ケモミミを愛でるお作法
朝比奈悠理と君塚英生が目を覚ましたのは、鬱蒼としたジャングルの中だった。
「えっ、何‥‥ここ?」
「さっきまで神社の境内だったのになぁ」
2人は同級生で、幼なじみで、今日も何とはなしに通学路から一本道を逸れた神社で時間を潰していた――はずなのだが。
行けども行けども生い茂る木々は途切れる事はなく。気持ちが挫けそうな所でやっと開けた先に、2人は安堵したばかりの表情を一変させた。
「‥‥獣人?」
獣人。
ファンタジーによくある動物と人間のハイブリッド。
小さな身体に動物の象徴を持つ生命体がのどかに畑を耕す小さな村に、2人は紛れ込んだのだった。
異世界住人とのファーストコンタクトは、実に穏やかに進んだ。
「キュ、キュー、キュー」
「‥‥何言ってるのか全然わかんないけど、歓迎はされてるみたいね」
「うん、この果物美味しいね」
悠理は鳴き声と手振りで挨拶する、子供ぐらいの背丈の獣人に興味を示し。英生は目の前に詰まれた山のような果物と、料理――とギリギリ呼べなくもなさそうな火を通しただけのもの――に気を取られていた。
何とか片言で話せる年嵩の獣人から聞けた話によると、彼らは森でずっと力の強い獣人や肉食獣から身を隠しながら生きてきたネズミの一族らしい。
「私たちの他に、獣人じゃない人間って見た事ある? 森の外には何があるの?」
「君らの他に、もうちょっと色っぽい獣人っていないの? ウサギとかネコとか」
獣人とは言え、毛むくじゃらで直立歩行するオオネズミと言った方がしっくりくる彼等に色気はない。
下心丸出しの英生を悠理が睨み付けるが、そこは幼なじみと言うべきか。適当に謝る素振りを見せれば強くは咎められないと心得ている。
一方ネズミ翁は齧歯類らしく鼻をヒクヒクさせた後、「ございますな」と応じた。
「「ホントに!? それって――」」
声を合わせて詰め寄る2人に怯えてネズミ一族は蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。翁だけが僅かに後退りする程度で踏みとどまっていた。
「ええ、どちらにつきましても」
「じゃあ、またな~!」
意気揚々と足取りも軽く、案内のネズミ族を従えて英生は密林の奥へと消えていった。
彼が向かうのは草原の町。途中ウサギ族の巣穴に寄りつつ人気のある方へ旅立つ事にしたのだった。
「まったく、いつも勝手なんだから」
と頬を膨らませながらも、悠理の顔にあるのは怒りや嫌悪ではなく諦めと苦笑い。
まあ、真面目さぐらいしか取り柄のない、友達の少ない自分よりは聞き込みも捗るかもしれない。などと心の中で許すための言い訳までこじつけておいて。
英生と悠理の道はこの後、5年以上も交わる事がないまま過ぎた。
悠理の下に、草原から頼りが届けられたのは。
草原の町が危急の危機にある、という知らせと時を同じくしての事だった。
悠理とネズミ族が向かったのは、森を抜けた先のヒヅメ族の町だった。英生から届いた手紙もここから出されている。
「‥‥何なの、この有り様は‥‥」
石と煉瓦で作られた、素朴とは言えしっかりした町並みは今や見るに耐えない惨状を呈していた。
悠理達が訪れたのはスラムではない。街道から町の目抜き通りを真っ直ぐ踏み出した所だったのだ。
しかし壁や道端はうずたかく糞尿が積み重なり、蝿や虫達が目に入らない場所がない程だ。
薄汚れた、どころか真っ黒に肌が汚れたウサギ型やネコ型の痩せこけた人々が無気力にうずくまる一方、身なりのいい同種の人々が忌々しげに彼らを睥睨して通り過ぎる。
「‥‥貧富の差? 前からこんな町なの?」
悠理が目にしみる程の臭気に顔をしかめていると、補佐を勤めるネズミ族のミックがキィキィと鳴き声を立てた。
「違いマス! ヒヅメ族の町はウマ一族の町なんデス、綺麗好きで神経質なウマ一族がこんなに汚い状態を許すはずがないんデスが‥‥」
ミックは臭いが悠理より強く感じられるせいか、さっきから涙を流しながら鼻を手拭いで覆っている。
その後、ヒヅメ族の代表者達の館に向かった先で受けた説明によれば、事の起こりは次の通り。
5年前、町の外れに住み着いたウサギ族の集団があった。
彼らは森から来たよそ者で金は持っていなかったが、ある貢献によって町に住む事を許された。
それは、下水道と浴場設営。石鹸開発による公衆衛生の向上だった。
これにより人々は清潔になり、病気も減った。子供が突然死んでしまう事も減り、ヒヅメ族は大いに喜んだと言う。
しかし――。
「増えすぎたのだ。我らヒヅメ族はそうでもないが、力の弱い一族の子供が死なずに増え続けた。結果‥‥」
「町の機能が溢れたんですね」
悠理の言葉にヒヅメ族の長が首肯する。
彼女は頭を抱えた。
多頭飼育崩壊だ。
それも恐らく、原因は英生が連れてきたウサギ族だろう。何せ、ウサギ族は生理を持たず、一度に多数の子供を産む。しかも妊娠期間が極端に短く、産まれて6ヶ月もすれば妊娠出来る身体になる。
最初町に来たウサギ族の雌は6羽。1年で50羽、翌2年目には300羽を越え、今では町のどの種族より多い勢力になってしまっている。
そしてその数は、一度整えられた衛生施設をパンクさせ、町は糞尿と汚水で文字通り溢れた。
汚濁は食物や水、空気まで汚染し、町には病が蔓延している。
「もう奴らは生かしておけん」
「‥‥殺さなくては、なりませんか」
「くどい!」
必死に打開策を考えながら紡いだ言葉は、ウマ族の長の殺気を込めた眼光に切り裂かれた。
「既に猶予はない。今すぐ手を下さねば間に合わなくなる」
「確かに、母数が多い以上時間が経てば経つ程その数も鼠算で増えてしまいますが――」
「違うぞ悠理殿、そうではない! これ以上増えると我々でも対処が‥‥」
その時だった。
やにわに長の館が騒がしくなったかと思うと、血相を変えたウマ族の男が駆け込んでくる。
「頭領!! 大変です、我らがウサギ族の虐殺を企んでいると、大勢のウサギ族が――ぐあぁ!!」
彼が言い終わるのを待たず、大量のウサギ族がなだれ込んで来る。赤い目を爛々と怒りに燃やし、己の最大の武器である前歯でウマ族の男の全身に襲い掛かる。
「応戦しろ! 一族の戦士を集めて押し返す!!」
ウマ族の長が壁に掛けられていた槍を手にとって一呼吸の間に数羽のウサギ族の息の根を止める。
だがウサギ族の勢いは止まる事を知らず、武人であるウマ族の長も多勢に無勢。四方から殺到されてウサギ族の波に呑み込まれた。
「悠理サマ! 今の内キュ! 早くこちらに!!」
唖然とする悠理は、半ば腰を抜かしながら、ミックに手を引かれて辛くも長の館から――いや、パニックに陥った草原の町から逃げ延びた。
やがて草原の町は火に包まれ、そこに住んでいたヒヅメ族の全ての部族と、夥しい数のウサギ族とネコ族が焼け死んだと言う。
それから10年の後。
森から興ったヒトの女帝による帝国が草原に覇を唱えた。
彼女らは知能の劣る一族を支配し、その繁殖まで厳密に管理を行った。その傲岸な態度に反発する部族も多く現れたが、彼女らは洗練された武力によってこれを併呑した。
その治世は民を安んじ多くの富を生んだが、彼女はその生涯を通じて番を作らず、その身を国と民の為に費やしたと言う。
だが、帝国の圧政に立ち上がる者もあった。
もう1人のヒトの血を引くレジスタンス達である。
彼らは種族に捕らわれない、あるがままの生と恋愛を謳い、戦い続けた。女帝とそれに従って他の種族を弾圧する一部の貴族達を痛烈に批判した。
女帝もまた、彼らの主張を絶対に認めなかった。時には自ら陣頭に立って反抗勢力の鎮圧に注力した。
彼女は無節操に子孫を増やし、中途半端に知識を流布するヒトの救世主、英生を捕らえる事を部下達に厳命した。
帝国とレジスタンスの争いは熾烈を極め、女帝と救世主――悠理と英生の戦いも険しさを増していく。
どちらも獣人を愛しながら、その作法は決定的に異なり、互いに譲らず。
軍配がいずれに上がるのか――それは、まだ誰も知らない。