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ブルターク殺害以後、私は度々ローザと『復讐』を行った。
ヒュドラーの関与が認められないことも彼女は見過ごすことはできないらしく、彼女の言う復讐の怨嗟が聞こえた相手に対しては死の制裁を下していた。
その美貌も立派な武器であり、油断した男は彼女に触れた瞬間、死に直面することとなった。
一方私はそんな彼女の仕事を見つめるだけであった。
彼女曰く、それが私の仕事なのだという。いずれは私が彼女のような復讐者になるための。
彼女は私に優しい。私に自分自身をどこか重ねているかのようにも感じたが、それは違った。
彼女は私とは違うし、彼女は決して強制はしなかった。私は私の意思で彼女の下にいて、彼女の後継者となろうとさえ思っていたのだから。
紅い復讐者『VENGEANCE』、裏の世界では有名な存在であることをその頃には私もよくわかっていた。
孤高の女戦士。その姿はあまりにも美しく孤独。
それゆえに、私は彼女に魅かれていった。
その姿を、必死で追い求めていた。
ローザは私に街への買い出しを頼んできた。何でも、今日は用事があるそうだ。詳しくは教えてはくれなかったが、私がいると不都合でもあるのだろう。
まあいい。私はそう思った。人には秘密はある。私だってすべてをローザに話したわけではない。
それに、ローザは私を突き放しはしないとわかっている。
私が彼女のことを母のように思うのと同じように、彼女も私を娘のように思ってくれているのだから。
私は真紅のフードと、ついこの間、ローザが作ってくれた、少し長めのマフラーを巻くと、森の中へ入り、街を目指していった。
ローザの気配は、私が森に入るまでしていたが、やがてふっと消えてどこかへといった。
森を抜け街に出た私は、ローザの書置きに従い、調達をする。
やけに荷物が多く、年の割に背が低い私はそれを持ち運ぶのに苦心していた。力だけは無駄にあるので、なんとかなったが。
そうやって私は街の中を歩く。
ブルタークという支配者亡き後、街は平穏を取り戻したかと思ったが、そう言うわけでもないようだ。
支配者が死んだら、また新たな支配者が台頭する。その支配者は前よりもいいかもしれないし、そうではないかもしれない。
結局、私たちのする復讐とはなんなのだろう。
人が人である限り、人は逃走を辞めない。生存のための戦い。優れたものだけが生き残る社会。弱きものは、惨めに死ぬだけ。
そんな世界で、何のために私たちは生まれてくるのだろうか。
私だって、本当なら死んでいたのだ。惨めに独り、砂漠でハイエナたちの餌となって。
正しいことなどわからないし、きっと、答えなんてない。それでも、私は私の中で疼くその激情に従って生きていくしかないのだ。
以前なら考えられないほどに、私の感情は人間らしいものになってきている、とローザは言った。
それは喜ばしいことだ、と彼女は言った。
考えられない人間は、本能で生きる動物と同じだ。彼女はそう言った。
ヒュドラーの狗でしかなかった私は死に、新たな私が生まれてくるのだ。
私はそのままローザの屋敷に戻ろうとしたが、悲鳴が聞こえたために、立ち止まった。助けを求める、女性の声。悲鳴は今私のいるところから少し先の、いわゆる貧民街だ。治安が比較的いい中央通りや、高級住宅地とは違い、犯罪の温床であった。
それでも、私は放ってはおけなかった。ローザと出会う前の私なら、きっと無感情のまま通り過ぎていただろう。
真紅のフードを深くかぶり、夕闇の中を駆ける。貧民街には、弱い人たちは出てこないで、家で怯えている。彼らに自由はない。ここは、そんな弱者を食い物にする犯罪者たちの庭。
私は私を不審に見る男たちの目を無視して、ただただ走る。
私の中で囁く復讐の声が導く方向に向かって。
やがて、たどり着いた場所には、悲惨な光景が広がっていた。
一人の女性に、男たちが群がり、その尊厳を踏みにじる。貧相な服は、もはやただの布きれと化し、その細い、だが女性的な身体は、男たちの汚い手によって穢されていた。
私という邪魔者が現れても、歯牙にもかけず、男たちは腰を振り、女性を辱める。
声にならない悲鳴を上げて私を見る、女性。
その顔が、彼女と重なった。
私の無二の親友で愛おしき人。驚愕に目を見開き、自身の死すら認識する前に死んでしまった、あの彼女の顔に。
その瞬間、私の中の復讐の女神が私を支配した。
それまで、私をただの子供、として無視してきた男たちは、何か異様な存在を感じて振り向く。
私は手前で女性をいまだに犯し続ける男に向かって、駆けだした。仲間たちが私を止めようと迫るが、無駄であった。
薬物と、幼いころからの忌むべき修練は、私の身体を限界まで引き延ばしてくれる。
ただのチンピラに、負けるほど柔ではない。
腰から抜いた短剣で、女性を抑え込む男の首元を狙う。男は何もすることができないまま、その意識を永遠に手放した。
鮮血が噴き出し、私の顔を染め上げた。
「なんだ、てめえ!」
うろたえたように男たちは言うと、乱れた服装を整え、獲物を取り出す。
体格ばかりで回だけの男たちは、自分たちのお楽しみを邪魔した私を睨みつける。
私は、無表情で男たちを睨んだ。
男たちは怯んだ。自分たちよりも一回りも二回りも小さな子供が放つ異常な殺意と、視線に。
「何もんだ!」
恐怖を紛らわせるために、男たちはもう一度そう問いかけた。
私は、彼らを畏れさせる術を知っている。
彼らは自身がこの街で強いものだと思っている。強者である、と思っているからこそ、好き放題にできる。
ならば、私がそれ以上に強い「強者」であることを示せばいい。
そして思い知らせるのだ。彼らの罪を、贖いを。
「一人の女性を集団で襲う、欲望に塗れた猿ども。そうして今まで、どれほどの人を不幸に陥れてきた?」
私ではない誰かが、私の口を使ってしゃべる。
「は、何言ってやがる?」
「くそガキが、偉そうに」
そう言った二人の巨漢が私に迫る。先ほど仲間を殺したのはまぐれ、きっと二人がかりなら。そう考えている貌であった。
「愚かな」
私は手前の男の大きな拳をかわすと、その腕に自身の足を撒きつけ、体を回転させた。細く、強靭な私の両足は、大男の右腕を捩じり上げた。絶叫が響く。
もう一人の巨漢の攻撃をとっさに足を外し、空中に跳びことで避ける。拳は仲間のねじ切れた腕に当たった。男のねじれた腕から飛び出た折れた骨に、拳が突き刺さり、二人分の悲鳴が夜の闇に響く。
耳障りな男たちの声を止めるために、私は懐から二本の苦無を取り出し投げつけた。
それは男たちの眉間に突き刺さり、脳にまで突き進む。
痛みを浮かべながら、二人の巨漢が死ぬと、仲間の男たちはいよいよ私を恐れ始めた。
女性から離れ、私をおびえた目で見る。
「なあ、おい。落ち着け、もう、金輪際、こんなことはしないからよ・・・・・・・・・」
痩せこけた、冷徹そうな印象の男が仲間たちに代わっていった。冷や汗を浮かべる男。だが、その口元は、ひきつった笑みを浮かべている。
この男は、また繰り返す。何度でも、同じことを。
人は痛みを忘れる。それは仕方がない。教えてもわからないのなら。
「嘘ね」
私はそう言い、男に近寄った。男は近づいた私に抵抗した。ナイフを突きつけ、私を殺そうと。
だが、その前に私の短剣が彼のナイフを持った手を、地面に落とすのが先であった。
「あ、ああ、あぁうあ・・・・・・・・・・・・」
呆然と、うわ言を述べるように呟く男を見て、私は言った。
「わからない愚か者には、死を」
そう言った私の言葉を、彼は聞いたかどうかはわからない。
次の瞬間には、彼の脳天は半分に裂け、鮮血を吹き出しながら崩れたから。
降り注ぐ血に、女性は言葉を失い、男たちは恐怖に足がすくむ。
「罪の報いは死。復讐を求めし声が、我を突き動かす」
血に染まった短剣を構えて、鮮血に染まった頭巾を被った私は言った。
「わが名は『VENGEANCE』。さあ、悲鳴を上げ、泣き叫べ。汝らの罪を、我に示せ」
紅い閃光が駆け抜ける。なすすべもなく、男たちは死んでいった。その死に顔は壮絶なものであり、およそ人の浮かべる表情ではないように思えたほどだ。
呆然と血だまりの中に座る彼女は、閃光のように消えた紅いフードの子供が残した布にくるまりながら、目の前の壁を見る。
壁に磔にされ、血を滴らせる男。その男の横には、大きな血文字で、異国の言葉が記されていた。
『VENGEANCE』