運命をもう一度
「好きです、付き合ってください!」
「は、嫌ですけど」
夏の匂いを乗せた風が吹き抜ける午後。数分後に始まる五限に向けて、騒がしくなった校内とは裏腹に静かな裏庭の隅で、澪はなぜか告白をされていた。それもクラスの人気者、天羽遼に。
椎名澪は真面目な人間だ。
高校生になった今も、ひざ丈を守ったスカートを身につけ、きっちり眉上で前髪を留めている。
また一本にひっつめただけの飾り気のない髪型が、時折「お局様」と陰口をたたかれているのは澪自身も知っていた。
よく言えば真面目、悪く言えば融通が利かない。そんな澪の性格も、周囲からの評価を助長していた。
以前など、グループ活動で別れた教室に澪が居たというだけで盛大な舌打ちをした女子がいたほどだ。綺麗なウェーブの髪をなでつけながら、太ももを存分にさらけ出して足を組む彼女にとって、澪の存在は理解できないものなのだろう。
確かに正しいのは澪だった。けれど普通なのは彼女の方だ。
クラスメイトの大半は、澪よりも十センチは短いスカートを履いていたし、中学生の頃の様に飾り気のない髪型をしているのはオシャレに興味の無いごく一部だけ。
皆が皆、校則の穴を突き、教師の目をかいくぐりながら個性のアピールに勤しむ。それが高校生活というものだった。
澪に告白をしてきた、遼だってどちらかと言えばそちら側の人間だ。
いつかの休み時間、「ちょっとアマネぇ~」なんて甘えた声を出した女子生徒が、彼の肩にしなだれかかっている姿を、澪は見たことがある。そしてその光景は当の本人も、周りの男女も日常の一つとして飲み下せるものなのだ。
澪にとって、それが普通であるあの男女混合の陽キャグループは、どこまでも相容れない存在だった。
だから遼との関わりなんて、それこそ授業中に同じ教室にいる事と、先々月にプリントを拾ったことぐらい。
まさか天下の天羽遼がその程度で女に惚れるはずもない。それこそ澪ですら、笑顔で礼を言った彼に胸がときめいた止まりなのだから、理解ができなかった。
「だって、意味が分からないじゃない。貴方が私のどこを好きになるって言うの?」
澪にとって心からの言葉だった。しかしそれを口にした途端、澪は心が少しだけざわついた。なんだか、以前にも似たようなことを言ったような記憶がある。
「それは……」
そんな澪の戸惑いに気が付かない遼は、ただ眉を下げてたじろぐ。
澪が放った絶対零度、断固拒否、といったオーラにどう返したものかと思案しているようだ。言葉を探すときに、少し膨らませた頬を撫でるのは遼の癖なのだから。いや、そんなこと私が知るわけないけれど。
「……もしかして罰ゲーム? だったらおもしろい反応をできなくてごめんなさい」
即答できない彼を見て、澪はため息交じりにそう告げた。
期待なんてしていなかったはずなのに、思っていたよりも冷たい声が出てしまい、澪は内心焦る。これはちょっと、感じが悪かったかもしれない。
それに本当に罰ゲームだとしたら、この態度こそ笑いものにされるかも。
「いや、そんなんじゃないよ!」
けれど澪の心配とは裏腹に、遼の態度は真摯だった。澪の言葉に、とっさの反論と声を上げた遼は、一度深呼吸を挟み続ける。
「俺は本当に椎名さんが好きだ。きっかけは、その。凄く、子供っぽいかもだけど……」
そして再び言葉を止めた。言い難いという、その態度は先程と変わらなかったけれど、そこに浮かんでいたのは戸惑いではなく照れだった。
「三ヶ月前、俺、君にシャーペンを拾ってもらっただろ? そのとき、初めて笑顔を見てさ。一目惚れ、みたいな」
「はい?」
澪の口から思わず言葉が漏れる。天下の天羽遼がその程度で女に惚れるはずがない。そのはずなのに、今の言葉は聞き間違いだろうか。
「それに俺、よくわからないんだけど椎名さんに告白すべきだと思ったんだよね」
「意味が……わからない」
続く遼の言葉も、まるで意味が分からなかった。いや、むしろ分かってはならない。澪は直感的にそう思った。
天羽遼は、椎名澪を好きになってはいけない。以前にも、そう強く思った記憶がある。
そうだから、遼は澪を好きになってはいけない。のに。
あの告白から半年が過ぎても、なぜかまだ遼は澪の傍にいた。
その間に澪は思い知った。遼が、いかに名実ともに良い男であるかということを。
色眼鏡だったのだ。澪は遼のことを”相いれない陽キャ”として、脳内でこういうものと決めつけていた。
けれど遼は澪が思う、騒がしくチャラいだけの男ではなかった。彼は勉強もできるし、運動もできる。
以前、興に乗ってしまった澪が、テストの別解を熱弁したことがある。その時に寮は、澪と遼は同じ目線で答えを検討してくれた。
体育の授業がバスケだった時、遼は軽々とスリーポイントを決めた。澪がその姿に見とれていれば、彼はいつもの友人達にもみくちゃにされていた。
しかもそんな中でもどんくさくも転倒した澪を気遣い、ねんざした彼女に付き添って保健室に行ってくれたりもした。そんな優しさも見せられてしまえば、もう無理だ。
澪はすっかり遼にほだされてしまった。
今では教室に入って一番に彼の姿を探してしまう。それに、声が聞こえるだけで心臓が跳ねてしまうのだ。完全に完敗である。
先日など、澪は教師から「スカートの丈、合わなくなったのか?」なんて心配をされた。
断じて違った。澪はわざとスカートを切って短く整えたのだ。
それに以前ならばくだらないと切り捨てて、流し読むための数秒すら割くことがなかった占いに、少額ながらお小遣いをかけてしまったりもした。
運命なんてものに縛られて生きるのは何よりもくだらない。澪は生まれた時からずっと、意固地なほどそんな考えに固執し、未来は自分で切り開いていくべきだと思っていたはずなのに。
ラッキーアイテムにこだわり、運気が悪ければ一日落ち込む。気が付けば、そんな普通の女子高生のような毎日を送るようになっていた。
そんなある日のこと。
「今日、ちょっと話したいことがあるんだけど」
二限終わりの中だるみの時間。澪の元に、遼からそんなメッセージが届いた。澪は思わずスマホを取り落としてしまう。
今日の恋愛運は『超最高』、『あなたの思いが実を結び、すべてが思いのままに進んじゃうかも♡』。まさかその通りになるなんて。
幾度となく裏切ってきた占いが、ついに叶ったのかもしれない。澪はそう思った。
呼び出されたとおりに澪は、半年前に告白された場所に向かう。ラッキーアイテムは鏡と言われたから、手鏡も握りしめてきた。
あの日とは違い、澪よりも少しだけ遅れてきた遼ははにかみながら口を開く。
「俺、椎名と同じ大学を受けようと思って」
もう一度告白されたら、頷こうと思っていた。そして遅ればせながらいわゆる花の青春とやらをやってみようなんて。
そう思っていた澪は、肩透かしを食らった。しかし同時に、澪はそれが最後の試練なのだと思った。今日の占いには『最後まで気を抜かないことが、勝利へのキーポイント!』と書かれていたのだから。
「そう、じゃあライバルだね」
遼が一目惚れしたのだと言った笑顔で、澪は言葉を返す。そして自分自身に一つ誓いをした。
卒業式の日、彼に告白をしよう。そのために受験も頑張り、その日までに自分磨きをしよう、と。
決意を決めた澪は強かった。元がクラスで浮くほど生真面目だったのだから、当然の結果とも言える。
澪は残り一年を切った高校生活に綿密なスケジュールを立てた。軸は二本。受験と女磨きだ。
今まで散々後回しにしてきたオシャレは、どんな方程式よりも難しかった。
チークにパウダー、シャドウとハイライト。お化粧に必要な工程を覚えるのに、澪は世界の国を覚える三倍の時間を費やした。
それでも、澪はあきらめなかった。そして周囲から「仰天チェンジ」なんて陰口を叩かれても、澪はすまし顔で黙らせる。
だって、鏡の中でこちらを見つめてくる自分の姿は、なんだかとてもしっくり来たから。
順調だったのだ。自分の思うままに自分を育て、澪は相当な自信をつけていた。
「好きです、付き合ってください!」
「ごめんなさい、私貴方のことよく知らないから」
そんな風に告白されたのも一度や二度じゃない。初めてされたときには、「意味が分からない」なんて言葉しか返せなかった澪も、うまくあしらえるようになっていた。
けれど代わりに遼と話す機会が減った。元はといえば、四六時中一人でいる澪の所へタイミングを見計らって遼が声をかけてくれることが多かった二人の関係。だ
澪自身が一人でいる時間が減れば、おのずと話す時間は減った。それを澪は寂しく思っていた。
もちろん、澪だって自分から動こうとしてみたこともある。
けれどその度、澪が一人であることを見とがめた男子生徒が、前々から澪に憧れていたという女子生徒が、澪の行く手を遮った。
そしてそれをかいくぐると今度は、軽々しく遼に触れられる関係性の女子生徒が、遼と放課後に夜まで遊び歩くことのある男子生徒が、彼の肩を掴んでどこかへ連れて行ってしまうのだ。
その姿に、澪は何度も説明の出来ない恐怖に襲われた。まるで永久に遼と会うことができないんじゃないかという、恐怖。これが恋かと、澪は初めての感覚に感動すらしていた。
忙しい季節は息をつく間もなく終わる。気が付けば、受験が終わっていた。
結果は、当然ながら合格。一方の遼も、無事に合格したらしい。
その喜びを胸に秘め、澪は来たる日、卒業式に彼へ思いを伝えることを決意した。
しかし卒業式当日、澪にとって二度目の人生がひっくり返るような経験をすることになる。
「アタシ、ずっと遼が好きだった。もう会えないなんて嫌。アタシを彼女にしてください」
以前から、遼にしなだれかかっていた女子生徒だった。綺麗なウェーブの髪と太ももをさらけ出す短いスカート。改めてみれば、完璧なメイクに自分の魅力を完全に理解している制服の着こなしをしている。
そんな彼女に、遼は告白を受けていた。
「俺は――」
遼が、彼女に何かを答えようとした。その姿に、澪の胸はぎゅっと締め付けられる。
彼を奪われてしまう。
そんな声が澪の頭の中に響いた。瞬間、澪の頭の中で大きな音が鳴り響いた。まるで、大きな鐘のど真ん中に居るみたいに耳鳴りと頭痛が酷くて、澪は立っていられなくなる。
「うそ、うそだ。ちがう、こんなの」
意味を成さない言葉がこぼれ落ちていった。
ぐるぐる回る視界の中、澪の頭の中にとある光景がフラッシュバックする。
そこは見知らぬ部屋だった。そこには大きなベッドと香が焚かれており、怪しい雰囲気が漂っている。
そこに、とある女がとある男と共にいる。その男は口から血を流し、倒れていた。
だから、運命なんてもう信じないと決めたのに。そう言ってその女は涙を流した。
「私、忘れて……!」
それは前世の記憶だった。澪がまだ澪でなく、遼がまだ遼でなかった頃の記憶。
澪はただ、あふれんばかりの記憶に押しつぶされそうになる。
「ああ……アマネ、様。私は、またあなたを」
記憶の濁流が止まった瞬間、澪はぽつりとそう呟き、一筋涙を零した。
シイナは娼婦だった。場末の、決して上等とは言えない安っぽい娼館で働いていた。
そこに勤めるシイナは、両親が借金のカタとして売り払った娘だったのだ。
「やあ、シイナ。今日も君のほほえみは、水面に写る月のように美しいね」
「褒めすぎよ」
そして、アマネは彼女の常連客だった。
シイナが買われた娼館は、騎士で貴族生まれのアマネには随分と似合わぬ場所。だからシイナは幾度となく、彼を帰らせようと策略を巡らせた。
「貴方はもう忘れたの? 私が貴方にした、数々の無礼を。普通の騎士様なら怒って二度と顔を見せないと思うのだけれど」
「どれのことだろう?」
シイナの言葉に、アマネは頭をひねる。しかしなかなか答えは出なかった。
そんなアマネに痺れを切らし、シイナは彼の肩を揺さぶりながら続ける。
「先々月、私が何のサービスもせずにただ貴方に愚痴を聞かせたこととか!」
「先々月……ああ。君が初めて自分の話をしてくれたときだな。君の生まれ育った家の話はとても興味深かった。家族が君にした仕打ちは到底許せるものではなかったが……安心してくれ、かの悪人たちは既に俺達が断罪した」
「せ、先月、私が貴方を無視して眠ってしまったこととか!」
「疲れていたんだろう? ここに来る客は決して素行がよいとは言えない客も多いからな。すまない、俺が毎日来られればいいのに……」
それもこれも、シイナが彼から見限られるべく行ってきたことだ。他の客ならば、もう来ないどころか酷い折檻すらするだろう内容。それなのにアマネはさも幸福そうに笑い、更にシイナへ尽くそうとしてくる。
手を変え品を変え、シイナは彼に見限られようとした。けれどアマネは堪えない。
もはやシイナは意地になっていた。きっと彼が本当にシイナを見限れば、耐えきれないのは彼女の方だろうに。
「じゃあ、先週私が一晩中貴方を無視してやった時はどうだったのよ!」
「無視、などされていただろうか? 確かに少し無口だとは思ったが……」
これもダメ、あれもダメとなればできることなど限られてくる。そこでシイナは強硬手段に出た。
何も語らず、何もしない。
娼婦としてあるまじき行動だ。客であるはずのアマネは金だけ払い、後は何もせずに翌朝帰るだけ。そんなのただの損。これなら怒る以外にないだろう。
しかしアマネはその時のことを思い返すと、ふっと笑みを浮かべる。それは心の底から愛しいと告げるようなもので。
「俺がこうして君の髪に触れ、口づけを落とすだけで、君はこうして真っ赤になる。それを見ているだけで、俺は十分楽しかったぞ」
「~~~~!」
完敗だった。男を手玉に取るはずの娼婦が、男に手玉に取られているなんてとんだお笑い種だ。
「いつか、絶対に貴方は後悔するから! 私には、運命が見えてるのよ!」
「そんな運命、覆して見せるさ」
だからきっと、罰が当たった。
元々、シイナは運命が覗ける類いの能力を持っていた。
だから家族からも疎まれたし、娼館に売り払われることだって十の誕生日から知っていた。それに抗わなかったのは、それまでの短い人生でも運命は覆らないと知っていたからだ。
八つの頃、シイナは木から落ちた小さな小鳥を助けようとしたことがある。けれどその小鳥に触れた途端、彼女はその小鳥が残り三日で死ぬ運命だと知った。
それでも幼いシイナはその運命に抗おうとその小鳥を自室に引き入れ、必死で看病した。そしてその鳥は五日目の朝に、彼女の部屋の燭台に突き刺さって死んでいた。
そういうものなのだ。運命というものは。
けれど彼女に構い続ける騎士、アマネの存在だけはシイナにとって初めての推測できない運命だった。
シイナには彼の運命が見えなかった。そして彼と居る間は自分のクソみたいな先の人生の断片も見ることはなかった。
それは彼女にとって初めての経験。だから彼女は自然とアマネに惹かれていった。
でもそれは全て間違いだったのだ。
ある日、シイナは酷く嫌な自分の運命を見た。毒を盛られて、死んでしまう運命だ。
その毒が何に仕込まれていたかは分からなかった。娼婦というものは、娼館の中にも外にも数多の敵が居るもので、犯人の目星すらつけることは難しい。
だからシイナは悟った。今日が自分の命日なのだと。
もちろん、全ての食事、衣服の繊維に至るまで気を遣うことも出来る。けれどそれをしたところでなんだというのだ。運命は覆らない。ならば、下手に被害を広げたりする前に、退場してしまうのが正しい選択だろう。
それぐらいの気軽さでシイナはその日を過ごしていた。
「うそ……」
けれどその瞬間は想像していたよりも突然、シイナの目の前に最悪の結果をもたらした。
いつものように、アマネがシイナを指名した。今日のシイナは彼を謀るつもりもなく、ただ最後ならばきちんと、お客として別れようと思っていた。
だからきちんともてなそうとしたのだ。だけどその行為は、他ならぬアマネの手で止められた。
何か、悩みでもあるのか?
きょとんとした表情でアマネは告げた。その言葉に、シイナの覚悟はなんだか削げてしまって。
気を紛らわせるように水差しの水を注いだ。
貴方ぐらいよ。たかだか娼婦の調子を気にして止めてしまうのは。
ついでとばかりにアマネにも水を渡して、飲もうとした。けどその水はそのまま下働きが丁寧に洗濯をしている安いベッドに吸い込まれていった。
「飲んで、ないな?」
手のひらが、じいんとする。シイナの手はアマネによって弾かれていた。
けほっと、小さくむせたアマネの口からは血が流れる。その様子は、運命で見た自分の姿とまるで同じで。
自身の命を奪うはずの毒が、この水差しに仕込まれていたのだとシイナは気が付いた。
「あああああああああああああああああ!」
シイナは、この水を用意してくれた下女が、彼女とオリの悪い姉様と懇意にしていたのを知っていた。
いつも顔を合わせる度に嫌味を告げていたその姉様が、昨日に限って上機嫌でシイナに突っかかってこなかったことに彼女は違和感を覚えていた。
今日の朝下女が、居心地悪げにシイナから目をそらしたことに彼女は気が付いていた。
それなのにシイナは、自らの運命を憂い悲劇の主人公を謳って、深く考えずにいた。
「待って、どうして。どうして貴方が。私の、私のせいね? こんな私が、貴方に惹かれてしまったから」
「はは、惹かれてくれたのか? ならこれ以上望むことはないな」
話をする合間にも、血がアマネから溢れていく。内臓が壊れているようだった。タチの悪い毒物は、間違いなくアマネの命を吸い取っている。
「私なんかに好かれても……しかたないのよ」
体勢を保てず、地面に崩れたアマネにシイナは縋り付く。涙が次から次へと溢れて、自身がこんなにもアマネに惹かれていたのだと改めて知った。
「どうか、泣かないでくれシイナ。最後に残るのは、君の笑顔がいい」
声が、笑顔が弱々しい。シイナは毒に詳しくないけれど、それでも分かってしまった。この毒が、どれほどの恨みを込めてシイナに盛られたのかと言うことを。
そしてアマネもまた、この毒の正体に気が付いていた。同時に騎士として毒を飲んだことは一度や二度ではなかったが、それでもこの状況で自分が助かる道がないのだと分かっていた。
「娼婦に笑顔を求めるなんて、あり得ないわ。私達なんて、底辺で泣いていれば良いと蔑まれる方が自然なのに」
「君に……そんなことを言う奴がいたのか? ああ、それはもっと早く相談をして欲しかった。そうすれば、必ず俺が――」
アマネの言葉が途切れる。喉の奥に、血がせり上がっていた。
その血をアマネは気力だけで飲み干す。吐き出せば、きっとシイナが余計に泣いてしまうと思ったから。
「君を、笑顔にして見せたのに」
どうにか口角を上げ、アマネは笑顔を作る。自分が見る最後のシイナが笑顔であって欲しいと思うのと同じぐらい、彼女に残る自分の最後の表情もまた笑顔でありたいと思ったから。
直後、アマネの意識は闇に飲まれる。降り注ぐ重力に抗うことも出来ず、彼は床に倒れ伏した。
「やだ、待って……貴方、ちょっと。騎士様? 騎士様! ――アマネ様ぁ!!」
脱力したアマネの身体を抱え、シイナは更に涙を流す。同時に、新しい自分の運命が見えた。
今まで覆ることのなかった運命。しかし見えた新しい未来では、シイナ自身が抜け殻の様な表情で知らぬ男に身体を売っていた。
「あは」
思わず笑いが零れる。死なず済んだ先の運命がこんなくだらなくて良いのか。
「あはははははは!」
おかしくて涙が出る。悔しくて腹が立つ。
こんなくだらない運命を見せる為にアマネが死んだなんて、シイナは到底承服出来なかった。
「なら、死んでやるわよ」
この娼館では、口づけを御法度としている。もちろんそんなものを守る娘は多くないけれど。
それでもシイナは店の決まりを盾にして、ここで幾度の夜を越えようと決してそれだけは許してこなかった。
顔を張られようと、折角のドレスを台無しにされようと、決して。
だから今夜、初めてシイナはその決まりを破った。
まだ温かいアマネの唇に、シイナはそっと口づけを落とす。毒を自分の身体に取り入れるように深く。
続けて、彼の腰から剣を抜き放った。毒で死んではあの姉様と下女が喜んでしまうかも知れない。それは、癪だった。
「さようなら、くだらない運命さん」
心臓を一突き。手入れの行き届いたアマネの剣は、素直にシイナの身体を貫いた。
気が付くと澪は学校の側の公園まで来ていた。池のある、大きな公園。近所で有名なデートスポットであり、春のこんな日には複数のカップルがうろついている。
「最悪」
全てを思い出した彼女は、そんな浮かれた空気に思わず悪態をついた。
そうして、わざわざ切って短くしたスカートを引き延ばす。
この丈の短い制服は澪の戦闘服だった。気が引き締まり、良い女になれた。
けれどそう思っていたのはもう、過去の事。あの娼館の時代を思い出せば、むき出しにされた脚があまりにも無防備に思えて馬鹿らしくなった。
「せめて切らなければ良かった」
水面を見つめ、思考を整理する。愚かな告白などしてしまう前に思い出せたのは僥倖だった。あの頃の様な過ちを犯す前に遼とは距離を取るべきだ。
大学は広い。学校は同じだろうと意識して場所を合わせなければ会うことなんてない。
「追い、ついた!」
だから二度と遼に会うことはない。澪はそう思った。
なのに直後、彼女の腕は掴まれる。他ならぬ、遼の手で。
「なあ、話ってなんだ?」
「は……」
「メッセージ、見た。期待してたのに、椎名ってば走って逃げちゃうからさ」
「告白は、もうされてたじゃない」
「見てたのか!? でもあんなの、当然断ったに決まってるだろ!」
「なんで断ったのよ!」
「そんなの、決まってるだろ。俺は椎名が好きなんだって。ずっと言ってるじゃないか!」
遼の言葉は、普段よりずっと澪の心に刺さった。刺さってしまった。
決意が揺らいでしまいそうになり、思わず澪は逃げ出す。
「やっぱりきっと、そんなのきっと、勘違いよ!」
叫び声をあげて、澪はその場を走り去る。少しでも心の整理がしたかった。
澪が走り去ったあと、遼は一人苦笑いを浮かべた。
「また、拒まれちゃったな」
でも、と遼は空を見上げ考える。
「もう、今度は手放す気はないけど」
かつて遼は、毒すら見抜けず死んでしまった。騎士に非ざる緩慢だ。愛する彼女の存在に浮かれすぎた。
しかしもう二度と、遼は澪を逃がすつもりはない。
だって、それが遼の選ぶ運命だから。




