3
あの日の出来事は、五年経っても忘れることがなかった。
いつの間にか自分の過去に思いを巡らせていたセレナは、ふと我に返る。
シレーナとの「交換」によって彼女の記憶は残されるのだ、生きている限りはずっと。
誰のことに関しても、忘れてしまうことが怖かった。
「…しかし、わたしとしては少し巻き戻ってしまったのか?ということは、この娘は急に成長したようなものか」
部屋に誂えられた鏡を覗き込みながらセレナは呟く。
プラチナの髪に白い肌、深い海の色をした瞳は本来の自分と同じだったし、どことなく顔の造りも似ている。
しかしこの容姿では兄が出て行った日の頃みたいだ、少々幼すぎる。
それに、こちらの時代で自らの力を証明するためでもある。
「 」
言葉という枠に収まり切らない声を、力を持つ者で言うところの呪文を唱えた。
すると、まるで時が瞬く間に過ぎて行くかのように、彼女の身体も顔付きも大人びたものになる。
「やはり似ているな…シレーナ、あの子はちゃんと魔力を扱えるのかな」
少し心配だった。
五百年も後に生を受ける自分の生まれ変わりのような少女のことが。
こうして今は「交換」に成功したが、何度も失敗を繰り返していたのである。
そしてその度にセレナは僅かばかりだが少女の記憶に触れた。
海神を召喚した日、本当は消えてしまうはずだった記憶。
どうにか先延ばしにして失わずに済んだ記憶。
自分とは反対に幸せだった少女は、自分を恨んでいるだろうか。
幸せな記憶を失って、一人寂しく生きる道を素直に選んだのだろうか。
だとしたら、捻た考え方しか出来ない自分には到底真似出来ない。
力を跳ね除けたってもう手遅れなのだ、海神を召喚してしまった時点で。
「…さあ、そろそろ行くか」
彼女は呟き、光の差し込む窓に触れた。
ゆっくりと開けば、キラキラと輝く陽光が眩しくて目を眇める。
これ以上ここにいる理由はない。
セレナは教会が嫌いだったからだ。
兄が亡くなった後、強い魔力を持つようになった彼女を教会の者が聞きつけ、兄が修行していた場所に呼ばれたこともあった。
だけどいつも彼女を迎え入れる空気は淀んでいて、息が苦しくなった。
海神と早く契約し、もっと大きな力を手に入れろとも言われた。
「 」
再度呪文を唱えると、セレナは真っ白な小鳥になる。
これからどこへ向かおうかなんて、決めていなかった。