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ラスト・シスターズ  作者: 片側文庫
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ラスト・シスターズ(2)

 困り果ててこうして丸くなっている自分に、優花は深く溜息を吐く。

 ここ数時間で、何度自分に失望したか分からない。だがその自分に向かって大きく手を振りながら、美咲は笑って歩いて来る。

 立ち上がって、ループを繰り返す思考を無理やり打ち切る。

 ―謝ろう、とにかく。

 「ごめんなさいって、言おう」

 美咲はきっと戸惑うだろう。ぽかんとするかもしれない。だが、優花は言わずにはいられなかった。

 それが理解されなかったとしても、謝ることが必要だ。

 きっと姉は変わらないだろうが、それでも。

 優花は躊躇しながらも、美咲がやってくるのを待っている。そこを通ったら言おう、と決めて、優花は美咲が立ち止まるだろう場所に意識を向ける。

 自分の前方、店の入り口に敷いてあるマットを目印に、そこへ美咲が来たら声を掛けようと決めた。

 やがて美咲が、息せき切って走り込んでくる。

 優花は声を出す。

 「あの、おねえちゃ―」

 「優花ぁっ!!」

 だがそれは言葉にならず、美咲もそこでは立ち止まらなかった。

 走ってきた勢いそのままに、優花は、姉に強く抱きしめられている。そのことに気が付くまで、しばらく時間がかかったほどだった。

 美咲の声は震えていた。

 泣いているようにも聞こえたし、実際そうなのだろう。優花にはその顔が見えなかったからそう想像するしかなかったが、多分、美咲は泣いていた。

 自分を包む柔らかい感触が、暖かい体温が、体の奥まで染み込んでいくのが分かる。あの怪物に囲まれた時の感覚とは正反対の、どこまでも優しさに満ちた感触だった。

 「優花っ、ごめんね、ありがとう、ごめんねっ…」

 「…おねえちゃん―」

 自分の名前と、謝罪と、感謝。それが順番に、繰り返し繰り返し、美咲の口から零れ出すのを間近で聞いている。

 優花はただそれを聞いていた。

 何も言えず、自分の言いたかった言葉の全てが、今は自分に向けられているのを、ただ聞いているだけだった。

 しばらくたって、腕をほどいて優花から離れた美咲の表情は、いつものように笑っていた。

 泣いていたのは勘違いかな、と思ったが、その目が少し赤くなっているのを見て、やっぱり、と自分の想像が正しかったことを知った。

 それが何故だかおかしくて、優花も笑ってしまう。

 言いたいことは、言うべきことは何も言えていないのに、美咲の前で笑うたび、心が晴れていくような気持ちだった。

 「おねえちゃん、泣いてた」

 だからいつもの調子で、そんな見当違いの事を言ってしまう。

 美咲はそれを聞くと少し赤くなって、

 「いいのっ、姉が妹を心配して泣くのは、いいことなのっ」

 そう言って優花の額を、人差し指でちょん、と押した。

 「怪我とかしてないよね?その、あれを動かした時とかに」

 「うん、大丈夫。おねえちゃん、制服の上は?」

 「いっぱい汚れたから捨ててきちゃった。洗っても落ちなさそうだったし、また別のを探そうかな」

 「ふーん、そっか」

 「優花の服も探してあげるね。今度は制服じゃなくって、もっとかわいいのとか」

 「別に、これでいいのに」

 「駄目だよ、いつまでも同じの着てたら。せっかくどこにでも行けるようになったのに、もったいないじゃない」

 「…どこにでも?」

 「うん、どこにでも。もう全部いなくなったし、これからは優花の好きなところに、いつだって行けるからね。電気屋さんでも洋服屋さんでも、公園でも建物の中でも、どこへでも」

 「そっか…」

 「…?」

 「…」

 話すごとに沈んでいく優花を見て、美咲は不審に思ったようだった。

 「どうしたの、優花?」

 覗き込むように、屈みこんで優花と目線を合わせ、そう訊いた。

 「え?えっと、何でも、ない」

 明らかに上滑りしている口調で、それでも優花はそう言ってしまう。

 何を迷っているのか、決めたことなのにどうして言えないのか、優花にはまるで分らず、頭の中は次第に混乱をきたしていった。

 俯いてしまう。そうすれば美咲は余計に心配するだけだと知っているのに、優花の視線は次第に下降していった。

 「ふむ」

 傍で、美咲が何か呟くのが聞こえる。

 なんだろう、と思って顔を上げると、そこには誰もいない。

 さっきまでそこにあったはずの美咲の黒い瞳も、幻のように消えてしまっていた。

 「おね―」

 「どーん」

 姉を呼ぼうと口を開きかけた瞬間、自分の体が何かに引き寄せられ、優花は後ろへと倒れ込んでしまった。

 「え、あっ、うわ」

 バランスのとりようも無く、優花の体は大きく傾く。

 衝撃を覚悟したその一瞬後、だがそれとはまるで違う、ついさっきにも経験したあの柔らかい感触と共に、ふわり、と自分は何かに包まれている。

 「おねえちゃん?」

 「どう、柔らかい?」

 背後から、楽しげな姉の声がする。

 先ほどまでとは違って、その背中には独特な、美咲の柔らかさが感じられる。優花は背後から抱きつかれ、柔らかな布の塊の中に引っ張り込まれたのだった。

 「ええっと」

 「一枚一枚もごわごわしてるのに、こんなにいっぱい集まったら本当にベットみたいだねえ。私、なんだか眠くなってきそうだよ」

 「…」

 姉の真意が分からず、優花は黙るしかない。

 確かに柔らかくはあり心地も良かったが、そこに何故このタイミングで誘い込まれたのかは理解できていない。

 だがそれ以降、美咲は一言も話さない。優花も、口を開くことには躊躇があった。

 再び美咲の声が聞こえてきたのは、本当に眠ってしまったのかと思うほど、長い時間が経ってからだった。

 それは今までよりも緊張を孕んだ声色で、静かに優花へと問う言葉だった。

 「優花、後悔してる?」

 「?」

 唐突に訊かれて、優花は反応できない。

 見上げるとそこには姉の顔があり、その目は今は自分ではなく、遥か遠くを見つめているようだった。

 「いつか聞こうと思って、ずっと聞けなかった。全部終わったら今更になっちゃうけど、でも知りたかったんだ。だから」

 美咲が自分を見る。視線が合う。その目は不安に揺れているように見えた。

 「優花、ホントはこんな街で、生きてなんていたくなかったんじゃないかって。ホントはそう思っていて、でも私が言うから仕方なく今日まで生きて、それで後悔してるんじゃないかって」

 「えっ?」

 美咲の目を見ても、冗談を言っている風ではない。だがその問いは、優花にとっては冗談に思えるほど意外なものでしかなかった。

 「そんな、そんなこと思うわけないよ。どうして―」

 悲しそうに揺れる姉の瞳を見たくなくて、優花はそこから目を逸らす。美咲がまだ自分を見ているのが分かったが、それを見返すことはできなかった。

 「…優花を守りたいし、私にはそれができる。でも、優花を守るっていうのがただの私のわがままだったらって、そう考えることがあったんだ。こんな街で生きて、壁の向うには多分ずっと出られない、そんな生き方しかできないのに、それでも守るってことが優花にとって本当にいいことなのか、私は考えたくなかった」

 「…」

 「私が死ねば、優花はきっと悲しむよね。だから私は死なない。死なない限り、私は優花を守り続けたい。でも、もしそれが優花にとって良くないこと、望んでなんていないことだったら、もしかしたら私は―」

 「おねえちゃん!」

 声が響いて、優花は自分が叫んだことに気が付いた。

 美咲の腕から抜け、思わず立ち上がる。

 美咲は優花の目の前で、少し体を起こして、困ったようにその姿を見ていた。

 「…ごめんね、ずるい言い方だったよね。うん、優花の気持ちを、やっぱり私は分かっていないのかもしれない」

 切なそうに、儚く笑う。

 自分を見つめる目を細めて、それでもなお慈しむように。

 優花にはその表情が、その他の何よりもずるく思えた。

 ―そんな顔して、なんで笑うの―。

 もう黙っていることはできなかった。美咲にこれ以上、そんな悲しい顔はさせられなかった。

 「違う、違うよ、おねえちゃん」

 あれだけ躊躇していた言葉が、そうやって美咲に見つめられただけで滝のように流れ出てきてしまう。

 「優花はずっと嬉しかった。この街がどうなっても、お父さんもお母さんも、他の皆いなくなっても、おねえちゃんがいてくれて、それだけで嬉しかった」

 美咲に悲しい顔をさせているのは自分だった。目の前にいる人は、ただ優花のためだけに笑っている。自身の感情の表現型としてではなく、ただ相手のためだけに笑顔を見せている。

 同じだ、と思った。勝手に思いつめて、勝手に思いやって、それで悲しく笑っている。

 「後悔なんてしてないし、優花はおねえちゃんと一緒にいたい。守ってくれて嬉しかったし、危ない時には必ず来てくれるのも、ずっとずっと嬉しかった」

 誰かのためになりたいのに、本心は自分のためだと疑って、それでずっと怯えている。何をするにも足踏みして、それで結局、また傷ついている。

 「でも、だから優花は分かってなかったの。おねえちゃんがあんな思いをして戦っていることも、それを怖いって思えなくさせちゃってることも、みんなみんな、分かってなかった。おねえちゃんは大丈夫だって勝手に信じて、遠くで見ていただけだった」

 同じ。何もかも。

 姉妹でこうも似なくても、と思う。

 母娘でここまで似なくても、と思う。

 「それが、今日分かったの。だから謝りたかった、これまでのことも全部、いっぱい。でも、もうおそいのかなって、そんなの、意味はないのかなって、おもって―」

 視界が滲み、涙があふれてくる。

 泣いている場合ではなく、言いたいことは半分も言っていない。それは優花も分かっている。

 「だ、だから、ごめ、ごめんな、さいって言いたくて―っ」

 だが、優花の言葉はそれ以上には続かず、しゃくりあげる声だけが響いていた。

 美咲は静かに、その言葉を聞いていたが、

 「…また、泣かせちゃったね」

 呟き、手を伸ばして優花の頭を優しく撫でる。

 それで関が切れてしまったかのように、声を抑えることも無く、優花は泣いた。

 美咲はその、大泣きする妹を抱き寄せた。自分の視界も、少し滲んでいるのが分かる。

 優花の涙は止まらず、枯れるまで続くように思えた。

 美咲も優花も、何も悲しいことなどないはずなのに、全てが終わって、地獄は終結したはずなのに、それでもいつまでも、ひたすらに泣き続けている。

 何かを流すように、何かを生み出すかのように、その涙は落ち続ける。

 廃墟の店内に、夕日が差し込んできた。

 どこまでも赤い、全てを貫き通すような光は、それでもそんな二人のことを優しく、包み込んでいるかのようだった。

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