episode2-2 ~宣言~
裏切りは、信を得ずして成らず
――賊信徒カエサル・カナーリ
「信頼と裏切りって、基本的にセット物なんですけど。誰も知らなかったんですか?」
それは、少年が人生最後に放った一言だった。
裏切りを実行する前提条件は、信頼・信用を得る事。
仮に信頼関係の無い相手に弓を引いたのなら、それは裏切りにはなり得ない。
ただの敵対行為だ。
少年は、奇跡文明の始祖レイシオ・グラントの腹心だった。
始祖の四天王。
恩師でもあるモノレ・モレリ。
兄貴分と慕っていたグロス・バルディ。
半生、身を寄せ合って生きてきた実姉レイシア・グラント。
その三人と同列に据えるほどに、始祖は少年を信頼していた。
裏切りの前提条件は、満たされていた。
少年は、始祖を敵対勢力に売り渡した。
死の寸前、少年が口にしたその言葉は、自らが始祖を売った事実を指しているのは疑いようもなかった。
やむを得ず始祖を売った事への、罪の吐露だったのか。
まんまと罠にかかった始祖や、配下達への嘲りだったのか。
少年の真意を知る者はいない。
少年がどのような顔で、どのような抑揚でそれを言ったのかさえ、伝わっていないのだから。
ダニー・フライ枢機卿に渡された本を読み終えたシーザー。
嫌いな活字からようやく解放された安堵から、(枢機卿の長女ドミナ・フライ謹製の)アップルパイを一切れ頬張った。
作ってからかなり時間が経っているはずだが、サクサクとした食感は少しも損なわれていない。リンゴの砂糖煮は、甘すぎず上品な味わいだ。
「それ、何を隠そう、僕が書いたんだけど」
枢機卿が言うと、パイを慌てて飲み込み、
「んぐ。そうだろうと思いました」
フライ枢機卿の淹れた紅茶で流し込んだ。
「どうだった?」
フライ枢機卿の笑みは、微笑と言うにはあまりに深い。
表題:とても不謹慎な始祖典・ネオ 著者:ジョージ・マクドナルド
始祖レイシオによる文明の興り・教団の結成・勢力の拡大・カエサルに裏切られての横死・始祖亡き後の残党による帝政クロネ陥落・その和平とシャトラ教国の建国。
大まかなプロットは、典型的な始祖典のものだ。
誰もが知る世界最古のエピソードに、派手なアクションやロマンスと言ったエンタメ要素をふんだんに盛り込んだ問題作。
「次、僕になんか読ませる時は、マンガにしてください。
絵も描けるんでしょ? ダニーさん」
シーザーの声に、抑揚はない。
「というか、偽名とはいえ、よくこんなもん書きましたね。
実はシャトラ、もう辞めたいとか?
悩みがあれば、聞きますよ? シェイさん御用達のカウンセラーが」
正体を隠して出版社に持ち込んだのだが、先日ミリオンセラーを達成してしまった。
枢機卿としてのクビが飛んでもおかしくはない内容だ。
場合によっては“不幸な事故”に巻き込まれ、物理的に首が飛ぶ。
「僕の心配はいいから、採点してほしいな」
――その時代の当事者である、君に。
フライ枢機卿の笑顔に対し、シーザーもまた、少年の笑みを返した。
屈託の無い、幼い笑顔の応酬。
だが、それで終わらせる事はできそうにない。
「厳密には、僕はカエサル本人では無いですよ」
「けれど、君がカエサル・カナーリの生まれ変わりである事に変わりは無い。
今、僕にとって重要なのは、そこだけだ」
シーザーは、上目で虚空を見つめ、考えるようなポーズを見せてから、
「誰かと寸分違わない記憶と感性を持って生まれたのが生まれ変わりと言うんなら、そうなんでしょうね」
「他人ごとだねぇ」
互いに高級茶葉の汁をすすってから、
「まあ、結局ここに書かれてるのは事実の羅列ですからね。
僕がカエサル・カナーリの立場として言うなら、このお話は間違ってはいない、としか言いようがないです」
先に口火を切ったのは、カエサル・カナーリの人格を持つ少年、シーザー・カレイだ。
「あの時、僕がどういうつもりでレイシオさんを売ったのかは言いたくないので、その辺は勘弁してください」
ダニー・フライ枢機卿の顔から、笑みは消えていた。
それが示すところはつまり、
「もう、僕からあの時代の事について聞くまでもないんじゃないですか? ダニーさんなら」
「ルカはどう思うだろうね。君の本性を知ったら」
そこに言及した枢機卿の顔には、再び笑みが浮かんでいた。
「そりゃー、怒るでしょうね。僕がしていることは、世間的には悪いことなんですから」
「まあ、今どき非現実的なほどのヒーロー気質だしね、彼。本当は、君との相性はすこぶる悪いはずだ」
シーザーは、苦笑を見せた。
「それであの人が僕を裏切り者だと言うなら、筋違いですけどね。
僕らの関係は、仕事の上司部下でしか無いですし。
その範囲外の事にまで干渉されるいわれはありません」
枢機卿の双眼が、にわかに細まった。
「今後、ルカの存在がそこまでの影響力を持つって事?」
シーザーがハビエル達を率いてやろうとしている事は、世界規模の影響を持つ。
ただの一個人に過ぎないルカ・キリエを、計画の勘定に入れている。
そうでなければ、ルカの存在など完全に無視すればいいのだ。
シーザーは、今のやり取りでうっかりそれを漏らしてしまった事になる。
「このままいくと、思い切り巻き込まれるでしょうね」
一応、二人はある種の共犯関係にあるのだが……まだまだ互いに腹を見せていない。
数分後には、敵対しているかもしれないからだ。
「そんなわけで、ルカさんの謹慎を解いて、和禰の方に移してもらえるとありがたいです」
「うん。いいよ」
即答だ。
「もう一人の未来人はどうする?」
「本物のルカさんと一緒の作戦区域にならなければ、どこでもいーですよ。
とりあえずは裏騎士団枠で……」
そこまで言ったシーザーの語末が、曖昧に淀んだ。
「と、なると。
あーして、こーなって、例の人があーすると……もしかしたら、あの人がまずいかな」
「うん?」
シーザーが、軽く頷いた。
「一応、保険にシェイさんを現場に付けてもらえます?」
「よしきた。やっとくよ」
無責任なまでの軽々しさで、騎士団総司令の青写真がいじくられてゆく。
「それよりシーザー?」
娘のアップルパイを手に取った姿勢のまま、枢機卿は思い出したかのように言う。
「吉井敬吾とのコンタクトは取れたの?」
吉井敬吾は人殺しだった。
公務員でもあると言うのに。
夜の袋小路。
街頭の作業員が降ろした天の光も、ここまでは届かない。
背丈は一七〇センチほど。
和禰人の例に漏れず低めの身長ではあるが、がっしりとしている。
豊かに茂った髭は、上品に切り揃えてある。
感情の乏しい眼差しの先には、ただれて縮んだ、真っ黒な遺骸が二つ。
元が男か女かもわからない。
文字通り、酸鼻極まる臭気が、吉井自身の鼻腔を焼く。
殺人者は、紙束のようなものを握りしめた。
手の震えは、拳を力んだせいなのかどうか。
これで通算、一八人を殺した事になる。
この国では、少なくとも四人殺せば死刑になる。
複数の足音と、慌ただしい息遣い。
間違いなく、警察だろう。
いかに秘伝の儀式戦術を持つ吉井と言えど、単独で警官隊の脇を潜り抜けられるほどの怪物では無い。
吉井敬吾は、逃げる素振りも見せずにただただ、立ち尽くすのみ。
シャトラ教皇の就任式。
(表向き)カエサルの息子達の手にかかり、逝去した先代教皇グロス・バルディⅩⅣ世。
本名、フレデリコ・ブレーヴィ。
その地位と役割を継ぐのは、枢機卿グレゴリオ・ストローブ。
改め、
シャトラ教皇モノレ・モレリⅩⅠ世。
レイシア大聖堂二階のテラスへ、白を基調とした聖衣を着た巨漢が進み出た。
一歩退いた位置には、託宣要員が立つ。
新教皇の言葉を、音の届かない位置に居る人々にも伝える為に。
眼下に広がる広場には、隙間無く、人がひしめいている。
就任後の初心演説は、教皇にとっては最初の大仕事だ。
先代グロス・バルディⅩⅣ世の時は、ユーモアを交えつつも、教国に必要なものを的確に突いた名演説として語り継がれているが。
「《シャトラ教皇の権限に於いて告ぐ。
上獅子派カエサルの息子達、暁喰らいの戦士団、真天把、シルバーシュシュ、
及び、此れら該当組織に資金・人材・情報の何れかを援助するあらゆる団体。
以上を、執聖騎士団の総力を以て殲滅する。
国籍、年齢、血縁、賞罰……あらゆるパーソナルデータを問わない。
生死を問わない。
該当組織の構成員は、シャトラ教国として、その存在を認め無い。
尚、上獅子派の性質上、戦場に於ける国土も問わない。
此れに関しては、執聖騎士団に於ける対競合種、及び、第一級テロ鎮圧の権限を適用する。
殲滅迄の期限は、本日より三ヶ月。
上獅子派系関係者かは、最終的に三〇,〇〇〇人の死者が見込まれる。
此れにより、非該当者――無辜の一般市民や治安維持要員――の死亡者数は三二,〇〇〇名の軽減が見込まれて居る。
他、予測される軍事費等については後日、広報局を通して開示を行う。
該当組織の内、休戦の交渉を行いたい場合は随時応じる。
以上を以て、シャトラ教国の意思表明とする》」
グレゴリオ・ストローブ、改め、新教皇モノレ・モレリⅩⅠ世は、踵を返して聖堂内へと消えた。
千を越す人々が地上を埋め尽くしている。
なのに、誰も、何も言えない。
新教皇就任と言うお祭り騒ぎを求めてきた者も、
世界の今後を占う為、教皇の言葉を聞きに来た識者達も。
重ねて述べるが、今のは、シャトラ教皇就任の初心演説である。
世界のリーダーとしての警察力を持ち、あらゆるエネルギーの根幹を握る国としての言葉だ。
今回は、たまたま相手が世界規模の過激派だっただけの事。
それに気づいてしまった何人かは、あまりの重圧に耐えきれず、嘔吐した。
ブルーシートを背景に、男が一人立つ。
その託宣イメージを受けてしまった街頭巫女が、上擦った悲鳴を漏らす。
この構図の映像に、良い思い出は一つもないからだ。
また誰かが殺される。
グロを見せられるのか。
だが、カエサルの息子達が、どこで監視しているかはわからない。
過激派の犯行声明を無視し、街頭に流さなかった巫女が何人も拉致され殺されている。
この為、放送局では従業員の身の安全が最優先として、過激派の声明を流させる方針を取っている。
この、学校を出たばかりの新米巫女も、自分を納得させた上で、歩行者達に映像をばらまく事にした。
ブルーシートを背に、男が立っている。
そのイメージを受信させられた市民達が、弾かれたように怯え出した。
早くも小規模なパニックが燻り、巫女達に責める視線を送る者もいた。
だが、巫女が犯行声明を流すのを邪魔した者が狙撃された事件も過去にあったので、手出しはされない。
《本日は、残念なお話をしなければなりません》
その声は、意外にも穏やかなものだった。
《申し遅れましたが、私は上獅子派カエサルの息子達の――こう言う立場も“幹部”と呼ぶものなのですかね? わかりませんが。
名はバジル・メルメと言います》
市街が、どよめきに包まれた。
バジルと名乗る男が何を言っているのか、わからない。
これまでの声明は、いずれも顔を隠した男が恫喝し、一般人を殺して晒し者にする野蛮なものばかりだった。
過激派の演説とはそうあるべきだと、誰もが思い込んでいた。
だから、
上獅子派組織の幹部が、堂々と名乗った事実に、頭が追い付かない。
百歩譲って、名乗るのはまだわかる。偽名という手もあるからだ。
だが、バジル・メルメは、あろう事か素顔を晒していた。
こんな事をすれば、どれだけ大きな後ろ楯があっても庇いきれるものではない。
年の頃は四〇代前後だろうか。
飾らないフレームの眼鏡が、かえって、彼の穏和な気性と、こざっぱりした身なりを引き出している。
見た目だけで判断するならば……表向きの職業は弁護士か、実業家か。
ビジネスマン風の市民達が、早くもバジル・メルメと言う名前について心当たりが無いか、情報交換を始める。
先にあった、新教皇の就任演説の事もある。
今やカエサルの息子達は……いや、上獅子派そのものが、世間の腫れ物扱いとなっていた。
そんな中、仮に嘘でも幹部を名乗ればどうなるか。
わからないわけでは、あるまいに。
《皆さん、驚きの事と思います。こう見えて私どもは、上獅子派……とりわけカエサルの息子達という組織がどんな目で見られているのかは、承知しているつもりだからです。
堂々と顔をさらして語りかけるなんて、そんな殊勝な心も知性も持っていない、と思われていたとしても仕方がありません。
私とて、上獅子にこの身の全てをささげた身なれど、こうして迂闊に顔を出して我が身を危険にさらす事は本意ではありません。
けれど、もっと大きなものを守る為に、この決断をいたしました。
先日のシャトラ教皇初心演説で、教皇モノレ・モレリⅩⅠ世聖下は、我々を殲滅対象であると公に宣言なさいました。
これに関して、私どもから反論の類を今更行うつもりはありません。
一度の生しかないとする、あなたがた。永遠の生を信じる私達。自らのありかたの根幹に対する見方が違う以上、相容れる事は難しいからです。
そうした“生は一度きり”という思想を信じておられる――何の落ち度もない――方を手にかけた事は、事実でもあります》
この期に及んで、自分達の非を認める気か?
どよめきは、いや増していた。
カエサルの息子達の幹部を名乗る者が、そんな事をすれば、上獅子派全体の立場をかえって悪くしてしまうだろう。
そうなれば、このバジルという男自身、穏健派も含めた同胞からの糾弾は免れないように思えるが。
《しかしながら、教皇聖下のお言葉を肯定するつもりもありません。
三〇,〇〇〇人を殺して、三二,〇〇〇を生かす。このような論理を突き付けられては、もはや我々カエサル・カナーリの息子達は後には退けません。
圧倒的な力と権益による、人類の統制。個々の違いや可能性をも平均化し、一顧だにしない方針。
それに屈すれば滅ぶしかない我々は、これで妥協案を模索する道を絶たれました。
上獅子派とそれ以外の人間は、今や排他的な関係にある別の生き物と言わざるを得ません。
生物学的に同じ構造をしただけの、異生物になってしまいました。それも、後天的にです。
私達は、滅びたくはありません。
故に、シャトラ教国の殲滅宣言を正面から受け、何とかしてこれに打ち勝たねばならなくなってしまいました。
故に、私達は、この闘争を受けて立つ事をここに宣言します。
その為には手段を選ぶつもりもありません。
私達には既に、託宣発祥の島として名高い、あの和禰国で行動を起こす用意があります。
我々“上獅子派”は、シャトラ教国への報復行動として、和禰国の現女王陛下を殺害する所存です》
馬鹿な! と、誰かが叫んだ。
《自らの業による報いが、必ずしも自らに帰ってくるわけではない。
現状の私達にシャトラ教国を落とす力が残されていない以上、同盟国に矛先が向く可能性も、教皇聖下にはご理解いただきたいと思います》