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ヘキサグラム~我ここに在り  作者:
第1章 天在り・最初の冒険
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04_役者は揃った

欧州の大学の開始は9月、勘違いの修正です

そんなある日、昨日やりかけた仕事がしっかり終わっていることに気付いた。

誰がやったんだろうと考えてみる。

屋敷で見かけるのはエドに執事、ロッテ、アンナの4人でイワンは離れで暮らしているらしく庭で見掛ける程度である。

たまに近所の主婦らしいおばさんが野菜を片手に裏口でアンナと話しているのを見掛けた。

だが、彼女らが夜中にやってきて掃除したとは考えにくい。

となると、問題は誰がやりかけの仕事を片付けているのかである。

そんなある日、ネズミみたいな黒い影が視界の隅を駆けていくのを見た。

その直後に周囲を目を凝らして探して見たのだが、ネズミはおろか抜け穴も見つからなかった。

見つからないと言えば地下室も見つからない。これだけの屋敷だ。

地下室の一つや二つあっての不思議ではないのだが、入り口が見つからない。

隣の離れにはワインやチーズを保存する貯蔵庫が地下にあるのだ。

そこに入った時、思わず壁を叩いてしまい、ロッテに睨まれてしまった。

そうなると可能性のある場所で残っているのは尖塔への入り口だけになる。

勿論、隠し扉の存在も考えたがそれらしい場所が見つからない。

隙を見てあちらこちらの壁を叩いて見たり、エドやアンナにそれとなく鎌を掛けて見るのだが、結果ははかばかしくなかった。

エドなどは面白がって一緒に探し出す始末だった。

しかし、問題の尖塔への入り口だったが、何故かそこだけは入れて貰えない。

また、大抵そこには鍵が掛かっている。

そうなると意地でも入ってみたくなるのが人情というものである。

何か手段は無いものかと考えている内に一週間が過ぎ、教授が屋敷にやってきた。

てっきりイワンが迎えに行くものと思っていたが、意外にも教授は自分で車を運転している。

それも自分で車を車庫に入れ、アタッシュケース一つで玄関に入ってきた。

出迎えた執事やロッテと和やかに会話を交わす。

そしてメイド服を着たディジーを見て心底意外そうな表情を浮かべた。

何か言ってやろうと思ったのだが、それより先にエドが飛び出してきた。

「リチャード。」

そう言って教授の腰のあたりに抱きつく。

どうもこのエドには抱きつき癖があるらしい。

仕事中に何処ともなく現れて抱きつかれたことが何度あったことだろう。

教授は穏やかな笑みを浮かべ、頭を撫でている。

大学じゃ滅多にお目にかかれないやさしい慈愛に満ちた表情だった。

「また、勉強をサボったんだって。」

「だって、つまんないだもん。」

と言ってエドは頬を膨らませる。

それがまた愛らしい仕草だった。

どう見ても16歳とは思えない。

対する教授は話の分かるお兄さん役に徹している。

「つまらないじゃないだろう。

そんなことを言っているから何時まで経っても外に出して貰えないんじゃないか。」

「いいもん。外に出れなくても。

リチャードは9月までここに居るんでしょう。

何時も通り、勉強見てくれんだよね。」

「ああ。その予定だ。」

「だったらその時に遅れた分取り返すからいいんだ。

明日から教えてね。」

「ああ。」

教授は苦笑している。

学内で教授は授業が厳しく、滅多に単位に与えないことで有名だった。

しかし、それでいて教授の講座が何時も満杯なのは教授がハンサムな為だけではない。

耳に心地よいテノールと博識な話題、一方的に話しかけるのではなく、相手の意見を聞き納得するまで話し合う思考の柔軟性。

そして良いと思ったら、その者の論文として学会に紹介する度量の広さ等が挙げられる。

彼の紹介で世界の舞台に旅立っていった者が何人いることだろう。

そして第2、第3の彼らを目指し、多くの優秀な学生達が何時も教授の周囲にいた。

ディジーはと言うと教授の講座を受ける気など毛頭無い。

昨年、生活費を稼ぐ為、彼女は要領良く最低限の講義日数で進級に必要な単位を稼いだ。

同じ単位なら取れるかどうかも分からない講座よりも確実に取れる講座を選ぶ。

そして浮いた時間を総てアルバイトに注ぎ込んでいた。

ま、ここで評判の教授の個人授業を聞いて置くのも悪くないわ。

そう考え、ディジーは仕事に戻った。


翌日、良く晴れた穏やかな朝のことである。

食堂で教授が新聞を片手に濃いめのアッサム茶を飲んでいた。

目の前のトーストやスクランブルエッグには全く手がついていない。

その向かいでエドはママレードをたっぷり塗った分厚いトーストを食べている。

既に3枚目だ。

いくら育ち盛りとはいえ良く食べる。

それなのにちっとも背が伸びず、太らないのは何故だろう。

「ねえ、リチャード、それ貰っても良い。」

エドは手つかずのスクランブルエッグに手を伸ばす。

教授が軽く頷くのを確認し、皿を引き寄せようとした。

「いたっ。」

目聡く見つけたアンナがその手を軽く叩き、睨み付ける。

「エドワード様。意地汚いことをするんではありません。」

エドは叩かれた手をさすりながら、口を尖らせた。

「良いじゃない。食べないものを貰っても。」

「駄目です。」

そういって、今度は教授の新聞を奪い取った。

「リチャード様。

食事中に新聞を読むとは何事です。

それともこのアンナの作ったものが食べられないとでも言うですか。」

アンナに睨まれ、教授は首を竦めると仕方なさそうにフォークを取る。

その様子を見届け、アンナは悠然と厨房に戻っていった。

「やれやれ。

向こうにいると殆ど朝食は食べないんだがな。」

出されたものを何とか食べ終えた教授は席を立ち、ポットを片手にため息をつく。

「そうなの。良くお腹が空かないね。」

エドは不思議そうな顔をする。

「慣れるとそうでもないよ。」

教授は取り上げられた新聞とお代わりの入ったティーカップを片手にラウンジの方へ移動する。

エドはそれに続いて椅子を飛び降り、教授の服の裾を引っ張り、

「リチャード、今日の勉強、外でやろうよ。

いいでしょ。こんな日に部屋に隠っているの嫌だ。」

と言った。


午前11時、ディジーはティセットを持ってヴィクトリア風の庭園を歩いていた。

庭には彩り豊かな薔薇が咲き誇り、その中でも黄色の薔薇が目立っていた。

「これって確かマリア・テレジアン・イエローだったよね。

うーん、前にイワンに教えて貰ったんだけどな。

こんなに沢山あるから覚えきれないわ。」

薔薇の甘い香りの中を抜け、アーチの向こうの四阿へ向かう。

そこで勉強中の教授達へ、午前のティタイム、イレヴンジイズの御茶を届ける為だ。

ディジーの姿に気が付いたのか、エドが振り返り、手を振った。

その隣に教授が足を組んで座っているのが見える。

「今日は何。」

エドはもうお腹が空いたらしく、トレーの中身を覗き込んできた。

「本日はキーマン茶とスコーンです。」

ディジーが皿を並べるよりも早くエドがスコーンを手に取る。

そして、バターも付けずに一欠片を口に放り込んだ。

教授は持っていた小冊子を軽く丸め、

「行儀が悪いぞ。」

と、言ってそれで軽く頭を叩く。

「だって、お腹がぺこぺこなんだもん。」

エドの抗議を聞き流し、教授は立ち上がるとトレーのティポットをティ・コージーごと手に取った。

砂時計の残り具合を確認し、ティ・コージーを取る。

並べ終えたカップに紅茶を注ぎ終えると、カップをエドとディジーに渡す。

「あの、よろしいんですか。」

思わず受け取ったカップの行き場に困り、ディジーは恐る恐る聞いた。

「3人分あるんだ。気にすることはない。」

教授の言葉に、エドが自分の隣の席を勧める。

普通、こういう席にメイドは同席しないもんだと思うけどなあ。

等、考えながら仕方なくカップを片手に席に座る。

見るとエドはスコーンにたっぷりバターとストロベリージャムをつけている。

「朝、あれだけ食べたのにもうお腹が空いたのか。」

その様子に呆れ顔の教授が言った。

「育ち盛りだから。」

口をもぐもぐさせながらエドが答える。

「それで、トトメス3世はどうしたの。」

と、話の続きを促した。

どうやら、エジプト古代史の授業だったらしい。

よく見ると教授の持っている小冊子は学会の論文集である。

「教授、それで教えていたんですか。」

「ああ、今回のテーマが象形文字だったから。」

教授は別に気にした風でもなく、エドも当たり前の様に話を聞いている。

「テストに出るんですか。こんなこと。」

「多分、出ないだろうね。」

「じゃ、何でそんなこと教えているんです。」

「何故、そう思う。」

教授は視線をエドからディジーに移した。

相手の心の奥まで見通すような眼差しにディジーは少しどきまきしながら答える。

「だって、全国共通試験の為の勉強を教えているって聞いたんですけど。」

その言葉に教授は軽く頭を降った。

「私はエドの勉強を見ている。

だが、試験の為の授業をしているつもりはない。」

「じゃ、何の為。」

「ミス須藤。君は一体何の為に大学に通っている。」

「大学を出た方が就職に有利だから。」

「それだけか。それならばわざわざ海の向こうの大学を選ぶ必要は無い。

お国にも立派な大学があるだろう。何故そちらに行かなかった。」

教授の問い掛けにディジーは顔を背けた。

「それは私の都合というものです。教授には関係ありません。」

「それはそうだ。」

教授はあっさり引き下がる。

しばらく間をおいて、

「ただ、テストの為だけの勉強は学問とは言えない。

そして就職目的だけの大学は存在する意味がない。

ビジネススクールに行った方がずっと役に立つ。」

と言った。

ディジーはこれ以上突っ込まれると困るので話を強引に変える。

「話が変わるんですけど、少しお聞きしてもよろしいでしょうか。」

「何だね。」

「昨日、私の顔を見た時、意外そうな顔をしたでしょう。何故です。」

「ああそれか。」

教授はそう言って、ボーン・チャイナの白いティ・カップを口に運んだ。

「珍しいこともあるものだ思ったからだよ。」

「何が珍しいです。」

「君はこの屋敷に休みに入った直後から働いているのだろう。」

「そうですけど。」

ディジーは首を傾げる。

ロッテのいびりに何度もやめてやろうと思ったのは確かだ。

だけどそれと教授の態度の意味するものがどうも一致するようには思えない。

教授は少し考えるように視線を中に据え、再びディジーに戻す。

「今まで何人かの友人がこの屋敷に遊びに来た。」

「それで。」

「そして翌日の夜まで居たものは誰もいない。」

「何故。」

「あるものは怪我で。

あるものは幽霊を見たと言い、また別のものは訳の解らないことを言っていたな。」

その言葉にディジーは思わず席を立った。

「ここはお化け屋敷ですか!!!」

「さあ。私にも良く分からない。」

教授は訳が解らないという表情で紅茶を口にする。

「教授、もしかしてそれを知っていたからこのバイトに乗り気じゃなかったんですか。」

声のトーンが半オクターブ下がる。

それを察して、教授は椅子を引いた。

「私も無理だと言ったんだよ。

しかし、セバスチャン殿にどうしてもと頼まれて。」

それまで黙っていたエドが口を開く。

「でも、チャーリィやトムは平気じゃない。」

二人の視線がエドに集中した。

「誰それ。」

「チャールズ・ギャラウェイとトーマス・グルックスタイン、二人とも私の友人だ。」

ディジーは目を細め黙って教授を見る。

その視線に危険なものを感じ、教授は一つ咳をしてから話し始めた。

「彼らとて最初から平気だった訳じゃない。

ただ二人とも好奇心旺盛で負けず嫌いだから、やられ放しでは気が済まないらしい。」

大体の事情を話終えた後、教授はため息と共に付け加える。

「それで、原因は分かったの。」

「無数の仮説を立てたが証明されたものはない。」

「トムがおかしな機械一杯作って持ってきたよね。幽霊検知器とか。」

「ゴースト・バスターズじゃあるまいし。普通、科学者がそんなもの作る?」

それに対し、教授は疲れた口調で答えた。

「彼のあだ名は3割打者だ。」

「何よそれ。」

トムは科学者というより発明家で発明したものの内、まあ役に立つのは3割で、後は他人の迷惑だという。

「僕の部屋に彼が作ったものが沢山置いてあるよ。ディジー、後で見せてあげるね。」

ディジーはまず教授の様子を見た。

教授はそれに対し、黙って首を横に振る。

どうやらろくでもないものばかりらしい。

「遠慮しておく。」

「えー、何で。面白いのに。」

初夏の風がテーブルの薔薇を振るわせ、四阿を吹き抜ける。

長閑な田舎の休日の一こまだとディジーは思った。

彼女はまだ知らなかった。

この時、屋敷の一室で彼女を含む3人の運命に大きく関わる何か動き出したということを。


そこは窓の無い薄暗い部屋だった。

部屋の真ん中に大きなテーブルが置いてあり、4人の男女が黙って座っている。

「人は揃った。後は満月の晩を待つばかり。」

どことも無く声がした。だが、声のする方には人影は無い。

「では、門を開ける準備を致しましょう。」

背の高い女が答える。

「要らぬ。」

「我が主よ、27年前の前例が有りますぞ。」

小柄な老人が問い質した。

「心配は無用じゃ。汝等の育てた子等を信じよ。

それに、皆、祖父を凌ぐ力を持っておる。

父親の二の舞にはなるまい。」

「せめて、護符だけでも持たせてはなりませんか。」

太った女が不安げに声の主を見つめる。

「ならぬ。気付かれては総てが水の泡じゃ。」

「我が主。門には鍵が掛かっております。」

若い男が口を開いた。

「かの者に施した封印、その一つはあの部屋に入れば自然に解ける。

後は総て定めの赴くまま。」

4人は黙って頷く。

燭台の蝋燭の炎が消えた。

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