なぜ教師はそこにいたのか
「たっだいまー!! いやー、兄さまの言いつけを守って始発で帰ってきたのはこの律儀な妹! もうめっちゃ素直じゃない!? いい子じゃない!?」
俺はコーヒーを飲もうとしていたところで歩波が始発の電車を乗り継いで帰宅した。
正直、歩波の朝からテンションがウザイ。
「………おお、おかえり」
「って、なんでそんな朝から死にそうな顔してんの?」
「……寝てないんだよ」
「はぁ? まあ、休みはどう過ごそうがおにいの勝手だけど……あ、私もコーヒーほしい。ブラック飲めないからカフェオレにして」
「はいはい」
眠い眼をこすりながら歩波の分のカフェオレを淹れ歩波が座った席に置く。
テーブル向こうの歩波が何か話しているがまったく耳に入ってこない。頭が全く働いていないのが自分でもわかる。頭にちょっとしたもやがかかっている気がする。
歩波は俺の淹れたカフェオレを一口飲む。そうするとようやく一息付けたのか疲れをまとった息を吐く。
「……私もちょっと寝たりないんだよねぇ。これ飲んだら私もちょっと寝るわ」
「おー……歯は磨けよ~」
「うん」
あっという間にカフェオレを飲み終えた歩波は洗面台に行くと、歯磨きを済ませて自室へと戻っていった。
あー、何か言い忘れているような……。
「「きゃあああああああああああああああ!!!」」
あ、カレンが歩波の部屋で寝てるって伝えるの忘れてた。
……
………
…………
「バッカじゃないの!! こーゆう事って、もっと早く知らせるよね!?」
俺はすっかり眠気の覚めた歩波に叱られていた。
俺も2人の絶叫を聞いたおかげか少し目が覚めていた。
「マジでビビったんだからね!」
「わ、私はセンセかと……」
おい、カレン。お前の中で俺はいったいどんなクズ野郎なんだよ。
「兄貴も心配だからってリスク高いことしてんじゃないわよ! 傍から見たらただのJKお持ち帰りにしか見えないから!! 自分の立場と世間体を考えなさい!!」
「ご両親の許可はちゃんともらった。それに、おまえがいると思って連れてきたんだよ」
そうすれば、友達の家に泊るっていう名目が経ったはずだったのだ。つまり何が言いたいのかというと歩波が悪い。
「まあ、そういうことでカレンは今日の夜までウチにいることになったから、適当に遊んでやってください。どうせ暇だろ」
「……言い方はムカつくけど、了解。ってゆーか、なんで兄貴は寝てないのよ」
「………………ちょっと色々あってな」
寝込みを襲われないために徹夜してたなんて言えるわけがない。カレンも気まずそうに視線を逸らす。
「……まさか……私の部屋で変なことしてないよね?」
歩波の言う変なことというのはどのような意味なのかは分かる。
「するわけないだろ」
「そ、そうですよ!!」
俺は半目で冷静に、カレンは焦ったように否定する。
なんでよりによって妹部屋で“事”に及ばないといけないのか。どんだけ俺はアブノーマルなんだ。
「……なら、いいわよ。で、兄貴は今日はどうす「寝る」」
歩波の言葉にかぶせ気味に俺は今日の予定を伝える。
せっかくの休日だ、それくらいはいいだろう。
「ふーん。なら、カレン。私たちは一緒に買い物にでも行かない? 服なら私のを貸してあげるからさ」
「はい。行きたいです」
2人が出かける準備をしている間に俺も歯を磨き、昨日分の睡眠をとるためベッドルームへ向かうのだった。
◆
カレン
「へ~そんな事情があったんだ」
私と歩波さんはクリスマスムードから正月仕様へと内装が変わっているショッピングモールへと来ていました。
私の服は歩波さんの服を貸してもらっています。
私が被っている丸いシルエットが可愛らしいキャスケットは歩波さんのお気に入りだそうです。
今はウィンドウショッピングがてら歩波さんの家にお邪魔していた経緯を事細かに説明していました。
「それにしても、聞き間違いって」
私の話を聞くと歩波さんはちょっとおかしそうに笑います。
「……センセとはなにもありませんでしたから」
「分かってる、分かってる。あの兄貴が生徒に手出すなんて思ってないし」
その割には家にいたときには本気だったような気もしますけど。
「ま、兄さんはカレンのことほっとけなかったんだよね」
「そうなんでしょうか」
「……私もきっと同じことをしてたと思う。でも立場も性別も違うから私の方が安全。だから今度からは私を頼ってね?」
声色には私に対する憤りを感じさせられました。
歩波さんはセンセを守ろうとしているのでしょう。
今回の出来事は下手をすればセンセが大変なことになっていたのは私にもわかります。私は自分の軽率さを痛感させられました。もう一度センセには謝罪させてもらいましょう。
「すいませんでした」
「うん。なら、この話はおしまい」
歩波さんは両手をパンと打ち鳴らして話題の終了ということを伝えます。
その後しばらくいろいろな店を冷かしながら歩いていると、歩波さんがタツヤに用事があるということで私も一緒に入ることにしました。
「そういえばさ、来年の夏に始まるアニメがあるって前に言ってたでしょ?」
「はい。私もシルビアさんも楽しみにしていて……」
突然の話題の転換に私はちょっと面を食らいましたが、話しやすいように私に合わせた話題を振ってくれたのでしょうか。
「そのアニメに出ることになったんだ。それもメインヒロイン!」
「ほんとですか!」
すごいです!
原作の小説と歩波さんのファンとしても嬉しい事です。
「えへへ~。カレンならそう言ってくれると思ったんだ」
「シルビアさんに教えていいですか?」
「うん」
もしかしたら、これから歩波さんのCDやポスターが売られるかと思うと誇らしい気分になりました。
「あ、まだ兄貴たちには伝えてないんだ。だから、兄さんたちには内緒ね」
「はい」
歩波さんの顔には隠し切れない嬉しさがにじみ出ていました。これは隠し通すのは難しそうです。ちょっと声が大きくなってしまいました。
「やっぱりカレンと歩波じゃん」
「ほんとだ」
私は名前を呼ばれた方を振り返ると観月と涼香さんがいました。さっきの私の声で私たちに気が付いたのでしょう。
観月はオシャレに私服を着こなしていますが、涼香さんは四角の黒ぶち眼鏡・三つ編みにして地味な服装をしていました。家の手伝いをしているときの装いです。
「……カレンはもう家のことはいいの?」
「あ、ご心配をおかけしましたが大丈夫です」
「事の顛末を聞いたら笑い話になるから」
歩波さんは鼻で笑いながら私の言葉の後に付け加えます。
そんな中、涼香さんは事情が分からず首をかしげているのでした。
……
………
…………
「ぷっ……くくく……聞き間違いって、それで一人で暴走して家出につながったの? なんか、多感な中学生みたい……」
モール内にあるファミレスに入ると歩波さんは私から聞いた昨日の出来事を面白おかしく伝えていました。観月はこの話を聞いて笑いをこらえようとしていますがこらえきれていません。
「………………カレン、ズルいわ」
一方で涼香さんは羨ましそうに私を見ていました。
「あ、あのでも、何もありませんでしたから」
「そんなことくらい分かってるわよ。先生の事は信じてるし」
涼香さんも観月と同じように先生が何事もしないことを信じているようでした。
「でも、先生と一緒にクリスマスを過ごせたんでしょ? それだけでも一生の思い出になるわ。観月もさりげなく混じってるし」
「アタシのはバイトの延長線上みたいなもん。アタシたちが帰った後は一体何してたの?」
「特に何もしてません。一緒にDVDを見てるうちに私が眠ってしまって、いつの間にかベッドで寝ていました」
本当にいつの間に寝てしまっていたのでしょうか。
何時にベッドに入ったのかも覚えていません。
「きっと先生が運んでくれたんだよ」
運ぶという言葉を聞いて私は球技大会のことを思い出しました。
あの時はお姫様抱っこで運ばれたのですが、今回もそうだったのでしょうか。なぜその時のことを覚えていないのでしょうか。
「そういう涼香だって、歩ちゃんにお姫さま抱っこされてるじゃん。いいなぁ」
私たちはお互いに羨むところがいくつもあります。
文化祭のパレードのときのお姫さま抱っこは今でも女子の話題に上がります。その話をされるたびに涼香さんは恥ずかしそうな、同時に嬉しそうな顔をします。
「あ、すいません。この欲張りドーナツをください」
歩波さんは店員さんにお皿に大小さまざまな種類の乗ったドーナツを注文します。さっき、ご飯食べたばかりなのに……。
「歩波……ドーナツなんてカロリーの塊を……」
「いいんです! クリスマスはケーキ食べれなかったからこれはその分なの! それに仕事の友達が言ってたんだけどドーナツってカロリーゼロなんだよ!」
「またそんな言い訳を……でも、私も昨日も一昨日もケーキ食べちゃったから」
涼香さんはここ数日の食事やおやつのことを思い出して顔を青くします。
「アタシも百瀬さんのお店で余ったケーキとか食べさせてもらってたからなー」
観月は賄いなどでいつも以上にお菓子を食べてしまっていたようです。
昨日、食べさせてもらえたケーキはとっても美味しかったのであれを毎日食べられたら幸せでしょう。
「ああ、百瀬さんのお店のは美味しいよね。駅前の名店ってさっそくネットにも挙がってるし……そういえば、先生はなんで駅にいたのかな?」
涼香さんのふとした疑問に答えられる人はいませんでした。
そういえば、確かになぜ駅にいたのでしょうか。何かを買っている様子もありませんでしたし、イルミネーションを見に来ていたのでしょうか。
「まさかデートとか?」
歩波さんが何気なく冗談を言います。
「……歩波さん。そんなわけないじゃない」
「歩波、その冗談笑えなーい」
「……うん、そうだね。私が悪かったから、2人ともその口だけが笑ってる仄暗い目で私を見るのをやめて」
歩波さんの冗談は誰も笑いませんでした。
「いらっしゃいませー」
遠くで店員さんがお客さんを招く声が聞こえてきました。
それと同時に歩波さんのスマホに誰かからメッセが着たようでした。