不穏な影
次の日の学校。
仁科の訪問という突然のことがあったがいつもと同じように通勤し朝のSHRを終える。今日はSHR後に授業があるので少し急いでいた。
俺を呼び止める生徒の声が聞こえたが、急いでいることを伝えると俺は教室を早歩きで出ていった。
次の授業は3組の授業だ。その後も連続して授業がある。
今日の授業で使う資料をうっかり教員室に置いてきてしまった。少し急がないといけない。
――しかし、なんだろうか。生徒たちから妙な視線を感じるんだよな。
◆
夕葵
「ええっ! 高城先生が告られてた!?」
「誰に!?」
「なんか元カノらしいよ」
「元カノ!?」
「うわ~……とうとう女の影が……」
授業が始まる前の教室は騒がしい。
だが、今日はいつもとは違う騒がしさがあった。
昨日の先生のファミレスでの一件での噂話がもうすでに広がっていた。どうやら、校内で使われているSNSに昨日の事の顛末が載っていたらしい。校内のSNSには部活の試合結果などごく簡単な物しか載っていなかったが、文化祭での上代さんの一件で一気に注目が集まったと聞いている。一般の人もアクセスすることができるのでこの記事を多く見た人が居るだろう。
SNSの情報は様々な憶測を呼んでいるようだった。
略奪愛だとか、相手を妊娠させたとか、堕胎をするように交渉しているなど、生徒と恋愛しているというありもしない事までが書かれていた。
「話が広まっています」
「でも早すぎない? 昨日の今日だよ」
カレンと涼香がSNSを見ながら苦い顔をする。
「SNSに書かれているのもほとんど憶測じゃん」
不倫や三角関係など決して世間からよく思われないことが書きこまれてる。それも先生が悪くなるように情報が捻じ曲げられているからそれを信じてしまう人や面白がった人がさらにその情報を拡散していく。
「人間って多数側だと寄ってたかって一人を糾弾するよね。顔の分からないSNSだと尚更だよ」
歩波さんが呆れたようにスマホを見る。
これ以上先生についてありもしない事が書かれた情報見たくないはずだがその目には怒りが宿っていた。歩波さんは芸能人という立場上SNSの怖さを知っている。
「兄さんに教えようと思ってたのに行っちゃうし」
「今日は1時間目に3組の授業があるからね」
「涼香さん。さり気に兄さんの授業時間把握しているのってなんか怖いから」
「べ、べつに先生の予定だけを知ってるわけじゃないわよ」
好きな人のすることなどいろいろ気になってしまうのだ。
「あ、また……って写真まで!」
私たちは観月のスマホをのぞき込む。
そこには昨日のファミレスの写真まで載せられていた。
泣いている仁科さんの前に座る先生。先生が泣かせているように見える構図だ。
「え、っていうことはこの投稿者ってあの場に居たってこと?」
「放課後だったし時間的にはありえたかもね」
時間は夕方で学生の姿もちらほら見えた。そこに静蘭の学生もいたかもしれない。この写真を投稿したアカウント名を覚えておこう。
「……この写真って店の奥から撮られてるよね」
◆
「じゃあ、今日の授業はここまで」
チャイムが鳴り響き
3組の授業を終える。
しかし授業中も何か妙な視線をいくつも感じた。
俺は荷物をまとめて教室を出ようとすると女子生徒たちに声をかけられた。
何か視線がわくわくしていたり、残念そうであったりと様々だ。
「どうした?」
「高城先生! 昨日ファミレスで告られたってマジですか?」
「は?」
なぜそのことを知っているのかと気になったが驚きで聞き返すことができなかった。その間に彼女たちの追及が始まる。
「元カノって本当ですか!?」
「よりを戻すって聞いて!!」
「三角関係ですか?」
「相手には恋人がいるって話ですけど」
「寝取ったって聞いたんですけど!?」
今度はその噂の話に驚く番だった。
何がそうなってそんなでたらめな話が広がったんだろうか。
昨日あの場にいたのはあの子たちくらいの物だと思っていたのだけれど。
あの子たちがこんなうわさを広めるとは思えない。ほかのだれかだろうか。あのファミレスには学生も多くいたし、もしかしたら誰かが聞いていたのかもしれない。
「告白はされたけど付き合ってないぞ」
「え、ヤリ捨ててですか?」
「年頃の女の子が下品なことを言うのはやめなさい」
「えー、じゃあ詳しく教えてくださいよー」
このままだとロクでもない噂が広まっていそうだ。
「元カノによりを戻そうと言われたけど断った」
単刀直入に昨日起こった出来事だけを伝える。
「……それだけですか?」
「なーんだ、やっぱ噂だけか」
「一体どんな噂が流れてるんだか……」
「結構広まってると思いますよ。学校のSNSにも挙がっているくらいですし」
女子生徒が俺にスマホに書かれている記事を見せてくれる。
確かに昨日の出来事だ。
写真には俺が仁科を泣かせている様子がばっちりと納められていた。一体、いつ撮られたんだろ。
……
………
……………
「高城先生! 昨日、二股をかけた女性が実は不倫相手で、その人が妊娠して堕胎をするように迫って泣かせたというのは本当ですか!?」
「ぶっ!!」
昼休み。
教員室で珈琲を飲んでいると血相を変えた水沢先生がとんでもないことを言いながら俺に尋ねて来た。思わず口に含んでいた珈琲を吹き出した。
昼休みということで教員室には多くの先生たちがいる。
水沢先生がやや大きな声で話すものだからここに居るほとんどの人が聞いただろう。
「誰から聞いたんですかその噂っ!」
「生徒たちの間で噂になってましたよ!」
あー、あの後授業を終えるたびにそのクラスの生徒たちに聞かれていたがまだ校内にはマイナス方面の噂が広がっているんだろう。
「水沢先生。落ち着いて」
慌てている水沢先生を見かねて結崎先生が水沢先生の肩を叩いて宥める。
「私も話だけは聞いたけど、噂は噂でしょ」
「そ、それはそうかもしれないですけど。写真もあるからって……」
写真なんていくらでも加工できるようになった昨今はその信憑性も疑わしいものだ。だが、俺が生徒から見せてもらった写真は事実だ。
「まあ、昨日俺のところに前の彼女が尋ねて来たのは事実ですけど」
「え、そうなの?」
「けど、妊娠したとかそういうことじゃないですから」
誤魔化すようなことはせずに真っ向から否定していく。
ムキにはならず、あくまでも他人事のように淡々と説明をする。
「昨日、前の彼女に「もう一度付き合ってほしい」といわれたんですよ」
「ど、どうされたんですか?」
「断りましたよ。そうしたら……泣かれました」
今までも振った相手から嫌われたこともあった。冷たくされた、無視されたこともあった。
こればっかりは俺にはどうしようもない。いや、俺にしかできない事でもある。
それは相手と俺の意見が一致しない限り解決しない問題だ。そしてその答えが一致することはないから結局は俺には何もできない。普段と同じように接するようにしてもどうしても意識してしまう。告白というのは良くも悪くも関係を変化させる。
「とりあえず、噂の方は根も葉もないただの出鱈目だということが分かったのだけど、水沢先生、何か高城先生に言うことは?」
「す、すみませんでした……」
水沢先生は俺に謝罪する。
水沢先生は与えられた情報を信じてしまっただけだろう。特に責める気もない。
「お前は男として最低だな。彼女の気持ちを考えろ」
「……はぁ」
突然、話に割り込んできた剛田先生に説教される。
全く関係のない人間からの言葉にちょっとムカついたので反論しようとしたが水沢先生が口を開いた。
「だとしたら、剛田先生は交際を申し込まれたら誰とでもお付き合いされるんですか?」
「え、あ、いや、そういうことではなく……お、俺は」
軽蔑の混じった眼を向ける水沢先生に問われてうろたえだす剛田先生。
「もう少し断り方に気を遣えと言いたくて……その……」
「では、剛田先生は今まで望まない交際を迫られた時はどのように断られたんですか?」
「……」
あ、水沢先生やめてあげてください。その一言は剛田先生には酷かと。
「水沢先生ぇ。世の中には告白されたことのない男だっているんだよぉ。やめてあげてくださ~い」
座間先生が答えられない剛田先生の代わりに応える。
けど、座間先生の一言がトドメだったらしく顔を赤くして逃げるようにこの場から立ち去った。
「あ、そ、そうですよね、すいません。」
謝るのは座間先生にではなく剛田先生だと思うけど。内心ざまあみろと思っているので何も言わない。
「交際を断るのも負担よね」
「ある程度嫌われることも覚悟はありますよ。けど、逆恨みされたケースもあるので」
俺の答えを聞いて全員が「うわぁ……」という顔をする。
過去に交際を申し込んできた女子の友人を名乗る女子に説教をされたことをも思い出す。「女の子が勇気を出して告白したのにどういうつもりか?」「すごく泣いていた」など色々と説教されたな。勿論、その程度で俺の気持ちが傾くことはなかったし、向こうは当時、俺に彼女がいることを知っていて交際を申し込んできた。そんなの断るに決まっているだろう。
色恋沙汰の逆恨みといえばここ最近では涼香のことを思い出した。観月だって、仏田に八つ当たりをされてもいた。
——気になるのは学校にまで来たってことだ。
俺は仁科に就職先まで教えたことはない。
大学でも就職先の話もあまりしてなかったから仁科は知らないはずだ。どうやって俺のことを探し出したんだろうか。