今も続いているような。

 それでいて、長年を共にした信頼と安心に満ちている。

 およそ人間で居る限り至宝に等しいそれを、

 何の拍子で壊れるかも知れない指輪一つに委ねる。

 夫婦間に何かが起きたわけでは無くても、指輪を失くしたと言うただ一点の事象だけで、関係が終了する。

 そこに二人の本心が介在する余地は無い。

 それも、誰かに強制されたわけではないのに、自らそうしたのだ。

 リナからすれば、著しく合理性を欠いた事だった。

(儀式起点に大きな犠牲を支払えば、高い降臨規模が得られる。端望会のような、何の奇跡的価値がない想いであっても)

 聖次郎は、リナの思考を正確に推し量ったように言った。

 小首を傾げ、切りそろえた黒髪を揺らすリナの姿は、歴戦の准将の目には年相応に映った。

 だが、生娘としての気配はすぐに消え去り、闇色に染まる瞳は、狙撃手のような鋭さに変わる。

(もう一つ、質問が有ります)

(何だい? リナ)

(兄さんに渡した指輪は)

(勿論、偽物だ)

 ルカの広くたくましい背中を、夕陽の朱が撫でる。

 後ろの密談に気付く様子は、無い。

(……バラしても良いですか?)

(良いけど、無駄だ

 お前は何があってもルカの味方だ。

 ルカの意に沿う、沿わないという事は度外視して。

 ルカは、お前が思っている以上に、そこを理解しているよ。

 我々夫婦の事より、ルカの剣。

 と言うさっきのやり取りも踏まえて、兄さんが躊躇なく剣を使えるようにと、気を配っているようにしか受け取らないはずだ)

 リナは、軽く目を伏せた。

(私が味方である限りは、ね)

 叔父の言う事は、ある面では正しい。

 リナ・キリエは、ルカ・キリエの味方。

 義母のエリザベスは、そうあるよう、他人の子であるリナを育てた。

 それはちょうど、八月に交戦したイグナシオ・アルバと同じ原理では無いかと、彼女は考える。

 本能が“手段”と直結した人間に、真の自由は無い。

 イグナシオはまだ、天然モノであるだけ、それを本心だと思い込める。

 だから、幸せな方だと思えた。

(可愛い甥の為とはいえ、こうも簡単に手放せるくらいなら、知枝との縁に、私はそこまでの価値を見出していない事になる)

(けれど、今や兄さんにとっては“あの指輪が本物である”と言う事が真実である。

 貴方は、大事な物を賭けずにして、兄さんにだけ覚悟をさせた)

「まあ、お前達はまだまだ子供だと言う事だな。すぐ、二者択一に走ろうとする」

 聖次郎が、今度はルカにも聞こえるように言った。

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