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今よりずっと昔、俺の爺さんの爺さんの、そのまた爺さんくらいが生きてた時代には、この世界に魔法やスキルってもんは存在しなかったらしい。
人々は農耕や牧畜に励み、時には剣や槍を振るって戦い、スキルによる恩恵や補正などなしに、己が肉体にだけ頼って生きていた。
そんな世界が突如として様相を変えた理由はただ一つ。ダンジョンと呼ばれる迷宮が同時多発的に発見されたからだ。
ダンジョンとは、簡単に言うとでかくて深い洞穴だ。ダンジョンは世界中に点在しており、合計で十個存在が確認されているらしい。
そんなもんがどうやって世界を変えるのかと思うかもしれないが、その洞穴の中には、地上には存在しない強いモンスターたちがうようよいて、地上には存在しないお宝がたくさんあった。
王都の学術院で学ぶこの世界の歴史は、先史時代、有史時代、そしてダンジョン史時代と分けられるらしい。それほどまでに、ダンジョンは世界に多大なる影響を与えたということだ。
もちろん、変わらず農耕や牧畜をして暮らす人々も多かった。しかし、一部の戦う力を持った者たちは、一攫千金を夢見てダンジョンへ挑んだ。
しばらくすると、ダンジョンから出土した希少金属や素材により、文明は急速的な発展を遂げていった。
しかし、それ以上に変容したものは人間という存在そのものだった。
ダンジョンでごく稀に発見される『スキルオーブ』は、スキルと呼ばれる魔法や特殊技能といった不可思議な力を使用者に授けた。
そして、その血を受け継いだ子供たちも、稀にスキルや親譲りの強大な魔力を持って生まれることがあった。先天的でないにしても、後天的な努力でスキルを獲得する者も現れた。そうやって、スキルは少しずつ世界に浸透していったのだった。
とまあ、今の世の成り立ちを説明するならこんなもんだ。学術院や探索者養成所を出てるわけでもない俺でも知ってるくらいの一般常識だ。
俺か? ……俺はしがない探索者崩れの何でも屋だ。
何の特徴もない、リバムド王国の外れの村の農家の次男坊。故郷の村に訪れた探索者さんに憧れて、齢十五の時に寒々しい村を飛び出して、『彷徨いの迷宮』と呼ばれるダンジョンのある王都にやってきた。
余談だが、ダンジョンの近くには大都市があることが多い。というより、ダンジョンを中心として国家や都市が栄えたといわれている。有史時代、農業に適した平地や、貿易の要となる沿岸部に文明が生まれたのと似ているな。
そんなわけで、遥々王都までやってきたお上りさん全開の俺は、街中を見て回りたい気持ちをグッと堪え、探索者ギルドの登録費用で残り少ない路銀を使い果たした。
パーティは組まなかった。昔馴染みとかならともかく、登録したてのF級探索者と組もうとする人間などそうそういなからだ。駆け出しの探索者は、浅層で実績を積んでE級に上がることで、ようやくパーティメンバーを探すことができる。
モンスターの跋扈するというダンジョンで、頼れるのは自分と腰に差した剣一本のみ。
そんな当たり前の事実に震えそうな心を叱咤し、俺は覚悟を決めてダンジョンに乗り込んだ。
……結果は惨敗。
『彷徨いの迷宮』で最弱のFランクモンスターといわれるのゴブリンと対峙し、探索者を志してから必死に練習した剣技で立ち向かうも歯が立たず、思い入れのある剣も折れ、ついでに心も折れ、這々の体で逃げ出した。
ちなみに、モンスターのランクというのは探索者の等級と対応していて、FランクモンスターならF級がソロでも問題なく討伐できるとされている。……つまり、俺の実力は最低のF級にすら届いてなかったってことだ。
俺は泣いた。わんわんと泣いた。しばらくして、今晩泊まる宿もないことに気づいてさらに泣いた。
翌日、薄暗い路地裏で目覚めた――よく追い剥ぎに遭わなかったなと思うが――俺は、昨日の失態を思い出し、たった一度の失敗がなんだと自分を奮い立たせた。
初めから全てが上手くいくはずがない。AAA級の探索者だって、初陣では人並みの失敗をしたはずだ。……流石に、ゴブリン一体に苦戦することはなかったかもしれないが。
その日から俺は必死になって鍛錬した。
とはいえ、先立つものがないとどうにもならないので、日中はギルドで埃を被っていたダンジョン外の採集依頼や、どぶさらいのような仕事で糊口を凌いだ。
日が暮れてからは、近隣の林で自作の木剣を振るった。ギルドの訓練場はD級以上の中位探索者が占領していて使えないので、覗き見た先達探索者の動きを頭に焼き付け、反復練習を繰り返した。街の飲み屋も全て閉まった頃、安宿に帰って泥のように眠った。
そんな毎日を過ごして一年後、俺は再びダンジョンに挑んだ。
結果は惜敗だ。
前回と同じくゴブリンと対峙し、有り金を叩いて買った鉄製の剣は折られ、でも心は折れず、戦略的撤退を決めた。
またもや遅れをとったのは悔しかったが、確かに成長しているという実感があった。
前回は攻撃を防ぐのがやっとだったが、今回は一太刀入れることもできた。親切だと思った武器屋になまくらを掴まされたことは残念だったが、次こそはという気力が身体の底から湧いてきた。
それから一年。さらに腕を磨いた俺は歴戦の勇士のような心持ちでダンジョンに赴いた。
俺を出迎えたのは当然のようにゴブリン。緑色の小さな体躯に、腰巻を巻いただけの見慣れた姿だ。
当然別の個体だろうが、前回ゴブリンに付けた傷と同じような場所に傷があり、不思議と再戦を挑んでいるような気になってしまった。
開始の合図はなかったが、俺が半年前新調して手に馴染んだ剣を正眼に構えると、ゴブリンは腰を落として小さくグァと鳴いた気がした。
……それはまさしく死闘だった。
俺が剣を振るえばゴブリンは鋭い爪で弾き、ゴブリンが爪を振るえば俺が剣を合わせて弾いた。
それならばと、どっしり構えながら迎え撃つ姿勢をとると、ゴブリンは俺を翻弄すべく、身軽さを活かして四方八方から攻めてきた。
しばらく一進一退の攻防が続いたが、勝負の決め手となったのは、おそらく学習能力の差だった。
ゴブリンの攻撃パターンを完璧に把握しかけていた俺は、都合三度のフェイントを挟み、前のめりに体制を崩したゴブリンの喉元を剣で貫き、押し倒すように地面ごと突き刺した。
狂乱して振り回した爪で片目が潰されてしまったが、それまでだ。
ゴブリンは絶命し、光の粒子となって消えた。
ダンジョン内で倒したモンスターは死体が残らず、魔石と呼ばれる石と一定確率で落ちるドロップアイテムを残して消失する。知識としては知っていたが、実際に見るとあまりに不可思議な光景だった。
どこか寂しげに見える魔石とゴブリンの爪を拾い、俺はしばしの間、感傷に浸った。
ようやく、探索者としての第一歩を踏み出せた。
今はまだまだだが、いつかは探索者の高みに上り詰めてやる。
俺は今は亡き宿敵であるゴブリンにそう誓い、片目の消毒と手当を済ませ、お宝の一つでも見つけるべくダンジョンの奥へと進んだ。
そして……。
ゴブリンの群れを一方的に蹂躙する、年端もいかない少年少女パーティを見て完全に心が折れた。
……いや、何だったんだよ今までの苦労は。
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「そんなわけで、探索者の道は諦めたんだが……でかい啖呵を切って故郷を出たから帰るのもバツが悪くて、今でもこんなことをしながら日銭を稼いでるってわけだな」
俺がそう締めくくると、御者の男は御者台で呆れたように鼻を鳴らした。
目的地までの道中、暇だからとダンジョン探索の話をせがまれたため、在りし日の失敗談を語っていたのだ。
気づけばあれから五年。先月で二十二歳を迎えた。
「……ノイドさんっつったっけ? そんじゃ、その眼はそん時のゴブリンにつけられた傷ってことかい?」
そう訊かれたので、右目につけた眼帯を外して古傷をみせると、顔半分だけ振り向いた男は「うへぇ」と声を漏らした。失礼な反応だな。まあ別にいいけど。
「とにかく、俺には才能がなかったんだ。諦めの悪さには自信があったんだが……あんなガキンチョたちが楽々とゴブリンを狩るのを見せられたら、流石に向いてないんだと悟ってな」
「……ふーむ、その子らがすんげぇ探索者だったってことはないんか? 若くてもバカみてぇに強い探索者はたくさんいるって聞くぞ」
「残念ながら、あいつらの等級はペーペーの俺と同じF級だった。首にかけたタグの色でわかる」
首にかけた暗灰色のタグを見せる。F級の探索者タグ――俺の髪と同じ色だ。ダンジョンに挫折した直後は、お前にはお似合いだと言われているようで無駄に腹が立ったが、七年の付き合いなので流石にもう慣れた。
「……それに、よほど実力のあるやつはD級やC級から始まるんだ」
ギルドにはある程度の実力を測ることができる便利なアイテムがあって、登録の際に水晶玉じみたそれに手をかざして調べるのだ。もちろん俺は何も言われずF級スタートだった。
「だから、疑うまでもなくそれが俺の実力……本気で数年鍛えて、子供でも倒せるようなゴブリン一体と同格ってことだ。命を賭けるにゃ勝算がなさすぎる」
「そっかぁ……」
御者の男はそこで思い出したように――
「ところで、あんたほんとに森のゴブリン退治はできんのかい? 今の話を聞いちまうと……」
まあ依頼でゴブリン退治に向かっている途中だからな。そう考えるのも無理はない。
「……それは問題ない。たとえ同種でも、ダンジョン外のモンスターは、ダンジョン内のモンスターとは比べ物にならないくらい弱いんだ」
ダンジョン外のモンスターは、元々はダンジョンで生まれたモンスターが外に出て繁殖したものだと考えられている。実力は比べるまでもなく、俺程度の腕でも、ゴブリンが多少群れたくらいでは全く問題にならないほどだ。
ダンジョンのような高濃度の魔素をがない環境に長期間晒され、他の野生動物と変わらないような身体能力に落ち着いた、というのが通説だな。
とはいえ、ゴブリンは繁殖力が高い。数十からなる群れが相手では、戦闘能力を持たない一般人では歯が立たない。
そのため、時たま依頼として、ダンジョン外のゴブリン退治がギルドの掲示板に貼られることがあるのだ。そういった依頼は、俺のようにダンジョンに潜らない探索者崩れにとっては貴重な収入源になっている。
「ま、安心してくれって。こう見えてもF級探索者だぜ?」
「そいつはさっき聞いたっての」
おどけて握りこぶしを作ると、男は苦笑して前に向き直った。
それから暫くして、馬車はゴブリンが発見されたという森の入り口に着いた。御者の男もとい、討伐依頼を出した村に住む男は「とにかく頼んだぞ」と言い残し、馬車を走らせ去っていった。
いやー、男が依頼を出した瞬間、ちょうどその場に居合わせていて助かった。すぐに依頼を受注して、ついでに村へ戻る馬車に同乗させてもらうことができた。
「……さっそく行くか」
空を見れば、少しだけ雲行きが怪しくなっていた。
とっとと依頼を終わらせて、村に戻って村長に報告し、今晩は泊めてもらうのがいいだろう。
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それから数時間後、俺は無事にゴブリン共を討伐することが出来た。戦闘自体はあっさりと終わったのだが、意外と目標が見つからず森の奥深くまで入ってしまった。
ゴブリンは巣を作っていたが、規模としては極めて小規模で、ゴブリンの数も十体程度だった。まあこれがあとひと月もすれば数十体からなる群れとなるため、決して軽視できないのがゴブリンという生き物だ。
ダンジョン外に生息しているゴブリンは、討伐しても消えずに死体が残るが、山火事にでもなったら大事なのでわざわざ燃やしたりはしない。どちらにせよ森に住む虫や動物たちが綺麗に片付けてくれるだろう。
ゴブリンの住み着いた森は先住の動物が減って生態系が乱れるため、早く元に戻るよう、多めに餌を提供してやるくらいでちょうどいい。
あとは、討伐証明として数体分の爪を剥いで革袋にしまっておくことも忘れない。決して気持ちのいいものじゃないが、必要以上に不快に感じることもない。
育ちの良い坊ちゃんなんかにはキツいらしいが、俺は故郷の村で鶏を潰したりして慣れていた。探索者になるための金が必要だったから、たまに鹿や猪を狩って親やご近所から駄賃も貰ってたしな。
「……こいつは、本降りになりそうだな」
空を見上げる。
ゴブリンを狩っていた時からぽつぽつと降り始めていたが、気が付けば雨足はかなり強くなっている。
もうすぐ日も暮れそうだし、今から村に向かうよりは森で野宿した方がいいだろうな。
そう決めて少しでも雨風の凌そうな大木なんかを探そうと考え、
――――。
「……なんだ、今の?」
今、誰かに呼ばれた気がした。
……いやいや、別に思春期のガキが患うような心の病気に罹ってるわけじゃない。だが、人の声……たぶん男の声で、よくわからないが俺を呼んでいたような気がする。
風鳴りや雨音の聞き間違えかと思いつつも、俺は声の聞こえた方向に歩き出した。
数分くらいか、少し速足で歩いた場所に、山肌に隠れるような小さな洞穴があった。
若干傾斜があって斜め下に下りるような構造になっており、中を覗いてみると、高さと幅は俺が楽に通れるほどに広く、奥行きはダンジョン基準の単位で10メートルもないほどだった。
「今夜はここで休むか……」
木々も多く、地盤もしっかりしてそうなので天井が崩れてくるようなことはないだろう。
そう判断し、洞穴の入り口に糸と木片で簡易的な鳴子を仕掛けておく。そして奥に陣取り、粘土のような味と食感の携帯食料を水で飲み下し、何も敷いていないむき出しの地面に寝転んだのだった。
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「…………」
夜中、ふと目が覚めた。
鳴子はなっておらず、しんしんと雨足が弱まった雨音が外から聞こえるだけだ。
もう一度寝直そうと思ったが、どうにも眼が冴えてしまって眠れない。
身体を横にしながら何も考えず壁を見ていると、そこに何か違和感のようなものを覚えた。
「ん……?」
あの部分、なんか……他の壁と少しだけ色が違くないか?
模様かと思っていたところも、よく見ると継ぎ目のように見えなくもない。
灯りもないのでただの錯覚かもしれないが、気になりだすと止まらないもので、俺は結局立ち上がって壁を調べてみることにした。
まあ何もないだろうが、もしお宝でも眠ってたりしたらと考えながら――
「……マジかよ」
体重をかけて壁を押してみると、ズズズと鈍い音を立てて動いてしまった。ちょうど俺一人が通れる扉くらいの大きさだ。
そのまま思いっきり力を込めると、壁は楕円状にくり抜いたように奥に倒れた。
……これ、あれだ、隠し扉。
辺鄙な村の近くの森の洞穴に、人為的に作られたとしか思えない隠し扉。
初めてダンジョンに挑んだ時のように胸が弾む。……まあ五年間どんだけ山も谷もない毎日を送ってたんだと悲しくもなるが、今はそれよりも目の前の大発見だ。
こんな場所で火を起こすわけにもいかないので、魔石を動力とするランプを点ける。魔石は使い捨ての高級品だが、今の俺は損得勘定より好奇心が勝っていた。
細心の注意を払い、壁の向こうの隠し部屋に足を踏み入れた……が、中は想像以上に狭くて拍子抜けしてしまう。
洞穴そのものよりもわずかに狭いくらいで、パッと見た感じだと目ぼしいものは何も……。
「……いや」
隠し部屋の隅。人目を忍ぶように転がっている拳大の玉があった。
見た目はギルドに置いてある実力測定用の水晶玉もどきにとても似ているが、あれよりは色が濁っている……というか中の雲みたいな模様が蠢いてないか? こんなもん初めて見たぞ。
……とにかく、王都のギルドに戻ったら、鑑定スキル持ちの鑑定士に調べてもらうのがいいだろう。
まさか、森のゴブリン退治に来てこんな戦利品が手に入るとは。こいつが高く売れたら、故郷に帰って腰を落ち着けるのもいいかもしれない。探索者として成功こそしなかったが、村を出た意味はあったと思えるだろう。
そんな取らぬ狸のなんとやらで頬を緩めながら、俺はその玉に手を伸ばした。
そして……。
「うおっ!?」
指先が触れた瞬間、玉は部屋全体を照らすほどに光り輝き――同時に頭の中に見知らぬ誰かの知識やら記憶やらがものすごい勢いで流れ込んできて、俺は抗う術もなく意識を失ったのだった。