7.異界の片鱗
ようやくファンタジー要素が入ってきます。お待たせいたしました。
翌日の学校。
僕はまたカナコについて色々訊かれるんだろうなぁ、嫌だなぁ、憂鬱だなぁと思っていたのだが、予想した通りにはならなかった。
それは何故かというと、クラス内は別の話題で持ちきりだったからだ。
人の噂も七十五日と言ったものだが、まさか一日しか続かないとは思わなかった。どれほど次の話題とやらが皆の興味を引いているのか。
普段ゴシップ好きの母親に辟易とさせられているため、そういった噂話があまり好きではない僕だったが、あまりにも皆の態度が昨日とは違うため、その内容について僕も気になった。
そして、クラス内でいつも噂話ばかりをしている僕の母親のような性格をしたクラスメイトに訊いてみたところ、どうやら僕達の学年の生徒が一人、行方不明になっているということだった。
行方不明になった生徒の名前は志鳥アヤメ(しとりあやめ)さん、一組の生徒だそうだ。彼女は昨日手芸部に顔を出した後に下校したが、その後誰にも連絡すること無く忽然と姿を消してしまったらしい。
娘が夜になっても帰ってこなくて心配した両親が警察に連絡をしたため、事件になった。
彼女の両親は学校や仲の良い友人の家に連絡を取ったが、誰も彼女の行方を知っているものはいなかったそうだ。
身近な人によれば何かに悩んでいる様子もなく、普段通りに生活をしていたという。
部屋からなくなっているものも特になく、本当に着の身着のままいなくなったということだった。
警察がどのように考えているかはわからないが、学校内での噂では誘拐されたのではないか、という意見が多数を占めるようだ。
誘拐か、普通の街だと思っていたが、物騒な事件が起こったものだ。
カナコと再会してから、平穏とはほど遠い日々を過ごしているような気がする。
──僕はこの話を聞いた時、他人事のように思っていた。行方不明になったという志鳥アヤメさんと面識もなかったし、いずれ警察が解決するだろうと思っていたからだ。しかし、この後この事件は、予想もつかぬ方向に向かって行くこととなる。
昼休み、僕は昨日と同じく、屋上へ向かう階段の踊り場に居た。
いくら話題の中心に僕が居ないとはいえ、再び教室までカナコが呼びに来てはたまらない、そのため、朝の時点で最初からここに集合するように決めておいたのだ。
お陰で目立つこともなく、僕たちは合流することが出来た。
ちなみに僕の食費である五百円は本当にカナコへと渡っているらしい。お陰でこの弁当攻勢から逃れることも叶わない。
……今日はのり弁か。ご飯と海苔の間に挟まっている昆布がなんともいい味をしている。
焼き鮭もうまいじゃねえか、文句の付け所がねえ。
しかも今日からは弁当箱が大きくなっており、分量も十分である。
悔しいが料理の腕前や気の使い所については認めざるをえない。
黙々と弁当を食べていた僕だったが、ふと気になったので今朝の噂話について、カナコへと訊いてみる。
「なあ聞いたか? 一組の志鳥アヤメさんが行方不明になったらしいな」
「志鳥さん……?」
眉を寄せて微妙な顔をするカナコ、何か知っているのだろうか。
「お前、知ってるのか?」
「ううん、でもなんだかひっかかるような気がして……」
なんだったかなー、と首を傾げてうんうん唸り出すカナコ、どうやらすぐには思い出しそうもないので、僕はそんなカナコのことは気にせず食事に集中する。
「あっ!」
「何か思い出したのか?」
「あーえっと、勘違いだったよ、あはは」
「……?」
あまり訊かれたくなさそうな顔をして苦笑いをするカナコ、ここ数日では見せなかった表情だ。
まぁ、正直僕もそこまで噂の内容について興味がある訳ではないので、訊かれたくないことを無理に訊いてもしょうがないと納得する。
「そうか、おっ、この漬物うまいな」
「で、でしょ! それはお母さんが漬けたんだよ、分けてもらったの!」
話題が変わったことに安心したような顔を見せるカナコには気づかなかったフリをして、漬物の話で盛り上がる。
それにしても流石に漬物は漬けてなかったか。っていうか弁当のために漬物を作る女子高生なんて色んな意味で凄すぎる。
「今度Myぬか床を買おうと思うの」
「ぶっ」
その発想はなかった。大体Myぬか床なんて言葉はこれまでの人生で聞いたことがねえよ。
先ほどまでの微妙な空気はなくなり、僕達はいつも通りに会話を続ける。
僕は思ったよりもカナコといる生活に、慣れてきているのかも知れない。
……
「話をしよう」
指をパチリと鳴らすと、彼女はそう言った。
「君達は運命というものを信じているかね? ああいや、この質問にどう答えたからといって、別に問題はないよ。ただ訊いてみたかっただけなんだ。最近の若者達はどういう考えを持っているのかということについてね。ぼくかい? ぼくはそうだな……あまり運命という言葉は好きじゃない。だってほら、運命というと、まるで生まれた時からこうなることが決まっている、みたいな感じがするじゃないか。それは面白くないよね。人は自らの意思で未来を選びとることが出来る、それが人の価値だとぼくは思うのだよ。じゃあそういう運命的ということについて何も信じていないのかというと、そういう訳でもない、運命に的をつけて運命的というと、なんだかポジティブに聞こえてくるから不思議だよね、運命的な出会い、運命的な出来事、どうだい? なんだかいい風に聞こえないかい? そうでもない? そうかい、これはぼくだけの考えだったのかな、まあいい、話を戻そうか。運命的な出来事というものを信じているかどうかだったね、ぼくはそういうものはあると思っている。ぼく自身は運命という言葉が好きではないので、必然と呼んでいるけれども。まぁ言葉遊びみたいなものだ、気にしないで欲しい」
彼女はそこで一息つくと、こほんっと咳払いをして再び話し始める。
「さて、その必然についてだが、ぼくはこう考えている『ある時期ある場所において、必ず起こりうる出来事』と。これには特に理由もなく『運命でもう決まっていたから起こったのだ』という考えで言っているのではない、何かしらの原因があって、それによって起こるものだ、という風に解釈して欲しい。まぁ、ぼくは国語の先生ではないから、言葉の使い方が間違っていると言われても困るんだけどね。あくまでもぼくはそのような意味を込めて使っているということを理解してくれればいい。原因があれば結果がある、そういう単純なだけの話ではなく、原因があっても『そうならなかった未来』と『そうなってしまった未来』の両方がある場合において、必ず『そうなってしまった未来』が起こる、これが必然ではないかとぼくは考えている。とは言えだ、神ならぬ身ではそんなことを事前に察知することは出来ない。原因があったとしても、それによってどうなるかはわからないわけだ。だから全ては物事が起こった後に『ああ、これは必然だったのだな』と思うだけなんだけどね。意味が無い? いやはや全く、君の言うとおりだ、こんな言葉遊びには何の意味もない、ただぼくの考えを披露しているだけなのだよ」
彼女は再び指をパチリと鳴らすと、姿勢を正す。
「もうすぐ本題だ、ん? 本題に入るまでが長い? ごもっとも。しかしぼくはこういう喋り方しか出来ないので、出来れば文句を言わずに付き合ってくれないかな、もうすぐ君達の聞きたかったことに答えられるはずさ。さてさて、それではぼくの考えはこうだよ『今この場で君達と出会ったことこそ、必然だった』と、ぼくは判断した。それが全てだ、これからのことについても、ぼくが出来る事はいくつもあるだろう。しかし、ぼくはそれをしない。ぼくがするのは君達のサポートだけだ。どうにもならなくなったときだけ、ぼくが手を貸そう。それもまた必然だったと、きっとぼくは判断するだろうから」
彼女は煙に巻かれたような顔をしている僕達に、こう告げた。
「神納スバル君、山本カナコ君、君達の存在が全ての原因だ。今起こっていることも、これから起こることも、何もかもだ。さあ、君達はどうする? この世界に足を踏み入れるかい? それとも、何も見なかったことにして日常へと戻っていくかい? 先ほどぼくは君達のサポートをすると言ったが、君達が日常に戻ることを選択したのなら、ぼくが残りは全て引き受けようじゃないか。さあ、選び給え、それがどのような結末をもたらすことになろうとも、それは全て必然の中で起こった出来事だ、君達が責任を感じる必要はない、思うがままの決断を下すといい」
そこまで言うと彼女は目を伏せて、まるで別人になってしまったかのように黙りこむ。
僕は、カナコに目を向けて、どうするか考えこむ。
今置かれている状況に至るまでの道筋を思い出しながら──
……
今日はとにかく、行方不明になった志鳥アヤメさんの話でもちきりだった。
彼女の行方については教師も気にしている様子で、何か知っているものがいれば申し出るようにと各クラスに通達したようだ。
それ以外にも下校時にはなるべく一人にならない、寄り道はしない、部活動は遅くまでやらないようになどなど、様々な注意事項が告げられた。
彼女のいなくなった状況がわからない以上、それも仕方のないことだと思う。
そして放課後、部活動に所属していない僕は、当然帰る訳だ。
都合が良いというべきか、家までは近所に住んでいるカナコと一緒に帰ることになるので、一人という状況は避けられる。
そして寄り道をするにも僕の小遣いはほとんどゲームソフトを買うことに費やされるので、散財するような余裕は全くない。
カナコの事情は知らないが、特に文句も言わずについてくるということは、まっすぐ家に向かうことについて異論はないのだろう。
そうやっていつもとは少しだけ雰囲気の違う下校になったのだが、事件はその最中に起こった。
「なぁ、あれ、誰かのカバンか?」
「そうみたい」
学校からの下校中、ちょうど学校と僕の家の中間くらいまで来たところだろうか、そこで僕は道端に落ちている学校指定のカバンに気がついた。
僕達の通う学校では、どんなカバンを使うかは自由だ。しかし、入学時に一応学校指定のカバンを買うことが出来て、それを使っている人もそれなりにいる。ちなみに僕とカナコは学校指定のカバンは買っておらず、普通の手提げカバンを使っている。
近寄って見てみると、チャックの持ち手に付けられた人形に気づく。どうやら女子の持ち物らしい。
「これ、手作りか?」
市販の品のようにタグがついておらず、また縫い目も機械縫いとは違ってややばらつきがあった。
「へぇ、可愛いね。猫ちゃんかな」
確かに、人形はデフォルメされたぶち猫に見える。
「それよりも、誰のか確認しよう」
「勝手に開けるの?」
「だって開けないとわからないだろ」
「そうだけど……」
カナコは他人のカバンを勝手に開けることについて、多少の逡巡があるようだ。
「別に中身を物色しようって訳じゃない、名前を確認出来るものがあるかパッと見るだけだよ。わからなかったら学校に持って行くさ」
「そう?」
「ああ」
カナコを説得した僕はカバンを開ける。確か、学校指定のカバンは、開けたら名前や学年、組を記入するカードをいれる場所があったはずだ。几帳面な人なら、恐らく書いてあるだろう。
「持ち主は……えっ……?」
「どうしたの?」
「二年一組、志鳥、アヤメ……?」
カードに書いてあった名前は、昨日行方不明になったという彼女の名前が記入されていた。
「うそっ……」
瞬間、僕の背筋に悪寒が走り、空気が変わったような雰囲気を感じた。
「っ……! なんだっ?」
「スバル、いま、何か」
カナコも空気の変化に気がついたのか、緊張を滲ませた顔をこちらに向けてくる。
「ああ、なんだか嫌な予感がする、早く学校へ戻ろう」
それとも、一度家に帰るべきか?
僕がそう悩んでいる間に、事態は動いた。
「スバルっ! 学校の方に何かいる!」
カナコが一際緊迫感を孕んだ声を上げる。僕がそれに反応して学校へ戻る道に目を向けると、何者かがそこにいた。
見た目はなんだろうか、ろくろ首の長くなった首から上だけが浮遊している状態とでも言う物体である。
遠目ではよくわからないが、顔に当たる部分は人間ではなく、邪悪さを秘めた、まるで映画に出てくるゴブリンのような、つり目で皺だらけ、尖った耳に鷲鼻を持った容貌をしていた。
ひと目でこの世のものではないと理解出来るそれに、僕の全身は総毛立った。
「逃げるぞっ!」
僕は瞬時にカナコの手を掴み、自分の家へと向かって走りだす。
すると僕達に気がついたのか、ろくろ首はこちらに向かって飛んできた。
「スバルっ! 何、あれっ!?」
「知るか! とにかく逃げるんだよ!」
全力で家に向かって走っていた僕達だったが、向こうのほうがスピードはあるらしく、徐々に距離を詰めてくる。
「くそっ、あいつ早いぞ!」
「まずいよスバル! このままじゃ追いつかれちゃう!」
僕の家までは走ってもまだ数分はある、このままではカナコの言うとおり、途中で追いつかれてしまう。
「誰か居ないのか! この時間ならもっと人がいるはずだろう!!」
そう、何故か僕達の行く先には誰もおらず、無人の通りが続くだけだった。こんなことは普段ではあり得ない。
「何が起こってるんだよ! 畜生!!」
もはや足を止めれば瞬時に追いつかれるという距離まで近寄られた僕は、悪態をつく以外に出来る事がない。
カナコは走るのに必死で言葉を出す余裕もないようだ。
そして後数秒で追いつかれるというタイミングで、思わぬところから助けの手が入るのである。
「はっ!」
突如横合いから飛んできた何かがろくろ首へとぶつかり、そいつは勢い良くブロック塀に叩きつけられた。
ゴッという痛そうな音が鳴り、そのままろくろ首はずるずると地面へ崩れ落ちていく。
「ふんっ」
そこに一瞬で飛び込んできた人影が、勢いつけて踵でろくろ首を踏みつけた。すると、ぐしゃりという音を響かせてろくろ首はまるで最初からいなかったかのように霧散した。
突然すぎる出来事に目を瞬いていると、人影が言った。
「やあ、大丈夫だったかい。もう平気だよ」
声をかけてきたのは、僕よりも身長の高い、モデルでもやっていそうな着物美人だった──