ユカ・ゴーズ・インサイド
決意を固めた優花はすぐさま身を翻し、店内へと駆け出していった。
『べんつ』を抱え、リュックサックを背負いなおす。
「おねえちゃんがどこにいるのか、確かめないと。中で何が起きてるのか、見える所に行かないと。きっと大変なことになってるんだ…。」
戦況を確認し、姉の無事を確かめなければならなかった。それは今までやろうとも思わず、その無事を確信していたが故に、全く不要としてきた行動。
優花はそれまでの自分を悔やんだ。
美咲の無事を漫然と信じて、呑気に構えていた自分。敵の脅威を体験もせず、外から眺めて分析した気になっていた自分。姉の戦いがどれだけ絶望的なものなのか、考えてもいなかった自分。
命が消える時は一瞬にも満たない時間で消えるのだと、知らずに傍観してきた自分を悔やんだ。
だが今は、そのことを知っている。
優花は素早く店内を見回して、上層へと上がる手段を求める。扉も窓も、壁すらも崩された店内は照明が無くとも比較的明るかった。
細長く続く店内の奥に、エレベーターが見えた。飛びつくように駆け寄ってボタンを押すが、当然のように反応は無い。ランプは点灯せず、扉は閉まったままだった。
「駄目なの?ならっ」
すぐ脇の暗がりには階段がある。『べんつ』を抱えては上れないと判断し、それはその場に置いていく。
フロア案内によれば、このビルは十階建てのようだった。五階のウィンタースポーツフロアに目をつけ、優花は一気に階段を駆け上がっていった。
幅は狭く、勾配も急だった。ほとんど四つ這いになりながら、息を切らせて、ひたすらに上層階を目指す。二階の踊り場で一度、四階で二度、脛を強く階段に打ち付けてしまったが、それでも優花の勢いは止まらなかった。痛みを感じる余裕も無く、優花は一気に五階まで駆け上がっていった。
一階に比べると雑然とした印象を受けるそのフロアには、スキーウェアやソックス、帽子といった衣料類、ボードやスケート靴などのスポーツ用品、その他の細々とした小物類などが、人がなんとか通れるほどの間隔を開けて陳列されていた。
どこから持ってきたのか、隅の方にはスノーモービルまで展示されている。それらをかき分けるようにして優花はフロアを縦断し、戦闘の続く大通りに面した、大窓へと飛びついた。
広告掲示が邪魔で下の様子が分らない。躊躇なく、傍にあったスキー板でその窓を破壊する。
一度強く叩きつけただけでガラス窓はあっけなく砕け散り、細かく砕かれた破片が下へと落ちていく。
それで見通しは良くなった。眼下に怪物がひしめき合っているのが見える。
美咲の姿は確認できなかったが、怪物が皆同じ方向へ腕を伸ばし、そちらに進もうとしているのは分かる。その先に美咲がいるはずだと推測するのは、難しいことではなかった。
優花はリュックから取り出した双眼鏡を、その群れの中心点へと向けた。倍率を調整し、視点を左右に振りながら、姉の姿を探す。
「―いたっ」
美咲はすぐに見つかった。
全てが黒い影として蠢く群れの中で、ただ一点だけ、そこに光が差しているようにぽっかりと空間が空いている。美咲はその中でただ一人、襲い来る怪物の群れをを撃退し続けていた。
「…うん。まだ大丈夫だよね」
その動きにいつもの姉の様子を感じて、優花は少しだけ安心する。
だが、それは一時のものでしかない。倍率を下げて全体を見れば、地面はそれが元々の色であるかのように、黒々とした怪物の皮膚の色で塗りつぶされているのが分かる。美咲の戦っている空間など、それに比べれば針の先ほどの広さでしかなかった。
怪物の数は増えてはいないようだが、減っているとも思われない。全体を見ても、まだ自分が引き寄せてきた数と変わりが無いように思えた。そこに、僅かな違和感を感じる。
優花はそれを確認するとしばらく黙って、その闘争の情景を目に焼き付けるように、真剣な目つきで見下ろしていた。
静かな青い目で、黒い闘争の全体を見つめている。
何かを確かめ、あるいは調査でもするかのように、目を細めて全体を睥睨していた。
怪物の動き、量、個体差、美咲との距離、美咲の動き、状態、位置。
あらゆる情報を収集して分析し、頭の中に展開していく。闘争の全体を図式化し、眼下のそれを情景でも光景でもなく、一つのデータとして認識しようとする。
戦況を知り、美咲の生存確率を確かめる。それが優花にとってのやるべきことだった。そのためにここまで来たのであり、そして今こうしているのだった。
頭の中で、視覚情報をデータに変換していく。そうしていると、ふいに優花の視界が暗転した。
直後、優花の意識はまたも上空へと遊離して、次にはあの鳥瞰図が、高速で思考の中に描き出されていく。
その中心は今度は自分ではなく、地図上に一つの記号となって表示されている、姉の美咲。その位置を中心として順々に、波打つようにしながら、地形と情報が図面上に開示されていく。
優花の目の前にあるのは両目で捉えた光景ではなく、詳細な情報と共に思考の中に描き出された地図だった。
優花はそこから、怪物の総数とその減少率を読み取ろうとする。意識した途端に、それはグラフとなって図上に示され、美咲が撃退した怪物の数と全体からの減少数が、時系列順に理解できるようになる。
「やっぱり、やっつけるペースが遅すぎるんだ…」
それを見て、優花は自分の予感が正しかったことを知る。
総数を示すグラフは減少を続けているものの、その下がり方は僅かずつでしかない。グラフの線が底辺にたどり着くには、まだ膨大な時間が必要であるように見えた。
「いつものペースの半分にも足りてない、どうして…?」
グラフを消し、今度は地図に目を向けた。中心で点滅する青いマーカーとなった美咲の、その情報をより詳細に確認しようとする。
動作やケガの有無、健康状態や精神状態まで全て把握できる。それらは全てがデータ化され情報枠となって、光点の隣で次々とポップアップしてくる。
「ケガはしてない、疲れてもいない、動き方もいつも通り―」
情報を閲覧しては消していき、また次の情報へと目を移す。撃退速度が低調な理由を必死で探る。
このままのペースでは、全滅させるより美咲の体力が尽きる方が早い。それがはっきり分かってしまい、だからこそ優花がその原因を潰さなければならなかった。
データの走査が続く。ありえないと思いつつもそれが天候情報にまで至った時、優花は一つの理由に思い当たった。
「そんな、でもすぐに分かることだし―」
戸惑いながらも、すぐにマーカーへと目を戻す。だが目的の情報を表示させたとき、優花は自分の直感が正しかったことを知り、同時に心の底から自分に呆れ返って、叱りつけたい衝動に駆られた。
「ばか優花っ、なんで気づかないの!」
表示させたのは美咲の戦闘状況。
受けた傷や回避率などのデータが並ぶ中、ただ一か所だけ、そこには空欄があった。
「使用武器:」
そこには項目だけが記載され、内容は空白のまま。
それはつまり、美咲が素手のままで戦闘を継続していたことを示していた。
持っていた鉄棒は壊れたか、落としたか。どちらにせよ、それで撃退率が上がらない理由は判明した。
あまりのことに優花はしばらく呆然としていたが、頭を振って集中力を取り戻し、急いで対策を考えた。
呆けている時間は無かった。美咲の持つ武器は攻撃方法だけでなく、防御の術ともなる。それが無いまま戦闘が続けば、それだけ美咲が怪我を負う確率が高まっていくことになってしまう。
「考えて、考えてよ、優花っ」
自分に言い聞かせるように呟く。
いつものように投げて補給する方法では、周囲だけでなく上からも怪物が飛びかかってくるこの状況で、確実に美咲に届くとは考えられない。加えてこの混戦の中、落下していく武器を正確に掴み取るための時間は、致命的な隙とも成り得る。
『べんつ』で群れに突撃して補給する強行策も考えたが、有効とは思えなかった。そもそも『べんつ』にそんな強度は無いし、美咲がいるのは群れの中心、どこから突っ込むにしても時間がかかりすぎる。
「…っ」
地図を睨みつけるようにして、対処の方法を探す。
ここまで大規模な戦闘の途中で、美咲へ武器を補給しようとしたことは、今までで経験が無かった。ありったけの武器を事前に用意し、いつも万全の態勢で臨んでいたからだったが、今回はその準備が全く足りていない。現に、今の美咲は丸腰だった。
必要なのは、大量の武器を一斉に、それも美咲の近くへと投下でき、かつそこに怪物を寄りつかせないような、そんな方法だった。
「絶対あるはずだよ。絶対」
必要な条件を並べてしまうと気持ちが萎えそうになる。叱咤して、優花は地図上の情報に目を走らせた。
美咲のマーカーから、怪物の群れ、自分の位置まで。そこまで視線を動かして、優花はふと思いついたように、フロアの見取り図を表示させる。
何の変哲もない、すこし込み入った店内の中、隅の方だけ妙にスペースが空いている。
フロアに駆けこんだ時には構っている暇も無かったが、確かに視界の端にそれが映った記憶もあり、地図で見ても、それのシルエットが大きく場所を取って表示されている。
「これなら、もしかして―」
そのシルエットを捉えた途端、優花の頭は猛烈な勢いで回転を始めた。
必要な情報を次々に引っ張り出す。それの重量、積載量、フロアの高さ、美咲までの距離、怪物の数、そして『べんつ』のスペック。
「うん、できるかも。っていうか、これしかないかも」
何度も確認しては頷き、その作戦が実行可能であるかどうかを確かめていく。
無茶とは思ったが、他に代案も無く時間も無く、そして不可能とも思われない。
「やろう」
強く言って、優花は自分の意識を地図から現実へと引き戻す。
視界が一瞬暗転したと思うと、次にはもう、いつものように両目で捉えられる範囲しか映っていなかった。




