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ラスト・シスターズ  作者: 片側文庫
22/35

オペレーション・ハーメルン(3)

 優花の前方に、最後の目標が見えてくる。

 十七番目と、十八番目の怪物の巣。

 印を打たれたその二つのビルは、道路を挟んで向かい合わせで建っている。総数約千五百の怪物が潜む、最大規模の最後の目標。

 優花の目指すゴールはそこから約数キロ先、『べんつ』ならそう時間はかからない距離にある。その二つのビルを通過すれば、後は本当に、駆け抜けて進むだけになる。

 「見えた見えたっ」

 鮮やかなペンキの色と共に、その目標が優花の視界にも入ってくる。

 ハンドルを握る手に力がこもった。長かった第二段階の、その終わりが見えてきている。

 向かい合ったその最後のビルは、今はまだ、ただの建造物としての体裁を守っている。その他のビルとの見分けは、美咲が書いたペンキの目印が無ければ全くつかないような、決まりきった形をしているビルだった。

 その姿を確認すると、優花は『べんつ』の進路を調整して、なるべくセンターライン上を走行するよう意識した。

 巣に挟まれた道路というものはこの場所以外には無く、それまではできるだけ目標へと寄って走行していたものを、ここではどちらからも同じ距離が取れるようなラインに変更してある。有効かどうかは分からなかったが、優花はそのラインを律儀に守っていた。

 双子のように同じ形をした、その目標に接近していく。

 ペダルを踏む足に力が入るのを必死に抑えて、一定の速度と間隔を意識し続ける。

 徐々に大きくなってくるそのマークを、優花は眩しそうな目で見ていた。

 そしてついに、最後の目標、その正面入り口に到達する。

 右、左、と少しの間、優花はそれぞれのビルに視線を巡らせたが、何かが起こったとしても知覚できるほどの時間は無かった。

 それはほとんど一瞬の事。

 あれだけ待ち焦がれていた瞬間は文字通り一瞬で過ぎ去って、すぐに優花の背後の景色と、そしてそこに溢れる怪物の影と同化してしまう。

 膨れに膨れた怪物の数と、それがために鳴る轟音とによって、優花はそのビルから、一体どれほどの数を誘い出せたのか感じ取ることができない。

 それでも優花は、ビル内にいたはずの千五百、その全てを引き出してきたと、ほとんど確信をもって考えていた。

 それまでの経験上、これほどに大量の怪物を引き連れて巣の正面を通過すれば、彼らが中からおびき出されないはずはなかった。例え最初の百体であっても、彼らはその誘いに乗ってきた。今はおよそ六千五百体で、その勢いは比べ物にならないほどに増している。飢えたはずの彼らがそこに食いつかないはずはなかった。

 「…うーんと、なんか、変?」

 しかしその確信は、優花が目標を通過してからしばらくすると、徐々に揺らいでいくことになる。眉をひそめ、背後の群れへと注意を向ける。

 追いすがる背後の気配に、何らの変化も見られない。

 どれほどの数を引き出せたのかは分からないにしても、最大で千五百もの数が一気に群れに加わったのであれば、それを感じ取れないほど優花も鈍くは無い。だがどれだけ懸命に探ってみても、その気配からは微塵の変化も感じ取れなかった。

 気配が変わらないばかりではなく、思い返してみればビルの窓が割れる音も、ドアの蹴破られる音も、建物が破壊されるそういった音が一切聞こえてこなかった。

 「食いつかなかった?そんなことって」

 呟いて、速度を落としかける。

 慌ててペダルを踏み込み速度を戻したが、その一瞬の減速だけでも、背後との距離がまた少し近くなってしまう。

 優花はそれに気が付かない。

 気になるのは自分と群れとの間隔ではなく、その状況だけだった。

 誘い出せたのか、出せなかったのか。

 誘い出せたとしたら、いくつ合流したのか、ここまで変化がないのは何故なのか。

 失敗したとすればなぜなのか、このまま走り続けるべきなのか。

 ぐるぐると思考が回り、優花には結論が導き出せない。

 ただ自分を追い回すだけの集団でしかなかった背後のそれが、自分の知覚できない事情が加わったことによって一気に不気味に思えてくる。

 その不安を打ち消すように、優花はつぶやいた。

 「約束の二番目、絶対に追いつかれない―。引き返したら、それが守れなくなっちゃう。だったら、進むしか」

 正面を睨んで、姉の待つゴールへと視線を向けた。

 前方から迫る障害と、背後から追いすがる怪物によって塞がれていた優花の意識が、それで一瞬、遠く自分の進行方向の先へと向けられることになった。

 それまでは意識できなかった、進路の先。そこに目を向けたとき、優花は小さく息をのみ、全身が硬直したのを感じた。

 前を向いたのは、安心するため。

 そこにいるはずの姉と、そこにあるはずのゴールという希望を思い返して、自分の中に生まれた僅かな不安を打ち消そうとした、無意識の行動だった。

 だがそこにあったのは希望ではなかった。

 そこに見たものは、それとはまるで正反対のもの。

 息が詰まり、思考が止まる。優花は道の先に、道の果てを見てしまっていた。

 その黒い果ては揺らめきながら、徐々に、自分の方向へと道路を侵食してくる。

 道の果て。それはスタートする直前、優花が見たものとよく似ていた。よく似ていたが、それゆえに、優花にはそれが果てなどではないとはっきり分かってしまう。

 その大きさは三十分ほど前に見たものとはまるで違う、巨大なものだった。

 「うそ、でしょ。そんなこと…」

 呟く優花の頬を、汗が伝う。

 それを拭う仕草も見せない。視線はその道の先に固定され、快調だった走りも、途端に鈍くなってしまう。

 鈍い走りは、優花の気持ちの表れでもあった。走りたくない、先に進みたくないと思うがゆえ、『べんつ』の走行も緩慢なものになる。

 進めば進むほど、その果てへと向かって近づいていくことになる。

 果ては侵食の速度を上げて、ますます優花に近づいてくる。

 黒いその姿の中に、小さな光が無数に見えてくる。

 鈍く怪しく光るその目玉は、千五百の怪物の形と共に、優花へと向かって突き進んでいた。

 腕を伸ばし足を回転させ、その向かう先は結託して一つ。

 道の幅いっぱいに広がったそれが優花を飲み込むまで、そう時間はかからないように思えた。

 優花は危険を承知で、自分の背後を振り返る。そうしなければならない理由があった。

 後方、六千の怪物は、今までで最も優花に接近している。それとの正確な距離を知らなければならなかった。

 一瞬振り返り、すぐに前を向く。

 「うわあ、ピンチかも」

 その距離は車五台分ほどしか開いていなかった。呟く優花の頬を、また汗が伝った。

 今度は素早く、左右へと視線を巡らせる。多少コースを外れても、前方の群れを回避できるような道があれば、と思った。

 だがそのような分かれ道も、僅かな隙間さえ右にも左にも、どこにも見当たらなかった。

 後方、十メートルほど開いて六千五百体。

 前方、四百メートルほど開いて千五百体。

 脇道、側道、迂回路、全て無し。

 状況を確認して、優花は唇を噛む。

 思考を回して有効な手立てを編み出そうとするが、気持ちが焦るばかりで状況を突破できそうな考えは浮かばなかった。

 「どうしよう、おねえちゃん―」

 尋ねた相手は、今はいない。

 ゴールまではまだ少し遠い。美咲の感知能力ならこの状況も知られているかもしれないが、優花が前方の群れと接触するまでもう猶予は無い。

 時間も無く、距離も無い。

 考えられる手立ても、手段も無い。

 そしてここには、美咲もいない。

 こうしている間にも、群れは接近し続けている。

 『べんつ』の速度と自らの速度を足し合わせた群れの接近速度は、優花にはもう数十秒の猶予も与えてはくれなかった。

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