ミサキ・ゴーズ・インサイド(2)
どうしようもなく、そして若干の苛立ちすら覚え、いっそ本当に爆薬でも探しに行こうかと考えていた時、その音はふいに空気を切り裂いて美咲のもとへ到達した。
甲高い笛の音。
ホイッスルのような鋭い音ではなく、震えながら鳴る、それは美咲にとって聞き慣れた音。
「優花―!」
確かに、優花の持つ笛の音だった。
それを認識した瞬間、美咲の全感覚は再び鋭く警戒の網を構築し、全周囲全方向へとそれを拡散させていく。
優花は二つの笛を持っていた。一つは赤色で、鋭くやや低い音を発する笛。一つは黒色で、震えて響くやや高い音を発する笛。前者は自らに危機が迫った時に鳴らされ、後者は姉に危機が迫った時に鳴らされるものだった。
戦闘からは常に、やや離れて身を潜めている優花のこと、美咲としては妹に危険が迫っている場合、声より大きな何かで知らせてもらう方が有効だった。その為に与えたのが赤色の笛だったが、おねえちゃんがそうなら自分もと優花が自分で探してきて、その役割を付与したものが黒色の笛だった。
今鳴らされたのは黒色の笛。
一時期はうるさいほどに鳴っていたが、その音を聞くことは最近ではめったになかった。
久方ぶりの警報だが、それでも美咲は慌てていない。自分自身へ迫っている危機は大体いつも同じだった。
そしてそれはこの時も、また同じだった。
「ふうん、まだあんなに残っていたんだ」
美咲の感覚に引っかかったのは前方の動き。素早く動けば動くほど分かりやすくなる。その点、彼らには遠慮が一切なかった。
高架下から湧きに湧いてくる怪物の群れ。その数はおよそ八十。
急き立てられるように、競い合うようにして、怒涛の勢いで美咲の元へ殺到してくる。
その中に駅舎方向へ行くモノが一体もないことを確かめて、美咲は都合よくも脇に転がっていた鉄棒を拾い上げた。
「久しぶりの集団戦だけど、うん、できれば早く終わらせたいな」
呟いて、威嚇するように鉄棒を振り回す。そんなことで彼らは怯まないが、一つのポーズのようなものだった。
接近してくる群れの勢いは止まらない。もう五十メートルも無いというところで、再度笛の音が鳴らされる。
今度も黒い笛だった。
連続して同じ脅威を警告したとは思えなかった。この程度の数なら、優花もそこまで慌てはしない。
―じゃあ、何に。
答えはすぐに分かった。
前方から殺到してくる集団に気を取られ、疎かになった警戒網の隙をついて、新たな集団が美咲を補足していた。
発生源はあのモニターのビルの入り口。尽きることがないように思えるほど、無数の怪物がその場所から湧いて出てきていた。
美咲の推定では、その総数はおよそ五百。
「現金な人たち―」
タイミングを計ったかのような波状攻撃に、美咲はため息をつく。
改めて前方を見る。ビルからの一群と合流し、最初の集団とは既に区別がつかない。
併せて考えれば、その総数はおよそ五百八十体。
さらにその後方に中規模の群れが控えていることも、既に美咲は感知している。今は大人しくても、戦闘が激化すればその集団も加わってくるだろう。
「えっと、ビルの中から全部出撃してくるとして、後ろのいくらかも合わせると、大体七百くらいいるのかな」
七百体、と美咲はその数をあっさり口に出してしまう。
恐れも絶望もない。流れてきた仕事のノルマを確認するような気やすさだった。
突撃してくる怪物の奔流を見、尽きることなく怪物が沸くビルの入り口を見、そして最後に、手元の鉄棒へと目を落とした。
「うーん、これじゃあダメかな」
あっさり言って、鉄棒を投げ捨てる。
ガラン、という音とともに、美咲の手から唯一の武器があっさりと失われる。
それで美咲は丸腰になった。
襲い来る総数七百の怪物を前に、丸腰になった。
なってから、
「ごめんね、ちょっとお願いしていいかな」
そう呟く。
声の届く範囲には誰も、怪物と美咲以外には何もいないはず。
だがその声は確実に、宛てた者へと届いていた。
「三十六番」
美咲は呟く。
「二十二番」
歌うように、そして語りかけるように。
「三番」
前方の怪物など意にも介さないように。
「あと、十三番もかな」
遠方で見守る妹に、そう言った。
一拍の間があり、その後。
何かが美咲の元へ飛来してくる。駅舎の方向から、空中に放り投げられたように天高く舞い上がって、何かが飛来してくる。
一つは、回転する棒状の何か。
美咲の元へ一分の誤りもなく落下し、美咲は難なくそれを手に取ってしまう。
次に、一つの小さな球。
楕円状のそれも、美咲は器用に空中で掴み取る。
その次が大ぶりの、先が大きく膨らんだ棒状のもの。
美咲はそれを落ちるに任せ、手には取らない。それを分かっていたかのように、美咲の直上ではなくすぐ真横に落下した。
最後に太く短い、長方形の薄いもの。
掴み取り、スカートの上から腰に巻きつける。
それですべてが整った。
補給の全てが完了するまで、約十秒。
次々に飛来するそれらを瞬時に捌き、既に美咲は準備を整えている。
右手に握る棒状のそれは、抜き身の長刀。
初めの一つ。柄にシールが貼られている。「三十六」
左手の楕円、球状の物は鈍く光る破片手榴弾。
次の一つ。側面にシールが見える。「二十二」
横に転がる、錆びだらけのそれは大きなスコップ。先端には赤黒いものがこびりついている。
三つ目。持ち手にシールが巻いてあった。「三」
腰に巻いてあるのは革製のベルトだが、いくつも輪が重ねられ、そこに陽を反射して何本ものナイフが煌めいている。
後ろに番号が縫ってある。「十三」
そうして美咲は、全ての準備を終えた。
通りの向うから殺到してくる怪物の群れを、今はただ眺めている。もう十数メートルまで接近しているそれら異形のモノを、自分を食い殺そうとしている怪物たちを、一歩も引かずに。
怪物達の勢いは全く衰えず、相変わらず美咲に向かって一直線に突進してくる。
しかしその彼らに、最早勝利はあり得なかった。




