閑話:待ちわびた帰還
獣の身から人の身となって、最初は戸惑いを覚えていた。
元々それなりの知性を兼ね備えてはいた。それでも人の身となった瞬間に強制的に理解させられた膨大な情報を処理しきるのは至難の業だった。
しかしながら周囲よりも早く順応したのは、知性という部分で他の獣に勝っていたからなのは間違いなかった。
黒狼だったその獣人は、まず人の身となった自身がどれ程の戦闘力を持っているか確かめることから始めた。
秘境という厳しい環境を生き抜くには、何よりも強くあることが大切なのだ。
結果は、戦闘力が大幅に低下しているということが分かっただけだった。
基本スペック自体は下がっていない。しかしながら、人の身を使うということに慣れていないせいで、本来のスペックをまるっきり引き出せていないのだ。
だが、それを悲観することはなかったし獣の姿に戻りたいと思うこともなかった。
何よりも、獣だった時代よりも上がった知性を何度も実感する度に、自身を人の身と変えてくれたことへ――変えてくれた者への感謝が大きくなるばかりだった。
黒狼の獣人は、自身を人の身へと変えてくれた者を探す。
この時、幸運と不運が重なった。
幸運だったことは、その2人を見つけることが出来たことだ。
遠目からだったが、その身に大きな力を秘めた男と自分と同様に人の身になった女を目にすることが出来た。
後に挨拶に行こうと決めた。自身の中にある感謝を忠誠心として、その2人に尽くすことが自分のすべきことだと、そう決めたのだ。
しかし、ここで不幸が待ち受けていた。
その2人はその日の内には秘境から去っていたのだ。
散々探し回り、諦めきれずに秘境中を歩いたが、ついぞ見つかることは無く、秘境から出て行ってしまったのだと結論付けた。
黒狼の獣人は結論を出した翌日には秘境を出た。
まだ獣人が世に根付いていないというのは、獣人になった時の前提知識として刷り込まれており、余計な騒ぎを避けるために人目に付かないように移動することにした。
敏感に気配を察する力と匂いを嗅ぎ分ける力は人の身となっても健在で、その高い能力を遺憾なく発揮して2人を探した。
最初からこうすれば良かったとその時は後悔したが、2人の痕跡をしっかりと追えているので細かいことは気にしないことにして、追跡を続けた。
そうして、しばらくの時間が経ちその2人の元へ辿り着くことが出来た。
自分が元居た秘境とはまた別の秘境の洞窟の中、水晶のような物の中で眠る2人を見つけたのだ。
強力な封印となっており、魔法を殆ど使うことの出来ない黒狼の獣人にはそれを解除する方法は無かった。
だが、高い知性によって少し調べる内にその封印は設定された時間が経過すれば解けるということだけは分かり、無理に解除しようとは思わなかった。
しかし、そうなると如何せんすべきことが無い。どうしようかと考え、封印が解けるまでこの場にて待とうかとも考えたが、それはやめた。
どのくらいの時間が経てば封印が解けるのか分からないからという理由もあるが、黒狼の獣人は2人の封印が解けた時に帰る場所を作っておくことにしたのだ。
自身が仕える主が住むのに相応しい場所を作るべく、いっそのこと獣人の国を作ってしまおうと、大胆に考える。
黒狼の獣人は、まず自身の名前を決めた。
ビャクという名を名乗ることにし、自身が住んでいた秘境内にいる獣人達に声を掛け始める。
戸惑いが大きいながらも、人の身になったことにより身に付いた知性のおかげか、みなこのままではいけないということは理解しており、纏めるのはそこまで難しくなかった。
獣人達を纏めつつも、自身は生みの親である2人が暮らしていた場所におもむき、そこでヨゾラとセラフィという名を知り、様々な魔法の研究が纏められた資料を見つけた。
2人がどれ程で戻ってくるか分からない。ビャクは苦労の果てに自身の肉体を少しだけ作り変えられる魔法を習得することに成功した。
最低限必要なことが揃ったので、そこからはひたすらに国づくりに励んだ。
人間の街に潜み技術を覚え、それを元に秘境を切り開き人の身で快適に生活出来る環境を作り上げていく。
秘境を切り開いていれば必然的に魔獣とも戦うことになる。何度も戦闘をしていれば、レベルも勝手に上がり気付かない間にどんどん強くなっていった。
国としての形が出来上がっても10年50年、100年とヨゾラとセラフィは帰って来ない。
自身の身体を作り替えて、周囲の獣人達が死んでいく中生き続けて、それでもビャクの忠誠心は揺るがなかった。
完成した魔王城の維持をしながら生活しているのは、むしろ満足感に溢れており、2人の帰還を思い描きながら毎日を過ごした。
大きな転機が起こったのは、獣人の国が出来上がって150年程が経った時だろうか?
その長い間、獣人達は秘境の資源で生活しており人間との関わりは一切無かった。この秘境に人間が踏み込んでくることも無かったので、獣人という存在が認識されていなかったのだが、何がきっかけかは分からないが、獣人の国があるということが人間に知られたのだ。
そして、あろうことか、人間たちは貴重な秘境の資源が確保できる環境があるとみて獣人の国を我が物にしようと動き始めたのだ。
ビャクに人間と争う意志は無かった。だが、ヨゾラとセラフィの帰るべき場所として作った獣人の国を勝手な理由で荒らされることは許せない。
受けの姿勢では獣人の国の周辺で戦闘をすることになり、その気が無くとも国が荒れてしまう。そういった理由で、ビャクはこちらからも攻め込むことを決めたのだ。
激化する戦争は世代が変わっても続いていき、どちらも手を緩めることはない。
数では劣るがスペックが人間よりも高い獣人は少数でも多勢を押し返し、数で圧倒的に勝る人間は国同士の協力も深まって中々に疲弊しない。
終わりの見えない戦争でも、ビャクの中にあったのは勝てなくとも負けることだけはあってはならないという気概だった。
長きに渡る戦争の中で、ある日突然にビャクはそれを感じ取る。
自身の仕える主の気配が動き出したことを――
「いつ戻ってこられてもいいように、用意しておかねば」
ビャクはいつ2人が城に帰ってきてもいいように、隅々まで綺麗な状態を保つ。
その顔は歓喜に震えていた。
「ああ、我が敬愛する魔王様……ご帰還のその時を、心待ちにしております」
自由な女神「獣人の国はこんな経緯で出来たんだ。まさかヨゾラ君とセラフィちゃんのためだったとはね」




