5
『あんたは私を殺したのよ』
ずっと、マツリはその声に苛まれてきた。自分を呪うその言葉は、けれどそれが事実であるために消し去ることはできなかった。罪の意識、そして死と贖いのための生。それらが彼女を今の彼女足らしめる。
この世界において、彼女は極度の干渉と殺人を赦されてはいない。故に、同じ傷を持つ彼女たちの協力は不可欠であった。知ってしまったからには、目を逸らすことはできなかった。再び悲劇を繰り返さないためにも。
ああ、とマツリは血の乾いた己の手を見る。鉄の匂い、死の香り。それはもう、ずっと慣れ親しんできたものである。その匂いに、香りに時に酔い、そして嫌悪感に浸る。
けれど、もう戻ることはできなかった。
マツリは目の前の女を見る。復讐の女神はほほ笑み、死体をまたいでこちらに向かってくる。
差し出す手を握り、マツリもまた微笑んだ。罰を、罪を、復讐を。逃れられない裁き。それは、いかなるものにも平等に降り注ぐもの。たとえ、それから逃れようとしても、死は逃がさない。
彼女たちは、逃がさない。
ヨーク伯ドレルノは、かつては美男子であったが、今ではその影はない。醜く肥え、脂ぎったその額は後退しており、髪はところどころ白髪染めをしている。リザを牛耳り、金に溺れた権力者は、一日中、女の肉に溺れ、享楽の中に身を任せている。
法も神も恐れぬドレルノは、リザの王であり、神であり、法律。彼は街のものが逆らわないことを知っている。誰も彼を裁くことはできず、何一つできないことを知っている。
涎を垂らし、今日も罪なき無垢な少女を彼は毒牙にかけた。
粗相をした少女は、この後、ドレルノの子飼いたちに回されることとなる。哀れな少女への関心はもはや失せた様子で、次なる乙女に欲望の目を向ける。泣きわめく少女は引きずられ、男たちの餌食になった後、ドレルノの飼う悪趣味なペットたちの餌にされるのだ。
クフフ、と笑い、男は少女に覆いかぶさった。
「やけにおとなしいな。ここに来たものは多くは泣き喚くというのに。もっとも、泣き喚かなかったものも、すぐに私の腕でわんわんと泣き叫ぶのだがね」
サディスティックに笑い、醜い顔のヨーク伯は少女を見る。赤茶色の髪に、そばかすだらけの顔。みすぼらしいものの、素材はいいと感じさせる。これを連れてきた連中には褒美を与えねばな、とドレルノは笑った。
「・・・・・・・・・・・・」
「なんだ?」
組み敷かれた下で、少女が小さく何か囁く。ドレルノは臭い匂いを放ちながら、少女の口に耳を這わせた。
少女は再び、今度はドレルノに聞こえるように言った。
「その汚い脂肪の塊を退けろ、クソ野郎」
「貴様・・・・・・・・・!!」
くわ、と開かれた眼が少女を見る。その瞬間、少女はどこにそのような力があるのか、両手でドレルノを吹き飛ばす。寝台から転がり落ちたドレルノは、外の扉に向かって叫ぶ。
「衛兵!」
すぐに扉から衛兵が現れる。衛兵たちが剣を構え、ドレルノの前に立つ。
少女はそれを冷ややかに見た。
「あら、自分の力じゃどうしようもないから他人を呼ぶの?どうしようもない肉団子ね、ドレルノ伯爵」
「黙れ、小娘。わしを馬鹿にしおって・・・・・・・・・・・見てくれのいいだけの阿婆擦れめ!」
口汚く罵ったドレルノは、「やれ」と衛兵に命じた。だが、衛兵は動かなかった。
剣をドレルノに向け、睨みつけてきた。
「な、なんだ・・・・・・・・・・?」
「残念ね、そこの二人は衛兵ではないわ」
少女は言った。いや、少女ではない。ドレルノは悟った。少女にふんしていた赤毛の女は、その怒りに燃える瞳をドレルノに向けた。
「初めまして、伯爵。私の名前は『VENGEANCE』」
「・・・・・・・・・!!貴様か、最近私の街で狼藉を働いていた輩は」
流石のドレルノも、噂は知っていたようだった。チンピラを殺しまくる存在のことは知っていた。だが、所詮チンピラを殺すだけで自分にまで手は出さないだろう、と甘く見ていた。だが、それは現実に自分の目の前に存在していた。
「まさか、女とはな」
そう言い、衛兵にふんした二人の女を見る。
「私の部下はどうした!?」
「死んだわ。惨めに、残酷に、苛烈にね」
衛兵の一人が答える。
「あなたのペットたちの餌になったわ」
「なんということを・・・・・・・・・・神をも恐れぬ野蛮人どもめ!」
「は」
それまで沈黙していたもう一人が嗤った。どの面がそんなことを言うのだ、と目が語っていた。
「私を殺す気か、私はこの街の王であり、神だ!誰も私を殺せはしないぞ」
「どうかしらね。試してみる?」
そう言い、VENGEANCEはナイフを取り出し、ドレルノの前に投げる。
「それを持って、私を殺せるかしら?当然できるわよね、あなたはこの街では神なのだから。私のような女には、殺せないでしょう?」
「当然だ」
短剣を持ち、ドレルノはその超えた体からは想像できない俊敏さで女に迫る。これでもかつては騎士の教育を受けており、その教訓は体に生きていた。狙いはしっかりと定まり、女の華奢な身体を折らんばかりであった。それが普通の女ならば。
だが、彼にとって不幸だったことに、目の前の女はただの女ではない。彼女は人間の皮を被った死神であったのだ。それを知らないドレルノは、数秒後にはナイフを握った自分の手が吹き飛んだことを目の当たりにすることとなる。
「ひぁ」
真の抜けた声、そして、ボトリと落ちた右手。噴き出る血は暖かく、男の頬を染め上げた。
「ひぁぁあああああああああああああああ!!?」
耳障りな雑音を聞きながら、女はドレルノを踏みつけた。
どれづの葉現実逃避した。こんなはずはない、こんなはずはない、と。
約束されたリザの街の王は、混乱の極みの中にあった。渦巻く世界で、ドレルノは息荒く、右腕を見る。だが、そこにあるべき手はなかった。
裁きの時間が訪れる。彼を守っていたリザのならず者はすでにこの世にはいなかった。彼を守ってきた者たちと同様に、ドレルノ自身にも報いが訪れるのだ。壮絶な死が。
だが、彼女たちは楽には彼を殺しはしない。いくつもの家族の幸福、命を奪ったこの男をどう料理しようかと、彼女らは舌なめずりをした。
三時間が経った。ドレルノはまだ生きていた。だが、その心はすでに死んでいた。
彼の身体は正に肉団子となっていた。四肢を切断されたドレルノは正気を失う一歩手前だった。丁寧に止血され、失血死することさえ許されないドレルノは、目の前の檻の中にいる彼のペットたちが彼の手足を喰らうのを、ただ呆然と見ていた。時折、「わしの手が、脚が」と言うものの、口から流れ出る血の混じった涎を拭くことすらできない。
痛覚はマヒし、腹を裂かれ、内臓を抉りだされていることすら、ドレルノにはわからない。ただ、今のドレルノが望むことは死であった。
「殺してくれ、殺し、てくれ・・・・・・・・・・・」
「もう根を上げたのかしら」
女は言った。ひどく楽しそうに。血に染まったその顔は、人間とは思えぬ魔性の魅力を秘めている。
ドレルノはそれを見ても、もう反応しなかった。彼の下半身はすでに彼女により切り裂かれ、二度と女を抱けぬ身体になっていたからだ。それでも死なないのは、女の仲間である一人の薬による影響であろう。生き地獄の中、ドレルノは泣く。もはや声は枯れ、涙は出なかったが。
それを自業自得と見つめる女たち。罪には罰を。死者の叫び、復讐せよ、と言う叫び。それをただ彼女たちは執行する。
それからまたしばらくの時間が経った。もはや、ドレルノが失うものは彼の命だけになった時、ドレルノはすでに廃人となっていた。呼吸をするだけの、醜い肉団子。それを冷徹に見下ろした女は、それを静かに引きずり、鉄の檻の中に放り込んだ。
「餌よ」
その声に、檻の中にいた獰猛な犬たちは互いの肉をかじり合うのをやめ、新たな餌を求めて駆けだす。
気が狂い、狂ったように笑い続けるドレルノの喉笛を裂き、内臓を完全に抉り出し、骨の髄まで犬たちはしゃぶる。
ついに骨も残さずこの世からドレルノは消えた。
仕上げとばかりに、犬たちを殺し、焼却炉に放り込むと、女たちはリザの街を後にした。
悪逆の王と彼の支持者は死に、リザに安寧が訪れた。
マツリと出会った街まで引きもどした女たちは、そこで一夜を過ごした。
翌朝、三人は街の入り口に立っていた。別れの時間は近づいていた。
「目的は果たしたし、そろそろ次の場所に行かないとねえ」
マツリはそう言い、一枚の封筒を振る。それは、リザのドレルノの屋敷から手に入れたものであり、彼女のもう一つの目的であったもの。
「それは?」
アイリーンが問うと、マツリは笑う。
「片付けなきゃならない案件、さ。ドレルノを超える巨悪」
「・・・・・・・・・・・一人でそれを?」
マツリはその問いには答えず、静かに笑った。アイリーンはマツリに対し、親近感を覚えているだけに、一緒にこのまま、と言おうとしていた。だが、彼女たちの道が交わることはない、と感じていた。
なんとなくわかっていた。マツリは彼女たちとは似て非なるものなのだ、と。
シルクは静かにマツリを見る。
「それが、タツミとあなたが背負うものなのね」
「そう。そして、それは私たちが背負わなければならないもの」
そう言ったマツリは、二人を見る。
「もしかしたら、また再びどこかで会うかもしれない」
「敵としては、会いたくないな」
「そうね」
茶色の神の異邦人はそう言い、静かに二人から離れた。
「あなたたちに、安らぎがあらんことを」
「・・・・・・・・・・・・・まつり、君にも救いがあらんことを」
こうして、マツリは去っていった。シルクとアイリーンはその背を見ることなく、背を向けて彼女たちのいるべき場所に戻っていく。
それからしばらく時が経った。
ヒュドラーを追い続けてきたタツミは自らを救い出したマツリに対して、これ以上自分たちにできることはない、と告げた。どうしてだ、と問うマツリに対してタツミは言った。
「それが『監督者』の意志だからだ」
「・・・・・・・・・・・ッ」
無力に打ちひしがれるマツリ。世界という報速から外れた存在である彼女たちは、『観察者』と呼ばれ、世界への直接的な干渉は本来赦されない。あまりにも干渉しすぎたがために、これ以上の干渉を赦されなかったのだ。
「封印が解かれる前に、止めないと」
「それはもはや不可能だ」
タツミの無常な言葉に、マツリは唇を噛む。
しかし、そんなマツリに希望はある、とタツミは言った。
「紅い影が見える。影が闇の侵攻を止めるだろう」
紅い影、と言われて思い出すのはあの、復讐の女神たちであった。マツリはタツミを静かに伺った。
「いずれ、決着がつくであろう。ヒュドラーの娘が自身を育てたヒュドラ-に反旗を翻した時、この世界の運命が決まるであろう」
それから更に時が過ぎ、一人の娘が生まれ育った組織を追放され、死に瀕した。
その時、彼女たちは出会った。動き出していた歯車は加速し、運命が動き出した。




