駆け出しの境界
驚くべきことに、2階層を越えて3、4と進んでいっても、俺は大して苦労することなく探索できていた。
4階層では、ゴブリンより少し大きな体躯のハイゴブリン、スライムの亜種であり攻撃性の高いレッドスライムとも遭遇したが、時たまヒヤッとすることはあっても、傷一つ負うことなく討伐できた。
あいつらはEランク――E級探索者と同等の実力はあるはずだが……新人が油断しないように誇張された噂になっているのか、そうでなければ、俺の実力は自分で思っている以上に高いのかもしれない。慢心は禁物と思いつつも、どうしてもそんな考えが頭を過る。
ハイゴブリンからは『ハイゴブリンの爪』。レッドスライムからは『レッドスライムボール』がドロップする。DPに変換するとそれぞれ10DP、20DPとなっていた。
随時、手に入れたドロップアイテムはDPに変換しているが、戦闘の所要時間も増えているため、収支はトントンといったところだ。一応ダンジョンに潜っていれば死ぬことはない。……が、それは戦場にいれば寿命で死ぬことはない、みたいな話だ。本音を言うと戦いに高揚している自分もいるんだが、不測の事態が起きないとも限らない。できれば早めにお宝を見つけて地上に戻りたいところだ。
計七体目のレッドスライムを討伐したとき、光の粒子が消えてドロップしたのは見慣れた赤色のスライムボールではなく、もっと硬質で握り拳より小さい玉だった。
もしや、と思って手に取ってみると――
『火炎耐性(低)』
という情報が頭に流れ込んできた。
……初めて目にしたが、これがスキルオーブというやつだな。モンスターからドロップするのは極めて稀らしいが、決してないことではない。システムで自動的にそうなっているのか、ダンジョンマスターがわざわざ設定しているのかは不明だ。
何のスキルオーブかは、鑑定スキルがなくても手で触れれば把握できるようになっている。D氏の記憶が流れ込んできた時と感覚が少し似ていて、若干気分が悪くなった。
わざわざこんなことをするなら、玉の表面にでも書けばいいのにとも思ったが、文字だと対応した言語を知らないと中身を詐称されたりしそうだな。ダンジョンというシステムを作った者――おそらくあの自称神――の配慮だろうな。たぶん。
さて、この『火炎耐性(低)』のスキルオーブをメニューの『アイテム生成』から調べてみたが、生成に必要なDPは4600となっていた。効果は名前の通り、火属性のダメージを少しだけ防ぐらしい。これが(低)ではなく(最高)とかだったら、絶対に焼死しないびっくり人間になったりするんだろうか?
とにかく、火を吐いてくるようなモンスターは浅層には現れないし、自分で使っても大した効果は期待できないため、DPにすることはほぼ確定。おそらく、この場でDPに変換すると2300になるわけだが……迷いどころだな。俺のダンジョンに持ち帰れば二倍になるだろうし、一旦保留だ。
にしても、ダンジョンアタック初日でお宝と呼べるアイテムを確保できたのは素直に嬉しい。
あと2、3階ほど先に進んで、そこを狩り場にするのがいいかもしれない。他の探索者も増えてくるだろうから、絶対に人前でアイテムを取り込んだりしないよう注意だな。
それから少し歩き、5階層への階段を見つけ、そのまま降りようとしたところで――
「……おっ、あれは」
階段の横の岩陰に隠れるような形で、木製の小さな宝箱を発見した。
浅層で罠やミミックという宝箱に擬態したモンスターは出てこないため、特に警戒もなく宝箱を開けた。
中に入っていたのは……初級ポーションだな、これ。店売りのやつと同じ見た目だ。
初級ポーションは、飲んだり傷口にかけることで、体力を回復したり、かすり傷程度を治す効果がある薬品だ。Z氏の世界のゲームのように即効性はなく、傷は数時間ほどかけてゆっくりと治癒されていく。
メニューで初級ポーションの生成DPを確認すると、さっきのスキルオーブよりも安い2000DPだった。その上の中級ポーションはある程度の大怪我でも癒すことができるらしいが、その分コストが跳ね上がる。緊急事態かつ懐にも余裕があれば、ってレベルだな。
ちなみに、空になった宝箱は一定時間経つとダンジョンに取り込まれるらしいが、これって俺の方が先に取り込んだらどうなるんだろうな。宝箱は『アイテム生成』ではなく『配置』カテゴリのスキルで出現する物らしいが、取り込んでいるってことはDPに還元されているということだろう。
試してみるメリットと、下手なことをしてここのダンジョンマスターにバレるデメリットを考え、一瞬で天秤は後者に傾いた。……当たり前だな。
頭を振ってポーションを鞄にしまい、改めて5階層へと降りていく。
5階層からは少しダンジョンの様相が変わる。完全に岩肌のようだった壁は、舗装された自然石のように整えられている。幅もさらに広がり、十人程度なら楽々と通れるような感じだ。
この辺りが、俗に言う『駆け出しの境界』だな。現れるモンスターはこれまでと変わらないように思えるが、より下層にいるはずのモンスター徘徊するというイレギュラーも発生する。単純だが罠の類もあり、敵だけではなくそちらも警戒しなくてはいけない。
駆け出し探索者はこの辺りで痛い目を見て、探索者を諦めるか、本当の意味で覚悟を決めるかの二択を迫られる。
その覚悟を問うため……ではないだろうが、しばらく歩いた末、5階層で最初に俺を出迎えたのは、一匹の大きな狼――ヘルハウンドだった。
本来なら第7階層から先に現れる厄介なモンスター、と以前エミリさんから借りた資料には書いてあった。ランクはEの上位。よりDランクに近いEランクということだ。
「グアゥ!」
――速いッ!
考える間もなく首元に喰らいついてきたため、俺は全力で横っ飛びして回避した。
そのまま壁に激突するかと思われたヘルハンドだが、空中で上手く身を捻って壁を蹴ると、再度俺に突貫してくる。
反撃とばかりに顔面に剣を叩き込んでみたが、なんと牙で剣を止められてしまった。
「――ぅらあ!!」
しかし、空中で踏ん張りも利かないはずだ。思いっきり剣を振り抜けば、ヘルハウンドはゴム毬のように吹き飛び、壁に激突して「キャン!」と犬っぽい鳴き声をあげた。
よろよろと立ち上がり、こちらを威嚇するヘルハウンド。
ダメージは与えられたが、致命傷というわけではないだろう。
「グアァ!!」
もう一度同じように突っ込んできたため、先ほどと同じ要領で剣を振るう。すると、ヘルハウンドは直前で身を屈め、俺の足元を駆け抜けていった。
「くっ!」
すれ違いざま、右足の脛を爪で抉られた。眼帯を着けている側のため死角となっていたが――それを分かって向かってきたのか。
クソッ、獣だからと油断した。四足歩行のくせして、二足歩行のゴブリンより遥かに頭がいい。
傷は浅いが、止血は早めにした方が良いだろう。
決着をつけるため、次は俺の方から前に出ると、ヘルハウンドは俺を嘲るように周囲を駆けた。
……ああ、思い出すな。
レアなゴブリンとの戦いでは、あいつは縦横無尽に駆け回り、中央で構える俺をじわじわと削っていた。
あの時は右目の傷もなく、今よりも動きも良かったはずだが、中々攻撃を当てることは叶わなかった。
それに比べれば、目の前のヘルハウンドなんて遅い――とまでは言えないが、大したことはない。ヘルハウンドより素早いゴブリンってなんだんだよ、というツッコミは胸の内に秘めておく。今はそれどころではないからだ。
そんな思考の間隙を読み取ったのか、ヘルハウンドはより姿勢を低くして、俺の視界から消えた。
「…………」
多少頭が良かろうと、狼は狼。獲物を仕留める時にどこを狙うかなど決まっている。
――狙いは、首だ。
「ギャンッ!?」
右斜め後ろ、首筋の横から思いっきり剣を突き出すと、大口を開けたヘルハウンドそのまま剣に貫かれた。
間抜けな断末魔を残し、ヘルハウンドの肉体と、剣に付いた青色の血は光の粒子へと変わっていった。
その場に座り、鞄から止血用の包帯を取り出し……少し迷って、初級ポーションを少し染み込ませてから右足に巻いた。
即効性はないはずだが、痛みは段々と治まっていき、俺はようやく一息ついた。
「…………ふぅ」
危なかった。右目の死角は、ゴブリンやスライムならともかく、より知能のあるモンスターには分かり易すぎる弱点だ。DPで眼球とか買えるのか? と、馬鹿馬鹿しいことを考えながら、初級ポーションが役割を果たすまで、俺はしばらく休んでいたのだった。