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二日ほど前から頭痛が酷く、場合によっては吐き気まで催していた。
堪らずに蹲る彼女へ掛けられた労りの言葉は、ぼんやりとしか理解出来なかった。
儀式から一週間経った。
あの時、彼女は確かに失うはずだったというのに、どうしてか何一つ記憶からは消えていない。
未だに自分が生まれ育った故郷、オリージャ村のことも両親のことも、あの優しくて不器用で自信がない幼馴染みのことも全て覚えていた。
教会の資料によるとセレナ・ルルコシアは力を得た代わりにそれまでの記憶を失ったらしい。
自分もセレナと同じく海神を呼び出したというのに、以前とは何も変わったことがなかった。
司祭たちはこのことに何も言及しないが、修行の度に彼女の様子にこっそりと溜息を零しているのを知っていた。
しかしながら、そればかりはシレーナにはどうすることも出来ないのだから、仕方がないはずなのだ。
今まで祭りの度に選ばれてきた神子たちは誰一人として海神を召喚した試しはない。
その神子たちはもちろん、特に秀でた力を持っている訳でもないというのに。
それに、世間から遮断された生活はとてもつまらなかった。
やっぱり神子になんて選ばれたくなかったとは口では言えないが、強くそう思っていた。
ゆったりと穏やかに時が流れているような田舎村、春になると小さな白い花でいっぱいになる丘、澄んだ川の水を飲みに姿を現せる野生の動物たち。
ここへ来てから一週間しか経っていないのに、こんなにも恋しかった。
もしかすると自分は二度とあの土地を踏むことはないのだから。
シレーナは今年の春に十歳になったばかりの少女だった。
まだあどけないながらも彼女は美しく、アクアリオの昔話に出てくる人魚のようだとよく言われていた。
ほとんど癖のないプラチナの長い髪、透き通るような白い肌、そして父親譲りの青い瞳。
その見た目故に彼女は神子に選ばれたのだ。
「……っ!」
ズキズキと痛みが増して、意識が薄れてくる。
『……シレーナ…』
誰かが彼女の名前を呼んでいた、それはどこか懐かしいような気がするけれど、誰のものかは分からない。
返事をする余裕もないシレーナを無視して何度も何度も繰り返して彼女を呼ぶ。
誰なの、と彼女は呟く。
その一方で意識は段々と混濁し、いつの間にか手放してしまっていた。