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ラスト・シスターズ  作者: 片側文庫
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ラスト・シスターズ(3)

 あれだけ赤かった空はすっかり暮れ、今は漆黒の闇に包まれている。闇の他には何も無いその空の中で一点だけ、満月が煌々と照っていた。

 街灯に照らされた大通りは、相変わらず怪物の死骸で埋め尽くされていたが、夜の静かな雰囲気がそれを隠すように包んでいて、昼間のそれよりも陰惨な空気は薄れていた。

 「どう?やっぱり、使えなさそう?」

 「うん…、でも、思ったより酷くないかも。直せばなんとかなりそうだよ」

 「そっか、よかった」

 落下した『べんつ』の状態を、優花がくまなく調べている。

 どれだけ運が良くても大破はするだろうと思っていたその車体は、しかし意外にもその外形を留めており、所々にダメージは見られるものの、見るに堪えないというほどの状態ではなかった。

 ただ内部の損傷は外から見るよりも激しいのか、電源に繋いでもモーターが駆動することはなかった。

 鎖をほどき、スノーモービルから取り外す。

 「私のせいで無理させちゃったね。せっかく優花も運転に慣れてきたところだったのに、ごめんね」

 「『べんつ』に無茶をさせたのは優花だよ。おねえちゃんじゃない。それに、また作り直せば済むことだから。おねえちゃんを助けられるなら、そっちの方が私には大事だもん」

 「…うん、ありがとう」

 「もう。お礼を言われるようなことじゃ、ないよ」

 少し照れながら、優花は『べんつ』を引きずっていく。

 前輪が潰れ、車体が前のめりなっている。ハンドルの支柱も右に傾いて、畳むことができなくなっていた。

 満身創痍のその車体を、優花は大事そうに横たえる。

 捨てていくつもりは無かった。部品を調達して修理すれば、さらに高性能な機体になると、優花は確信している。細部の状態をより詳細に、慈しむように撫でながら、一つ一つ確認していく。

 その様子を、美咲はじっと傍で見つめている。

 夜の薄暗がりの中、その姉妹の間にはしばらくの沈黙があった。それはその夜にふさわしい、静かな、優しい沈黙の時間だった。

 「優花はさ」

 ふと、美咲が口を開く。振り返った優花と、視線が合った。

 「私が戦っているのをいつも見ていて、ずっとただそれだけだったことに負い目を感じたって言ったけど、でも、それは優花だけの責任じゃないからね」

 「?」

 「私が、優花を戦わせたくなかったから。あいつらと関わってほしくなかったから、だから優花には後ろにいてもらってたんだよ。見ているだけだったとしても、それは優花一人だけの意思じゃなかったってこと」

 「でも、それでも」

 優花は立ち上がって、思わず、といった風に姉に一歩踏み寄ってから言った。

 「優花が何にも知らずに、おねえちゃんが何と戦ってるのかも分かんないで、そのままでいた事は、全然変わらないんだよ―」

 優花を守ることを第一義とし、そのためには自分の感情すら抑制できてしまう、そんな美咲には、やはり自分の後悔も、思いも、伝わらないのかもしれない。

 そう思うと、優花の表情に薄く影が差す。だがそれを押し留めるように、暖かい手が自分の頬に触れたのを感じた。俯いていた視線を上に向けると、そこには美咲の、いつもの笑顔がある。

 「だめだよ、優花」

 その笑顔から視線を逸らせなくなった優花に、美咲は少し困ったように言う。 

 「そんな風に考えるのは、まだ早すぎるよ。いろんなおかしい経験もしちゃったけど、優花はまだ中学生になったばっかりで、まだ私の妹で、大切な、優花。急にそんな風に考えないで、今は私に頼っていいの。もう少しゆっくり、そうやって時間をかけて、きっといつか、優花も私から離れていく。でも、それはまだ早すぎるんだよ」

 「…おねえちゃん」

 「だから、それは言わないで。まだそんな風に考えないで。きっといつか、自然にその時はやってくるから。だからそれまでは、ね」

 最後にゆっくりと優花の髪を撫でて、美咲は手を離した。

 優花は美咲の微笑みを見る。そこには無理をしている様子も、それを隠している色も見つからなかった。きっと本心から、美咲はそう思っているはずだった。

 だから優花も、それ以上は何も言えない。

 優花にはそれが正しいのかどうか分からなかったが、分からなかったからこそ、優花にはもう何も言えなかった。

 代わりに小さく、思いついたようにぽつりと言う。

 「…おねえちゃんって、やっぱりお母さんと似てるね―」

 「えっ?」

 ふいに思ったことは口の端から零れ出てしまう。だがそれを言葉にしてみると、最早そうとしか優花には思われなかった。

 それまでは交わされることが無かった、禁忌のように避けられていた、両親の話題。だが口には出さないだけで、優花はよく、その光景が脳内に蘇ってくるのを感じていた。それは辛うじて続いていたはずの日常が決定的に終わり、地獄が始まった時の、原初の光景だった。

 そこにあったはずの日常が蹂躙され、打ち壊されていく、最悪の記憶。

 破壊された家具と、燃え盛る壁と、そこに殺到してくる黒い影。住んでいた家が家でなくなり、家族が家族でなくなった瞬間の記憶だった。

 優花はその最後を思う。

 怪物がバリケードを破って家屋内に侵入し、家具も調度も写真も何もかも破壊しながら、自分たちを食い殺そうと迫ってきた、その最後の瞬間。優花の前には、母親の姿があった。

 片腕を失い、木材が腹に突き刺さり、血を溢れさせながら、それでも自分を守るかのように覆いかぶさるその姿と、その重みが記憶として蘇る。

 「おかあさん…?」

 あの時、優花はそう呟いていた。耳元で聞こえる母親の声が、あまりにも小さく弱々しく、その意味が聞き取れなかったからだ。

 何かを必死に言っている。繰り返し繰り返し、同じ言葉が優花のすぐ傍で囁かれている。

 やがて怪物が、自分たちの潜んでいる二階へと上がってくる。彼らに対して、扉にかかった鍵などは何の妨害にもならないだろう。きっとすぐに突破され、自分たちは食い殺されて、それで死ぬ。

 その直前、怪物の足音が扉の前まで辿りついたその一瞬、優花は初めて、母親の言葉を聞き取ることができた。

 恨み言か、痛みを訴える声か、神に祈る声か、そのどれかだろうと思っていた。今の母親の状態を考えれば、きっとその類の言葉だろうと予想していた。

 だが聞こえてきた言葉はそのどれとも違っていた。それはただひたすらに、優花に謝り続ける言葉だった。

 守れなくて、つらい思い、悲しい思いを、させてごめん、と。

 それが先ほどから何度も何度も、繰り返されていたのだった。

 自分の痛みも、死も、恐怖も、何も訴えず。ただただ謝り続け、そしてそのすぐ後、優花の目の前で、母親は怪物に食われていった。

 優花はそれをぼうっと見ていた。

 腕が欠け、足が千切れ、その他様々な見たことも無いモノが飛び散り、人が人でなくなっていく様を、ただぼうっと。

 その光景が信じられないような顔をして、頬に涙を流しながら、自分はそれを見ていた。

 優花は、その時のことを思い出していた。

 追想から意識を戻すと、そこは破壊された家屋ではなく、怪物は皆死んで、ただ静かな夜が続いているだけの場所だった。

 目の前には怪物に食い破られる母親ではなく、微笑んで立つ姉の姿がある。

 「おねえちゃんって、お母さんに似てるよ」

 それを見て、改めて言った。

 「えっ。そ、そうかな…?」

 「そうだよ、絶対。お母さんそっくりだもん」

 戸惑う美咲に、優花は笑いながら言葉を重ねる。

 だが美咲に、その理由は分からないだろう、と思う。きっと他の誰にも、自分にしか分からないことなのだと、優花は思っている。

 「どの辺かなあ。そんなに似てると思わないけど…」

 案の定、納得しかねる顔の美咲は、優花にそう尋ねてきた。

 もちろん、その問いに素直に答えることはしない。言っても分からないだろうし、言うべきことでもない。それは自分だけが知っていればよく、納得してもらわなくともよかった。

 だからおどけて笑いながら、からかうような声色で、優花はそこを指さして言う。

 「似てるの、そっくりなの。おっぱいとか、おっきいし」

 途端に真っ赤になって慌て始める美咲を見ながら、優花は大きな声をあげて、本当に楽しそうに、笑っていた。

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