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男が目を覚ますと、そこには真っ白で何もない世界が広がっていた。
どれだけ目を凝らしても地平線すら見えず、風もなく、気温すらも感じない。
「やあやあ、元気かい? Z君」
途方に暮れていると、急に背後から声をかけられた。
驚いて声の方に振り向くと、何もないはずの場所にぼんやりと人のようなシルエットが浮かび上がって見えた。
身長はおそらく小学校に上がりたての子供くらい。しかし、何故か不可視の威厳のようなものが感じられた。
「……は? だ、誰ですか? ……これって、夢?」
「夢ではないよ」
顔も何も見えないはずなのにシルエットはニヤリと笑い、男にもなんとなくそれが理解できた。
「僕は君たちの言うところの神様という存在だね。Z君」
神様を自称する謎の存在を前に、男の中の警戒心がむくむくと膨らんでいった。
そもそも男の記憶では、先ほどまで自分は部屋でゲームをしていたはずだった。某国民的RPGゲームのナンバリングタイトルのトロフィーをコンプし、小さな達成感と引きこもり生活の虚しさを同時に噛みしめていたところで――
「ていうか、なんすかさっきから、Z君Z君って……」
本当に神様なら自己紹介せずとも名前を知っていてもおかしくはないが、男の名前のイニシャルにZは含まれていない。
自称神様はよくぞ訊いたとばかりに、背景とほぼ同化している両手を広げ――
「おめでとう! 君は二十六人目のダンジョンマスターに選ばれたのさ! ……地球からやってきた迷宮管理者Z君」
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「あれ? 反応薄くない?」
「いや、そう言われても……」
状況をいまだに飲み込めていない男、もといZ。
「普通は、異世界転生やったー!! って小躍りするところじゃないの?」
「そんな、雑な小説の導入じゃあるまいし…………って、異世界転生? ……俺死んだんですか?」
「うん、死んだよ。急性心不全。だから魂だけをここに呼び寄せることができたんだ」
そう言われて、Zはようやく事態を飲み込み始めた。
精神世界っぽい真っ白な空間。神を自称する謎の存在。極めつけは「あなたは死にました」のいつものやつ。
全てがどこかで聞いたような展開、というか異世界ファンタジー小説の導入だった。
「死んだ……のか。くそっ、明日こそは外に出て仕事を探そうと思ってたのに……」
「と言いつつ十年間も何もしなかったでしょ?」
そう言われるとぐうの音も出ない。Fラン大学卒で就活にも失敗し、十年間立派に穀潰しを続け、両親に謝る機会もなく逝ってしまった。
「まあまあ、そう落ち込まないでよ。君だってこういう展開好きだったでしょ? 時間だけはたっぷりあったから、小説サイトのランキング上位から見漁ってたじゃない。自分で書いて投稿した経験も――」
「や、やめっ」
「恥ずかしがることないじゃない。君が死体以外で唯一あの世界に残せたものだよ?」
「…………まあ、そうかもしんないっすけど」
Zの全てを知っているような口ぶりだが、事実として、神としての力か何かでZの生涯はおおよそ把握しているのだろう。
Zも先ほどから前世に未練があるような言動をしてるが、実際のところ半分くらいはポーズで、ファンタジー小説じみた新たな人生の到来に心は沸き立っていた。
「……それで、俺はどんな世界に転生するんですか? 転生先は貴族ですか? チート能力はちゃんと貰えるんですよね?」
「急に元気になったね。まあいいけど。……君が生まれ変わるのは厳密に言うと人間じゃないよ。人型ではあるんだけどね。さっきも言ったでしょ?」
先ほど神様が言っていた言葉を改めて反芻する。ダンジョンマスター。迷宮管理者。つまり……。
「ダンジョン経営モノか……」
「そうそう。そんな感じ」
ダンジョンを管理し、モンスターを生み出し、やってくる人間たちを迎え撃つ。
そういった小説はいくつか読んだことがあるため、Zの頭には様々な構想が浮かんでいた。
「でもそれ、正確には異世界転生とはちょっとジャンルが違いませんかね?」
「そう? 同じようなもんじゃない?」
異世界の神様にそのあたりの情趣は伝わらなかったらしい。
神様は「改めて説明するね」と告げ、Zも背筋を伸ばして傾聴する姿勢になった。
「君がこれから行くのは剣と魔法のファンタジー世界(予定)だよ」
「……(予定)?」
「うん。向こうの世界にも一応魔力は存在してるんだけど、体系化されてなくて誰も魔法なんて使えないんだ。だから、ダンジョンからドロップしたスキルオーブを使って、段階的に魔法やスキルが浸透していく予定さ」
「……いまいち何言ってるかわかりませんが、続きを聞かせてください」
「うん。実は君の他にも二十五人の魂をダンジョンマスターに転生させたんだ。その子たちは一足先にダンジョン制作を始めているよ。君は最後の一人だから、ダンジョンの概念を参考にさせてもらった地球の現地人を呼び寄せてみたんだ。日本生まれのZ君」
二十六人目のマスター。アルファベットのAから数えてZ。聞いてみれば、何の変哲もないネーミングだった。
「続けるね。君にはダンジョンマスターとしてのダンジョンスキルと、君自身の心象を現した固有スキルが発現する。そのスキルを使って、自分なりのダンジョンを作ってみてよ。ダンジョンスキルにはダンジョンポイント(DP)を使うから気をつけてね」
これまたどこかで聞いたような設定のため、Zは頭を悩ますことなく理解した。
「DPはどうやって手に入れるんですか?」
「流石、理解が早くて助かるよ! DPはダンジョン外のものをダンジョンに取り込んだり、外の生き物がダンジョン内に一定時間滞在することで手に入ったりするよ。前者と比べると後者は微々たるものだけどね。……あとないとは思うけど、DPが0になったら死んじゃうから気をつけてね」
「死ッ……!?」
「でも大丈夫だよ。DPは何もしないと自然に消費するけど一分に1くらいだし、モンスターとそこそこ戦える生き物が中で一時間も過ごせば2000DPくらいになるから」
消費DPは一分で1、一時間で60、一日で1440。ダンジョンスキルのDP相場は分からないが、そんな短い滞在時間でも一日の収支がプラスになるなら、DP不足で死ぬ可能性は考えなくてよさそうだ。
真剣な表情を浮かべるZを見て、神様は満足げに頷き、「ここまでで質問は?」と尋ねた。
「……えっと、そうですね。……ダンジョンマスターって言うと、人類の敵になりそうなイメージなんですが、人間にモンスターを嗾けたりしなきゃいけないんですかね? 人殺しはちょっと、いやかなり御免なんですが……」
現代日本で生まれたZに殺しはハードルが高すぎる。人類を間引くのが目的、などと言われたらどうしようかと思っての質問だったが……。
「ん~、そこらへんは任せるよ」
「……はい?」
神様はあっけらかんと言った。
「だから、どうやるかは君に任せるよ。レアアイテムで釣って強い人間を一網打尽にするもよし、人間との共生を目指してみるもよしだよ。ダンジョンマスターはダンジョンから出られないから、とれる手段は限られると思うけどね」
ダンジョンマスターは外出不可。またもや引きこもりライフが始まることが確定したが、今はそれ以上に訊きたいことがあった。
「……あなたは俺にダンジョンを作らせて、一体何がしたいんですか? ……何が目的なんですか?」
「目的かぁ。強いて言うなら、ダンジョンを作らせること自体が目的かな。……実は僕の管理する世界は、他の世界と比べて文明の進歩がかなり遅れているらしいんだ。かといって一から十まで世話してやるわけにもいかない。人間っていうのは、与えられるだけでは成長しない生き物だから」
何か深い実感が伴ったようなセリフだった。
「だからダンジョンを作って、少しずつ文明を進めてほしいんだ。人が人としての尊厳を失わず、よりよい存在になれるようにね」
神の言葉を咀嚼し、しばらく黙考して、男は頷いた。
「……大体の事情はわかりました。前の人生より悪くなることはないだろうし……やってやりますよ」
神様はその答えを聞いて、待たされたことに憤るでもなく、――おそらく――満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう! ……そうだ、ご褒美も用意してるから頑張ってね!」
「ご褒美?」
「うん! ダンジョンはDPを使って階層を増やすこともできるんだけど、百層まで作ったら何でも願い事を叶えてあげる!」
「な、何でも?」
「うん。何でも」
「……今の記憶を残したまま、この世界で生まれ変わらせてもらったり」
「全然いいよ! チート能力? ってのもサービスしちゃう! 百層まで作ってもらえたら、もう文明の発展っていう目的も達成したようなもんだし。ダンジョンマスターもお役御免さ」
これは僥倖だった。ダンジョンマスターも悪くないが、本当の意味で異世界転生俺TUEEEEもできるとは……。
いっそうやる気が湧いてきたところで、神様は「そろそろ始めようか」と呟いた。
「ダンジョンの仕組みやスキルの使い方は、あっちに行ったら分かるようになってるから。繰り返しになるけど、君の好きなようにやっていいからね」
「うっす!」
「それじゃあ行ってらっしゃい!」
神様が腕を振るうと、あたりに淡い光が浮かび、身体がゆっくり宙に浮いていく。
そのとき、Zは一つ訊こうと思っていた質問を思い出して声を上げた。
「すみません、最後に一個だけ!」
「なんだい?」
「初期のDPってどれくらいもらえるんですかね?」
ほぼ無用の心配らしいが、DPがなくなるまでのタイムリミットを知っているのと知らないのとでは安心感が違う。
とはいえ、あちらに着いたらすぐわかることだが……。
「最初に与えられるDPは、ダンジョンマスターになる前の経験や知識、強さなんかに応じて変わるんだ。他の二十五人は……そうだな~、だいたい平均して10万DPくらいだったかな」
10万DP。何もしなくても、二ヶ月ちょっとは生き延びれる計算になる。ならば、それまでに人間がやってくるような工夫をすればいいだけだ。
なるほど、と納得しかけるZだったが……ある可能性に思い至って固まった。
「……その二十五人ってどんな人たちでした?」
「ん? ……どんな人って、そりゃこんな大事な役目を任せるんだから、選りすぐりの魂を選んだよ! 単騎で邪龍を討伐した英雄とか、神の教えに生涯を捧げた救国の聖女とか、他の世界で数千年も崇められた賢者とかね!」
「ちょ、それって」
「それじゃあ改めて、行ってらっしゃい!」
「まっ――」
ひときわ大きな光が立ち昇り、Zは異世界へと転送された。
「よーし、これでダンジョンマスターは全員揃ったね」
神様はうーんと背筋を伸ばして息を吐いた。
これであとは数百年か数千年。のんびりと待てばいいだけだ。
「そういえばZ君、初期DPがどうとか言ってたね。まったく変なこと気にするな~」
そう呟きながら、透明なタブレットのようなものを出して、Zに与えられた初期DPを調べたところで――
「あ、やば」
神様はタブレットを消して、明後日の方向を向いて口笛を吹いた。
「まあ失敗は誰にでもあるよね。気にしない気にしない。一個無くなっても残り二十五個もあるんだし」
残念ながら、Zは既に旅立ってしまった。
故に、そのセリフにツッコミを入れるものは誰もいないのだった。