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ヘキサグラム~我ここに在り  作者:
第1章 天在り・最初の冒険
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01_事の始まり

その日は朝から雨だった。

ディジーこと須藤 菊音がその駅に降り立ったのは、午後3時過ぎである。

「教授も言ってたけど、本当に何もないところ。遊びに来たのなら最高なのにな。」

標準より少し高め、スマートな体によくフィットしたスーツを着こなし、意志の強そうな黒い瞳をした少女は軽くため息をついた。

緩く縛った長い黒髪を解き、ディジーは周囲を見回す。

駅員もいない小さな駅舎。

アイルランド北部の田園風景の広がる駅に降りたのはディジー只一人。

長閑なというより寂れた印象を与えるこの町に、彼女の目的地であるランカスター家の古城があった。

「迎えはまだみたい。」

そう呟くと、足下にボストンバックを置くと車道に面したベンチに腰を降ろす。

遠くで鳥の鳴き声が響いている。


ディジーが今年に入ってから5カ所目のバイト先を首になったのは夏期休暇に入る1週間前のことだった。

「ディジー、今頃来ても良いバイトは無いよ。」

顔馴染みになった学生課の職員は気の毒そうに言った。

「せっかく長続きしていたのにねー。あと1週間早ければ結構良いの残ってたのに。」

「御願い。選り好みしないから、時給の高い奴、何か残ってない。」

「そう言われてもね。」

職員はああでもないこうでもないと言いながら書類を捲っている。

その指がピタッと止まった。

「なんだ。これが残っていたのか。ディジー、これやってみる。」

そう言って1枚の募集要項を差し出す。

「なになに。住み込みメイド、期間は夏期休暇中、日給は・・・と、嘘、こんなに高いの。

相場の3倍じゃない。場所は、・・と、ここどこ。」

「北アイルランド、ネイ湖の近くだよ。ここからだとダブリンから列車になるのかな。」

「そんなに遠いのが何故この大学に募集が来るのよ。」

「募集者の欄を見てごらん。」

「リチャード・イングラム・・・。これってラテン語科の。」

「そう、サー・リチャード・セドリック・イングラム教授。

ラテン語科の主任教授だよ。

何でも教授の実家がそっちなんだってさ。」

イングラム教授。

彼の名を知らぬ学生はもぐりと呼ばれる。

二十代半ばで教授となり、今では学内きっての実力を持つ。

背が高く細身で学者風の容貌、そして学内一の美形の評判も高いこの教授は、老若男女問わず幅広く人気を集めていた。

飛び級を利用して10代半ばに大学を卒業。

言語学に関する数々の論文が評価され、数年前にこの大学の教授になった。

そして、現在28歳、未だ独身ということもあって女学生の羨望の的である。

「でも、これもう決まっているんじゃないの。

御近付きになりたがっている連中なら腐るほど知っているわよ。」

「バイト先までの交通費は向こう持ちだからね。

募集者は10人は居たんじゃないの。

でも先方から全部断られたらしいよ。

未だに採用済みの連絡も来ないしね。」

「先方って、教授?」

「いや、働く先の屋敷側かららしい。

3人目ぐらいの時に、教授の秘書がこっちにきて教授の研究の邪魔になるからもっと人選を絞ってくれって言いに来たんだ。

その時に聞いたんだが、まず応募者は教授が面接し、それから屋敷の方から採用するしないの連絡があるんだそうだ。

中には屋敷まで行って断られたのもあったみたいだよ。」

「で、その時の交通費は。」

「勿論向こう持ちさ。

採用するかもしれない人間には、往復の交通費の入った小切手が同封されているんだとさ。で。」

そう言って職員は言葉を切り、意味あり気な笑みを浮かべる。

「ディジーも学内一のハンサムの顔、拝んでくれば。

こんな機会は滅多に無いぜ。」

「う~ん。そう言われても。好みじゃないのよね。

あの手のハンサムって。軟弱そうで。」

「ははっ。ディジーにかかれば大抵の男は皆軟弱さ。

新入生歓迎会の時の武勇伝は有名だもんな。」

「それを言わないで。あれはあいつ等が悪いんだから。」


今を去ること昨年の10月、ディジーは酔って絡まれた友人を助ける為、上級生6人と乱闘、内3人を病院送りにしたことがあった。

身長6フィート以上、体重180ポンド以上というラグビー部の猛者を相手に一歩も引かず、かすり傷少々という彼女を周囲はカンフー娘、あるいは女ブルー・スリーと呼んだ。

幸いこの1件はやられた相手の素行の悪さと被害に遭った友人及び周囲の証言もあってディジーは注意で済んだ。

が、この一件以来、彼女に言い寄る男は、・・・いない。


「で、どうするんだい。他を探すか。」

「やっぱ、この給料捨てるの惜しいわ。応募するだけしてみる。

でも、断られた場合に備えて他も探してみてくれるかな。」

「あいよ。連絡してみるから、ちょっと待ってて。

そうそう後は本当ろくなの残ってないよ。

出来る限りこれに決めな。」

「向こうが雇ってくれたらね。」


それから一時間後、ディジーは教授の研究室の前にいた。

うーん。ここが駄目だと後はモルグの死体洗いになるのよね。そればっかりは嫌だなー。

等考えながら扉をノックする。

「どうぞ。」

部屋の主は低い深みのあるテノールで応えた。

これが教授の人気の一つだな。

ディジーは研究室の扉を開け、

・・・。

目の前には、学内一のハンサムではなく、堆く積まれた古書の山があった。

「何なの、これ。」

呆然と訳の解らぬ本の山を見つめていると、

「ミス須藤だね。」

横から声を掛けられた。

慌てて声の主を捜す。すると、ティーセットの載った盆を片手に教授が部屋の隅で手招きをしている。

こ・・・この、ティーセットを片手に無言で手招きをする男って一体・・・。招き猫じゃあるまいし、なんて奴なの?!

「済まないね。学会が近いので散らかっているんだ。」

・・・おい。これが散らかっているというレベルの問題か。

足の踏み場が無いじゃない。

ディジーは本の山を崩さぬ様、おっかなびっくり足を踏み出す。

日頃の彼女とはまるで別人の様な足取りで、そこだけ妙に片付いたテーブルにたどり着いた。

ディジーが席に着いたのを確認すると同時に教授は少し長めの銀髪を掻き上げ、優雅な動作でティーセットをテーブルの上に並べた。

砂時計の残りを確認し、慣れた手つきで品の良いカップに紅茶を注ぐ。

差し出されたティーカップを受け取りながらディジーは恐る恐る訊ねた。

「あの、これ、全部教授が用意したんですか。」

「そうだが。」

当然だと教授は頷く。

「普通、こういうのって秘書の仕事じゃありません。」

「彼女のいれる紅茶は不味くて飲めん。」

真顔で断言され、ディジーは曖昧に頷くしかなかった。

なんて奴、これだから英国貴族って奴は嫌いよ。

教授の秘書達に同情しつつカップに口を付ける。

「おいしい。」

思わず感嘆がもれる。

父親の実家の影響で御茶には少々どころではなくうるさいディジーだったが、これは文句なく絶品だった。

「気に入ってもらえたかな。」

教授は微かに口元を綻ばせた。

うーん。この表情。持てるのも納得。でもこの性格と行動何とかならんものかな。

ディジーの内心を余所に教授は書類を指先で弾きながら、話を始める。

「この件だが、御両親に許可を取られたのかね。」

へっ・・・。

そんなもの、募集要項にあったけっと、書類に視線を走らせる。

「こちらの要求ではほぼ夏期休暇一杯住み込みで働いてもらうことになる。

見たところ留学生のようだが、実家に帰らなくても良いのか。」

「ああ、それでしたら何も問題ありません。」

思わず手を振って答える。

そう、ディジーは英国に渡る際、ある一件から父親と大喧嘩し、生活費その他を自分で稼ぐ羽目になっていたのだ。

故に住み込みの仕事は願ってもないことだった。

教授はすっと目を細めて相手の表情を窺う。

ディジーは緑の瞳に見つめられ、首を竦めた。

が、教授はそれ以上深く追求せず、話を続けた。

「もう一つ尋ねるが、車の免許は持っているかね。」

「はい。一応、バイクと車の両方持っています。それが何か。」

「なら問題ない。このランカスター家の別荘である館は人里離れたところにあってな。

隣の家まで約5マイル、近くのパブまで10マイル以上離れている。

車がなくては生活出来ない。」

「ではどうやってそこまで行くんです。」

「最寄りの駅に迎えが来る手筈になっている。採用されればの話だが。」

そう、それが一番の問題だった。

「あの、採用するしないの判断ってどなたがしているんです。」

「雇い主であるランカスター家の執事だ。」

ディジーは相手の一瞬浮かんで消えた表情から教授がこのバイトに乗り気でないことを見て取った。

やる気がないなら何でバイト募集の記事なんて出したんだろう。

大体、この教授は自分の研究を邪魔されることを何よりも嫌うことで有名なのだ。

それなのに相場の3倍も出すなんて。

何かあるな。

この美貌の教授の私生活は謎に包まれている。

それを探り出せば、同級生達に相当良い値で売れるはずだ。

ディジーは人一倍強い好奇心が刺激されるのを意識した。

気分はもう謎の館に潜入する正義の味方か、ロールプレイングの主人公である。

「では、今からFAXを送るから2、3日後にはそちらに連絡が入ると思う。」

人里離れた古城にFAX・・・。なんかイメージが・・・。

ディジーはこの落差に茫然としていて、本の山の中から忽然とFAXが出現としたことに気付かなかった。

それから2日後、ディジーの元に古風な便箋に包まれた採用通知が届く。

封蝋の紋章は六芒星ヘキサグラムだった。

飛んで火に入る夏の虫

招待しても来ない彼女を呼び寄せる罠だったということに気が付くのは先の話

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