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「ク、ッ」
王宮内の宝物保管庫も兼ねた塔で、二人の人物が戦っていた。一人は紅の貴婦人であり、その華麗なドレスは今では血に染まり、ところどころ破れている。貴婦人の美貌は傷で少々汚れているが、それでもその美しさを消し去ることはできない。燃えるような瞳は、敵を見据えている。
女性の視線の先では、銀色の髪の幽鬼が刀を構えて立っている。
「大したものね、アンドラス。まさか、ここまでとはね」
ローザ・ヴェラスコスと名乗る女性は、そう言い目の前の敵を睨む。端正で魅惑の唇から流れる血を拭い、女性は立ち上がる。体中に仕込んだ武器の半数以上はもはや使えないし、この状況の打破に役立つようには思えなかった。
「我が神の封印が解けるごとに、私は強くなる。そう、今の私は貴様すら凌駕する存在だ」
真紅の瞳を妖しく輝かせ、アンドラス・マケドニアスは答える。
「そう、けれど、あなたは私が殺すわ」
「愚かな。復讐などとくだらない理由の為だけに力を振るう反逆者め。我らととも、その力で愚民どもを支配しようとは思わぬのか?」
「その言葉は、何度も断ったわよ、アンドラス」
相容れぬ存在であることを、二人は再認識した。アンドラスはやはり、この女は殺すしかない、とより殺気を強めた。
VENGEANCEの存在には、煮え湯を飲まされた。この女を今殺さねば、後々憂いとなることは明白だ。
外見上はまだまだ戦えるようすのローザだが、実際はその身体はもう立つのもやっとであった。
全身を強打し、骨が折れ、内臓を圧迫されている。それでも立っていられるのは、燃えるような憎悪と死んだ人々の怒りの怨嗟からであろう。
刃こぼれしたナイフを構え、ローザはアンドラスに向かって奔っていく。
アンドラスは目を閉じ、刀を振る。空を切り裂き、斬撃がローザの脇腹を切り裂いた。
鮮血がほとばしり、ローザは床に転がる。アンドラスは刀を鞘にしまうと、倒れたローザに近づいた。
「・・・・・・・・・・・・っ、ぅ」
「終わりだ、復讐者」
アンドラスはそう言うと、すぐ近くのバルコニーを見ると、にやりと笑った。
「VENGEANCE、いかに貴様が人並み外れた執念を持っていようとも、この高さから落ちれば、無事ではいられまい?その傷では、尚更な」
アンドラスは動けないローザの髪を掴むと、ズルズルと引きずる。王宮内の警備はアンドラスらに殺されたり、今現在広場で起こっている事態への対処で手薄になっている。バルコニーに現れたアンドラスとローザを目に止める者はいなかった。
ローザの髪を離し、その首を掴み持ち上げる。呻きを上げる女を見て、アンドラスは嗤う。
「哀れだな、復讐すらできず死んでいくとはな。だが、安心するがいい、すぐに貴様の仲間も送ってやる。そして、冥府から見ているがいい。我が神の勇姿を・・・・・・・・・・・・・!!」
「・・・・・・・・・・・・ッ!」
首を絞められ、言葉を発せないローザを最後に一瞥し、その手が離れた。ローザの身体は、重力に従い、下へと落ちて行く。
アンドラスはそのまま踵を返すと、宝玉の捜索に当たった。
―――――――――――
アビスムスにより、右腕を切断されたアイリーンは彼を相手に苦戦していた。
その頬は赤く腫れあがり、左目はほとんど見えていない。痛みが襲う中、アイリーンはそれでも因縁の男から目を逸らしはしなかった。
「うん、いいねえ。その目、その血、その息遣い!すべてがいいよ、流石だよ、アイリーン!」
はあはあ、と荒い息をするアイリーンを見て、余裕の微笑を浮かべるアビスムス。
アビスムスのその人間とは思えない強さに、アイリーンは疑問を感じていた。
「あんた、本当に人間?」
「フフ、人間かどうか、と問われると、少し迷うなあ。僕はねえ、我らの神ヒュドラによって作られたいわば分身でねえ」
そう言い、アビスムスは嗤う。
そしてアビスムスは語る。
この世界に降臨した神ヒュドラだったが、彼を追ってきた異世界人によりその肉体を滅せられ、その魂を封じ込められた。しかし、死の間際、彼はそれを見ていてヒュドラに崇拝の心を持っていたアンドラスに、自身の魂を分け与えた。
アンドラスはやがて、ヒュドラを封じた道具を探し出し、封印を解いた。それとともに、アンドラスの力は増幅し、彼に宿ったヒュドラの力も増幅した。
やがて、暴走の危険性を感じたアンドラスは、力の一部をかつて情婦に産ませ、自身の腹心の部下として育てていたアビスムスに与えた。
それ以来、アビスムスは人を超える力を所有しているのだ、と。
「だから、僕が人間か、と言われると微妙なところではあるよねえ。元は人間だけれど」
フフフ、と笑うアビスムスは、だけど、今から死ぬキミにはあまり関係ない話だったね、と言った。
じりじりとアイリーンにすり寄るアビスムスは、刀を手で弄びながら、サディスティックな瞳で彼女を見る。
「ああ、いい時間だった。けれど、あまり遊んでいる時間もないようだし、そろそろ死んでもらおうかな、アイリーン」
「クソッタレ」
「はははっ!息がいいねえ、嫌いじゃないよ、けど、死んでくれ」
そう言い、アイリーンに向かって刀を振る。刀をナイフで受け止めるも、ナイフは砕け散り、アイリーンは吹き飛ばされる。無防備になったアイリーン位向かって、アビスムスは目を見開き、刀を振り上げた。
その時、ふと背後に何かを感じ、アビスムスは背後を振り返る。振り返ると同時に、襲い掛かってきた斬撃を刀で受け止め、アビスムスはヒュウ、と口笛を吹いた。そして、襲い掛かってきた影を見て、笑う。
「いいのかい、グリムリーパー。観察者がここまで出張ってくるなんて。監督者(クリエ-ター)が黙っていないよぉ?」
「黙れ、蛇の化身よ」
茶色の髪をなびかせて、異国の剣士マツリは嫌悪の瞳でアビスムスを見る。
「先に制約を破ったのは、そちらだぞ、ヒュドラの化身」
「ふぅん、そうかい。けれど、果たして君に僕を殺せるのかな?かつての力をほとんどなくしている君やタツミに僕らは殺せない・・・・・・・・・・!!」
自信たっぷりにアビスムスは言い、マツリを払いのける。マツリはアイリーンの前に立ち、彼女を横目で見た。
「久しぶりね、アイリーン」
「マツリ、ね。まったく、再会がこんな場所とはね」
アイリーンはそう答え、身体をわずかに起こすが、痛みに呻く。痛み止めの効果ももう切れており、動くこともままならない激痛が襲う。
マツリはその様子を見て、キ、とアビスムスを睨む。
「よくもやってくれたわね。私の友人を傷つけてくれた礼も、ちゃんとしないとね」
「できるかな、君に?」
そう言い、嘲笑うアビスムスを見て、マツリはギリ、と奥歯を噛みしめ、叫ぶ。
「舐めるなよ、蛇の魂の欠片を持つだけの、増長した人間が!その思い上がりとともに、滅してくれる!」
そう言うと、マツリは刀を構えアビスムスへと向かっていく。
その早い斬撃を余裕の表情で受け止めるアビスムス。常人にとっては「早い」であろうが、彼にとってはどうと言うことはなかった。
「どうした、息巻いていた割に、この程度・・・・・・・・・・・、っ!!?」
突如、アビスムスの表情が崩れた。受け止めていた剣戟だが、それは徐々に速さを増していたのだ。アビスムスの目でとらえられぬ速さで襲いくる剣戟に、アビスムスは驚愕する。
「な、なんだ、これは!?」
「・・・・・・・・・・・・」
無言で剣を振るい続けるマツリを見て、アビスムスは自身の思い違いを知った。
今のマツリは、制約も何も関係なく、ただただアビスムスを殺そうとしている。その執念のもたらす力を、彼は見誤っていたのだ。
もともとただの人間であるアビスムスと違い、彼女はもとより人外の存在。そんなものに、敵うはずがなかったのだ。
未だ完全に目覚めていないヒュドラの力では、この目の前に化け物に勝つことなど、到底不可能だったのだ。逃げるべきだった。逃げて、先に封印を解くべきだった。
だが、それはもはやできない。目の前の死神は、逃走を許さない。目の前の死神は、アビスムスを許さない。
アビスムスは恐怖に足がすくむ。そんなアビスムスの肩を貫き、脚を切り裂く閃光。
アビスムスの刀を持つ右腕を切り落としたマツリは、冷たい瞳で一言言った。
「この一瞬で、アイリーンの受けた苦しみのすべてを味あわせてやる」
そう言ったマツリは、目にも留まらぬ速さでアビスムスを切り刻む。
「うぎゃああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
左目を貫かれ、骨を砕かれ、大量の血が舞い踊る。華麗で、苛烈な剣劇がアビスムスを切り裂いた。
絶望と恐怖、苦痛が押し寄せる中、アビスムスは自身の首を狙って放たれた一撃をただただ見つめることしかできなかった。
神速の刃はアビスムスの首を斬りおとし、その首が地面に落ちる前に欠片に変えてしまった。
首を失った肉体は、痙攣し、邪悪な魂の破片とともに霧のように消滅した。
マツリは刀をしまうと、アイリーンに近づいた。
「悪いわね、アイリーン。あいつを殺したかったでしょうけど」
「いいえ、大丈夫よ、マツリ。それよりも、ローザは?ヴェンティは?」
アイリーンは言いよどみ、首を振る。
「わからないわ。そっちはタツミが見に行っているから。私は、宝玉の確認をしに来たの」
「!宝玉は?!」
「残念だけど、奴らが持っていったようね。けれど、まだアンドラスは手にしていない。まだ、止められるかもしれない」
そう言ったマツリを見て、アイリーンは立ち上がろうとするが、痛みに倒れる。
「くそ、身体が」
「今のあなたには、これ以上は無理よ、アイリーン。これ以上は命の危険が・・・・・・・・・・」
「それでも、私は・・・・・・・・・・」
そう言い、意識を失ったアイリーン。倒れ込む彼女を受け止め、マツリはその血で汚れた髪を撫でた。
「・・・・・・・・・・・・」
マツリはそこでアイリーンを介抱する。今の戦いで、アビスムスを殺したことで、彼女は観察者としての権限を逸脱してしまった。その代償として、力を奪われてしまった。
これで完全に傍観するしか彼女にはできなくなった。
マツリは静かに、広場の方向を見て祈った。
――――――――――――
ローザは目を見開いた。
前身の痛みはするが、まだ立てないわけではない。
あれほどの高さから落とされたというのに、なぜ死んでいないのか不思議であった。そんな彼女はふと、自分の近くに一人の青年がいることに気づいた。
黒い髪のその青年は、ちょうど広場のある方向を見ていた。
その青年の顔は、どこか見覚えがあった。
そして彼女は気づく。
「タツミね、あなた」
「ああ、気づいたのか、ヴェルベット」
タツミと呼ばれた青年はそれには答えず、ローザを見る。
「タツミ、どうなったの?私は死んだはずでは?」
「ギリギリで私が介入したが、遅かったようだな」
そう言い、タツミは空を指さした。
暗雲が立ちこみ、光が消えていた。
「まさか・・・・・・・・・・・・・」
「君たちは失敗した。ヒュドラが復活する」
タツミはただ淡々と告げた。
「ッ」
唇をかみしめるローザは、タツミを睨む。
「タツミ、もう、どうにもならないの」
「闇が濃くなっている。予測以上の闇の濃さだ、これでは私でも太刀打ちできない。制約により力を制限される私には」
だが、とタツミは言った。
「希望がすべて、消え去ったわけではない」
そう言い、タツミはローザを見る。
「サクヤと言う少女を連れてきなさい。そして、あの少女に呼びかけるのだ」
「少女・・・・・・・・・・ヴェンティのことね?」
頷くタツミ。
「彼女は今、生死を彷徨っている。強い意志、執念。それこそが、まだ不完全なヒュドラを倒す武器となるだろう」
私にできることはこれだけだ、とタツミは言った。そして、腰に下げた刀をローザに押し付ける。
「これは?」
「少女が目覚めたならば、これでヒュドラを殺させるのだ。かつて、私がまだ元の世界にいた時、とある人物から受け取ったものだ。ありとあらゆる生物を殺す剣。神でさえも斬り伏せる刃。使いこなすことは困難だが、死の淵より蘇った彼女ならば、扱うこともできよう」
そう言い、タツミは腕を組み、静かに空を見上げた。
ローザはタツミから受け取った刀を手に持つと、急ぎ奔りだす。
身体の痛みは先ほどよりはましになっているが、それでも痛みは強烈であった。
走り去るローザを見て、タツミは静かに空に向かっていった。そこには誰もいないはずだが、タツミはまるで誰かがいるように感じていた。
「残念だが、お前たちの思うような結末にはさせるつもりは毛頭ない。最初からな」
従順な部下を演じてきたタツミの裏切りに、姿を見せない者たちは憤りを感じていた。
タツミはそれをあざ笑うと、静かに目を閉じた。
(あとは、任せるよ)
その瞬間、タツミの姿はこの世界から消えた。




