いざ、空の旅
アリアの後ろ脚が地を蹴る。広げた翼が大きく羽ばたいて地面に向かって空気を送り込むと、ごく自然な流れでアリアの体は浮き上がった。この離陸の上手さは、風の魔法を得意とする風竜ならではだ。他の属性竜ではこうは行かない。今日のパートナーにアリアが付いて来てくれていて、本当に良かった。
地面を離れれば、後は上へ上へと向かって行くだけ。高度を上げるのにあまり鋭角になりすぎないように、アリアは魔法を上手く使って上昇してくれているが、それでも見る見るうちに地上は離れていく訳で。
「凄い!オフェーリア達がもうあんなに小さく…!」
俺の腕に軽く掴まりながら下を覗き込むファウスティナ嬢から、感嘆の声が上がる。怖さは全く感じていないようで安心した。同じ対象を見続けている方が高度は実感出来るのだけど、折角の『空』だ。とことん楽しんでもらわないとね。
「ファウスティナ嬢。下も良いけど、前も見てごらん?」
「…っ、凄い…!」
俺の言葉で顔を上げたファウスティナ嬢の眼前に広がるのは、フェルゼス城と、距離がある為に前に広がっているように見える王都フェルゼスの街並み。そのずっと向こうにそびえ立つのは、北のルツフェン公国との境目であるレイオン山脈だ。
「凄い、凄いわアリア!貴女がいつも見ている世界はこんなにも素晴らしいのね!!」
「ギャーウ!」
ファウスティナ嬢の大興奮っぷりに、アリアから返る声も高く大きい。アリアの方から『乗せてあげてはどうか』と伝えてきたくらいだから、ファウスティナ嬢が喜んでくれて嬉しいのだろう。
「本当に凄い…街並みがおもちゃのよう。でも、ちゃんと人々の生活が見えるわ…不思議で、とても綺麗……」
ほぅ、と息を吐きながらの彼女の言葉に、ハッとする。俺にとってこの景色は、物心付いた時から当然のようにそこに在ったものだ。そんな風にこの景色を見た事なんて、一度もなかった…──彼女に『空』を教えるはずが、こちらが教えられてしまった。凄いな、ファウスティナ嬢は。
「見て、ラヴレンチ様!こんな近くを鳥の群れが…!鳥って、竜を怖がらないのね!」
「うん。こうして群がついて来る事もあるし、群の傍に寄っても逃げられたりする事はないから、彼らにとっては空での挨拶みたいなもんなんだと思う。」
「一緒に飛ぶ事で、敵意がない事をお互いに確認するのね!素敵なご挨拶だわ!」
俺のこれまで見ていた『当たり前』の世界の色が、彼女の言葉一つ一つで鮮やかな色彩へと変わっていく。
──…あぁ、そうだね。君の言う通り、竜達が見せてくれる世界は、こんなにも素晴らしいや。
「鳥達を見ていて思ったのだけど…アリアは翼をあまり羽ばたかせないんですね?」
「アリアは風竜だからね。風を読むのがそもそも巧いし、滑空と風魔法を合わせて一定の高さを保てるから、羽ばたきはそこまで必要としないんだ。」
「では、ラヴレンチ様が仰っていた、『人を乗せて飛ぶ事に関しては随一』というのは…」
「そういう事。取り分けアリアは、魔法の使いどころも熟知してるから。ファウスティナ嬢を乗せるから手綱を着けてもらったけど、俺なんか普段こんなの使わずに乗せてもらってるくらい。」
「使わないの!?」
バッと俺を振り返るファウスティナ嬢の顔に、『信じらんない!』とハッキリ書かれていて面白い。それに、思いの外がっつりと言葉遣いが崩れた。もしかして、これが彼女の素だろうか。
公爵令嬢然とした態度も好感しか覚えないし、その全てが仮面だとは思わないけれど……ファウスティナ嬢は俺に、ありのままで接して構わないと言ってくれたのだ。従者の前では難しくとも、今は俺とアリア以外に誰も居ないのだから、彼女もありのままでいたって、良いんじゃないだろうか。
──…うん。ちょっと乱暴になるかもだけど、試してみよう。
「使わなくても意外と平気よー?こうしてゆっくり飛ぶなら尚更。いつもはもっと速いし。」
「こ、これより速いんですか?それを、手綱なしで!?」
「あはは、正気を疑われてるー。まぁ、今は手綱もある訳ですし。折角だから普段の速さで飛んでみる?」
「気にはなりますが…!」
あー、やっぱり流石に怖いかなぁ?
「しがみついてしまうかもしれません!!」
………………え?そこ?
いや、確かにしがみつかれたら別の意味で危ない気が、俺も、そこはかとなくしてきましたが。『しがみつかれる』じゃなく『掴まられる』って認識でいけばきっと何とかなる…!
「寧ろ最初から掴まってもらえれば…」
「良いんですか!?」
あれ、俺、口に出してた?「じゃ、じゃあ…」なんて、ファウスティナ嬢がいそいそと俺の腰に、その細い腕を回してきたんだが。マジか。素直に甘えてくれるのは嬉しいけども。
「い、いつでもどうぞ!」
回された腕に力は入っておらず、殆ど添えられているだけだ。それなのに張り切る姿が何だか可愛くて、おかげで肩の力が抜けた。ふっと息を吐くように笑って、俺も片腕を彼女の腰に回す。
……そうよね。腰も驚くほど細いよね。でも、俺まで添えるだけで済ませてしまえば、彼女の遠慮もなくならないだろう。覚悟を決めて、その腰を抱き寄せる。速度を上げる為に身体を倒した分、密着度も上がるが頑張れ俺…!
「ラ、ラヴレンチ様!?」
「アリアが守ってくれてるけど、それでも多少空気抵抗があるから、少しだけ身体を低くして。しっかり掴まっててね!」
「は、はいっ!」
俺の腰に回る両腕に、ギュッと力が入ったのを確認してアリアに合図を送る。アリアにも悪戯心が芽生えたのだろうか、チラリと一瞬だけこちらを見やった顔にはどこか含みがあったなと思った瞬間、まるで『空気の壁』を思いきり蹴ったかのような強烈な加速をしてみせた。
「っきゃあぁあー!」
俺は「あ、やるな」と思ったから驚かなかったけど、ファウスティナ嬢は流石にこんな急激な加速を味わう事になるなんて考えてなかったんだろう。必死に俺にしがみついて、きゃーきゃー悲鳴を上げているが……いや、どこか楽しそうだな??
顔だって伏せられてないし、怖がっている訳ではないとアリアも分かっているのか、高度を上げて雲の中をまるで海に住むイルカが泳ぐように変則飛行をしてみせる。
「っは、あはは!凄い、凄いアリア!イルカみたい!格好良い!」
お、口調が崩れた。笑い方も変わったのは、心から楽しんでくれている証拠だろうか。雲の切れ目に差し掛かると、再びアリアの悪戯による急降下、からの急旋回。流石にこれ以上は時間までに戻れなくなっちゃうからね。しかしこれもまた、楽しそうな悲鳴がファウスティナ嬢の口から出てる。
「ラヴレンチ様!凄いわ、ジェットコースターみたい!最高!楽し~!!」
じぇっとこーすたぁ?とは?楽しいものらしいから、何だって良いけど。
「さっきまで点で見えていた景色が、まるで棒ね…なんて速いの!ラヴレンチ様、本当にこの速さを手綱なしで?」
「うん。何なら離す?」
「い、いいです!握ってて下さい!!」
「ははっ、了解。でも、そろそろ速度は落とそうか。」
強い風に当たり続けるのは、身体が冷えて良くない。楽しんでもらえたみたいだし、十分だろう。加速時とは違って急停止するのは流石に俺も危ないので、アリアは徐々に速度を落としていく。




