死闘の末に
あれはいつだったか。
……そうだ。俺が十歳になって少し経った頃だ。
何の変哲もなく、何の見どころもない辺鄙な村に、一人の探索者がやってきた。その人は遠い国のダンジョンから『彷徨いの迷宮』へと向かう旅の途中、休憩のために立ち寄ったらしく、一週間ほど俺の村でのんびりと過ごした。名前は忘れた。いつも探索者さんとばかり呼んでいたからだ。
その頃の俺は、今よりもずっとやんちゃで、村で過ごす退屈な毎日に嫌気が差して、近くの森に遊びに行くことが多かった。
……その日も、俺は家の手伝いをサボって森に繰り出していた。慣れてきたからか、いつもより深い場所に潜ってしまい……そして、飢えた狼と鉢合わせてしまった。迫り来る狼に死を覚悟したとき、間一髪助けてくれたのが探索者さんだった。颯爽と俺を救い出してくれた姿に、一瞬で心奪われたことを覚えている。
それからというもの、俺は探索者さんに自分の冒険譚を話してくれるようせがみ、探索者さんも仕方がなさそうに話してくれた。
ダンジョンで戦った強大なモンスター。くだらない罠に引っ掛かってしまった失敗談。隠し部屋で偶然見つけた高価なお宝。仲間たちとの出会いと、そして、別れ。
俺が探索者になりたいと本気で思うようになるまで、そう時間はかからなかった。
探索者さんが村から出ていってしまう前日、俺は頼み込んで剣術を少しだけ教えてもらった。探索者さんの剣筋は素人目から見ても美しくて、こんな風に剣を振れるようになりたいと心の底から思った。
『君はどんな探索者になりたいんだい？』
探索者さんは、木剣を一生懸命振る俺を見て言った。
俺は何と答えたか。確か、「探索者さんのような探索者になりたい」と、そんなことを言ったような気がする。
探索者さんは苦笑して頭を振った。
君には才能がある、と言って俺の頭を撫でながら、
『どうせなら、もっと上を目指した方がいい』
坂を越えたいと思うのではなく、山を越えたいと思って坂を越えなさい。
探索者さんが告げたのは、そんな月並みな言葉だ。だが俺の心には甚く響いた。
だから「誰よりもカッコいい探索者になる」と言った。
探索者さんは眩しそうに目を細めて、腰に佩いた剣を俺に譲ってくれた。
それが、俺の始まりだった。
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ふと、遠い昔のことを思いだした。
胸の奥が脈打っている。五年ぶりに感じる熱が、俺の身体を燃やしている。
久しく忘れていた。俺は……カッコいい探索者になりたかったんだ。
苦難に立ち向かい、颯爽と誰かを助ける、そんなカッコいい探索者に。
「…………」
強く、拳を握りしめる。
一度は諦めた夢に、再び手を伸ばそうという気概が湧いて出てくる。
そのために、まずは生きてこの窮地を切り抜ける。あんな豚野郎はさっさと片付けて、塵も残さずDPに変えてやれ。
「ブモォ！」
俺の目が気にくわないのか、オークは醜く鳴きながら地団太を踏んでいる。
しかし、考えれば考えるほど、戦況は圧倒的に不利だ。オークの棍棒はDPにしてやったが、こちらの剣もオークの足元に転がっているため無手。俺はさっきのダメージがかなり残っており、オークの方にも男探索者に受けた傷が一応……は？ 傷が塞がってやがるぞ。どういうことだ。
オークの自然治癒力がずば抜けて高いのか、それともあいつ固有の能力か何かか。どちらかは不明だが、ただでさえ絶望的な戦力差が、より絶望的になった。
だが、そんな逆境が今は心地いい。やってやる。
「うおおおおお！」
わざわざ大声を上げてオークに突貫する。
オークは迎え撃とうと拳を振り回しだが、それは身を屈めて回避。通り抜け様、愛剣を拾って足首を斬りつけた。
「ブモッ！？」
しかし、その傷口も何事もなかったように修復していく。……馬鹿げた回復力だな。
怒り、暴風のように振るわれる丸太のような両腕。まともに受けたらひとたまりもないそれを、曲芸じみた動きで回避していく。オークの知能が低くて助かった。右目の死角を狙われていたら、最初の一、二撃でやられていた。
隙をついてこちらも攻撃を加えるが、斬ったそばから傷は回復してしまう。攻略の糸口を探すが一向に見つからず……いや、待てよ間抜け。今の俺はただの探索者じゃない。ダンジョンマスターだろうが。
オークを見据えながら数歩ほど後退し、背中の鞄に手を伸ばす。そして……鞄を丸ごとDPに変換した。
『皮の水筒を吸収（DP1未満のため消滅）
凧糸を吸収（DP1未満のため消滅）
鉄のナイフを吸収 ＋30（60-30）DP
鉄のナイフの鞘を吸収（DP1未満のため消滅）
乾パン×2を吸収 ＋0DP（DP生成アイテムのため）
初級ポーションの残骸を吸収 ＋420（840-420）DP
ゴブリンの爪×17を吸収 ＋85（170-85）DP
スライムボール×3を吸収 ＋30（60-30）DP
ヘルハンドの毛皮×1を吸収 ＋1000（2000-1000）DP
火炎耐性（低）のスキルオーブを吸収 ＋2300（4600-2300）DP
残り5066DP』
DP収支履歴にずらっと数字が並ぶ。よし、これで使えそうなアイテムを生成して……チッ、やっぱり待ってくれないか。
「ブオオオオオオオ！」
足を斬りつけられたのが嫌だったのか、オークは近づいてこずに、そこらへんの石を手当たり次第にぶん投げてきた。
時速150キロはありそうな剛速球が俺の頬を掠めていく。
やばい、と思った直後、左手の手首あたりに拳大の石が直撃した。
「ぐっ！？」
痛ってえ！！
頭が明滅するような痛みで一瞬意識が遠くなる。……確認するまでもなくわかる。確実に折れた。
左手は使い物にならなくなったが、投げられそうな石もなくなったようでオークの投擲も止んでいた。
苦痛に顔を歪める俺を見て、オークは性悪そうに笑っている。……この豚野郎が。
「ブモォ」
わざわざ#舐__ねぶ__#るように、ゆっくりとこちらに歩みを進めるオーク。
……それは俺にとっては好都合だった。
左手はだらりと下がり、右手は剣で塞がっているが、メニュー画面は操作することができる。フリーハンドで使えて助かった。
操作するのは『アイテム生成』。
スキルオーブをソートし、さらに今生成できる5000DP以下のオーブのみを表示する。
『剣術（低）』『魔力操作（低）』……却下。『隠密（低）』……これも却下だ。
極限まで圧縮された時間の中で、俺はメニューに表示された一つのスキルオーブに目を止めた。
『オーバーヒートのスキルオーブ』
オーバーヒート：アクティブスキル。一定時間、STRとAGIが大幅に上昇する。効果時間はVIT値依存。
一か八か、このスキルに全てを賭けることを決意し、5000DPでスキルオーブを生成した。
両手が塞がっているため、目の前に現れたそれを噛み砕いて使用する。その瞬間、この身に新たな力が備わったのが感覚的にわかった。
オーバーヒート、と心の中で唱えると、かつてないほどの高揚感と、力が漲ってくる。
何が起きたかは分からずとも、俺の変化を感じ取ったオークが慌てて駆け出すが……遅い。さっき以上に愚鈍に感じる。ゴブリンとそう変わらないくらいだ。
「ブッ――！？」
振り下ろされる拳に対し、腕をなぞるように一閃。
それだけでオークの丸太のような右手は切り落とされた。
流石に、欠損した腕まで治ることはないらしい。
オーバーヒートの正確な制限時間が分からない以上、手を止めている時間はない。
右手の次は左足を、左足の次は右足を。バランスを両膝をついて首を差し出すような形となり、恐怖に顔を歪めるオークを一瞥して、その首を一刀のもとに断ち斬った。
オークの巨体は地面に沈み、やがて光の粒子となって消えていく。
「はぁはぁ……ぐっ」
そして、急に襲ってくる猛烈な頭痛と倦怠感。
数秒しか経っていないはずだが、効果時間はかなりギリギリだったみたいだ。特殊称号でVITを底上げしていなければダメだったかもしれない。スキルのデメリットなどは書いていなかったはずだが、あれだけの効果があったんだから、反動がない方がおかしいか。
だがこのまま気を失えばDP切れでお陀仏だ。あと、少しだけ……。
朦朧とする意識の中で、オークが消え去った後に残ったドロップアイテム――豚バラブロックのように見えるそれに手を伸ばし、DPとして取り込んだ。
その収支を確認する間もなく、俺の意識は闇の中に落ちていくのだった。
