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ラスト・シスターズ  作者: 片側文庫
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デイリー・オブ・デッドタウン

 二人の住むこの部屋で朝を告げるのは、陽の光でも目覚まし時計でもない。カーテンはとっくに取り外され、窓には木板や鉄板が張り付けられて塞がれている。時計はあってもアラームは鳴らない。余計な音は、ただ敵をおびき寄せるためだけに使われるものだった。

 だから、朝を知らせるものは一つしかない。

 「おねちゃん!起きて朝だよ起きてってば!」

 必死に姉を揺する、妹。

 布団に埋まっている美咲は、しかし起床断固拒否、の構えを崩さない。

 「むぅ、ねえ起きない気なのおねえちゃん!また出かけるのがお昼になっちゃうよ、またお昼ご飯がお菓子になっちゃうよ、そんなの嫌でしょねえおねえちゃん!」

 「ん…うん…そうだねえ…」

 「だから起きるの!もう九時過ぎちゃってるんだから、こら、寝ないで、寝ないでって、言ってる、の、にい」

 必死に揺すりながら言う言葉は絶え絶えで、美咲を起こすには効果不足でしかなかった。覚醒には程遠く、美咲の意識はどう頑張っても微睡より上に浮上してこない。

 「じゃあもうしょうがない!こうなったらあ!」

 てい、と掛け声をかけ、優花は姉の包まる布団を引き剥がす。慣れたもので、どこを掴めば簡単に剥がせるのか、彼女は熟知していた。

 「うっ…んんっ…、わ、分かったよ起きるよお」

 安眠は最早望めないと覚悟したらしい美咲は、その重たい瞼をついに開けた。

 だが依然、その顔は緩みきったままである。怪物を突き刺し、蹴り飛ばし、薙ぎ払っていた時の美咲はどこにいったのか、見当もつかなかった。

 「もう!ご飯できてるんだから、早く顔を洗ってきてね」

 「ん、うん…」

 ゆっくりと、そして見るからに嫌そうに体を起こし、引きずるようにして洗面所へ向かう。

 トイレ、洗面所、シャワーが一体となった簡易なタイプのものだ。この規模のアパートを考えれば、風呂がついているだけでも上々と言ったところだろう。

 ゆらりと幽霊のごとく鏡の前に立ち、美咲はどこまでも緩慢な動きで蛇口をひねり、言われた通り洗面を始めた。

 優花は机に皿を並べ、朝食の準備を整えている。昨夜そこににあったランタンは床にどかされ、明かりもつけられていない。代わりに天井からぶら下がった蛍光灯が、部屋全体を隅々まで明るく照らしていた。

 陽が差し込まないため昼も夜も判別できないが、優花が用意した食事はまさに朝食のメニューだった。

 てきぱきと皿を並べ、パン、スクランブルエッグ、サラダ、牛乳などが用意される。その妹とは対照的に、朝に絶望的な弱さを見せる姉は、未だに洗面所から戻ってこない。

 美咲がよろよろとそこから出てくるまで、たっぷり十分はかかっていた。その間にしたことと言えば何のこともなく、洗面と歯磨きだけである。

 「おねえちゃん、終わったら早く席に―うわあ、何でそんなにびしょびしょなの!」

 「え…?ああ…なんか、跳ねちゃって…」

 「水をいっぱい出しすぎだよお。ほら早く着替えてね、いつものとこに置いてあるから!」

 「ああ…ありがと…」

 その後、着替えを取るために近づいたベッドの魅力にあっさりと陥落した姉を必死に起こすため、優花がさらに苦労したことは言うまでもなかった。



 「準備はいい?忘れ物はないかな」

 「大丈夫。行こ、おねえちゃん」

 朝食を終えて着替えも済ませる頃には、大抵は姉の調子もいつもの通りになっている。優花が一日で最も苦労する時間は既に過ぎ去った。

 それからの行動は二つのパターンに分かれる。

 外へは出歩かずに家の掃除、片付け、洗濯等々を済ませて後はだらだらするパターン。

 外に出向いて食糧、資材、その他使えるものを何でも確保し、ついでに近場をうろつく、脅威になり得る怪物の群れを排除するパターン。

 特に日にちを決めてどちらかを選択しているわけではなく、姉妹二人で朝食の時に相談して決めている。と言っても朝の美咲は使い物にならないため、実質的には一日の予定はほぼ毎日、優花が決めることになっている。

 今日は後者のパターンを選択した。

 食糧の備蓄は十分だが念には念を、ということらしい。

 美咲は大きめのアタックザックを背負う。中身は何も入っていない。優花はあの巨大なリュックサックを、こちらはいつもの通りぱんぱんに膨れ上がっている。

 美咲は四重にかけられた鍵を上から外し、慎重に外を窺いながら、ドアを開けた。

 その途端、美咲の表情はそれまでとは全く違うものになった。

 優花を見守る優しい表情でも、朝に見せた緩んだ表情でもない。それは昨夜、怪物と対峙する直前に見せた、どこまでも冷静な無表情だった。

 後に続く優花にはこれと言って変化は見られないが、ただ纏う空気が少し緊張を孕んだものになったように思えた。

 美咲も優花も、この扉の向うが既に敵地だとわかっている。

 自分たちが本当に安心していいのはこの扉の内側だけであると、そう決めていた。

 二人は扉を開け、丁寧に上から順に鍵をかけた後で、階段を下りてアパートの敷地から出て行った。

 「今日はどっちの方に行こっか」

 あくまで明るく、優花が美咲に問いかける。散歩に出かけた姉妹のようだが、その周囲の風景は明らかに異様だった。

 廃墟はどこまでも続き、いたる所に焦げたような跡を残している。電柱すらも倒れ、無残な姿を晒していた。遠くに高い、見上げるほどの壁がそびえ立っているのが見える。この街を外界から隔離する、正気と狂気を区別するための壁だった。

 美咲はそれを少し睨むようにして見たが、すぐに、

 「今日は西にしよう。昨日は東で少し派手にやったから、そっちだともしかしたら大群に出くわすかもしれない。」

 優花に向かってそう言った。

 「そっかあ、そうだね。久しぶりだな、西側。あっ、あの電気屋さんに寄っていってもいい?」

 「いいよ。時間はあるものね」

 やた、と喜ぶ優花を見守りながらも、美咲は周囲への警戒を決して解かない。

 そうしながらふと、上に広がる空を見上げた。

 「いい天気…」

 今日は晴天。視界には雲一つ入らなかった。

 見上げれば、廃墟も何も目に入らなくなる。

 そこに広がる青だけを見ていられるこの天気が、美咲は好きだった。

 「こんな日だもの、いつもよりたくさん働けるよね」

 歩きながら周囲に気を配って、それでも美咲は心底心地よさそうに、そう呟いていた。



 少し歩いて、二人は駅のホームを見下ろせる空中廊下に出てきた。

 そう高い場所ではないが、かけられたのが線路の真上であるため、建物に邪魔されずに前後を眺めることができる。

 だがそこに、その眺める景色に、動くものは一つとして存在しない。

 この晴天の空の下、あまりにも無機質な世界の光景だった。

 風が吹きつける中、その光景を一瞥した美咲は、すぐにその通路を渡り切ってしまう。感動も感傷もなく、ただ渡るだけだった。

 その後を優花がついてくる。

 その歩みからは、やはり背負った物の重量は感じられない。足取りは軽く、少し駆け足でさえある。

 「ねえおねえちゃん、優花のこのリュック、あそこで買ったんだよ」

 背後の、今しがた通り越してきたビルを指さす。

 そのビル自体が一つの店舗である、大型の小売店だった。二人の渡る廊下は、その店舗の正面入り口に続くような形で伸びている。下に伸びる線路をまたぎ越して、そのビルに行けるようになっているのだった。

 美咲は振り返って、優花の、なぜだか得意そうなその笑顔を見た。

 「いいでしょ」

 何が得意なのか、どこが良いのか今一つ伝わってこないが、それでも美咲は頷いて肯定した。

 「うん、優花に似合ってるよ。かわいいね」

 「でしょ?あのお店で売ってるリュックなんて持ってるの、私くらいなんだって。大人っぽいねえってよく言われたんだよ」

 「そうかもね、きっとそうだよ。よかったね、優花」

 「うん」

 満面の笑みの妹を、姉は微笑みながら見ている。

 場所が場所、状況が状況なら時が止まるほど美しい場面だろうが、この死にかけた街ではそうはいかない。同じ場所に留まることをなるべく避けたい美咲は、優花に先を促して進んでいく。

 廊下を渡りきると右に進む。正面に巨大なターミナル駅が近づいてくる。かつては国内最大の利用者を数えた駅だった。だが今は誰もいない。

 階段を下り、地上へと戻る。先ほどまでは中空、それも線路の真上を歩いていたために風もほどほどに吹いていたが、下りてしまえばそんなこともなく、地上は無風に近かった。

 「じゃあとりあえず、いつものとこかな」

 「ハンバーガー」

 「そうだよ。それがあるところ…あったところ、だね」

 改札口方面に背を向け、逆の方向へ歩き出す。そちらに行っても仕方ないのは当たり前のこと。二人には分かっていた。

 ゆるやかな坂を下ると、大きな時計を模した看板が見えてくる。当然止まってはいるものの、まだ崩壊はしていない。元々はオレンジ色だったのだろう、その残滓のような色の塗料がへばりついている。

 そこが二人の目的地だった。

 ファストフード店。名前を掲げた看板は落ちていた。

 信号を渡り、先へ進む。止まっている車が多数あるが、どれも使えそうにない。あるいは潰されあるいは焼かれ、そうでないものはひっくり返って車道からはみ出している。

 どれほどの混乱がこの場を襲っていたのか、それが如実にわかる光景だった。

 だが今は晴天の元、何の音もしない。

 動いているのはただ姉妹の二人だけだった。その二人は周囲の惨状を気にするでもなく、叩き割られた自動ドアをくぐっていく。

 「おじゃまします」

 美咲は律儀にそう呟き、店内に入っていく。

 「ハンバーガー、ハンバガー、ハーンバガー」

 後ろで妙な歌を口ずさみながら、それに優花が続く。

 二人は慣れた足取りで厨房に侵入し、食品が保存されているらしい大型冷蔵庫へと近寄る。躊躇なくその扉を開けると、白い冷気が一気に湧き出てきた。

 そこから使えるもの、使えないもの、好きなもの、嫌いなものを優花が選り分けて、美咲がそれらを次々に鞄の中に放り込んでいく。

 料理をするのは優花の仕事だった。ならば優花が材料を選別し、嫌いなものをメニューに加えないのは当然の流れだった。

 美咲の鞄が三分の一ほど埋まったところで、優花の選別が止まる。

 「こんなものかな?」

 「うん。後は次の時に残しておこうよ。食糧はまだ家にもあるんだし」

 「わかった。じゃあ、今日はこれまでー」

 言いながらばたん、と扉を閉めてしまう。その仕草はいかにも楽しそうで、美咲はくすり、と笑ってしまった。

 「どうしたの?」

 「なんでもないよ。行こっか」

 不思議そうな優花には答えず、美咲はそのまま店外へ出た。

 開けた大通りが交差するその風景には、やはり何の変化も見受けられなかった。焦げた車や崩れた建物が折り重なり、その上に底抜けに明るい青空が広がっている。空の下に広がる風景は、もうどのくらいの間こうであったのか、想像もつかない。

美咲は少しの間考えてから、左方向へと進路を取って歩き出した。優花もそれに続く。

 「電気屋さん?」

 その進路の意味に敏感に反応した優花が、ほとんど確信を持って姉に尋ねた。

 「そうだね。ちょっと早いけど、でも、天気の良いうちに行ってみようか」

 「うん!」

 嬉しそうにはしゃぐ優花は、相変わらずその背負った荷物の重量を感じさせない。飛び跳ねたり駆けまわったり、普通の子供の動きと変わるところがなかった。跳ねるたび、リュックサックにぶら下がったアクセサリーがぶつかり合ってやかましい音を鳴らす。

 熊、猫、犬、鳥、その他の動物も多数。全てデフォルメされ可愛げを持たされたマスコットたちだった。

 「優花、あんまり跳ねると背中の子たちがまた取れちゃうよ?」

 美咲は前を向いたままだったが、その音で優花の運動しているのが分かったのか、やんわりと忠告した。

 「ちゃんと落としてないか見てるから大丈夫だよ」

 「そう言って、この前だって一個失くしちゃったでしょ」

 「あれは、たまたまだもん」

 「優花がそんなだったら、その内みんないなくなっちゃうかもね。私だっていつも見つけてあげられる訳じゃないんだから」

 「むぅ、分かったよお」

 がちゃがちゃ鳴っていた音が止む。少し落ち着きを取り戻し、跳ねまわるのは止めたようだった。


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