バレンタインデー 夕葵
「せんせー! チョコレートもらってー!」
2月14日。バレンタインデー。
朝のSHRが始まる前に女子生徒が俺にチョコレートを渡しに来た。
リボンの色を見ると3年生で現在自由登校となっているがわざわざ俺にチョコレートを渡しに来てくれたらしい。
「ありがとうな」
俺はもらったチョコを袋の中に入れる。
教師だからといって生徒からの贈り物をもらってはいけないという規則は静蘭学園にはない。無論、現金などは処罰の対象にはなる。
袋の中にはすでに女子生徒がくれた大量のチョコレートでいっぱいになっている。袋は自分が用意したものではないのだが気を利かせてくれた女子生徒が持たせてくれたものだった。
「……すごい量ですね」
「ええ」
水沢先生は驚いたように俺の持っている袋を見る。
「食べきれますか?」
「これくらいなら全然」
実はちょっと無理をしている。しばらくチョコづくしだな。
「あの、ご迷惑でなければ……こちらなんですけど」
水沢先生はどこか渡しにくそうにリボンのついた箱を俺に渡した。
「手作りっていうのはちょっと重いかなって思って買ったもので恐縮なんですけど」
「あ、ありがとうございます」
袋に入れず水沢先生からもらったチョコレートは上着のポケットの中に入れた。
教員室で義理チョコが男性教員全員に渡されていたが水沢先生が俺個人にくれたものだった。本当にありがたい。しかも銘柄を見れば結構有名なところのチョコレートだ。例え義理でも十分すぎるくらいだ。
「3年生の面倒はあまり見てないんですけど」
「カッコいい男性にチョコを渡したいんですよ」
水沢先生は恥ずかしげもなくそんなことを言う。
「多分、帰る頃にはもっと増えてるんじゃないでしょうか?」
ええ、すでに最低でも4つほど受け取るようにと予約をいただいております。
放課後にもらうということなっているが、放課後は少し忙しい。
一般販売のチョコレートをめぐって他校の生徒が多く訪れるということで俺はその誘導などに手を貸すことになっている。
「放課後は忙しくなりそうです」
「あはは、去年もすごかったですからね」
調理部のチョコ販売。
去年のバレンタインデーの記憶はないのだが有料の本命擬きチョコレート(1個500円)の売れ行きはすごかったらしい。
本命が全くもらえないというのであれば少なくとも女子が手作りしてくれたチョコをもらって、気分だけでも味わいたいのだろうか。そこまでウチの学校のモテない男子たちは追い詰められている。
教室に入ると今日というイベントでテンションが上がっている生徒たちがいた。女子同士でチョコを送り合っている子たちもいる。せめて男子にあげてやってくれ。
義理チョコすらもらえない男子たちは俺の顔を見る。
そして、俺の手に持っているチョコレートが入った袋を見た。
『このくそ教師が!!』
「朝一番でそれかよ!!」
さっそく男子たちから罵倒を浴びた。
「なんだよそれ! 放課後には袋一杯になってるかもさっきまで冗談で話してたけど、まだ朝のSHRが始まってないのにそれかよ!」
どうやら、現状俺のクラスの男子たちはチョコをもらっていないらしい。
「はいはい、話なら明日にいくらでも聞いてやるからとりあえず、席につけ」
「けっ廊下では気を付けな」
「きっとチョコを求めてさまよっている男に刺されるぜ」
舌打ち、呪詛を吐きながらも俺のいうことには従ってくれる。
夕葵に朝の挨拶をしてもらい今日の予定を説明していく。
「とりあえず、放課後は他校の生徒も訪れる。トラブルは起こさないように」
「はーい。本命をもらっている男子をみたら正気を保っていられる自信がありませーん」
「もし他校の人間とトラブルになろうものなら喧嘩両成敗ってことで」
「刺し違えてでも……」
早速トラブルの匂いがしてきたぞ。
自分が罰を食らうことにためらいが無い。
他校の人間がウチの学校で何かしようものなら即座に連絡することになっている。放課後ということなら制服で訪れる人間が多いだろう。生徒の特定は簡単だ。校内で何か起きようものなら教師の出番だ。
「……最後にだが先生からチョコを配ります」
『え?』
今年からやってみようとなっていた企画だ。
教師同士でお金を出し合い安いチョコレート菓子を購入した。提案は水沢先生からだったので特にだれも反対することはなかった。
水沢先生は持ってもらっていたチョコレートを男子に渡していく。
俺も女子生徒へと買ってきたチョコレートを渡した。
別に何の特別なものでもないどこでも売っているような安いチョコレートだ。
他の先生方から事前に打ち合わせていたもので配ることにしていた。
「わーありがとー」
「…………」
女子たちは俺にお礼を言い。
男子たちは喜びのメーターが振り切ったのか硬直していた。
SHRを終えて、職員室に戻る途中だった。
「先生」
女子の声が聞こえてきた。
リボンの色を見れば3年生の女子生徒だった。授業も受け持っていたので顔も知っている。
「どうした?」
「あの、バレンタインデーです」
綺麗なラッピングをされているチョコレートが包まれた箱。
「よかったらもらって下さい」
「ありがとう」
俺はそのチョコレートを普通に受け取ろうとする。
「……あーあ、やっぱダメか」
顔は笑っているがどことなく寂しげな笑みだった。
その笑みを見て手が止まってしまう。
「ちょっとは緊張してくれないかって期待してたんだけど」
すごく切実な声に聞こえた。
「緊張?」
「うん。少しは脈あるなら緊張とかしてくれると思ってた。けど、残念」
「……」
「気が付かなかったでしょ。あ、でも自分の気持ちにしっかりとけじめを付けたかっただけだから気にしないでね」
女子生徒から本命のチョコレートをもらった。
気が付いていなかったが、彼女は俺に想いを寄せてくれていたようだった。
俺は口の中に苦いものを感じた。
多分、俺があの子たちを突き放すときはこれ以上の苦みがあるのだろう。
◆
夕葵
「夕葵せんぱ~い。チョコもらってくださーい」
朝のSHRが始まる前から1年生の後輩からいくつかのチョコレートをもらった。
今日、先生が持っていた大量のチョコを見た。
私が渡したところでその中の一つとして扱われてしまうのは嫌だった。
だから、私も昨日準備するときに少しラッピングにはこだわってみた。
リボンの結び方も工夫して可愛い包み紙を選んだ。
自分でも似合わないことをしているとは思っていたがそれでも私が渡したチョコが先生の記憶に残ってほしい。
SHRを終えて先生の後を追う。
次の授業の準備もあるからそこまで時間をかけていられないけれど、早く渡したかった。
「あ、いた」
職員室に戻ろうとしている先生を見つけて声をかけようとする。
けれども先生は別の方向から来た女子生徒の方を振り返ったので私は声をかけることができなかった。
リボンの色を見ると3年生の先輩のようだった。
可愛らしくラッピングされたチョコレートを渡す――
「……あーあ、やっぱダメか」
「ちょっとは緊張してくれないかって期待してたんだけど」
「うん。少しは脈あるなら緊張とかしてくれると思ってた。けど、残念」
「気が付かなかったでしょ。あ、でも自分の気持ちにしっかりとけじめを付けたかっただけだから気にしないでね」
それは先輩の告白だった。
最初から叶わない恋だと知っていたが自分の気持ちを伝えるために渡しだんだ。
私はそれは嫌だ。
少し前なら私もそう思ったかもしれない。
けれども欲が出た。
――叶うなら、私は先生と一緒になりたい。
女子生徒が去っていったタイミングを見計らって私は先生に声をかける。
「歩先生」
「夕葵か……」
少し気まずそうに先生が私を見る。
きっとさっきのやり取りを私が見ていたのを察しているのだろう。
「あの……これを」
私はチョコレートの入った袋を先生に渡す。
告白の時と同じように緊張している。
バレンタインデーに異性にチョコを渡すなんて言外に好きだと伝えているようなものだった。
◆
夕葵が俺にチョコを差し出してくる。
――なんだろうな、これは……。
さっき3年生の女生徒からチョコをもらったがこれはもっと違う何かだ。
胸の奥がどこか心地いい。
だが受け取るのに少し躊躇いのようなものもある。
俺はそっと手を伸ばして夕葵のチョコを受け取った。
「あの……わかっているとは思いますが、本命ですので……」
「……大切に食べさせてもらう」
「~~ッ~~!!」
これ以上ないほどに夕葵は混乱しているようだった。頭を下げて俺の前から逃げるようにして立ち去った。
夕葵からのチョコレートは他のチョコレートと同じように袋に入れることができずスーツのポケットへとしまった。