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「……美味そうな匂いしてんなぁ。なんか食ったんか?」


「ああ、森で野兎を見つけたから、焼いて食ったんだ。手持ちの香辛料もあったしな」


 正確に言うと、香辛料どころか、ニンニクとショウガ含む香味野菜と、醤油と砂糖マシマシのタレの匂いだが。

 ……最高に美味かったわ。牛カルビ焼肉弁当。これが地球――というか日本では、一般庶民が毎日でも食べれそうな、手ごろな値段で食べられるという事実に驚きを隠せない。そのうち日本以外の料理にも手を出していきたいな。特に気になっているのはファストフード系だ。


「へぇ~、通りで。……でもあんまり獣は狩らんでくれよ。森もゴブリンどもにずいぶんと荒らされただろうしな」


「それは申し訳ない。次の機会があったら気を付ける」


 適当に謝りつつ、御者の男――というか村人のベンツとの会話を続ける。この高級外車メーカーのような名前の村人は、王都から森まで送ってくれたのと同一人物だ。


「それにしても、王都にとんぼ返りたぁずいぶんと急がしいんだなぁ」


「……急用を思い出したんだ。また馬車を出してもらって、悪いな」


「いんや、金も払ってもらってるし構わねえよ。どうせ、畑仕事はしばらく休みだぁ」


 聞いたところによると、村の畑が森からやってきたはぐれゴブリンに荒らされてしまい、他の畑に被害が出る前にギルドに依頼を出した、というのが事の経緯らしい。

 中でもベンツの持っている畑は根こそぎやられており、土を耕して種を植えるところからやり直しだ。しかもこの季節に芽を出すような作物は村で作っておらず、他人の畑を手伝うくらいしかやることがない。そんな折に俺が馬車を出してくれと頼んだため、二つ返事で請け負ってくれたのだ。


 料金は乗合馬車と比べてもかなり多めに払っているが、その代わり宿場町には寄らずに最短ルートで王都に向かってもらっている。

 ダンジョンでどれだけDPが稼げるかがわからない以上、できるだけ時間のロスは避けたい。DPさえあれば食い物にも困らないんだから、今の俺にとってDPは現金より価値が高い。


 それからしばらく馬車に揺られ、御者台のベンツとぽつぽつ会話をしながら時間は過ぎていった。

 やがて日は暮れ、今日は街道の真ん中で野宿をすることになった。農民である彼は慣れていないので、天幕を張ったり焚火を付けたりは俺の方で請け負った。これは前の旅路と同じだな。


 特にトラブルもなく、翌朝起きて出発し、馬車は再び街道をひた走った。

 途中、携帯食料を齧っていたベンツに、50DPで生成した乾パン――あらかじめ小袋に詰め替えた物だ――を、知り合いが作った保存食だと言って渡したらえらく喜んでいた。……そりゃそうだよな。旅人御用達の携帯食料、土を食ってるようなもんだし。こっちの世界は食に対する意識が低くてダメだな、と出羽守じみた考えも浮かんでくる。


 そんな一幕もあったが、その日の正午過ぎには王都の正門前まで到着することができた。強行軍に近い旅路だったのにも関わらず、馬は非常に調子が良さそうだ。ベンツはただの農民とは思えないほど馬の扱いに長けている。乗り物を操るべくして生まれたような名前だし、次の機会にはまた送ってもらいたいところだ。

 馬車で門を越えると関税がかかってしまうため、ベンツとはそこで別れた。ダンジョンに帰るための足がないのではないか? という問題は、とあるアイテムが解決してくれる……はず。使ってみないと分からないが、失敗してもDPがなくなる前に帰れるように動くつもりではいる。


 厳つい門番の男にF級の探索者証明タグを提示すると、素性を確かめられることもなく中に通される。ザル警備とは言うまい。名前は知らんが、何度も顔を合わせている門番だしな。

 王都の造りは周りが城壁で囲まれた、いわゆる城塞都市というやつで、過去に隣国と戦をした際には堅牢な守りとなったらしい……が、ダンジョンが発見されてからは戦争らしい戦争も起きていない。

 ダンジョン黎明期こそ、ダンジョンの利権を求めた隣国が攻めてきたりもあったそうだが、スキルの恩恵を得た探索者集団を雇って圧倒的実力で撃退してからはそんな事態も起きていない。各国のお偉いさんが内心何を思っているかは知らないが、表立って争いが起きていないのは良いことだ。


 王都に入ってから南へ進む。宿や飲食店が立ち並ぶ大通りを素通りし、他に寄り道もせずに中央の探索者ギルドに向かった。


「…………」


 探索者ギルドの、剣と盾を組み合わせたような看板を眺めながら、これまでの自分を思い返す。


 依頼の達成報告に探索者ギルドを訪れるたび、俺はいつも暗澹とした気持ちになっていた。

 探索者として真っ当にダンジョンに挑む才能溢れるやつらを見ると気分が沈み、そんな自分に嫌気が差してさらに落ち込む。ギルドの一階は酒場として営業もしているため、酔っ払った品のない連中に『万年F級』だの『名誉探索者』だの揶揄われることもちょくちょくあった。それをいちいち真に受けるほど繊細でもないが、全く気にせずいられるほど無感情でもない。


 今日は誰にも絡まれなければいいなと思いつつも、おそらくそうもいかないだろうなと予感してもいた。


 両開きの扉を押して、ギルドの中に入る。酒場で飲んだくれているパーティがいくつかと、掲示板の前で素材納品の依頼を物色する探索者。昼間ということもあって人はさほど多くないな。ギルドが一番混むのは、朝一と夕暮れ時だ。

 ほとんどの人間は俺が来たことにも気づいていないが、数人ほどは俺に気付いて嘲るような視線を向けている。

 ただまあ、こちらから何かしなければ話しかけられることもない。俺みたいにダンジョンに挫折しても探索者をやってるやつは、珍しいことには珍しいが、他に全くいないわけじゃないしな。大概は二十歳になる前に辞めているだろうが。


 幸い受付は空いていたので、俺は顔見知りの受付嬢のところへ行き、ゴブリン討伐依頼の報告をしに行った。


「あ、ノイドさん。おかえりなさいませ。依頼の達成報告ですか?」


「はい、エミリさん。証明の割印はこれです」


 村の村長からもらった、割印の押された証明書を渡すと、エミリさんは「確認しました」と肩口まで伸ばした栗毛を揺らして小さく微笑んだ。

 エミリさんは俺が探索者を目指して王都に来た当初から世話になっているギルド受付嬢だ。ゴブリンに負けたと落ち込む俺に、探索者として必要なノウハウが書かれた文献のことや、ダンジョン攻略に役立ちそうな情報なんかをよく話してくれた。俺がダンジョンに挑むのを辞めると言った時には、ゴブリンにやられた右目の傷を心配しながらも、少しだけホッとした様子だった。

 ……言っちゃアレだが、ゴブリン一体に二年間苦戦するなんて、探索者としての見込みゼロだろうしな。


「報酬はこちらになります。えーと、ダンジョン外の依頼は……今あるものは王都内の雑事ばかりですが受注されていきますか?」


「いや……」


 これを言うのは少し勇気がいるな。別に言わなきゃいけないわけじゃないんだが、世話になっている義理というやつだ。


「あの…………俺、今日はダンジョンに潜ろうと思います」


「えっ……?」


「……おいおい、ちょっと待ちな」


 聞き耳でも立てていたのだろうか。エミリさんが何かを言う前に、酒を飲んでいた探索者パーティのうちの一人がこちらに近づいてきた。

 バンダナを着けている赤髪の若者で、首から下げたタグの色は銀――B級だな。このダンジョンではほぼ最高位の探索者で、俺より遥か格上の実力者だ。


「テメェ、数年前にゴブリンに負けてダンジョンから逃げたっていう万年F級だろ?」


 ……正確にはゴブリンに勝ってダンジョンから逃げたのだが、それを言っても仕方がないだろう。


「悪いことは言わねえからやめておけ。数年も外で遊び歩いてたやつが、ふと思い立って潜っていい場所じゃねえよ。ダンジョンは」


 これは果たして善意の忠告か、嘲りたいだけか……おそらくは前者だろうな。

 俺より若干年下に見えるが、探索者としてはずっとベテランだ。言っていることは完全に正論だが、こっちだって、はいそうですかと引き下がるわけにもいかない。


「……探索者の命は自己責任だろ。問題ない。それくらいは覚悟の上だ」


 赤毛の探索者の目を見てハッキリと告げると、赤毛は「……勝手にしろ」と言ってテーブルに戻った。自分たちより格上の探索者が先んじて動いたためか、俺を揶揄おうとしていたやつらは、すごすごと立ち上がりかけた膝を落とした。


 ……ふぅ。緊張したな。

 Z氏が読んでいたラノベ? というやつだと、「俺様が試してやるぜ!」とばかりに荒くれ者に襲われる展開が多かったが、流石に職員も見ている中でそんな無体を働く輩はいなかった。


 というかあの赤毛、言ってる最中チラチラとエミリさんの方を見てたな。もしかして、いい恰好を見せたかっただけだったり? ……というのは流石に邪推が過ぎるか。


「あの~……本当に大丈夫ですか?」


 と、成り行きを見ていたエミリさんが遠慮がちに訊いてきた。


「申し訳ありませんが……アドルフさんの仰ることはごもっともです」


 アドルフ、というのがあの赤毛の名前らしい。


「実力のある探索者ですら、ふとした油断で命を落としてしまうのがダンジョンという場所ですから……」


「…………」


 一体、なんと答えるのが正解だろうか。

 昔自分が倒したのがただのゴブリンではなく、レア個体のゴブリンだったと告げるか?


 ……いや、なんで今まで言わなかったんだという話になるし、作り話感が半端じゃない。

 少し悩んだ末……俺は適当な言葉で茶を濁すことにした。


「……大丈夫ですよ。実は、つい先日スキルを習得することができたんです。流石に、何の策もなく挑んだりはしませんって」


「そんな急に……本当ですか?」


「ええ、本当です」


 実際、新しいスキルは覚えている。……戦闘スキルではなくダンジョンスキルだが。


 エミリさんは不安そうに眉を寄せたまま、小さく息を吐いて頷いた。


「……わかりました。もとより、探索者さんのダンジョン挑戦を拒否する権限は、ギルドにはありませんから」


 ですが、と付け加えて――


「危なくなったら、ちゃんと逃げてくださいね」


「……そりゃもう。俺も命は惜しいですから」


 本心からそう答えると、エミリさんはようやく少し安心したように笑った。



▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲



 ダンジョンの入り口は、ギルドから少し歩いた区域に存在している。

 探索者以外の立ち入りは禁止されているため、地下へと続く階段の前、立っている二人の職員にタグを見せて通してもらう。見慣れない顔でおまけにF級だからだろう。怪訝そうに見られたが、別に止められることもなかった。


 幅の広い階段を降りていき、降りきると迷路じみた岩肌の洞穴が出迎える。


 ここから先は、もうダンジョンだ。


 五年前、自分の才能のなさに絶望して、もう訪れることはないだろうと悟った場所。

 今はただの人間ではなく、ダンジョンマスターとして、他のマスターが作ったダンジョンに挑もうとしている。


 目的は生きるため。生きて、美味いものを食べるため。


「……よし」


 改めて気合を入れ直し、俺は探索者として再起のダンジョンアタックに臨むのだった。

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