再び
その日、雅人の事ばかり考えて授業中も上の空だった(いつものことだが…)。
孝明の意地悪な顔がちらつく上に、再び雅人の部屋に行く事を考えると不思議と胸が高鳴った。わけもなくため息をつくと、一緒にいた俊一がびくっとして、自分を窺っているような気がした。
夜になってふとんに入るふりをして消灯時間を待った。
夜の二十三時。ぱっと廊下の明かりがいっせいに消えた。ごくりと唾を飲み込む。
いざ、出陣!
塁は床に足を伸ばした。
「塁」
「わっ! え? 起きていたの?」
アコーディオンカーテンが開いて、怖い顔をした俊一が立っていた。塁は呆気にとられて目をぱちぱちさせた。
「どこに行くんだ?」
「罰ゲーム……」
「何だって……? 内容は?」
塁は首を振った。
「言えない」
「何で言えないんだっ。先輩と約束したのか?」
「罰ゲームは誰にも話しちゃいけないってルールだよ」
「塁っ」
俊一は腹立たしげに腕をつかんだ。
「言えよっ」
「ダメだよ」
「後悔するぞ」
「しない。僕は弱虫じゃない」
「誰もそんな事言ってないだろ?」
俊一がたじろいだ。塁は手を振り払うと、俊一がむっとして、
「一人で行けるのか? 落ち武者が出てきたらどうする?」
と恐ろしい事を言って脅した。
「いない。幽霊なんていないんだ」
ドアノブに手をかけてまわし、部屋を出ると廊下は真っ暗だ。ぶるっと体が震えた。
「やめるか?」
俊一が背後に立って見下ろしている。塁は歯を食いしばり、いきなり部屋を飛び出した。
「塁っ」
俊一の声が小さく響いた。塁は構わずに階段を駆け上がり、雅人の部屋にたどり着いた。
怖くてたまらない。
後ろを振り返る事もできずドアを叩いた。
「先輩っ、先輩、開けてっ」
小声で必死に叫んだ。誰も出てくる様子はない。塁は青ざめるとドアノブに手をかけてまわした。
「開いた……っ」
部屋の中に入り込む。暗くて何も見えない。そこで、立ちすくんでしまった。
――僕、何やってんの? これじゃまるで泥棒だ。
怖くなって出ようとしたら、
「誰だ……?」
と不機嫌な雅人の声がした。塁は硬直した。
――最悪だ。
「塁?」
そばで声がする。顔を上げると、雅人がびっくりした様子でそばに立っていた。
「今度は何があった……」
「名前……知っていたんですか?」
「あ……」
雅人はしまったという顔をしたが、昨日と同じように部屋に入れてくれた。
「そんな事より…何しに来た」
雅人がひそひそと言った。塁は勇気を出そうと、こぶしを握った。
「こ、ここ……」
言おうとしたら、瞬間、ちくんと胸がうずいた。
――あれ?
雅人が不思議そうな顔で見ている。塁はもう一度、勇気を出す。
「ここ、恋人にしてくださいっ」
「はあ? 何だと?」
「ぼ、僕を…先輩の恋人にしてくださいっ」
変だ。すごく胸が痛い。
感情を押し隠し、塁は必死で言った。
「お前、何言っているんだ? 意味分かっていないだろっ」
雅人の声が怒りで震えている。
「あ、あの……」
「ふざけるな。今のはなかった事にしてやる。ほら、部屋に戻れ」
塁はひやりした。ぐいっと腕をつかまれる。
つかまれた腕が痛かった。
雅人が本気で怒っている。塁は思わず雅人のパジャマをつかんだ。
「だ、だって…罰ゲームで……」
「罰ゲーム?」
雅人は手を止めた。
「これが罰ゲームなのか?」
「は、はい……」
塁は目を潤ませて必死に雅人を見つめた。雅人は、何だか怖い顔をしていたが、大きく息を吐いた。
「俺が好きなのか?」
「え?」
いきなり好きか、と聞かれてドキドキする。けれど、自分は男だし、好きだと答えたらおかしい気がした。
「よく分からないです。俺、男だし、先輩も男だから…」
雅人がふっと鼻で笑った。
「出て行ってくれ、俺はゲームには参加できない」
「でも…」
「いい加減にしろ!」
吐き出すように言った。
「俺を訳の分からないことに巻き込まないでくれ」
「あ……。ごめんなさい……っ」
足ががくがくしている。懸命に足を動かして部屋を飛び出したら、視界が滲んでいた。
――僕は何か大きな間違いを犯してしまったんだ。
塁はうつむいて歩き出した。怖さも何もかも吹っ飛んで、涙があふれてくる。
「雅人先輩……」
何度呼んでも悲しみだけが心に染み込んでいく。
部屋に着いた頃には、塁の目は真っ赤に腫れていた。
「遅い」
部屋の前に俊一がいた。
「俊一っ。どうしよう……。雅人先輩を怒らせちゃった」
「まったく……どこに行っていたのかと思えば…」
俊一は大きくため息をつくと、泣いている塁の背中を撫でた。
「明日、謝りに行けよ」
「許してくれるかな……」
「許してもらえなくても謝るんだよ」
「うん……」
背中を押されて部屋に入った。一人でふとんに入る時、雅人の声がよみがえった。
いい加減にしろ!
雅人のあんな怖い顔、初めて見た。
塁は耳を押さえた。再び涙が滲む。
枕もとに置いてあるカーディガンを抱きしめる。しかし、雅人の怖い顔がちらついて眠れなかった。