三者面談 夕葵
いろいろあったが期末テストの返却も終わり、夏休みまで残り2週間となった7月の半ば。
この期間は結構な修羅場が俺たち教員を襲う。
まずは生徒の成績を記した通知表の作成。多くの担任教師を悩ませるのが通知表だ。それも文章を書くことを苦手にしている人ほど、気の利いたフレーズや四文字熟語を使って、まとめようとする傾向がある。俺もその例に漏れずに苦心していた。
生徒の事を見ていないというわけではないのだが、言語化がまた難しい。気の利いた文章が生徒の人数分も用意できるはずもなく……
「んー……」
俺は昼休みに入ってからもパソコンと睨めっこをしていた。
昼食はコンビニで買ってきたおにぎりを食べて済ませていた。
落ち着きがないとか少しでもネガティブな表現はタブー。クレームが来るような言葉を変換するのは結構難しいので、まったく終わる気がしない。
しかも苦労して書いた通知表を生徒らに渡せばAの数がどうだったとか、Cがついてなくてよかったとか、そっちのほうを重要視していたりする。それは学生時代に俺も似たものだったので何も言えないのだが。
チャイムが鳴り響き昼休みの終わりを知らされ、俺の本当の修羅場が始まる。
「担任持っていると、毎度これが辛いよな~」
社会科教員室で俺と同じく通知表を作っていた座間先生も肩を押さえて首を左右に傾けコリをほぐしていた。
「毎回何を言われるかが分からんから怖いんだよな~。去年なんてもっとやる気のある先生をってぇ」
「ハハハ……」
これから俺たちを待っているのは三者面談だ。
保護者と話す機会なんてものは中々ない。いい機会なのだが、中にはクレームといったものもあるので怖い。
話すこととしては、2年にもなれば具体的な志望校や“大切な夏休みをどう過ごす”かが一番のテーマに上げられる。進路は事前に進路希望調査を行っているので希望校のある生徒は具体的に教えてもらい、その大学のパンフレットを手渡す予定だ。
◆
カレン
今日から三者面談が始まります。
そのため授業は午前中で終わり、昼からはみんなの親御さんが来てセンセからいろいろ話を聞きます。今日はクラス中でその話題が出ることが多かったです。
今も近くで相沢君たちが話しています。
「今日からか~」
「何言われるのか……」
「それより、うちの母ちゃんだよ」
「なんかあったのか?」
「朝からめっちゃ化粧して、服も真剣に選んでた」
「「うわぁ~~……」」
「先生に会うからって。そんなに張り切らなくても、担任教師に色目使うなよな……」
昼休み、私たちは教室の片隅で食事を摂っていました。
部活動がある人は部活へ、用事のない人は昼食もとらずに帰宅するので食堂は今日はお休みです。
「カレンの三者面談はいつ?」
観月はお弁当を食べながら私に三者面談の日程を尋ねます。
「明日です。観月はいつですか?」
「今日の最後なんだけど、何を言われるか……」
観月が憂鬱そうに嘆いています。
「家族での付き合いがあるのも問題だよね」
「絶対、遠慮なく歩ちゃんアタシのこと話すよ~」
「そういえば、あの件はもう親御さんに話したの?」
あの件とは観月のカンニング疑いのことでしょう。
「うん、「カンニングしたのならもっといい点数取ってこなきゃおかしいでしょ」って言われた」
観月は笑いながら話します。
観月のお母さんは観月がカンニングを疑っている様子はないのは観月の態度から分かりました。
「そうね。でも来期はもっと点数上げていくから」
「うっ……お手やわらかに」
観月はあの日以降、涼香に勉強を教えてもらうことが多くなっているようで部活がない日は図書館で勉強している姿をよく見ます。
「そ、そういえば夕葵は三者面談はいつ?」
露骨に話を逸らしましたね観月。
「私は今日の一番最初だ」
「え、じゃあ、もう直ぐじゃん」
時間を見ればあと30分もすれば三者面談が始まります。
「そうだな。部活の大会も近いから早めにしてほしいと先生に頼んだんだ」
この仲間の中で大会の近い夕葵さんは、昼休みにもミーティングなどに呼ばれて一緒に食事を摂ることはありませんでした。今日も三者面談が終わった後にも部活があるようです。
昨年は1年生ながらも全国大会で準優勝したということで表彰されていましたからよく覚えています。今年は優勝を目指して頑張っていると聞いています。
「部活、頑張ってね」
「ああ、そろそろ御婆様がくる。私は先にいかせてもらおう」
「うん、じゃあね」
そう言って夕葵さんはお弁当を片付けて、教室へと向かっていきました。夕葵さんを背中で見送っている中で観月がふと思ったことを口にしました。
「へえ~……夕葵の家ってお婆さんが来るんだ」
「昔からね。ご両親は健在みたいだけど、私も会ったことがないの。その話をすると少し複雑そうな顔をするから、あまり聞かないであげて」
「ん、わかった」
「ハイ」
家族だからと言って仲がいいとは限らないですし、私の今の両親も本当の両親ではありませんから。
「じゃあ、私たちは図書館で勉強しよっか」
「うっ……さっそく?」
「テストが終わったばかりだから必要なの。それにこの時期が一番大切」
「わ、わかりました~。カレンも来る?」
「ゴメンナサイ。私も部活があります」
夏は私たちにとってのお祭りがあるので、これから忙しくなります。観月には申し訳ないのですが文芸部での活動は夏へ向けて、今日から忙しくなるのです。
◆
夕葵
午前で授業が終わるため、早々に帰宅する生徒がいる中で私は校門の前でお婆様を待っていると学校を経由するバスが校門前に止まった。そのバスから着物を着た女性が降りてきた。
「夕葵さん、お待たせしました」
「いえ。私も今来たところです」
お婆様はいつも和服を着ていることが多いが今日は外出用の着物を着ている。凛とした姿はまるでどこかの気丈な舞台役者を見ているかのようだった。
「では早速参りましょうか」
「はい」
校門をくぐると生徒たちの注目を集めているのが分かる。
昇降口で来客用のスリッパに履き替えて教室へと向かっていく。校内はもう既に人が少ない、居るとしたら私と同じように三者面談がある生徒と親御さんだけだった。
教室前にたどり着くと扉をノックして応対を待つ。
『はい。どうぞ』
歩先生の声が扉の向こうから聞こえてくる。
扉を開けると椅子から立ち上がり、頭を下げる歩先生がいた。
「今日はご足労頂いてありがとうございます」
「今日はよろしくお願いします」
お婆様も同じように頭を下げる。
歩先生に席へと勧められ、私とお婆様は椅子に腰を下ろした。
そこからは歩先生が私の学校生活について話を始めた。
「非常に落ち着きのある子で、クラスの子たちを引っ張ってくれています。先月の球技大会でも大活躍でした。勉強面も部活面もともに優秀な成績を残しておられるので大学の推薦も問題ないかと思います」
「そうですか」
歩先生の言葉にお婆様が淡々と相づちを打つ。
「本来なら、何か注意すべき点をお伝えするべきなのでしょうが……夕葵さんにはそれが浮かばなくて。クラスの友達もそう言っています。私も信頼を置いてますので……」
「~~っ~~」
「信頼」――そう言ってくれる先生の言葉が嬉しい。
嬉しくて先生の顔が見えなくなっていると――。
「先生、それでは困ります」
お婆様が先生の言葉を咎める。
それは歩先生も意外だったようでぽかんとした顔をしている。
「人は誰しも欠点はあります。それが見つからないということは、孫をよく見ていないということではありませんか?」
「っ……」
歩先生は返答に困っている。
「高城先生は今年が初めての担任と窺っています。不慣れな所もあると思いますが、もう少ししっかりと孫を見てやってください」
「お、お婆様っ」
せ、せっかく先生が良く言ってくれているのにそんな風に水を差さなくとも……
「初めてだから仕方がないと言うのは逃げでしかありません。ですが、あなたを信頼して孫をお預けしているのです……申し訳ありません。口が過ぎました」
お婆様は言いたいことをすべて話してから謝罪する。
いきなりそんなことを言われれば相手はあまりいい思いをしないだろう。先生は一体どう思っているだろうか。
「……申し訳ありません」
お婆様の話を聞くと歩先生はいい訳などはせず、申し訳なさそうに頭を下げた。真摯な謝罪の念が伝わってきた。
「お宅のお孫さんを私自身の眼ではなく、周囲の反応で判断していた所もあります」
先生のその言葉を聞いて私は少しショックを受けた。
私自身を見てくれていたのではなかったのかと、もしかしたら今後、周囲の噂で先生の評価が変わってしまうのではないかとそう思えてしまったから。
少し落ち込んでいた所に、先生が言葉を続ける。
「欠点があるともお孫さん自身の口から聞いたことがあります。そのことを言わなかったのは、親御さんに生徒を褒め、俺自身をよく見てほしかったというエゴがあったのでしょう」
申し訳ありません――と先生は謝罪する。
「ですが、夕葵さんは素晴らしい生徒だと思っていますし、欠点を見つけるために彼女を見たくはありません」
――先生……。
「それは怠慢ではありませんか?」
「欠点以上にお孫さんは評価できる点の方が多いと思っています」
真直ぐにお婆様の眼を見て答える歩先生は、とても嘘を言っているようには思えなかった。
そのまま先生がお婆様から目を背けずにいて、少しの間だが空気が硬直した。
「……ふふふ」
だが、お婆様がふっと笑みを浮かべるとその空気は霧散した。
「夏野さん?」
お婆様が口元を隠すように笑うので歩先生が疑問符を浮かべてお婆様を見る。
「申し訳ありません。つい意地悪をしてしまいました。夕葵さんの事をその様にいって頂けてありがとうございます」
「い、いえ。俺は思ったことを言っただけです」
ほら、歩先生だって動揺している。全く、先生をからかうだなんて
「だからですよ……それと遅くなりましたが改めて、あの時助けていただいてありがとうございます」
あの時とはお婆様が倒れた時に歩先生が助けた時だろう。
「もう1年も前の事ですから、お気になさらないでください」
「いえ、命の恩は一生の恩。何度でも感謝させててください」
「それなら、俺も事故にあったときお孫さんと一緒に、お見舞いに来て下さりありがとうございました」
お婆様が頭を下げると、歩先生も慌てて頭を下げる。
歩先生……私がお見舞いに行ったことを知っていたんだ。
◆
どうなるかと思った三者面談は、その後はつつがなく進んでいった。
「では、まずは夕葵さんの進路についてのことです。事前に進路希望調査をさせていただいたのですが、まだ希望の大学はないとのことです」
事前に渡した進路希望調査票には空白で提出されていたので、今日はそのことについて聞かせてもらおうかと思っていた。
「あら、そうなのですか?」
「はい、既に声をかけてくれている大学があるのですが……」
夕葵さんらしくない、どこか歯切れの悪い言い方だ。
何か迷うことがあるのだろうか。
「自宅から通える範囲となると3つくらいしか」
「自宅から通える大学か……」
そう言って俺はお婆さんをチラリと見やる。
多分、お婆さんを1人にしたくないのだろう。
「……そこには1度オープンキャンパスに行ってみようかとは思っています」
夏休みの課題の1つとして、どこかの大学のオープンキャンパスに参加してレポートを提出することは前もって伝えてある。
「お婆さ「栄です」はい!」
お婆さんと呼びかけたら、すぐさま訂正が入った。
正直どうお呼びすればいいか迷っていたので、向こうからこう呼び方を指定してくれるなら助かる。夕葵さん以外からお婆さん呼ばわりされるのは嫌なようだ。今後は栄さんと呼ばせて頂くことにします。
「栄さんはどうお考えでしょうか?」
「私はこの子の進路に口を挟む気はありません。別に大学に行かずとも、卒業後にすぐに結婚して家庭に入ってもらっても構いませんし」
「ッお婆様!」
「おほほほ」と栄さんは上品に笑う。夕葵さんは恥ずかしがって栄さんを咎める。気難しい方かと思っていたら冗談も言うのか。
その冗談に俺は笑って返す。
「あははは、確かに夕葵さんなら引く手数多でしょうね」
これは俺が思っていることだ。
外見は申し分ないし、家事も万能。
責任感もあるし人付き合いもうまい。話をよく聞いてくれるし……お化けや暗いところが怖いところも可愛らしい。
「…………」
「…………」
俺は笑って返したが、途端に栄さんと夕葵さんは笑わなくなった。
――あれ? 俺なんか失敗した?
「ふぅ……」
溜息まで疲れた!?
「と、とりあえず、夏にどこの大学のオープンキャンパスに行くか教えてもらってもいいかな?」
すぐさま話題をきりかえるために、進路希望の話を戻した。
「1つは律修館大学です」
「え、律修館?」
俺の母校の名前が出たものだから思わず聞き返してしまった。
「はい、声をかけて頂いている大学で自宅から通える大学だと。実績もありますし弓道場も新しく新設されましたから、学業面でも申し分ないですし」
そう言えば、俺が卒業するくらいの時に弓道場の工事をする予定があると聞いたことがある。
「そうか……」
理由はなんであれ俺の母校を選んでくれたのは嬉しい。
「あの……なにか問題でも?」
「ゴメン、ゴメン。俺もこの大学出身だからさ。ここに行きたいって言ってくれたのが何だか嬉しくて」
「そうなのですか?」
「ああ」
生徒は教師の学歴なんてあまり気にしないだろうし。
小杉先生のように学歴に自信のある人は名門である光鋭大学出身だとよく自慢げに話しているけど。
「この大学ならほかの先生より詳しいと思うから、聞きたいことがあれば聞きに来て」
「はい」
進路の話が終わり、夕葵さんの夏休みの予定を聞くと8月初旬に弓道の大会があるようで部活での内容が多い。
オープンキャンパスの時期とはずれており問題なく、参加することができるようだ。
あとは、保護者のサインが必要や書類を渡し、今後の目標などを聞いておく。
「……では、これで面談を終わりたいと思います。なにか気になる事とかないかな?」
「いえ」
「私の方からもありません。では……これからも何卒、孫をよろしくお願いします」
「はい」
そう言って教室から出ていく2人を見送る。
そして、しばらくたってから椅子にドカッと腰を下ろした。面談用に準備されている珈琲缶を取り出して一口飲む。
「ふぅ……」
まさか1人目からご指摘があるとは思わなかった……いや、俺の認識が甘かったんだろう。
もしかしたら、「こんな若い先生で大丈夫か?」「できればもっと実績のある先生を」という苦情だってあるかもしれない。
――うわぁ……これが3日間もあるのか……。
心の中で嘆いていると教室の扉をノックする音が聞こえてきた。
「はい、どうぞ」
まだまだ、面談は始まったばかりだ。
◆
夕葵
三者面談が終わってお婆様を校門まで見送りにするため一緒に歩いている。2人である居てはいるが歩先生から言ってもらえた言葉が私を上機嫌にしていた。
――信頼……信頼しているか。ふふふ
「よかったですね。信頼していると言ってもらえて」
「っ!!」
私の心を読んだかのような言葉に動揺してしまった。
外部の人間なら誤魔化せるが、お婆様相手にはそれは無駄な事だろう。全てを見透かしたような笑みで私を見ている。
「……お婆様、進路の事なのですが……」
「先ほどの言った通りあなたの進みたい道を選びなさい。私はそれを指摘するつもりはありません」
「はい……ところでですが、なぜあんなことを言ったのですか?」
「あんなこととは?」
「結婚の事です。私にはそんな相手はいません!」
「私としては早くひ孫の顔が見たいもので」
「だから相手がいないと……」
「先生なら私はいつでもかまいませんよ」
………なぜ、歩先生が出てくるのだろうか。
「先生と“日和”に逢引に来ていたと色々な人から聞きましたし、交際してはいないのですか?」
「してません!」
あ、あの人たちは……今度行ったときに一言言っておかないと。
どうりで最近“日和”に行くと先生は一緒じゃないのかと聞かれるわけだ。
「まあ、先生の話を聞いた時にはそう思いましたが、これからも頑張りなさい」
私が先生の事を好きなのはお婆様はとっくにわかっていたらしい。やはりこの人相手に隠し事をするのは難しい。
その頑張りなさいと言うのは勉強や部活のことではなく、歩先生とのことをいっているのは聞かずとも分かった。
「……はい」
私は顔を赤くして答える。
「なら、私は夕飯の買い物をして帰りますので」
「荷物は大丈夫ですか?」
また腰を痛めはしないかと心配だ。
お婆様は元気だが、年齢ということもあり身体は壊しやすい。
「ええ、付き添いの方がもうじき迎えに来てくれるので……ああ、丁度来たみたいです」
お婆様がそう言うと校門の前に大きな黒塗りの車が校門の前に止まった。
その車から同じように全身を黒一色のスーツを着た男性らが降りてきた。
その人たちは一般の人から見たら、どんな印象を持つかは想像するに難くない。父の仕事というのは、少し人に誤解されやすい。
私は、その人たちが父の部下として働いている人たちだと知っているので特段慌てることもない。
私が頭を下げると向こうは最敬礼で頭を垂れ、同じようにお婆様にも頭を下げてから、恭しく車のドアを開けた。
「では、今日も部活がんばってください」
お婆様を乗せた車を見送り私は校内へと戻り、弓道場へと向かった。




