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続・死神

作者: 文月 雪花

 病室のドアを開けると、そこは個室で、ベッドのほかに見当たるのは一脚のパイプイスと、小さな棚ぐらいだ。棚の上には、花瓶があり、一輪のひまわりの花が活けてある。その手前には、コンビニの小さなビニール袋が置いてあった。

 奥にあるベッドを見ると、ベッドの上に小さく皺枯れた老父が横になっていて、窓から見える景色を、遠い目で眩しそうに眺めていた。

 私は、静かに病室に入ると、ベッドの前にあったパイプイスに腰を掛けた。


 しばらくして、窓の外を眺めていた老父は、私の存在に気づき、私の目を静かに見つめた。

「あなたをお迎えに参りました」

 私がそう言うと、老父は、私が何をしに来たのか理解していないのか、驚いた様子も見せずに「そうか」とだけ呟き、再び窓の外を眺めだした。

「窓から何が見えるのですか?」

「ベッドからだと、空に浮かんでいる雲しか見えんよ」

 窓の外を見やると、確かに澄んだ青い空に、大きな入道雲が浮かんでいるのが見えた。

「一日中そうしているのですか?」

「そうだよ。ワシにはもう他に何もすることがないからね。こうやって外のアブラゼミの声を聞きながら、ぼうっと空を眺めて、昔のことを思い出すのがワシの日課なんだ。ただ……」

 そこまで言うと、老父は一瞬、声を曇らせたが、再び、口をゆっくりと開いた。

「昔死んでいった先輩の最後の言葉がどうしても思い出せないんだ」

 老父は、窓を眺め続けたまま、話を続ける。

「青い空に浮かぶ入道雲とアブラゼミの声は、ワシに戦争のことを思い出させてくれる。戦争自体、いいものではないが、ワシにとって、戦争は、青春のほとんどをそこで過ごした時代で、お国の為にと命を燃やそうとし、そこに意味を見出したワシの青春そのものなんだ」

「その中でも、ワシが飛行兵学校に入って間もない頃、親しい先輩が、特攻に出撃する時のことがとてもよく思い出せる。その日は、今日みたく、とてもよく晴れていて、空に入道雲が浮かんでいて、アブラゼミの声も聞こえたよ。特攻に行く先輩とそれを見送る後輩が大勢集まって別れ盃を交わしていたんだ。その中で、先輩は、ワシを見つけ出すと、ワシの方へと駆け寄って、ワシの手を強く握ったんだ。その途端、先輩の両目から大粒の涙がこぼれて止まらない様子だった。それで、先輩が何か一言、ワシに言ったんだ」

「それが先輩の最後の言葉だったよ。その一言が今でも思い出せないんだ」

 話が終わると、老父は、振り返り、私を見つめ、再び口を開いた。

「なぁ、人生なんて、そういう思い出を思い出すためのほんの少しの時間の為のものなんだろうな。覚えているのかいないのか夢か幻だったのかすら分からない思い出だってある。そういう曖昧な、漠然とした記憶の海を渡る旅をする短い時間のための人生なんだろうな。その旅をワシは終えようとしている。お前さんは、そのお迎えなんだろう?」

「ええ。そうですよ」

「ワシの旅を終わらせる前に、一つだけ頼みたいことがあるんだ」

「なんですか?」

「そこのビニール袋に入っているものだよ」

 老父は、顔を隣の小さい棚の上にあるビニール袋に向けた。

「その中にみたらし団子が入ってるんだ。お前さんが来る前に孫が甘党のワシにとなけなしの小遣いで買ってきてくれたんだ。だが、ワシにはもうモノを食べたり飲んだりする力も残っていない。団子を残してしまうのは孫がかわいそうでできない。どうかワシの代わりに食べてやってくれ」

 そう言うと老父は、天井へ向き直り、静かに目を瞑ると、老父の呼吸が次第に静かになり、やがて止まった。


 私は、棚の上にあったビニール袋からみたらし団子が入った紙の包みを取り出し、包みを破くと、団子を齧った。

 涙に似たような甘じょっぱい味が口の中に広がって溶けた。


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