ラスト・シスターズ
午後三時二十三分。
怪物との戦闘から形を変えた、「怪物の処理」が全工程を完結させた。
最後の一体になろうともその勢いに衰えは見えず、そして美咲にも、欠片の容赦もありはしなかった。
両手に持っていた包丁を二本ともその頭蓋に突き刺し、それでもまだ倒れようとしない怪物の、その頭を蹴りで吹き飛ばして、そしてついに終わらせた。
結局最後は、そういう終わり方だった。
美咲の足もとには無数の死骸と、部分となった残骸が転がっている。
逃げた個体は一体として無かった。皆一つの例外も無く、美咲の足もとに転がる肉塊と成り果てた。
「…」
それをどうするでもなく、美咲は眺めている。
総数、八千二百三十五体。
それは今や、街に蠢く脅威の数ではなく、ただかつてそこにあった、肉体の数となってしまった。
美咲の顔に、達成感や、満足感といった表情は浮かんでこない。ともすれば憂鬱そうにも見える無表情で、それらの肉片を眺めている。
やがてそれにも飽きたのか、目を閉じて、ふうっ、と短い溜息を吐き、再び目を開けた時には、そこにあった凶器としての瞳の輝きは完全に姿を消していた。
怪物だったモノの、残骸の山の上に立ち尽くしているのは、それでただの一人の人間となった。
美咲は視線を下げて、自分の状態を確認する。
制服は大量の血で汚れ、元の色も判別できなくなっている。ところどころ破れてしまっているのは、楽しげに振り回していた凶器が掠ったためだろう。袖口は両方とも、ほつれてぼろぼろになっている。
それを見て、一言。
「ひどい恰好…」
くすっと笑って、ただそう言った。
まるで夕立にでも降られた程度の、そんな気軽さで、美咲は言う。
そのまま血に塗れた上着は脱ぎ捨てて、地面へと適当に放ってしまう。下に着ていたセーターも、その下のワイシャツも多少は汚れているのだが、見た目としてはその上着を着ているよりも見られるものになった。
「あ、そうだ」
思い出したように呟いて、美咲は少し遠くの、あの車体の方へと視線を向ける。
怪物の群れを食い破るように追撃を繰り返していた結果、落下の地点からは少し離れてしまっていた。そこへ向かって、美咲は一歩一歩、肉塊を踏みつけながらゆっくりと歩いていく。
優花のリュックサックには、怪物に踏みつけられた跡も無く、目立つ汚れも見当たらない。それを確認して、美咲はほっと胸を撫で下ろし、そのままそれを拾おうとする。
「…重い」
ベルトに手を掛け、少し引っ張った時点で断念した。
武器の類はすべて吐き出され、中には「外部へ電気を供給する何か」しか入っていないはずだったが、しかしそれはあまりに重すぎて、美咲では到底持ち上げられない。
「しょうがない、優花を呼んで来よう」
そう言ってその場を後にする。
優花が待っているそのビルに向けて、今度は少し急ぎ足で歩いて行った。
戦闘は終わった。それはすぐに理解できたが、そこに実感が付与されるまでには少し時間がかかりそうだった。
優花は用品店の一階で、冬物のジャンパーの山に包まれながらその光景を眺めている。
『べんつ』とスノーモービルを繋げた、あの補給が成功した時点で、この結果は見えていたようなものだった。それでも優花の心には、まだどこかに不安があり、できるだけ姉の近くにいようという思いから、五階から一階まで降りてきたのだった。
武器の補給を受けた美咲の動きは、実際にはそれまでと変わりない。だが殺傷能力のある道具をその動きに持たせることで、撃破速度は急激に高まっていった。
四体、五体まとめての撃破が当然になり、怪物が脅威でも何でもなく、ただ駆逐されるだけの的になった瞬間だった。
補給から一時間で半数以上が、それから最後の一体を蹴り殺すまで、三十分もかかっていない。それまでの撃破率が嘘のような、圧倒的な解決だった。
「…うん、終わったね」
美咲の足が一閃し、怪物の頭が吹き飛んだその瞬間を確認して。
優花はそれまでの全てを思い返すかのように、ゆっくりとそう呟いた。
終結は、迎えてしまえばこんなにもあっけない。
地獄の始まった日を思い、それが終わったこの瞬間を考えても、そのあまりのあっけなさに、感動も安堵の心も湧いてはこなかった。
―なんて言って、おねえちゃんを迎えよう?
優花はそう考えている。
本当はすぐにでも姉の元へ走り出したいところ、それが思いつかないために、今もまだ登山着の山にくるまって、ぼうっと目の前の光景を眺めているのだった。
「おつかれさまって、いつもは言ってたっけ」
戦闘が終わった後、出迎える自分の言葉はいつもそれだった。
―おつかれさま。
それはどこか、空虚な響きをもって優花の頭の中に響いている。今の姉に伝えたいことは、言いたいことはそれではない気がしていた。
「ううん、分かってるんだけど、でも」
伝えたいのは、労をいたわる言葉ではない。
謝りたかった。これまでのことを、これまでの自分のことを、全て。
けれどきっと、美咲にはそれが伝わらない。優花にはそれが分かっていた。だからこそ、かける言葉に迷っている。
美咲は、優花を守って戦うのが当然だと思っている。それが何を相手にしていても、それが自分の死に繋がることだとしても、そのためであれば、美咲は死の恐怖を感じようともしていない。
あの通路で自分が感じたものより、もっと膨大で強力な死の実感をも、美咲は容易く受け流してしまう。そしてそれは、何よりも自分のためだった。
きっと美咲は、自分の命を投げ捨てるような戦い方もできてしまう。だがそんなことを優花が望むわけも無く、そしてただそれだけの理由で、美咲は死なないようにしているだけなのだろう。
少なくとも、ずっと以前はそこまでではなかった。過保護ではあったが、ある程度の線引きはされていたはずだった。
それがこうまで極端になったのは、一つにはこの街に現出した地獄のせいでもあるだろう。だがもう一つ、優花自身の考え方のせいでもあるはずだった。
絶対に姉は死なないという、そしてそれに裏打ちされた、無責任な傍観の姿勢。
薄々は自覚していたのかもしれない。こうして戦闘に参加すると自分から言い出したのは、きっとそのせいだった。
作戦は途中までは順調に、最後でイレギュラーを発生させながらも、こうして終結した。
そしてその結果、優花は美咲が何と戦っていたのか、それを初めて体感した。
視界の端では、美咲が屈みこんで何かを拾おうとしている。自分のリュックだな、と思ったものの、そこへ駆けていく気にはならなかった。




